俺様獅子のお出迎え
子供達を送り迎えの当番の親御さん達に預け見送り終わると、
職員室に戻り片付けなくてはならない仕事に向き合うことにした。
今日あったことを細かく日誌に書いて、自分の組の子供達の楽しそうな顔を思い浮べた。
この仕事を選んだのは、子供が好きだからというのが一番の理由だけれど、
それ以上に、子供の成長に携わるやりがいや、あの子達の自由な縛られない発想力や元気さに魅せられたのも大きいだろう。
毎日が本当に楽しくて、私の生き甲斐になっていると言ってもいい。
「ほのか先生~!」
「透先生、お疲れ様です」
「お疲れっす! ところで、後で仕事が終わったら時間あるかな?」
「仕事の後、ですか?」
職員室に駆けこんで来た透先生に問われて、私は特に予定はないと答えを返しそうになった時、
机の端でスマホが可愛らしいオルゴールのメロディを鳴らして震えるのに気付いた。
すみません、と頭を下げてスマホを手にとると、登録にない番号が表示されている。
誰だろう? 通話オンの部分をタップすると、それを耳にあてた。
「はい、鈴城ですが」
『ほのかか?』
通話口の向こうから聞こえたのは、この一ヶ月でよく聞き知った低い声音の第一声。
そういえば、あんなに家に通ってきていたというのに、私はまだ彼の番号を知らなかった。
通話云々より、家に直で来るので、必要がなかったといえばそうなんだけど……。
声を聞く限り、もう風邪の方は完全に治っているようだ。
「獅雪さん、なんで私の番号を知ってるんですか?」
「蒼に聞いた。てか、前から登録してある。
それより、もうすぐ仕事の方終わるんだろ?
園の前で迎えに行くから、用意して待ってろ」
「は?」
「は? じゃねぇ。 この前の礼だ。
飯食べに連れてってやるから、大人しくついてこい」
「いや、でも……あの」
俺様完全復活……!
通話口の向こうで喋る獅雪さんは、体調も万全、自信も万全。
私の返答など聞かないとばかりに、すぐに通話が切れてしまった。
風邪の時はあんなに弱々しくて、少しだけ可愛いなとか思ってしまったのに、
完全回復を果たしてしまった俺様ライオンは、やっぱり肉食獣のままでした。とほほ。
「ほのか先生?」
「あ、すみません……。
あの、ちょっと、予定が入ってしまいまして……」
「え~~!!!!!!」
「ご、ごめんなさいっ」
一気にテンションがガクーンとだだ落ちしてしまったらしき透先生が、
頭を抱えて床に座り込んでしまった。
「嘘だろぉ……」と何やら暗い声でボソボソ呟いている。
悪いことをしたかなと、再度謝ろうとした私の前に年配の先生がやってきた。
とても大きな身体の恰幅の良い姉御肌の年配の女性だ。
透先生の襟首を、猫の子を持ち上げるように引っ張り上げた。
「まだ片付けが終わってないんだから、手ぇ動かしなさい! 全く。
あと、ほのか先生は良いけど、貴方はまだ他にも仕事が残ってるんですからね!」
「ちょおおおお! 落ち込んでるところにさらに爆弾落とさなくても良いじゃないっすか~!」
「覚える事もまだまだたくさんあるんだから、厳しくいきますよ!」
ドシーン、ドシーン……。
まるで、大怪獣が遠くに去っていくかのような逞しい足取りに、何も言わず見送ることしか出来なかった。
「(透先生、頑張ってくださいね……)」
それから一時間ほどして、仕事を終えた私はバッグとハンガーにかけてあったコートを羽織って職員室を後にした。
帰り際、なんだか疲労困憊している透先生を見たけど、よほどスパルタな目に遭ったらしい。
明日出勤する前に栄養ドリンクでも箱買いして渡してあげよう。
お疲れ様でした、とだけ言い残して、私は幼稚園の門に向かった。
門の前には、不似合いな大きな黒のスポーツカーが一台。
運転席の外側に、静かに夜空を見上げながら背を預けている獅雪さんの姿があった。
今日は仕立ての良さそうなスーツを纏っていることからして、会社帰りなのかな。
私に気付くと、こっちに来いと目配せが飛んできた。
……回れ右してダッシュで逃げちゃったりなんかした日には、問答無用で米俵だよね……。
彼が病人状態の時は、威圧感とかそういうものが減少していたのもあって、看病するのにも抵抗はなかった。
だけど……、ほら、完全回復だから。俺様獅子様の威厳取り戻しまくりだから……。
獅雪さんに連れ出されて一日という長い時間を一緒に過したあの日。
確かに、私の心には変化が生まれ、彼に対する印象も、苦手意識も薄れていった。
まだ、彼からは何故私とのお見合いを続けるのか、仮婚約までしてしまったのか、
その理由は聞けず仕舞いだけれど、前よりは距離が近くなったとは思う。
……だけど、久しぶりに目にした俺様仕様の獅雪さんを目の前にすると、
なんだか落ち着かないというか、独特の緊張感に包まれてしまった。
「(しかも、今日はサングラス装備だしっ。威圧感が半端ないというか、ううっ)」
本人が聞いたら怒るだろう感想を不謹慎にも抱いてしまった。
足が、……勝手に獅雪さんのいる方向とは逆の方に向いた。
そろーり……。
前方、人の気配、なし! 背後、大きな獅子が一頭!!
無駄とわかっているのに、次の瞬間、――私は全力でダッシュしていた。
あぁっ、もう馬鹿馬鹿っ。これ無駄だよね!? 走ったって逃げたって無駄だよね!!
わかっているけれど、止まれなーい!!
「(ごめんなさい、獅雪さ~ん!!)」
――ガシッ。
「きゃああああああああ!!」
「煩い。喚くな。……ったく、相変わらずのその行動、まだ治んねぇのかよ」
一分も逃げ切ることが出来なかった……。
後ろから猛烈な勢いで追ってきた獅雪さんによって、私は一瞬で空中に身体を持ち上げられてしまった。
はい、お決まりの米俵担ぎスタイルの完成です……。
お姫様抱っことかじゃないんだよね。問答無用の米俵担ぎばっかりされてます。とほほ。
「す、すみません。つい、条件反射で」
「この前は看病なんかしなくていいって言っても、傍にいるって聞かなかったのに意味がわかんねぇ。
あれか? 病人限定の優しさで、別に俺に慣れたわけじゃないってことか?」
「あはは……、はい」
「はぁ……。どんだけ小動物気質なんだよ、お前は」
獅雪さんは、私を担いだまま車に戻ると、助手席のドアを開いてお約束のごとくその中に私を放り込んだ。
――ゴン! あぁ、また頭がどっかに……。痛い。
額を押さえて涙目になっていると、幼稚園の門から驚愕の声が上がった。
「ほのか先生が~!! 誘拐されかかってる~!!」
透先生だ。
やっと年配の先生から解放されたのか、まだエプロン姿だけどこちらを見て慌て騒ぎまくっている。
そうだよね、この光景見たら……はは、人攫いだよね……。
多分、私がさっき上げた悲鳴が原因なんだろう。
門の前に出ていた透先生が急いでこちらに向かってくるのがわかった。
運転席に乗り込もうとした獅雪さんに声を荒げて掴みかかろうとしている。
「ほのか先生に何してんだ!!」
「飯の約束をしているから連れていくだけだが、何か問題あるか?」
「はぁっ!? だって、ほのか先生滅茶苦茶悲鳴上げてたじゃんか!!
誘拐じゃなくてなんなんだよ!!」
「あ、あの、透先生……」
口を挟もうとした私に、獅雪さんがチラッと黙ってろと無言で制して、
透先生に向き直った。
胸元を掴んでいる透先生の手を打ち払いサングラスを外すと、鋭く睨みつけた。
その視線に、透先生がゴクリと息のを呑んだのがわかった。
まさに肉食獣の威厳ともいうべきか。その視線をもし私が向けられたら、立っていられる自信はない。
だけど、透先生はさすが男性というべきか。
それに怯むことなく、獅雪さんに抗議の言葉を放った。
「ほのか先生、嫌がってるんじゃないのか!?
悲鳴上げられるなんて只事じゃないし、涙目になってるじゃないか!!」
「あ、あの、れは額をぶつけたから……」
「泣いてる女の子を無理やり連れて行くなんて、最悪じゃないか!!」
どうしよう。私の言葉も耳に入っていないみたい。
熱血一直線! の体で、獅雪さんに噛み付いていく透先生を、勇者だな~と観察していた私は、
二人の間に割って入らないとまずいと感じ、助手席のドアを開けようとした。
しかし……。
「ほのか、出たら……わかってるだろうな?」
「は……はい」
ギロリ、透先生を相手にしながらも、獅雪さんの注意は私の行動からも離れていなかった。
有無を言わせない低く鋭い声音に、私は大人しく助手席で小さく丸まった。
怖い、怖いから!! 肉食獣を前にした餌の気分ですよ!!
と、その時、またまた幼稚園の中から、あの恰幅の良い年配の先生が姿を現した。
透先生を見つけると、鬼の形相で近寄ってその襟首をまた掴んだ。
「まだ終わってないのに、何やってるんですか!!
こんなところで油売ってる暇があるなら、次のお遊戯会の準備も手伝わせますからね!!」
「うわぁあっ!! ちょっ、先生、やめっ。うわあああああああああああああ」
哀れ、どうやらまだ彼の仕事は終わっていなかったようだ。
年配の先生に再び捕まった透先生は、涙目になって私に向かって手を伸ばす。
獅雪さんも呆れたように息をひとつ吐くと、素早く運転席に乗り込んだ。
「あれが、『透先生』か」
「はい?」
「俺が風邪引いた時にお前が言ってただろ。
元気で明るい代理の透先生、って」
「あぁ、はい。その、透先生です。
私が悲鳴を上げちゃったから、心配して見に来てくれたみたいですね」
「子犬みてーな奴だな。あと、ウザいくらいに正義感が強そうだ」
「ふふっ、どっちかというと、獅雪さんが悪役なら、透先生は正義のヒーローがぴったりですものね」
「……」
もしかしなくても地雷を踏んだらしい。
静まり返った車内に、無言の重たい沈黙が下りた。
こともあろうに、ノリで獅雪さんを悪役呼ばわりしてしまった自分を呪いたい。
だけど、獅雪さんはあえてそれにはツッコミは入れずアクセルを踏み込んだ。
車道に入ると、前に車がいないのをいいことに、獅雪さんがスピードを上げて走り込んでいく。
ハンドル捌きが、乱暴に思えるのは気のせいでしょうかっ。
速度制限は!? 安全運転は!?
助手席の左上にある取っ手を掴んで懸命にしがみつく私などお構いなしに、
車はどんどんその速度を上げていった。
これは……、まさに無言の不機嫌MAXですか!? 獅雪さんっ。
運転にこれ以上ないくらいの荒々しさが付加されているのは気のせいじゃない!
「獅雪さん! 私が悪かったです!! もう悪役とか失礼なこと言いませんからぁっ!!
だからっ、だからっ、安全運転を~!!」
車内に、私の悲痛な懇願が響いたのは言うまもでない。
ううっ、なんてあからさまな八つ当たりだろう。
次第に意識を保っていられなくなった私は、
ガックリとその場に落ちた。