楽研
「そういえば」
葉加瀬さんを除く四人の屯する部室で、おもむろに祝が口を開く。
「なんだ」
机を挟んだ正面で、ノートパソコンに向かう部長が応える。
「このサークルの名前ってなんですか?」
「……」
祝の疑問に、部室が静まり返る。
なんだっけ。知らないんですかー? 忘れちゃった! そんな言葉が、無言のうちに交わされた気がした。
「あー、ちょっと待ってな」
部長は携帯を取り出して、誰かに電話をかける。相手はおそらく葉加瀬さん。
「私だ。うちのサークルの名前ってなんだっけ」
隠す気も無く、祝の前で堂々と質問する。
まさか部長さえも覚えていなかったとは驚きだった。だが、これはあれだ。ど忘れというやつなのだろう。そうであってくれ。
祝は若干呆れつつ、本を読み進める。
「そうだそうだ、思い出した」
部長は携帯をしまいながら、さも自分で思い出したかのような仕草をする。
いや、これ見よがしなくらいに目の前で誰かに電話をしていましたが。
「なんですか?」
祝は本を閉じて、答えを聞く。
部長はいつものように、得意気に胸を張って言う。
「我がサークルの正式名称は『日常謳歌系サークル 楽研』だ!」
「ラクケン、ですか?」
「ああ、そうだ。この世のあらゆる『楽』を追い求めることを目的としているのだ。娯楽、悦楽、享楽、快楽、音楽、遊楽、楽観などなど――」
部長はひたすらに「楽」の付く言葉を連綿と挙げてゆく。
平々凡々たる日々是満喫すべし。
その意味は、平凡な日々を心ゆくままに怠惰に過ごすのではなく、その平凡な日々の中でいかに『楽』を探すか、というものらしい。
「日常謳歌系サークルってことは、他にも日常謳歌系のサークルってあるんですか」
わざわざ「系」と名付けるのだ。同じような系統のサークルが存在しているはず。
しかし、部長はなにやら渋面を作る。
「……ある。あるには、ある。だが」
歯切れの悪い返事が、部長の苦々しい表情から漏れ出る。
「どうしたんですか?」
「いや……。うちは、そことは犬猿の仲でな……」
サークル間の対立でもあるのだろうか。同じ日常謳歌系サークルと銘打っているのに、変な話だ。
「そこは『謳歌部』と言ってな。まあ、なんだ。ひとくちに言えば、リア充の溜まり場だ」
「……はあ」
性質が違う、ということだろうか。
部長のいまいち要領を得ない返事を噛み砕く。
「あそこ、いろんなことしてるよね。バーベキューとか、海水浴とか、パーティーとか」
「へー」
漁さんの情報で、歯切れの悪い理由がなんとなく分かった。
ここは日々をのんべんだらりと過ごしているのに対し、向こうはいかに有意義に日々を過ごすかに重点を置いているらしい。なるほど、水と油のような関係なのかもしれない。
「でも『楽』を求めるこのサークルなら、楽しそうなことには首を突っ込んだ方がいいんじゃないですか?」
「ああ、そうだな。あいつらが面倒臭くなければ、そうしていただろうな」
「面倒臭いんですか?」
部長は忌まわしい記憶を呼び覚ますかのように、その小さな体躯をぷるぷると震わせながら椅子に立ち上がる。
「部長、そこ立つとこじゃないです」
「うるさい」
そして、部長は体全体を大きく振りかぶって訴えた。
「あいつらのノリがダメなんだ! ウェーイとか、フーとか、なんだ! あいつらは獣か! 理性を持った人間とは思えない奇声を上げて、何が楽しいんだ! しかもあいつらは恐るべきことに、ノリが良いか悪いかで、人の善し悪しを判断してくる。人間がノリで構成されていると思っているようなもんだぞ! あいつらは人間じゃない! 獣だ!」
最終的に獣になってしまった謳歌部の面々を、部長の情報から想像してみる。
……。
あまり関わり合いにはなりたくないかもしれない。
謳歌部:「人生の価値は経験の数で決まる」をスローガンに、様々なイベントを開催しては楽しく盛り上がることを目的とした、日常謳歌系サークルのひとつ。いわゆるリア充サークル。