3.ざわめき(フリードリヒ)
フリード視点。
3.ざわめき
「では、フリちゃんの初参加を祝して」
「「「かんぱーい!!」」」
5月の第三日曜日、日付で言うと5月19日。
僕は今、大沢の家で鍋をつついて酒を飲んでいる。
鍋が置かれているあまり大きくはないローテーブルを囲んでいるのは鬼塚や神崎や阿部など、お馴染みの生物学科の男子連中だ。
いわゆる「男子限定宅飲み」ってやつらしい。
ごくごく自然に紛れ込んでしまっているけれど、僕はこの状況が夢のようで信じられなかった。
何故ならただ今の時刻、18時30分。日は既に沈みきっている。
そう、本来なら今頃カエル姿のはずの僕は、人間の姿として今この場にいるからだ。
そんな夢のような現実を眺めながら、僕は夕べのやりとりを思い出す。
「あのさ、あんたに頼みがあるんだけど、一時的にカエルから人間に戻れる薬ってない?」
2階の一番左手前の部屋。
僕やクリスたちと同じ広さのはずのそこは、別空間につなげられ本来の2倍の大きさに広げられている。
その奥にある実験室で、僕はこの部屋の主にそう尋ねた。
赤髪の魔神は実験台で作業しながらちらりと僕の方を見る。
「一時的に人間に戻るってカエルくん、今だって昼間は人間の姿じゃないか」
と、しれっと返してきた。
僕がそんなことを言いに来たんじゃないことくらいこの魔神は分かってるはずだ。現に僕を流し見る金色の瞳がにやついている。
まったく、人をおちょくるのが好きな魔神だ。
「確かに昼戻れるのは嬉しいんだけれど、夜もたまには人間の姿でいたいんだ」
「ふぅん、何で?」
「何でって……その……と、友達と遊びたいから……」
言いながら僕は恥ずかしくなって、最期の方が尻すぼみになってしまった。
案の定、アサドはククッと喉の奥で意地悪く笑っている。まったく、自分からからかいの種をまくなんて不覚すぎる。
しかしこれは切実な願いだった。
日が昇っている間に人間でいられるようになってから今こうして大学生活を送れているわけだが、おかげで同い年の友人もできたし、休日は遊びに誘われる。そんなこと、一日中カエル姿だった頃から比べれば、とても幸せなことだし充実している。
だが、そうして出来た友人たちと過ごせるのも日が沈む前までだ。日が沈むと僕はカエル姿になってしまう。だからいつも何かしら理由を付けてその場を離れているのだが、かなり名残惜しいし、そのせいで微妙に距離感を感じるのが忌まわしい。
もっと彼らと親しくなりたい、そう思うばかりだった。
するとそれまでニヤニヤ僕をからかうだけだったアサドは、すっとどこかに向かって腕を伸ばした。
腕が向いている方向を見れば、壁に備え付けられている棚の戸がすっと開き、上から2段目に置かれていた瓶が宙に浮いてこちらにやってくる。
「まぁ、カエルくんがそのうちそう言ってくるだろうことは予想してたから、もう作っといたんだ」
浮いてきた瓶を手に取ると、アサドはしたり顔で僕を見てきた。瓶の中には白い錠剤がいっぱいに詰まっている。
「この錠剤一粒で半日……12時間動物の呪いを解くことが出来る。これを変身前に飲めば、つまり一日半人間でいられるってわけ」
そこで一旦言葉を切ると、アサドはそれまでニヤついていただけの金色の瞳を意味ありげに細めた。どこか僕を試すような瞳だ。
「ただし、どんな副作用が起こるかはボクも分からないよ? 何せグリムの魔女の魔法は、ボクたちアラビアンナイトの魔法と相容れないからね」
そうなのだ。
こんなことをしなくても、目の前に魔神がいるんだから早いところ魔法を解いてもらえればいいように思えるかもしれないが、実はもう既にそれは実験済みだ。
おとぎの国で初めてアサドやカリムに会ったとき、僕はすかさずカエルの魔法を解くようお願いした。しかし、カエルの魔法が思いの外強かったのか魔神たちの魔法との相性がよくなかったのか、魔神たちがかけた解呪の魔法は跳ね返り、逆に彼らが火傷を負う結果に終わってしまったのだった。
だからもしかすると今アサドが持っている薬もよくない効果が起こるかもしれない。
それは十分にあり得る話だった。
「ま、2~3錠飲んだくらいじゃそんな大層な副作用が起こるとは思えないけれど、使うなら十分に考えた方がいいんじゃないかな?」
赤髪の魔神はそう含みのある言い方をして、その瓶を僕に渡してきたのだった。
そうして今に至る。
要するに僕は薬を飲んだのだ。
確かにどんな副作用が起こるか分からないが、起こるとも限らない。数錠飲んだところでは大層な副作用が起こりにくいともアサドが言っていたし、何より僕はこいつらともっとうち解けたかった。
だから今日は試しに飲んでみた。
薬はちゃんと僕の期待通りに効いてくれたようで、日が沈んでも僕は人間のままだった。
その現実に僕は今非常に驚いている。
あまりに驚きすぎて、身体が固まっていたようだった。
「おいフリード? どうした、固まって」
「何か食えないものでもあった?」
横から聞こえてきた神崎と阿部の声にはっと我に返る。
あまりに呆然としすぎてしまったようだ。
僕は首を振って「うまい」とカタコトっぽく言った。状況が状況なだけに、少しふてぶてしくなってしまったか。
すると正面に座っていた大沢がにかにか笑って僕のお椀に具を入れてきた。
「何だ何だ、フリちゃん。実は日本の鍋初めてかぁ? 上手いだろー! 日本食サイコー」
と、どこの食事処の亭主だよ、と言いたくなるような年寄り臭いことを言ってくるが、実は鍋料理はおとぎの国のニッポン地方に行ったときに食べたことがあるので初めてではない。
ちなみに言わなくても分かると思うが、大沢の言う「フリちゃん」は僕のことだ。
いつぞやのバレーボール大会の時にハインが余計なことをしてくれたお陰でしばらく学科内での僕のあだ名は「カエル」だったのだが、結局のところあまり定着せずに多くは名前のまま呼んでくる。
「いやぁでもなかなかフリード誘いに乗ってくれないから困ってたんだぜー」
「あんまりにもフリード断るから大沢が拗ねかけてたよ」
と、横から阿部と神崎が言ってくるので、向かいの大沢をちらりと見れば、大沢は嬉しそうな目をこちらに向けてきていた。
それを見た途端、僕は引いてしまった。
「大沢……キモイ」
思ったまま一言それだけを向かいの男に言うと、大沢は「ぐわっ」とダメージを食らったように後ろに倒れ、それを見ていた他の男どもがげらげら笑う。
そして蘇った大沢が「誰だフリちゃんに“キモイ”などという日本語教えたヤツは!」と他のやつらに食ってかかっていたが、「あーもううぜーうぜー」と軽くあしらわれていた。
しかし、本当に夢のようだ。
こうしてみんなと遊べるというのが本当に信じられなさ過ぎて目を疑うほどだ。
だがこれは現実だ。
だから僕は思う存分この一瞬を楽しく過ごすことにした。
鍋をつつきながらの話題は、明日からまた学校だとか、実験レポートの内容とか最初はそんな現実味のあるものだったが、みんなの酒の量が増えるに従って違う学科の女子の一人が可愛いとか、誰々が付き合っているとか農学部の噂話へと変わっていく。
そして不意に大沢が僕に尋ねてきた。
「なぁそういやフリちゃんいつも早く帰るけど、実はお前も彼女いるんじゃねーかって噂になってるんだが」
「えっ……は!? いっいや! そんなのいないし!」
あまりにその質問が突拍子過ぎて、僕は焦って否定する。
「えー嘘っぽいなぁ」
「いや! 僕、女苦手だから!」
しかし僕の否定をこいつらがわざとらしく否定してくるので、つい咄嗟に言葉が口をついて出てしまった。そして僕は今自分が言った言葉に激しく後悔する。
案の定、その場のメンツはみんな不審の目をこちらに向けてきていた。
「その割には佐倉といつも一緒にいるよなー」
「あ、実はフリードも密かに梅吉狙ってるとか」
「ちっ違うから! そんなこと絶対ないから!」
いやいやいや、っていうかそんなの絶対あり得ないから!
確かに、こっちの世界に来て早ひと月以上が経つが、僕は未だにあの女の部屋で寝泊まりしている。自分の部屋に帰ろうとするたびにいちいちハインに連れ戻されてしまうのだ。
かと言って、別に何かが起こるわけでもないし、起こるはずがない!
あいつは相変わらずカエル相手だと思って恥ずかし気もなくベッドの上でストレッチするし、薄着で寝るし。
あんな女らしさの欠片もないようなやつ相手にそんなこと絶対にあり得ない。
女らしさがあったとしてもあり得ないけどね!
「なぁそういえば佐倉さん、彼氏と別れたってホント?」
僕が一人必死に否定したら、ふと思い出したかのように阿部が切り出してきた。
その言葉に僕をからかっていた他のメンツも少し口をつぐんだ。
「え、でもあいつ最近ちょいちょい指輪してないか? あれってそういうことじゃねーの?」
「いやでも確かに俺も最近佐倉がアラブ人と歩いてるのよく見る」
「え、俺見たの超イケメンの金髪白人なんだが」
「まぁ佐倉さんってあのキャラだから、普通に彼氏いてもありえそうだけどな」
と、それぞれ自分の見た事実と考えを口々に言い募る。まるで女の噂話のようだ。
しかしその噂話に僕も片足突っ込んでいるような状態なので、ここは黙って様子を見るのが正解だ。
あの女の話題が出るときにたびたび出てくる「彼氏」。その話はあくまでこいつらと話をするようになってから知ったのだが、家でのあの女の様子を見る限り、もう別れているのだろう。
まったく、人にあれこれ詮索するくせに、あの女は自分のことはあまり話さないからタチが悪い。こっちだって少しは気にな――いや、全く気にならないからどうでもいいんだけど。
「で、結局どうなんだよ恭介」
と、その場を代表して大沢が鬼塚に尋ねた。一番鬼塚があの女と仲がいいからだろう。
鬼塚はその場の全員に注目されて少し難しい顔をしたが、一つため息を吐くとその答えを返した。
「そうらしいぞ。ついでにあの指輪は夏海の土産らしい」
と、淡々と言う。
すると阿部が「やっぱりそうか」と呟いた。他のやつらは少々反応に困っているようで、妙な空気が漂った。
しかしその空気を払拭するかのように神崎が明るめの声を出した。
「なら恭介好都合じゃん」
「は?」
「うだうだ言ってないで今度こそちゃんとモノにしろよ」
と唐突に神崎が言い出したので、鬼塚は言葉に詰まった様子だ。
すると今度は阿部や大沢たちが鬼塚を冷やかし始める。
「確かにそうだよなー。お前あんだけ佐倉さんにべったりなのにあっさり別のヤツに取られてたからな」
「ホント恭ちゃんって健気だよなぁ。っていうか佐倉の鈍感っぷりに同情するぜ」
と、大沢がバンバンと鬼塚の肩を叩くが、鬼塚は至極迷惑そうな顔を浮かべながらため息を吐いている。
確かに鬼塚があの女のことを好きなのは、付き合いの浅い僕でもすぐに分かった。といいうか、鬼塚と初めてまともに話すようになったときに気がついた。
あの女に連れられてきた僕を、鋭い目つきで睨んできた。あれには少なからず嫉妬の色が含まれていた。
それでなくとも普段の様子からして明白だ。むしろこんなにあからさまなのに気がつかないあの女の神経を疑いたいところだ。
「だけどこれはマジで言うけど、あんまりもたもたしてるとまた横から掻っ攫われるぞ? 前みたいな」
と、神崎が嘲笑を込めて言った。
それに対して何か心当たりがあるのか、鬼塚は苦渋の表情を浮かべるが。
「……ほっとけ」
と無愛想に言うだけだった。
そんなに好きなら本当に恋人にすればいいものを、端で見ていると鬼塚はどこか渋っている節がある。照れなのか、それとも他に何かあるのかもしれないけれど、それはとても無駄なことのように思えた。
まったく、人に嫉妬心剥き出しにしている暇があるのなら、その想いを早いところ本人に伝えれば――――……。
ふとそこで何かが僕の中でざわめいた。それも、ほんの一瞬。
一体どうしたというんだ、僕は。
それから少し大沢の家でくつろいでから、21時になって飲み会はお開きになった。
これが金曜とか土曜日なら割と深夜までしていたらしいが、明日は月曜日でまた学校が始まるし自宅生もいるからと、いつもより早い時間のお開きらしい。
大沢のマンションの前でそれぞれ解散し、僕は帰りの方向が同じ鬼塚と神崎と一緒に帰ることになった。
大沢のマンションは河童公園の近くで、うちまでの近道に3人他愛ない話をしながら公園内を通る。
すると神崎が不意に「あ」と声を上げた。
「あれ、梅吉だ」
と指差す方向を、僕は思わず見てしまう。
神崎の指の先で、あの女がカリムと一緒に走っているのが見えた。
それはとても楽しそうで、まるで恋人のようで――――ひどく心がざわついた。
「あ、おい恭介?」
しかし鬼塚は神崎に構わずつかつかと先を進んでいった。
まるで二人を無理矢理視界に入れないようにしているように見えたが……。
神崎が慌ててそれを追うので、僕も神崎に続くことにした。
今日はもう早く帰って自分の部屋で寝よう。
せっかく今夜は人間の姿のままでいられるんだし。
そうすればきっとこのよく分からない感覚も消えるに違いない。
そう結論づけて僕も視界からあの二人を追い出すことにした。
そりゃデートにしか見えないですよねー




