22.起こりうる未来(クリスティアン)
22.起こりうる未来
梅乃さんの指輪からカリムさんを呼んで、楠葉ちゃんの通う瀬佐美女子学園まで飛ばしてもらった。
学園内まで来ると、さすがに誰がどこにいるかは魔神の力をもってしても特定できない。そのため校舎の周りを手分けして探していたのだが、どこからか消え入りそうな声が聞こえてきた。
そちらへ向かえば、学園内でも一際明かりの少ない校舎脇の垣根に、彼女は仰向けに横たわっていた。
僕は迷わず彼女を抱き起こし、包み込んだ。
日が沈みきって真っ暗な上に雨まで降り、教師もみな帰って残っている人は誰もいない学園内。
とても心細かっただろう。
見つけたときの彼女の目からは大粒の涙がぼろぼろと溢れ出ていた。
腕の中でとても震えていた。
見れば全身怪我を負っていて動けなかったようだ。その上連絡手段もなく、助けを呼べないまま倒れていたというから、その心の不安は計り知れないだろう。
ただ、生きていて、本当に安心した――――。
さっき、おどけたサンチョに来た子から、楠葉ちゃんは2階から飛び降りたと窺った。
2階から飛び降りるなんて無事でいられるはずがない。
生きていられる可能性の方が少ないはずだ。
怪我は負ってはいたけれど、無事でいたんだ。
本当に安心した。
5分ほどしてやってきた梅乃さんは、こちらに駆け寄ってくると楠葉ちゃんを抱きしめた。
彼女もひどく不安に思っていたから、楠葉ちゃんが無事でいたことにとても安心したのだろう。
不安で震えて泣いていた楠葉ちゃんと同じく、梅乃さんもぼろぼろと涙をこぼして震えていた。
その後、カリムさんの魔法で楠葉ちゃんの怪我を治した。どうやら楠葉ちゃんは足を骨折していたようだ。だけど、カリムさんの魔法では応急措置らしいから、後でアサドさんに薬を用意してもらわないといけない。
そうして後から車でやってきたお兄さんに楠葉ちゃんを引き渡した。
お兄さんも楠葉ちゃんが無事で心底安心したようだ。
梅乃さんは今日は彼らの住むマンションに泊まると言って、お兄さんの車に一緒に乗っていった。
残った僕とカリムさんはそのまま自宅へ帰り、まっすぐにアサドさんのところに向かった。
2階の一番手前、そこがアサドさんの部屋。
僕の部屋と同じ60平米ほどの居室のはずが、彼は更に部屋の中を別の空間につなげて、研究室と寝室の2部屋にしている。
今僕たちがいるのは研究室の方だ。
研究室の机には試験管やメスフラスコ、ビュレットやビーカーなどの実験器具が並び、安全排気装置であるドラフトチャンバーが壁に備え付けられている。棚には色とりどりの液体や粉末が並び、これだけ見るとよくある化学室のような仕様になっている。
そんな研究室の机の上でアサドさんはいつものように愉快そうな顔をしながら、楠葉ちゃんに渡す用の薬を煎じでいる。
「なるほど。こっちの世界の女の子も、なかなかにえげつないね」
アサドさんはガスバーナーに火を付け、金網越しに液体の入ったフラスコを熱している。そんな火を使う作業をしているというのに、相変わらず白衣も着ないままのアラブ姿だ。実験なんてあんまりしたことない僕からすれば、そんな生身の姿で火を扱うなんて危険だと思うけれど、アサドさんにそれは杞憂なので何も言わない。
「それでアサドさん、”アレ”を少し使いたいんだ。ダメかな?」
僕が一つ申し出ると、アサドさんは片眉を上げて僕を見る。そして壁に向かって手をかざす。
先述の通り、一見ここはただの化学室のようだけど、普通の化学室にはないものがある。
それがドラフトの右横に置かれた布のかかったもの。
アサドさんが手のひらを閉じる素振りをすると、その布が外れて中から大きな姿見が現れる。
当然この姿見もただの姿見ではない。
「ボクはこっちで薬作らなくちゃいけないから、あとはカリムよろしく」
「あぁ、クリスこっちに」
ドラフトにもたれかかっていたカリムさんはアサドさんに後を任されると、姿見の側に立って僕を呼ぶ。
僕は姿見の真正面に立って、鏡面をまっすぐに見る。
「さぁクリス、何が見たいかを鏡に言うんだ」
カリムさんの言葉を合図に、僕は見たいものを口にする。
「瀬佐美女子学園で起こっていることを見せて欲しい」
すると僕の全身を映していただけの鏡面が中心から緑色の渦を巻き始める。巻き始めた渦はどんどんと濃く深くなるけれど、その中心の奥の方から新たなビジョンが浮かび上がる。そして中心から渦が引いていき、何かの映像が映し出される。
瀬佐美女子学園の制服を着た女の子たちが、一人の少女を囲んで何かをしている映像だった。
囲まれた少女は楠葉ちゃん、囲んでいる子たちの多くは知らない子だけれど、中には最近おどけたサンチョに楠葉ちゃんと一緒に来る透子って子の姿もいた。
彼女たちは校舎の外で楠葉ちゃんに向かって何かを投げつけていた。その上、楠葉ちゃんが鞄に下げていたあのジャックオランタンのぬいぐるみのキーホルダーを引きちぎり、それを火の中に入れた。
違う日には楠葉ちゃんに掃除をやらせたり飲み物を買わせたり、先生から任された用事すら楠葉ちゃんにやらせていた。
また別の日には同じように召使いのように命令を、別の日には教科書に落書きを、別の日には僕があげたぬいぐるみ。
鏡は楠葉ちゃんが彼女たちにいじめられ始めてから今日までのことをすべて映像で映し出してくれた。
それは僕が想像していた以上にひどいことだった。
こんな目に遭いながらも、今日まで楠葉ちゃんは誰にも助けを求めなかった。
求められなかった?
どちらにせよ、ひどい仕打ちを受け続けてきたわけだ。
「クリスは楠葉ちゃんを助けたい?」
僕が鏡の中の映像に夢中になっていたら、後ろからアサドさんの尋ねる声がした。
僕は迷わず頭を縦に振る。
すると、再び後ろからくすっと笑う声が聞こえた。
「まぁそうだろうね。だけど手段はちゃんと選んだ方が良いと思うよ」
アサドさんがそう言うと、姿見の鏡面は再び渦を巻き始める。今度は紫色の渦だ。
そして濃くなった渦は、先ほどと同じように中心から引き始める。
中から映し出されたのは、一人の少女。
楠葉ちゃんの姿だ。
彼女は先ほどとは異なる教室で、女の子の友達とも男の子の友達とも話している。
先ほどの映像と違って、楠葉ちゃんはみんなと楽しそうに話している。
何の不安要素もなく、楠葉ちゃんは安心しきった様子だ。
しかし途中で場面が変わる。
放課後の教室で一人勉強する楠葉ちゃん。
彼女は教科書を持って職員室に行くけれど、先生達は申し訳なさそうにしながら彼女の質問には答えられないと楠葉ちゃんを突き返す。
楠葉ちゃんは首を傾げながら家路につくけれど、途中で足を止める。
そこは瀬佐美女子学園。
その門前で楠葉ちゃんは学園を羨ましそうに見ている。
そこで映像が止まる。
「これはこれから起こるかもしれない出来事の一つだ」
カリムさんが鏡の脇から一言説明を加えてくれる。
「つまりどういうことだい?」
僕はよく理解が出来なくてカリムさんに尋ねる。
するとその質問に言葉を返したのはカリムさんではなくアサドさんだった。
「くす、どういうことだろうね。ちなみにこんな未来も起こりうる」
すると今度は違う空間に一人の少女がいた。
それは楠葉ちゃんではなく透子ちゃん。
楠葉ちゃんと一緒におどけたサンチョに来た少しばかり気位の高そうな大人っぽい女の子だ。
彼女はひとりぽつんと教室の真ん中の席に座っている。
その表情は、どこか悔しげであり、どこか悲しげな感じだった。
この前一緒に来ていた他の二人は、教室の端で他の女の子たちと彼女を指差して笑っている。透子ちゃんを忌々しげに眺める子もいた。
そしてその輪の中央には楠葉ちゃんの姿があった。残念ながら楠葉ちゃんは後ろ姿で顔が見えないけれど、他の女の子たちに慰められている。
そこで映像は止まった。
「クリスが何かしてもしなくても、こういう未来は起こりうる。だけどこれは果たして正解なのかな?」
アサドさんが後ろから小瓶を差し出しながら、不適に笑う。
僕は鏡の中をのぞきながらそれを受け取った――――。
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