0.プロローグ
第2章の始まりです。
まずは第三者視点です
0.プロローグ
話は花見の前日にさかのぼる。
その日、午前中に入学式があったのだが、この春、梅乃たちが通う大学の教育学研究科生涯学習専攻の修士課程に留学してきたクリスティアン・シャルル・ド・ビュシエールもその1人である。
すらーっと背が高く、どこからどう見ても高価な素材をあしらった光沢のあるグレーのスーツを身に包み、輝く銀髪をさらさらと春風にそよがせているその後ろ姿は、誰が見てもサラブレッドであることを感じさせる。その上振り向けば、慈愛に満ちた空色の瞳、鼻がすーっと通った顔立ちは砂糖のように甘く、まるで温厚で優しい完璧な王子様を彷彿とさせる。
すれ違っただけで彼に釘付けになる女子は少なくなく、少し微笑めばその場で悶絶する女子が大勢いたのは言うまでもない。
一見、誰が見ても一学生には見えず、どこかフランスやベルギーなどといった西ヨーロッパの貴公子、もしくは大企業の社長令息の様である。
それもそのはず、クリスティアン・シャルル・ド・ビュシエールは正真正銘本物の王子様。この現代日本とは異なる別世界、おとぎの国のペロー地方サンドリヨン領の王子様である。
女の子でなくても誰もが知っているあの超有名なおとぎ話「シンデレラ」(シャルル・ペロー版)の王子様だ。
そんな完璧王子様なクリスティアンであるが、果たして現実は見かけを裏切るものである。
「ビュシエール君、オーダー間違い」
「え、あ、ほほ本当ですか!? あぁぁ申し訳ありません。本当に申し訳ありません」
「いや、まぁまだバイト二日目だし仕方ないとは思うけど……」
「ああぁっ本当に役立たずで申し訳ありません。ですが、頑張りますので……!!」
「あぁ、うん……二日目だからミスは仕方ないけど、気をつけてね」
ここはおどけたサンチョ。梅乃とクリスティアンがアルバイトをしているファミリーレストラン。
入学式後、スーツを着替えに一旦家に戻ったクリスは、夕方からおどけたサンチョのホールのシフトであった。
先日、梅乃に教えられたとおりに客のオーダーを取っていたのだが、如何せんこの世界に来て初めて機械というものに触ったため、オーダーを取る電子機械に慣れず、オーダーミスをいくつかしてしまっていた。
そして今も料理を運んだ店長にオーダーミスを指摘され、顔を青くし泣きそうな顔で頭を下げていた。
その天から地へと落ちるかのような雰囲気の変容に、店長は若干引き気味であった。
「まぁ、正しい料理を運んだときにでもお客様に謝罪するんだよ」
と、店長はぽんぽんとクリスの肩を叩いた。
クリスは涙目な顔をばっと上げると、
「ああああありがとうございます!!」
と、ばっと再び頭を下げた。その勢いは風が起こるほどのものであった。
クリスティアン・シャルル・ド・ビュシエールは正真正銘本物の王子様であり、見かけもどこからどう見ても完璧な王子様なのだが、ひどく残念な点があった。
そう、彼はとてもネガティブなのである。悪く言えばヘタレ。
それも少し注意するだけで地の底へと落ち込んでしまうほどの。
この春、おとぎの国から5人の王子がこの世界に留学に来たのだが、その王子たちは若干一名を除きヒロインに捨てられてしまった者たちばかりで、それでなくても難ありな人の集まりだった。
クリスはこの通り、ネガティブなヘタレ王子なのだが、こうなったのもおとぎの国でヒロインのシンデレラに捨てられてしまったかららしい。
残念に残念を重ねたような王子様だ。
「はぁー僕は何をやってもダメだ」
「何を言ってるんですか。まだ働き始めたばかりじゃないですか。音を上げるのは早いですよ」
キッチンで洗われた皿を拭きながらそんなことを一人ごちっていると、同じシフトの戸田みなみが引き下げてきた皿を持って言ってきた。
ちなみに戸田みなみ、通称戸田ちゃんはクリスのネガティブさに期待を裏切られた一人である。
「そんなこと言ってないで、次のオーダー取りに行ってください」
「そうだね」
仮にも5歳下の高校2年生にそんなことを言われる22歳である。救いようがない。
――――カランカラン――…………。
オーダーを取りに行こうとホールに出たちょうどそのとき、新しい客が来た。
そちらの方へ向けば、一人の女子高生がいた。
クリスは新しいお客様をお席へ案内するため、その子に近寄った。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
クリスは沢山の女の子を悶絶死させるほどのスウィートスマイルでその子に尋ねた。
しかし、その子はクリスが話しかけてもクリスの存在に気がつかず、ずっと店内を覗いていた。まるで誰かを探しているかのようだった。
よく見ると、その子は誰かに似ているような気がした。
しかしクリスは、あくまで店員。再びそのままの顔で尋ねた。
「いらっしゃいませ。誰かお探しですか?」
クリスがその子の目線に合わせて尋ねると、今度はクリスの存在に気がついたようだった。
「え、あ、え……な……なんでもありませんっ」
「え、あ、ちょっとっ」
しかし、その子は突然顔を赤くしたかと思うと、スクールバッグを両手で抱え持ち急いで店の外へと出て行ってしまった。
一体何事だったのだろう、自分の対応がまずかったのかと再びネガティブモードを発動しかけたクリスだったが、足下に何かが転がっているのに気がついた。
それは、ジャックオランタンの頭をしたぬいぐるみのキーホルダー。
季節外れにも思えるカボチャ型のそれは、まだ新しい焼けこげがついていた――――。