17.主夫?
17.主夫?
「お帰りなさい、梅乃さん。ご飯にしますか? お風呂にしますか?」
「それともワタシ?」なんて言葉が続きそうなことをさらりと言ったのは、玄関で私を出迎えてくれた見ず知らずの人。
いや、おそらく件の王子なんだろうが、扉を開けた瞬間、満面の笑顔でそんなことを言うので、私は思わず固まってしまった。
目の前にいたのは、カリムほどではないが、これまた背の高い美丈夫。さらりと後ろに流された首筋までの長さのシルバーの髪に、シルバーに近い空色の瞳、すーっと通った鼻筋は、今までに見た魔神どもやテオやフリードとは違う、完璧な王子様のような甘い砂糖顔をしていた。
そんな非の付け所のない王子様な風貌の彼は、ミスマッチにもクマさんがプリントされたエプロンを着け、右手にはお玉を持っていた。
……どこの主夫だ?
と、心の中でつっこんでいると、後ろからため息が聞こえる。見上げるとカリムは琥珀色の瞳を細めて少し呆れ顔。
「あーはっはははは。梅乃ちゃん固まっちゃってるじゃない! いきなりそれはないでしょっ」
なんて、階段の下でお腹を抱えてアサドが笑っている。
「えーと?」
「クリス、自己紹介」
「あぁ、そうだったね」
カリムに窘められて、クリスと呼ばれた彼は一歩下がり、お玉を持っている右手を後ろに回す。そして、左手を胸に当て、恭しくお辞儀する。
「初めまして、レディ。僕はクリスティアン・シャルル・ド・ビュシエール。どうか僕のことはクリスと呼んでくれないかな。君のように世話役をすんなりと引き受けてくれる子がいて僕はとても嬉しいよ」
そして彼は体を起こすと、胸から左手を離し、私の右手をごく自然な仕草で掬い上げると、そこに口づけを落とす。
え? え? 何これ?
今までにされたこともないことなので、今度こそ完全にフリーズ。
思考回路も完全にショート。
そんな私に気づいているのか気づいていないのか、カリムが後ろからぼそっと説明を加えてくれる。
「こいつの出身はペロー地方のサンドリヨン領。『シンデレラ』の王子だ。シャルル・ペローの方のな」
シ……シンデレラ? 灰かぶり? いや、シャルル・ペローだから「シンデレラ」か。
「どうぞよろしく」
クリスティアンさんはにっこりと微笑んできた。
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<シンデレラ>
むかしむかし、とても心優しく美しい娘がいました。幼い頃に母を亡くし、父が再び結婚したため、新しい継母と二人の姉が出来ました。しかし、この人たちはとても意地悪で、娘は炊事・洗濯・掃除など、つらい仕事をすべてさせられ、その上彼女には粗末な服と部屋しか与えられず、娘は虐げられていました。かまどの灰もいつも付いたままだったので、3人は彼女のことを「シンデレラ(=灰かぶり)」と呼んでいました。それでもシンデレラの魅力は、姉たちの比ではありませんでした。
ある日のこと、お城の王子様がお嫁さん選びのための舞踏会を開くことになり、シンデレラにもその招待状が来ましたが、シンデレラには着ていく服がありません。
悲しくなって泣いていると、どこからか、魔法使いのおばあさんが現れました。おばあさんはいつも頑張っているシンデレラにご褒美と、カボチャを豪華な馬車に変え、ハツカネズミを立派な白馬に変えました。そしてシンデレラのみすぼらしい服も、輝くような純白の美しいドレスに変えました。ステキなガラスの靴も一緒です。
すっかりドレスアップしたシンデレラがお城に着くと、そのあまりの美しさにみんな沈黙。それに気がついた王子様がシンデレラをダンスに誘いました。シンデレラもすっかり彼との時間を楽しみました。
しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、時刻は11時45分。12時になると、シンデレラの魔法は解けてしまうため、急いで帰らなくてはいけません。王子様の引き留めも聞かず、シンデレラは急いで城を駆けていったため、ガラスの靴を階段に落としてしまいます。取りに戻る時間もないまま、シンデレラは急いで帰っていきました。
さて、残されたガラスの靴は謎の美しい美女を捜すための手がかりです。王子様は次の日から国中に使いをやり、ガラスの靴がぴったり合う女の人を探しました。
シンデレラの家にも使いの者がやってきて、姉たちから順に靴を履きました。ですが、彼女たちの足は大きくて、入りません。最後にシンデレラが靴を履いてみたら、見事にガラスの靴はシンデレラにぴったり。
それからシンデレラは王子様と結婚して、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。
(ペロー童話より)
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「それで梅乃さん、ご飯にしますか? お風呂にしますか?」
とりあえず一息つこうと、玄関から右側にある広いリビングのソファで紅茶を飲んでいたら、再び同じ質問をしてきた。相変わらずエプロン姿だ。
リビングの窓際に置かれた3人掛けのソファにはテオデリックがテーブルに置かれたパソコンの向かって睨めっこしている。初めて使う機械に四苦八苦している模様。その左に置かれた一人掛けにはハインリヒさんが優雅に紅茶を飲んでいる。テーブルを挟んで向かいの一人掛けにアサドは、肘掛けに頬杖をつきながらこっちのやりとりを面白そうに眺めている。その右にある3人掛けに私とカリムが座っていた。もう日が沈んでカエル姿のフリードリヒは、デオデリックの座るソファの余った部分に座っている。
私とアサドの間に片膝を付いて尋ねてきたクリスティアンさんに、私は両手を合わせて謝る。
「ごめん、さっきバイトでまかない食べてきたからお腹いっぱいなの」
そう言うと、クリスティアンさんの眉尻がみるみる下がり、悲しげな表情になる。
え、あああ、何でそんな顔になるの?
「そうだよね。こんな時間にご飯なんて食べないよね。そうだよね、僕の作ったご飯なんて食べないよね」
え? ええーっと、どうしてそうなるの? だからバイト食べてきたからだって……。
「そうだよね、僕が作る料理よりアサドさんが作る料理の方が食べたいよね」
「いや、クリスの方がおいしいよ?」
クリスティアンさんの体がどんどん小さくなり、彼は両膝を抱えてしゃがみ込み、床の絨毯に人差し指で何かを描いている。そしてぶつぶつ呟いている。
……なんだこのヘタレ王子。これはフられたっていうのは分かる気がする。というか、テオやフリードの比じゃないくらい残念すぎる……!!
「あぁっもう、クリスいじいじしないでよっ。うっとうしい」
「そうだぞ、だからお前は捨てられるのだぞ」
私とアサドの横でいじいじするクリスティアンさんにいらっとしたのか、カエル姿のフリードが声を上げ、その横でテオがパソコンをいじりながら言う。……いや、テオには言われたくないとは思うけど?
「そうだよね、そういうところの機転が利かないから捨てられるんだよね」
「あぁっもうっ」
本当に鬱陶しいくらいネガティブなクリスティアンさんにそれにいらいらするフリード。見やればハインさんはいたって涼しげな顔でお茶を飲んで「自分は関係なし」スタンス。横でカリムがため息をつく。
私はアサドに目をやる。
「……この人、これだから捨てられたの?」
アサドは相変わらず面白そうに金色の目を細めて言う。
「うーん、むしろこうなったのはフられたからかな」
「え、何でフられたの?」
「それはね――」
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これはシンデレラと王子様が結ばれてめでたしめでたしの後の話。
無事クリスティアンはシンデレラと結ばれたわけだけど、クリスは生粋の王族。それに対してシンデレラは、元々の生まれは良家のお嬢さんだとしても、長年使用人扱いされてきている。そんなシンデレラにとって、突然煌びやかな世界に連れてこられたら、色々困ってしまうわけ。
特に何がひどかったかっていうと、貴族たちの誹謗中傷。相次ぐ夜会に、豪華なドレスを毎日作るのがもったいないと思ったシンデレラは、何回か同じドレスで夜会に出たり、質素なドレスで夜会に参加したわけだけど、「王子のお嫁さんなのに着る服に困っている」とか「王子のお嫁さんはとても地味」だなんて後ろ指差されてしまう。
また、シンデレラは身の回りのことをすべて自分で出来たから、彼女付きの侍女も最低限で事足りた。だけどそれも誹謗中傷のもと。
毎夜毎夜税金を使い込んで挙げられる豪華な夜会やそのための準備にシンデレラは理解が出来ず、次第について行けなくなり、挙げ句の果てに、シンデレラに嫉妬した令嬢たちに「あなたは王子にはふさわしくない」と言われる始末。
それでも王子の婚約者として恥じないよう、どうすればいいのかをクリスに相談したりもした。でも、そんなときクリスは決まって「君は気にしなくていいんだよ」と、両手でシンデレラを抱き込む。文字通り、「真綿に包む」をやってしまっていたんだ。
最初はそれで癒されていたシンデレラも、次第に違和感を覚え、心の内をはっきりとクリスに訴えるようになる。だけど、下々の暮らしを知らないクリスにはその感覚が理解できず、こんな人には私の気持ちは分かってもらえないと思ったシンデレラは町へ戻ってしまう。
愛する人に逃げられてしまい、悲しみに暮れたクリスは、とりあえず彼女の気持ちを理解しようと、城の下働きの人たちを駆り出して炊事洗濯掃除などの家事を徹底的に教わった。ボクのところにも料理を学びたいと言って来たんだ。
そしてあらゆる家事が完璧にこなせられるようになって、さて再びシンデレラとよりを戻そうと町へ行ったけど、彼女は既に町で弁護士と恋仲になっていたらしい。
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「それですっかりこんなネガティブになってしまったんだよ」
説明している間、アサドは終始面白そうに話していた。その間で、相変わらずクリスはいじいじ影を背負っていた。もう「さん」付けする必要性も感じなくなってしまったほど。
「えーと、ごめん。何を言ったらいいか分からない」
「何も言わなくていいと思うぞ」
でもさすがにこのまま影を背負ってられていたら、折角綺麗な洋館なのにカビが生えそうだ。
と、そのとき、バイトに来た面接の人のことを思い出す。
「ク、クリス? もしかして今日おどけたサンチョに面接に来た?」
すると、膝に顔を埋めていたクリスが情けない顔を上げてくる。うーん、誰もが振り返るであろう完璧な王子様顔なのに、こんなにネガティブでヘタレなのは残念すぎるなぁ。
「うん。行ったよ。あ……あのあと、店長さん何か言ってた?」
「いや、とても気が利く子だって褒めてたよ。マカロンも頂いたけど、美味しかった」
と、左手を伸ばしてクリスの銀髪を撫でる。あ、すごいさらさらしてる。
きっと顔が良すぎて店長が採用するかどうか迷ってるなんて言うと、クリスは再びいじいじするだろうな。店長お願いだから採用してあげて。
するとクリスは虚を突かれたような顔をして、そしてとろけたような笑顔になる。
「それはよかった。とても安心したよ」
おお、いくらネガティブとはいえ、もともとが王子様顔だからこんなとろけた笑顔になると破壊力ハンパない。それが向けられているのが私というのもなんだか落ち着かない。目の保養にはなるけど、まぶしすぎて凝視できない。
「と、いうわけで、これから家事全般は僕がやるから、よろしくね」
気を取り直したのか、背負ってた影をどこかにやって立ち上がったクリスは、柔らかく微笑んで小首を斜めに傾けた。それがあまりにも洗練された動作だったため、私は少し見入ってしまった。
「なに梅乃ちゃん、クリスなんかに見とれちゃって」
しかし横からアサドが茶々入れる。
むっと思ってアサドを見ると、相変わらず愉快そうだ。
「ボクが心臓に悪い顔ならクリスはもっと心臓に悪い顔なんじゃないのー? っていっても顔だけだけど」
アサドがソファから身を乗り出して、私の顔を覗き込んでくる。
と思ったら、後ろから腕が回り、後ろに倒される。見上げるとカリムの不適な笑顔。
え? なにこれ?
「心臓に悪い顔ってなんのことだ? それって俺も含まれてんのか?」
あ、この状況やばい。魔神二人囲まれてる。
見上げれば、クリスはきょとんとした顔で私たち3人を見下ろしている。おいっ止めろ。
「おいっお前ら、やめろ」
と、パソコンに向かっていたはずのテオデリックが向かい側から私の腕を引っ張ってカリムから解放してくれる。……のはよかったのだが、それが勢いつきすぎて、テーブルの角で足をぶつけてしまう。
「いだっ」
「え、あ、ごめん。大丈夫か?」
大丈夫じゃないわ、このヒモ男! すねぶつけたわ。
と、結局ソファから降りて悶絶するだけで、状況的にはなにも変わってない。
「なにテオちゃん。ボクらの邪魔するなんて相当だね。なに、梅乃ちゃんのこと好きになっちゃった?」
アサドがテオを見下すような目でからかいながら言う。
テオは視線を泳がす。
「いや、そういうわけではないが……」
「ふーん。何かでつられてるとか?」
「金か」
「!?」
アサドがめざとく私とテオの間に何かしらの取引があることを見抜き、それが何かをカリムが当てると、テオが眉を変な風に歪ませばつの悪そうな顔をする。横でカエル王子がため息。
「あーはっはっはっっは。王様が女の子に金で釣られてるとか、なんて堕ちっぷり」
「い……言うな」
アサドはお腹を抱えて笑い、カリムは哀れそうな目をテオに向ける。テオはあまり触れられたくないことなのか、顔が赤い。でも、ヒモ男になったのは自分からだぞ?
「そ……それはともかくだ。男二人がかりで女を手込めにしようとするのは良くないぞ」
「そうです」
テオが少し誤解の生みそうなことを言って二人を窘めると、別の方向から声が上がる。見ればアサドの向かいで今までずっと我関せずスタンスだったハインリヒさんだった。
ハインさんは持っていた紅茶のカップをソーサーに戻すと、アサドとカリムに向かってにっこり笑顔で言う。
「梅乃お嬢様はフリードと愛を育まれるお方なのですから、お二人には自重していただかないと困ります」
と、さらっと言う。
「「っておいっ!!」」
私とフリードの声が重なる。
すると左側から手が伸びて私のあごを捕らえる。
「何それ梅乃ちゃん、ボク聞いてないよ?」
「だからお前やめろって」
アサドが切なげな顔で私を見下ろしてくる。その横でテオが再び牽制。
と思ったら、あの笑顔の腹黒側近が再び爆弾を落とす。
「はい、梅乃お嬢様とフリードは、今日から同じ部屋で夜を過ごすのです」
「「おいーーーーっっ」」
すると再び後ろに体を倒されて、カリムが上から覗き込む。
「なんだよそれ。カエルだから許されるのか?」
「そうなの? ねえ梅乃ちゃん、カエルだと許されるの?」
「そんなわけないでしょーっ」
ハインさんの爆弾発言のせいで、アサドとカリムは前後から尋問をしてきて、その都度私とフリードが誤解を解こうと必死になるも、話が通じない。
最初は魔神どもの魔の手から私を助けようとしてくれたテオデリックも見かねたのか、
「なぁ、これ止める必要あると思うか?」
とクリスに聞き、
「みんな楽しそうだし、いいんじゃないかな?」
とさらりと笑顔で返す。
もうやだこの人ら!!