15.女嫌い
15.女嫌い
<カエルの王子様(王様)>
あるところに何人もの美しい姫を娘に持つ王様がいました。その中でも末娘のお姫様は花のようでした。
ある日、そのお姫様が庭の池のほとりで金色の鞠をついていると、手元を誤ってしまい、その鞠を池に落としてしまいました。
池に入るわけにもいかず、途方に暮れて泣いていると、一匹のカエルが現れました。お姫様はそのカエルに、何でもするから鞠を取ってきてもらうようお願いしたら、カエルが言いました。
「じゃあ、僕をお姫様のお友達にして下さい。お姫様と膳に座らせて、お姫様が使う黄金の皿で同じものを食べて、同じ杯をかわして、同じお布団で寝かせて下さい」
お姫様がそれに頷くと、カエルは池に入って鞠を取ってきてくれました。お姫様は大喜びしましたが、もともとカエルとのそんな約束を守るつもりのなかったお姫様は、その場にカエルを置いて、さっさとお城へ帰って行きました。
お姫様がお城でお食事をしていると、どこからかお姫様を呼ぶ声がしました。見るとそこにいたのはさっきのカエルで、カエルは何事かと訝しく思った王様にことの経緯を話しました。それを聞いた王様は、お姫様にカエルとの約束を守りなさいと命じました。
お姫様は嫌々ながら、同じ膳で同じ黄金の皿でご飯を食べ、同じ杯を交わしたのですが、我慢も限界です。夜になって同じ布団で一緒に寝るというのは、気持ち悪くて仕方ありません。
とうとういらいらが募ったお姫様は、カエルを壁に投げつけます。
するとなんと、カエルは人懐こい美しい顔をした王子様に変わったではありませんか。
どうやらその王子様は、悪い魔女に魔法でカエルに変えられていたのです。それを聞いた王様は王子様をたいそう気に入り、お姫様と結婚することになりました。
次の日、国から来た迎えの馬車に、王子様の家来のハインリヒがいました。彼は王子様がカエルに変えられたとき、悲しみのあまり胸が破裂しないようにと、胸に3本の鉄の帯を巻いていたのですが、元に戻った王子様を見るなり、その鉄が一本ずつ弾け飛んだのでした。
(グリム童話より)
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「ちょっと待ってよ。何で僕を投げた女なんかと結婚しなくちゃなんないの?」
向かいで紅茶を啜っていたカエル王子が、納得のいかない顔をして言ってきた。
バイトまで時間に余裕があったため、近くのカフェテラスでお茶をしていた。昨日のお礼だと言ってカエル王子のおごりだ。そこで途中図書館に寄って借りてきた「グリム童話」を読んでいた。
向かいに座っているカエル王子こと、フリードリヒ・ヘッセン・フォン・ヴィルトは、私と同じ20歳。おとぎの国のグリム地方フロッシュ領から来たらしい。フロッシュとはドイツ語で"カエル"という意味らしい。というか、名前ももろドイツ名だということを指摘したら、作者のグリム兄弟自体がドイツ人だかららしい。これだけ聞くと、おとぎの国ってどうなっているのか、それはそれで気になる。
「え、だってフリードはカエルだったからフられたんじゃないの?」
「何でだよっ。僕は捨てられたんじゃなくて、捨ててきたんだっ」
だんっとソーサーにカップを置いて言う。
気持ちは分からんでもないが、ちょっと落ち着いてくれ。
フリードはふぅとため息を付いて座り直す。
「こっちの世界で出回っている話ではそうかもしれないけど、実際は違う。魔法が解けて元の姿に戻ったとたん、あのお姫サマはころっと手のひらを返してきた。それまではさんざんひどい扱いしてきたというのに調子がいいもんだよ。王様はカエルの時から気に入ってくれてたけれど、あの女の夫になるのはごめんだね」
とぷいっと腕を組みながら不機嫌な顔を背ける。
……確かに、このお姫様はカエルに対してひどい扱いをしているよね。これでめでたしめでたし、というのはよく分からない気もしなくはない。ってか投げられるって……いくらカエルが気持ち悪いと言ってもかわいそすぎる。
……もしかすると、蚊とかハエとかゴキブリとか、今まで何のためらいもなく殺してきた虫たちの中にも、魔法にかけられた人たちがいたりするのだろうか……。
いや、もしそうだとしても、これからもためらいなく殺してしまうだろうな。
フリードは、少し睨んだような眼を向けつつ言う。
「昨日は助けてもらって感謝している。だけど、僕は女が嫌いなんだ。ホントはこっちでの世話役も男の方がよかったんだ。だから今後、僕と関わらないでほしい」
それだけ言い残すと、テーブルから立ち上がって去っていこうとする。
「おやおやフリードリヒ殿下。命の恩人に何てことを言うのですか? それでも王子ですか? バカですか? 脳味噌までカエルレベルになってしまったのですか?」
だが、突然現れたピンクベージュブラウン髪の欧米人に止められる。
あ、昨日の「このお方」の人だ。
彼はにっこりと柔らかい笑顔をしているが、フリードに対する毒舌も相まって黒いオーラが放たれている。
そんな黒い笑顔のまま、去っていこうとしたフリードの耳をひっつかみ、元の席に座らせる。彼もその横に座る。
「このバカガエルが失礼しました。私はフリードの側近、ハインリヒ・ゲシュタルトと申します。私のことはどうか、ハインとお呼び下さい。梅乃お嬢様、あなたのことはアサド殿に聞きました。殿下の命の恩人が、こちらの世界の世話役とは、なんという巡り合わせでしょう」
……この人、昨日はカエル姿のフリードを不自然にも「このお方」と呼んでいたのに、フリードの扱いひどくないか? 側近だからか? ってか、お嬢様と呼ばないでくれ。むず痒い。
あれ? ハインリヒっていうと、さっき「カエルの王子様」に出てきたような。
「3本の鉄の帯……の人ですよね?」
「はい、『カエルの王子様』に出てくるハインリヒでございます。またの名を『鉄のハインリヒ』ともいいます。実際に、私は胸に3本の鉄の帯を巻いていたのですが、魔法が解けるとともに外れるはずのそれは、実はまだ1本残っているのです」
「え? どういう……ていうか、フリードも昨日はカエルだったよね? 魔法が解けてないってこと?」
すると、ハインさんは懐からハンカチを取り出して大袈裟に悲しげな表情を作る。その横でフリードが鬱陶しそうな顔をする。
「せっかく魔法が解けて元通りになったというのに、迎えに行った先でこのバカが姫様に向かって結婚破棄を言い渡していまして。そのせいでフリードのカエルの魔法は、日の昇っている時間だけ人間の姿になるという、中途半端に解けた状態となってしまい、私の鉄の帯も1本だけ残ってしまったのです」
「え? でも昨日はお昼だったじゃないですか」
「体が弱ると元の姿に戻ってしまうのです。昨日は空腹が過ぎていたらしく」
「朝からけばけばしい女たちに追いかけられて、何も食べられなかったからだ」
……なんと、女嫌いらしいのに、そんな人懐こい美しい顔をしているのだから、何とか話しかけようと女の子たちが寄ってきていたのだろう。美男子って、ある意味損だ。
「本当に、いつ弱っていつカエルになるか分からない状態なので、私が見ていないときは心配で心配で仕方なかったのですが、梅乃お嬢様がフリードと同じ学科で安心いたしました」
「……ふん、僕は世話になるつもりなんかないけどね」
深く私に頭を下げるハインさんの横で、頬杖をつきながらぶつぶつフリードが文句を言うと、ハインに笑顔で頭をはたかれる。
この人の方が世話役っぽいな。
「それでその魔法はどうやったら解けるんですか?」
「いいことを聞いて下さいました。それは、フリード殿下のカエル姿を毛嫌いせず、彼を心から愛し愛されることだそうです」
「まるで『美女と野獣』のようですね」
「そうなんです。その『美女と野獣』の野獣だった彼とはフリードは仲がいいんですが、彼のようにはうまく行かず……」
「ふん、あいつのようにちゃんと自分を見てくれるような相手は稀だろう」
「あの姫様が彼を投げたことから、フリードはすっかり女性嫌いになってしまわれて、ちゃんと話をする前にそっぽを向くものですから、魔法が解ける兆しはなく……。如何せん、彼の周りに寄ってくるのは気位の高い女性ばかりなので、こちらの世界で普通の人に埋もれたら、もしかすると理想の女性が現れるかもしれませんし、そうではなくても女性嫌いが克服できるかもしれないと、こちらの世界に来た次第であります」
なるほど、美男子というのは損なものだ。それに加えて王子と来てる。
向こうの世界では華々しい貴族のご令嬢たちが沢山寄ってくるのだろう。そして最初にカエル姿で接したときには気持ち悪いなどと罵倒するのに、正体を明かせば手のひら返し。それじゃああの物語の二の舞だ。……まぁ、最初にカエルを毛嫌いする気持ちは分からんでもないが。でもそういう令嬢って言うのは、フリードの本質を理解してくれないのだろう。ある意味「美女と野獣」よりも難しいのかもしれない。
「ふん、僕だってこれでも20年は生きている。色々な女がいるのは分かっている。だけど多くの女は花を見て可愛いと言う自分が可愛いと思っているもんだ。やたらと胸を押しつけて媚びを売ってくるし、仲良くしていると思ったら裏で仲間割れしている。どんな国の争いよりもどろどろしてタチが悪い」
「うーん、それは女に対しての偏見だと思うけど」
「そうです。実際に梅乃お嬢様をご覧下さい。あなたに媚びを売っているように見えますか? カエル姿の貴方を平然と掴むことが出来たのですよ? そもそも着飾っていなくて素朴なこの方が、ご自分を鼻にかけるように見えますか?」
……おい、フリードよりもあんたの方がひどいぞ、この側近め。フォローしてるのかけなしているのか何がしたいんだよあんたは。
するとそれまでふてぶてしい態度だったフリードが、眉間に眉を寄せながらもこちらを見てくる。まるで観察するような目だ。
「確かに、あんたは嫌な気がしない。今まで会ってきた女と違うタイプだ」
「……それは、私、認めてもらったってこと?」
「あんたが女らしくないからだ」
そう言うと、再びぷいっと顔を横に背ける。
一言多いぞと言ってやろうとしたけど、横に向けた仏頂面が、どことなく赤い気がする。
あれ? これは肯定ってことでいいのかしら? 果たしてカエル王子はツンデレ?
ツンデレはツンデレでいいけど、これは本当に好きな人に出会ったとき、きっと失敗するだろう。こういうタイプって、本音とは違うことを言って誤解されてしまって、最終的に自己嫌悪に苛まれるのが多い。そういうところは更正させてやらないとな。少なくとも私は話せる女子らしいから。
「まぁでも、フリードがカエルっていうのは大変だけど、見ているところこっちの世界のシステムとかあたふたしている様子もないし、女嫌いだから身の危険もないし、ある意味一緒に住んでも安心だよね」
するとフリードもハインさんも、目を丸くして私を見る。かと思うと、フリードは何のことか得心がいったらしく、目を細めて呆れた顔をする。
「テオデリックとアサドとカリムか。テオは注意書きとか読まないからな。求人雑誌もちゃんと読まずに応募してそれで落とされているそうだ」
……あの王様、ろくでもないな。いつまでお金の面倒見なくちゃいけないんだろうか。
「アサドもカリムもああだし、あんた災難だったね」
「何それ、他人事だね」
「だって実際そう――」
「そうです、フリード」
「あ?」
見ればハインさんが手のひらにぽんっと拳を下ろす。
「そうです、フリード。アサド殿やカリム殿のいかがわしい手から梅乃お嬢様をお守りするために、梅乃お嬢様の部屋で過ごすのです。夜はカエル姿だし、自分の部屋でなくてもいいのですから」
私とフリードは固まってしまった。
え?何?この人は何を言い出すのだろうか。
「ちょっと待ってよ。何でそうなるんだよ」
「そ、そうですよ。カエルとかそういう問題じゃ――」
「いいえ」
ハインさんはやたらとはっきり言い切る。そして笑顔で言う。
「そうすれば、梅乃お嬢様は安心して眠ることが出来ますし、フリードは女性嫌いや恐怖症が克服できますし、上手く行けばお二人は愛を育まれるかもしれませんし。一石三鳥ですね」
なに笑顔でとんでもないこと言ってんだ、この側近――!?