12.越えられなかった壁
12.越えられなかった壁
<白鳥の王子>
むかしむかしある国に、11人の王子と可愛い末娘エリサ姫をもつ王様と王妃様が幸せに暮らしていました。ある時、王妃様がなくなり、王様は再婚します。
ところが新しい王妃様は実は魔女で、王子たちを白鳥に変えてお城から追い出し、エリサ姫も城から追放されてしまいました。
あてもなく歩き続けたエリサ姫は、いつの間にかたどり着いていた海岸で11羽の白鳥と会う。その白鳥こそ、魔法で変えられていた兄王子たちで、彼らは夜の間だけ元の姿に戻るのでした。兄王子たちは白鳥の姿でエリサ姫を網に乗せて海の向こうの国へと渡りました。
目指す国に着いたエリサ姫は、兄たちを元の姿に戻したいと祈ります。すると女神様が現れ、いら草を紡いだ糸で編んだ服を王子たちに着せれば呪いが解けると教えてくれました。ただし、最後の1枚まで編んでいる間は口を聞いてはいけません。もし喋ってしまうと王子たちは死んでしまうのです。
エリサ姫は女神様の言いつけを守りながら、いら草を集め黙々と服を編み始めました。
ある日、狩りをしていたこの国の王様がエリサ姫を一目見て恋に落ち、城へと連れ帰り、妻にします。
結婚した後もエリサ姫は口を聞かずに黙々と服を編み続けますが、その姿を見た家来たちは彼女を魔女だと不審に思い始めます。そんなとき、途中で糸が切れてしまったので、いら草が唯一生えている真夜中の墓地にいら草を摘みに行きます。その姿を見た家来たちが王様にそのことを告げ、王様も疑いはじめます。その後再び墓地にいら草を取りに行ったエリサ姫を見て、王様はエリサ姫を捕らえ火焙りの刑を言い渡しました。
牢屋の中でも処刑場に向かう荷台の上でもエリサ姫は服を編み続けました。それを気味悪がった民衆たちが彼女に石を投げつけますが、それを11羽の白鳥が庇います。そして処刑が始まる寸前、ようやく11枚目の服を編み上げることができ、それを白鳥たちに投げかけます。するとみるみるうちに11羽の白鳥は11人の王子になったのです。けれども、これまでの疲労でエリサ姫は死んだように倒れてしまいます。
一番上の兄王子がことのいきさつを話している間に、どこからか薔薇の花びらが立ち始めました。なんと処刑台の上にあった火焙りの薪が次々と花に変わったのです。王様はその花を一つ取ってエリサ姫の胸の上に載せると、エリサ姫は目を覚ましました。
その後、王様とエリサ姫、そして11人の兄王子たちは幸せに暮らしましたとさ。
(アンデルセン童話より)
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案の定、『バレエ芸術に楽しむ』は今日はガイダンスだけで、耳寄りな情報もないまま15分で講義が終わってしまった。本格的な授業をするのは来週からなんだって。
これじゃあ、今日はさぼっても問題なかったんじゃ、とぶつぶつ言う学生もちらほらいたが、そんなこと当然始まる前から予想されていたので、私は気にしない。
目の前にいる上から目線口調の王様は不満らしいが。
講義があまりにも早く終わり次の授業まで時間があるため、私とテオは教養棟と工学部棟の間にある学生ラウンジで時間をつぶしていた。
まだ授業時間中なので学生ラウンジは人がちらほらいる程度。これくらいの方がそんじょそこらにいなさそうなイケメン連れてても注目浴びないから平気だ。
途中図書館で借りてきた「アンデルセン童話」を読んでいる間、テオはガイダンスだけで終わった講義の不満をぶつくさとこぼしている。それを私は「うんうん」、「そうだねー」とか、気持ちのこもっていない相づちを返す。それに対して更に文句を言ってくる。
「もう、仕方ないじゃん。まだ1年生入ってきてないんだから」
「だったらどこかに明記しておくべきだ」
いや、シラバスにはちゃんと書いてあったぞ。紙媒体のにもホームページにも。ホームページはきっと使えないだろうからともかくとして、紙媒体ちゃんと読めよ。
「はぁー。そんなに期待してたの?」
「当然だ。何せ、授業で『白鳥の湖』を取り上げるって言うんだからな」
いや、うん。確かにシラバスにはチャイコフスキーの「白鳥の湖」の観劇と、それについての解説をする回があることは明記されていた。だがそれは15回ある講義のうちの8回目とか9回目当たりだったはずだぞ。
この人ちゃんと読まないんだな。
「それにしても何で『白鳥の湖』が気になるの? おとぎ話だから? と言ってもバレエのおとぎ話って、『眠れる森の美女』とか『シンデレラ』とかもあるじゃない」
「俺らが知っている『白鳥の湖』とバレエの『白鳥の湖』はどうやら結末が異なるらしいじゃないか。それを見てきてくれってジークに言われてきたんだ」
「ジーク?」
「ジークフリートだ。『白鳥の湖』の王子の」
なるほど。というか、テオはジークフリート王子のことを愛称で呼ぶほどおとぎの国では友人関係なんだろうか。
「ふーん。確かに『白鳥の湖』は童話とバレエじゃ結末が違うよね。私が昔読んだ絵本だと白鳥のお姫さまは元に戻って結ばれるけど、バレエの方だと二人は死んで来世で結ばれるんだよね。まぁどっちにしろ二人は愛し合って結ばれるわけだよ。誰かさんと違って」
「うぐっ」
開いていた「アンデルセン童話」を閉じると、頬杖をついて購買で買ってきた野菜スティックの先をテオに向けながら質問する。
「で? 聞いてあげようじゃないか。どんな粗相をしてきちゃったの?」
「お前……その仕草、男臭いぞ」
「おねーさまとお呼び」
「大体お前いくつなんだ。俺は21だ」
「あ、そうなの? ということは今年22歳ってこと? 私より一つ年上なのね。まぁそんなことはいいから」
私が節操もなくぐいぐい促すと、テオはすごい嫌そうな顔をする。
ひとつため息をつくと、眉間にしわを寄せたまま言ってくる。
「まぁ、これからお前には世話になるからな。不本意だが教えてやるよ」
テオはさっき覚えたばかりのペットボトルを開ける。お茶を一口飲むと話し始める。
「――そもそもお前は、愛は言葉の壁を越えられると思うか?」
早速本題に入るかと思って聞く体制に入っていたのに、いきなり質問してきたので少しうろたえてしまった。
言葉の壁?
「それは言語の違いってこと?」
「まぁ、それでもいい」
「それはどうだろうね。まず言葉が通じなくちゃ相手の気持ちもこっちの気持ちも分からないし。でも相手に気持ちを伝える方法は言葉以外にもいくらでもあるわけだし、言葉よりも明確なものがあったりするじゃない。言葉がすべてではないと思うよ」
言語の違いがなくたって、そういう壁を越えられるものは越えられるし、越えられないものは越えられない。いくら言葉を交わしていたって、うまくいかない場合もある。どれだけ言葉で分かりやすく説明したって、どれだけ赤裸々にこちらの言い分を伝えたって、相手が思いこみの激しい人だったり聞く耳を持たなかったら、こちらの言いたいことをちゃんと理解されないままに終わる恋だってある。逆に言葉が少なくても、相手をよく見てちゃんと理解し合っていたら、それで深まる恋愛だってある。
要は言葉はお互いを理解し合うためのある一つのツールであり、それがすべてではない。
「なるほど。お前はそう思うのだな。だが俺には越えられなかった。俺は彼女のことを理解してあげられなかった――」
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俺が最初エリサに会ったのは、俺が狩りに森に出ていたときだった。
初めて見たとき、俺は妖精かと思った。それくらい美しい娘だったのだが、彼女は一切喋らなかった。そのときの彼女の手は血だらけで、それが口を動かせないほど痛いからだと思っていたんだ。後から聞けば、あれはいら草の棘だったらしいが。
だが、彼女の瞳は慈愛に満ちていた。あの柔らかな瞳が、俺に愛を告げていたんだ。俺は彼女が運命の恋人だと思ったし、彼女も俺の中に安らぎを見つけていた。
そのときは言葉などなくとも、俺達二人は愛し愛され、固く結ばれていると思っていた。
しかし、彼女はいつまで経っても喋らなかった。
最初はよほどショックがひどいのだと思っていた。
だが、遠出に誘っても街に誘っても、彼女は無言でそれを断り、その代わりにずっと何かを編み続けていた。
夜だって、愛を育もうとも強引に事を運ぶのは本意ではない。かといって何を言っても答えてはくれない。次第にやきもきしてきて、不満が溜まり、俺は自分のタブーを破ってしまった。無理矢理にでも声を出さしてやろうと、ベッドに連れ込んだんだ。
それでも彼女は一言も喋らずに俺の腕の中で暴れて頑なに拒んできた。
きっと情事で声が漏れるのを恐れたんだろうな。
それからというもの彼女は俺を避けるように過ごし始めた。
だから俺は大臣たちの言葉に耳を傾けてしまったんだ。
エリサが魔女だと――――。
勿論最初は違うと否定していたんだが、真夜中の墓場にいら草を取りに行くエリサを見て、遂に俺はそれを信じてしまった。
そして挙げ句の果てに火焙りの刑に――――。