10.確信犯
10.確信犯
久々に人が作ったものだからかもしれないけど、アサドが作った朝食は美味しい。スープはちゃんと野菜の味が出ていて、いつの間にこんなに味が出るほど煮込む時間があったのか謎なほどだった。サラダのゴマだれも、市販のドレッシングではなくて自家製らしい。意外に器用だな。パンもほかほかでもちもちしていて美味しい。スクランブルエッグの塩気とマッチする。
わざわざ口に出して「おいしい」なんて言ってやるつもりはないけどな!
丸テーブルの斜め右側にニヤニヤくすくす笑ってコーヒーを飲むアサド。
左側にもともと色の濃い褐色の頬に少し赤いもみじ型を付けて気まずい顔を作るカリム。
「梅乃、ごめん。俺、完全に寝ぼけてた」
もくもくと私ひとり一言も喋らずにご飯を食べていたので、カリムは相当私が怒っていると思っているのだろう。彼は未だに朝食を一口も食べていない。
「もういいよ。寝ぼけてたんでしょ? 怒ってもしょうがない。今度から気をつけてよね」
「本当に悪かった」
私がため息付きながら許してやると、カリムはもう一度頭を下げてからパンを手に取る。
目の前にいるカリムは、さっきの寝起きの状態のようではなく、昨日のようにしっかりしたさわやかイケメンに戻っている。
きっとさっきのは本当に寝ぼけていたんだろう。
なんとなくカリムが故意であんなことするとは思えなかった。
アサドは終始にやけっぱなしだが。
「はぁ。さっそく一晩でこれだよ。これで他の王子達が集まってきたらどうなることやら」
コーヒーで一息つくと、朝から振り回された脱力感も回復してくる。
「あ、それは大丈夫大丈夫。今日帰ってくるまでの間に襲っちゃダメだよって釘さしておくから安心して」
とアサド。
…………あんたが釘刺すことなのか。
私はもう一度盛大なため息をつく。
今日起きてから何回ため息をついただろうか。ここで右前にいる赤頭が「幸せ逃げちゃうよ」なんてほざきでもしたら、ぶっ飛ばすだろうな。
それにしても王子か。どの物語の王子が来るんだろう。
少なくとも5分の1は「カエルの王子様」らしいが。
そういえばおとぎの国の話や王子たちの話は昨日おおざっぱに聞いたけど、目の前の二人のことは指輪とランプの魔神てことしか知らない。
「ねぇ、おとぎの国の中にグリム地方、アンデルセン地方とかがあるって昨日言ってたよね? じゃあアサドとカリムは向こうではアラビアンナイト地方にいるってことなの?」
「うんそうだよ。またの名を千夜一夜地方とも言うけど」
「その中に物語ごとの領地があるんだ」
「えーとえーと? ということは、アサドはランプの魔神だから『アラジンと魔法のランプ』の人だよね? だからアラジン領ってこと?」
私が首をかしげながら質問すると、アサドはニヤニヤと口元を歪める。
また変なこと言うんじゃないかと身構える。
「そうだよ。ボクはアラビアンナイト地方アラジン領出身だよ」
身構えていた割にはアサドの発言は普通だった。だがその金色の瞳が向けた方に視線を移すと、カリムが少し不機嫌気味な顔をしていた。
どうしたんだろう。
「じゃあカリムは? アリババとか?シンドバッドとか……? そもそも指輪の魔神ってあったっけ……?」
その一言がまずかったのだろう。
カリムは眉間にしわを寄せてどこかあきらめたような顔でため息をつく。
そしてアサドがげらげら笑う。
「あーははは。やっぱお前忘れられやすいんだね。オマケだし」
「うるせー。“ランプの魔神”が世界的に有名になりすぎてんだよ」
えっとえっと? どういうことだ――?
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<アラジンと魔法のランプ>
むかしむかし、お母さんと貧しい生活をしていたアラジンという若者がいました。
ある日町にやってきた怪しい魔法使いが、魔法で地面に開けたに大きな穴の中から古いランプを持ってくるようアラジンに言いつけました。そのとき、アラジンの指に大きな指輪のお守りをはめました。
穴の奥にあったランプを取って、アラジンが入り口に戻ると、魔法使いが「早くよこせ」と執拗に言ってくるので渡すのを躊躇していると、その魔法使いは怒って入り口をふさいでしまいます。
帰れなくなってしまったアラジンは、思わず指輪をこすりました。
すると中から大男が現れました。彼こそ"指輪の魔神"です。
指輪の魔神のおかげでアラジンは家に帰ることができました。
家に帰ってランプをよくよく見ると、汚れていました。アラジンが服の裾でランプをこすると、中から大男が現れました。彼こそ"ランプの魔神"です。
ランプの魔神はなんでもアラジンの言うことを叶えてくれました。
町で一目見て好きになったお姫さまと結婚したのも、ランプの魔神のおかげでアラジンが大金持ちになったからです。
しかし、魔法使いは隙を縫ってアラジンからランプを奪い取り、アラジンのご殿ごとお姫さまを遠いところに移動させました。
アラジンはお姫さまを探して歩き回りました。
ある日、疲れ果てて手を洗っているところに指輪の魔神が現れました。知らないうちに指輪をこすっていたのです。
すっかり忘れられていた指輪の魔神ですが、彼のお陰でアラジンはお姫さまの元に飛んでいくことができ、無事にランプも取り戻し、悪い魔法使いを倒しました。
こうしてアラジンとお姫さまは幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。
(千夜一夜物語より)
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「…………うん、なんか思い出した。そういえば“指輪の魔神”いたね」
「ホント忘れられやすいよね。忘れられやすい理由が魔法の絨毯だとしても、当のアラジンにまで忘れられてるなんて」
「うるせーうるせー」
「アラジンと魔法のランプ」というくらいだから、話の中でランプの魔神が出番が少なくても、ランプの魔神を忘れることはない。それに世界的人気アニメ映画もランプの魔神に歌わせたりなんかしてキャラクターの存在感と人気はハンパない。
それに対して、指輪の魔神って申し訳程度しか出てなかった印象がある。本人目の前にしてこう思うのもアレだが。
例の世界的人気アニメ映画も指輪の魔神を出さずに魔法の絨毯を登場させていた。あれしか知らない人は、指輪の魔神の存在すら分からないよね。
しかしランプの魔神も指輪の魔神も大男なのか。
確かにアサドはかなりの長身だ。さっき聞いてみれば191cmだって。
対するカリムもそれなりの高身長。というか187cmと本人は言ってたけど、日本人じゃ早々お目にかかれない身長だよね。
そんなどうでもいいことまでつらつら考えていると、カリムがため息をつく。
「……そういうことだ。それよりそろそろ行かなくていいのか? 遅刻しそうなら俺が飛ばしてやるが」
「えっ今何時!?」
ばっと壁掛け時計に目をやると、8時15分。
うちから学校までは自転車で10分弱。1限目の始まりは8時45分。
30分は余裕があるけど、学校でのんびりしたいし、そろそろ出ないと。
「あ、待って。出かけるならこれ持ってって」
私が立ち上がって隣の席に置いてあった鞄を持ち上げようとしたとき、アサドがテーブルの上にランプとサファイアの指輪を置く。
「何で? また鞄を重くしたり軽くしたりするわけ?」
そんな質問を投げると、アサドはクスッと笑う。
「あれはボクのちょっとしたいたずら。今日のは普通に重量感あると思うけど、重いんだったら軽くしてあげるよ」
と言って、手首をひらりと一回転。
何かが変わったのかぱっと身じゃよく分からないので、ランプを手に取ってみる。
…………軽い。
「なんでランプと指輪、持って行かなくちゃいけないの?」
すると今度はカリムが私の左手を取って中指に指輪をはめる。
その様子を見たアサドが「薬指じゃないんだね」って茶化し、カリムが「うるせぇっ」って返す。
「さっきの話じゃないが、ランプと指輪持ってればいつでも俺らを呼ぶことができる。俺達はこの中に入ってはいないが、呼んでくれればすぐに飛んでいけるんだ。だからお守りだと思って持ってけ」
そうそう魔神を呼ばなくちゃいけない状況に遭遇するのか分からないけど、おとぎの国から5人プラス1人が来ているのだ。何が起こるか分からない。
それに万が一事故とかに巻き込まれても、彼らを呼べば助かるということなのだろう。
私は軽くなったランプを鞄に入れ、左の中指にはめられたサファイアを顔の前に持っきて、「ありがとう」と素直に礼を言う。
さてさて、そろそろ行かないと。
私は荷物を持ち上げると、二人に「行ってきます」と言ってダイニングを出る。
夕べは色々あって今朝も色々あって、果たしてここでやっていけるのか不安ではあるけど、「行ってきます」「いってらっしゃい」とやりとりするのが久々で、なんだかくすぐったい。それが日常になるのかと思うと、悪くない気がした。
そう思いながら玄関まで歩いていると、後ろから足音が近づいてきた。
「梅乃、ちょっと待て。忘れ物」
後ろから追いかけてきたカリムが、何やら紙束を私に差し出す。
それを手にとって確認すると、それは昨日作るはずだった大学オケの新歓プログラムだった。
夕べのどたばたですっかり忘れていたのだが、どうしてこれができているのだろうか?
まさかと思ってカリムを見上げると、琥珀色の瞳を細めて微笑んでくる。
「これ、夕べ作らなくちゃいけなかったんだろ? あんなことがあって、お前もそれどころじゃなかっただろうから、変わりに作っといてやった」
「え、嘘。助かる……。あぁだから今朝あんなに寝起きが悪かったの?」
「いや……それは魔法でやったから、大して寝不足でもない。…………悪かったな」
ちょっとからかい半分で言ってやったら、カリムはばつの悪そうな顔をする。
その反応がちょっと可愛かったのでくすっと笑ってしまった。
「ううん、すごい助かった! ありがとうね」
私は琥珀色の瞳を見上げて笑顔でお礼を言う。
それをカリムが何故か目を見開いたが、「どういたしまして」と目元を和らげる。
「あぁ、梅乃、髪の毛にゴミ付いてる。じっとしてろ」
よし今度こそ出発、と思ったら、またもやカリムに止められる。
カリムは私の髪に付いたゴミを取るべくして身をかがめるのだが――――なんだか顔が近くないか?
この人は天然でやってるのか?
どっかの赤毛と違って真剣な顔だから、きっと天然なのだろう。
そう思っていたら、視界いっぱいいっぱいに見えていたカリムの口が歪むのが見えた。
と同時に――。
「!?」
耳に息を吹きかけてきた!?
カリムの顔をもう一度見上げれば、さっきまでの優しげな顔はどこへやら、そこには意地悪く琥珀色を細めた瞳があった。
「なんてな。実はちゃんと起きてたよ、今朝」
だっ…………だまされた!?
こいつ…………確信犯だったのか…………!!