約束は計画的に。
あたしが一歩後ろに下がると、ヤツもまた一歩前に足を踏み出す。
「どうして逃げるのかなぁ?」
「さァ、なんででしょう?」
顔が引きつってるという自信はある。だけどこの状況なら仕方がないと思うんのよね、あたし。
夕暮れ時のサッカー部の部室。いるのはヤツとあたしだけ。
どう考えても、乙女のピンチだ。
「ハットトリック決めたら、俺の言うこと聞いてくれるって言うから頑張ったのに。
嘘、だったんだ?」
そういえば、そんな約束はした。
真面目に部活に出ないヤツだけど、センスと運動神経は一級品。
今度の練習試合には何が何でも勝ちたかったらしい部長に、ヤツを説得しろと命じられたのだ。
その時の約束がソレだ。
約束したものは仕方ない。ここ素直には腹をくくるしかないか。
ええいっ、ままよっ!
「嘘じゃないわよっ!
ひとつ、だからねっ!!」
指をつきつけ、ヤツを見上げる。
ヤツは小さく笑って、あたしに目を瞑るように言ってきた。
恐る恐る目を瞑ると、頬にヤツの手が触れ――続いて唇にも何かが触れた。
慌てて目を開けると、そこには想像通り、すぐ目の前にヤツの顔。
「何すんのよっ!」
そう怒鳴ったつもりだったんだけど、あたしの声はヤツの口の中に吸い込まれた。
それだけじゃなく、口を開けた隙を見逃さず、ヤツのあれがあたしの口の中に侵入してきた。
噛むわけにもいかず、必死にヤツの胸を押すけどびくともしない。
「……ふぁ」
ほんの少しヤツが離れた瞬間、あたしの口から――自分のものとは思えない吐息が漏れた。
自分でもあり得ないと思わずびっくりしてると、ヤツの伏せられてた目が開いて――あたしを見て愉快そうに目を細めた。
ずぅえったいに、笑った!
睨み返すけどヤツは気にした風もなく、あたしの頭と腰に手をまわし続きを始めた。
☆
「目、瞑っててって言ったよね? 確か」
完全に腰の抜けたあたしがヤツにすがりながら立ってると、ヤツは楽しそうに言った。
もの凄く、嫌な予感がする。
「どれくらいって、言わなかったでしょ?」
なんとか反撃するけど、この程度でヤツが諦めたりしないのはわかってる。
「ハットトリックの代償はほんの数秒なんだ」
う。それを言われると……。
「本当はこのまま押し倒したいのを理性で我慢してあげてるのに」
ちょっと待て。
「勝てば婚約者どのがご褒美をくれると思って頑張ったのに」
「そんなの、親同士が勝手に決めた約束じゃないの」
確かにあたしとヤツは婚約者ではある。
だけどそれは、仲の良い互いの両親が勝手に決めた約束ごと。
そりゃあ、ちっちゃい頃は信じてみたけどヤツはそんな素振りも見せないし。
むしろあたしを避けるようにもなったし。
「俺はそんな風に思ったことないよ。
女の子違って男には色々と事情があるから側にいなかっただけ」
男の事情……。
それが思い当たって、ヤツから目を逸らす。
「おじさん、俺になんて言ったと思う?
婚前交渉は絶対に許さん! そんなことしてみろ、お前のソレを不能にしてやる!
だよ?」
仮にも息子になるかも知れない相手にだよ。
ヤツはそう言って、小さく笑う。
ううっ、我が親のことながら恥ずかしい。
だけど、ならどうして、今あたしにこんなことを?
責任を取ろうにも、男は十八歳にならないと結婚は出来ないし。
「お前が無防備すぎるの。
誰彼構わずに笑顔は振りまくし、男を挑発するし」
「そんなことないわよ」
ヤツを睨みつけると、あたしを支えてるのとは逆の手であたしを小突いた。
「その顔が駄目だって言ってるの。こんな状況でそんな顔すれば、誘ってるのと一緒」
「さそっ……」
さすがのあたしも言葉がない。
「親が婚約者だなんだ言ってるだけで、お前にその気がなけりゃ、俺が十八歳になる前にどこの馬の骨とも知れないヤツに処女を持ってかれそうだしね。
それだと、我慢するだけ馬鹿だよね?」
「しょっ……」
なんだろう。
もっと品のいいヤツだと思ってたのに、裏切られた気分。
それとも、男子ってこんなものなのかしら?
「だから、これからおじさんに頭下げに行く」
「……は?」
「血判状書いてでも、許可をもらう。で、名実共に俺の女にする」
俺の女って。
つまりはそういう意味よね?
恥ずかしさで顔が真っ赤になりそうなんだけど。
それより「血判状」って!
そっちにびっくりだわ。
「ちょっと待ってよ! あたしの気持ちは無視なわけっ!?」
そうだ。
ひとりで盛り上がってるところ悪いけど、あたしの気持ちは無視ってのはどうよ?
「俺が嫌い?」
「好きか嫌いで言えば、少なくとも嫌いじゃないわ」
「俺に不満がある?」
「……全くないわけじゃないわ」
「さっきのキス、気持ちよくなかった?」
その質問にはあえて答えず、あたしはそっぽを向く。
あんなキスが初めてなら、腰が抜けるなんてのも初めてだったんだもの。
っていうか、乙女にそれを答えさせるつもりかっ!
「俺、浮気しない自信もあるし、将来贅沢させてあげる自信もあるよ」
「浮気しないのは当然。
男を選ぶ基準は、稼ぎよりはどれだけ愛してくれるかよ」
「それなら問題ない。
お婆ちゃんになっても愛する自信もあるから」
真顔で返されると、とっても反応に困るんだけど。
あたしにどうしろって言うのよ?
「俺以上にいい相手は他にいないと思うけど?」
「……アンタは、それでいいの? 親の決めた相手を好きになって一緒になるだなんて。
お父さんたちの馬鹿な約束事なんて、無視していいのよ」
だからあたしは、必死に、好きになるまいって思ってたのに。
このセリフがあたしと結婚するための嘘で、本当は嫌々なんじゃないかとすら思ってるのに。
「俺は親に言われたから、お前と結婚するわけじゃない。俺がお前のことを好きだから、お前と結婚を前提の付き合いをするんだ。
俺を見縊らないで欲しいね」
「でも……」
「それに、そもそもこの婚約話はお前にやらされた、結婚ごっこから来てるんだし」
それって、幼稚園の時の話じゃないのっ!
馬鹿みたいな話にヤツの顔を見上げると、冗談を言ってる目には思えなかった。
「いつだったか……お前が俺と結婚するって泣きまくって、そんなお前を言い含めるために俺とお前が婚約者ってことになったんだよね。
覚えてる?」
そんな記憶があるような、ないような……。
気まずくなって視線を逸らすと、ヤツはため息をついた。
「そんなことだろうと思ってた」
「あははは……」
もう、渇いた笑いしか出てこないです。はい。
「まあ、どっちでもいいよ。俺のすることに変わりはないから」
ヤツはニヤリと笑い、あたしに顔を近づける。
「俺がいないと生きられないようにしてあげるから。
覚悟してよね」
神様。
悪いのは幼き日のあたしなのでしょうか?
それとも、ヤツなのでしょうか?
どっちでもいいので、助けていただけると嬉しいのですが……。
(おわり)




