2.
「宇宙より大きいものは存在するのか」
どうだろうか、仮に宇宙に「外」があるとしよう。では、その宇宙の「外」の「外」には一体何が在るのだろうか。では、『それを宇宙の「外」の「外」』と考えるとする。
これでは堂々巡りである。
ならば、宇宙の外には宇宙より大きな物が存在すると考えた時に、それは宇宙を覆っているのだろうか。それとも、我々地球人が言う星の様に、地球より大きな星がある事と同様に、宇宙より大きな宇宙があるのだろうか。では、太陽や地球、諸々の星によって銀河系が作られるように、宇宙も宇宙より大きな宇宙と宇宙からなる銀河を創り上げているのだろうか。ということは、銀河が集まる宇宙と同様に、宇宙と大きな宇宙からなる「宇宙からなる銀河を覆う宇宙」が存在するのか。
それでは・・・、
これも堂々巡りである。
では如何いった考えが正解なのだろうか。廻っている、考えも、星も、宇宙も、私も。
私は快感に体を震わせた。
目が覚めた。朝日が燦燦と私を照らす、私に「お早う」と挨拶をする様であったが、もはや自分の眼が自分の眼である事さえ疑わしくなって、私はカーテンを閉めた。
幾ら一般に言う現実が私の言う現実ではないと言えど、私にとっても現実であるから、現実でない現実を維持しなくては、私の言う現実も維持出来なくなる。「御飯」は、その為の一つだったが、不思議な事に体は健康であるのに、口にする物に歯触りも舌触りも味も無くなった。最早、「喋る」という行為さえしなくなって来た私には、口と言う部位は無いに等しくなった。両親はそんな私に食事を作る事はない。所詮その程度なのだ、自分が苦労して息子を護る必要などないのである。
食事が終わると、妄想に耽った。答えの無い問題には、考えが無限に循環する。その無限の循環に入り込んで、自分の思考もその循環について行く様に巡らせる。巡る、廻る、回る、めぐる―
「あぁ」
急に体が軽くなって、現実とは違う、「私の現実」に辿り着くのである。無重力の中に漂う様に、全ての感覚も無くなって力も抜け、私の中に様々な物が新しく入り込んでくる。皆が言う「現実」では絶対に得られぬ感覚だ。この世界に辿り着き、この感覚を味わう度に思うのである。如何に現実が下卑たるものか。
気がつくと、自分は一般に言う現実に帰って来ていた。何度となく味わったこの快感も、結局は刹那的な物なのである。あちらの現実に行くと、何もかも可能な様に思える。何故この世界が存在するのか、それさえも理解出来そうなのだ。だが、快感に体を震わせながら思索を巡らせている内に、いつの間にか何もかも解らなくなって、こちらに居る。その度に、鬱々として、自分が嫌になる。
「あぁ」
あの快楽に一生浸って居たい。何故この現実に居なければならないのか。私を引き戻すのは誰だ。快感を求め、こちらに帰って来る度に激しい吐気と頭痛に襲われる。
「あぁ、あぁ、あぁ」
こちらで何かを考える度に思う、
「こちらの人々は私の様な者は居ない、こんな現実にしがみついて、助けを請う。憐れだ。」
私は特別なのだ。誰も私を理解出来ない、私は最高だ。特別だ、特別だ、特別だ、特別だ、特別だ。
「あぁ!」
急に悪寒が私の身体の中で走る。震えがとまらない。寒い、凍えそうだ。ぶるぶると身体が震えると同時に、汗が吹き出る。何も見えない、何も聞こえない、死んでしまいそうだ。
「助けてくれ、助けてくれ。」
自らガムテープで固定し、創り上げた「部屋」を逃げ出したい。頑丈に貼り付けたガムテープは接がれない。
「助けてくれ、助けてくれ。」
ドアを壊そうと叩く。壊れやしない。叩く。
「助けてくれ、助けてくれ。」
壊れやしない、壊れやしないのだ。
「助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ、助けてくれ。」
あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ。
その時だった。壁を隔てて、向こう側から声が聞こえた。
「ありがとう。」
急に力が出てきて叩いたドアが開いた。扉の向こうに人など居なかった。気がつけば悪寒も汗も失せていた。