第2話 出会い
「最近、よく頑張っているな。」
夕食のあと、父の穏やかな声にリュミアは思わず顔を上げた。
正義のカードを引いてからというもの、毎日が慌ただしかった。
力の使い方、感情の見極め方、人との関わり方――
教師から教わることは山ほどあり、気がつけば一日が終わっている。
「明日は、王都へ行ってきなさい。」
父の言葉に、リュミアは目を瞬かせた。
「いいの...?」
「王都に?」
兄のウェズンも目を丸くする。
「危なくないの?」
母が小さな声で心配そうに言った。
父は母を見て微笑む。
「外の世界を見るのも、大事な勉強だ。」
母は少し考えてから、柔らかく笑う。
「楽しんでおいでね、リュミア」
「うん!」
弾む声が自然と出た。
その夜。
リュミアはベッドに横たわり、毛布にくるまった。
窓の外には満天の星。
静かな夜の空気が、胸にしみる。
小さく息を吐き、目を閉じる。
王都への楽しみを抱え、リュミアはやがて眠りに落ちていった。
――そして翌日。
リュミアは侍女のユーリとともに、王都へ向かう馬車に揺られていた。
窓の外に広がる景色を見つめながら、胸の高鳴りを抑えきれない。
やがて視界が開け、巨大な城壁と賑やかな街並みが見えてきた。
「すごい......」
思わず、声が漏れる。
王都は、リュミアの住む聖都とはまるで違っていた。
聖都は、静かで整いすぎているくらいだった。
けれど王都は――違う。
人の数も、声も、溢れるように熱気を放つ。
馬車を降りると、空気さえも少し熱を帯びている気がした。
市場には色とりどりの布や果物が並び、甘い香りやスパイスの匂いが漂う。
人々の飛び交う声が、街全体を賑やかにしていた。
「迷わないようにしてくださいね、リュミア様。」
ユーリが柔らかく言いながら、そっと手を引く。
その温もりに安心して、リュミアはゆっくりと歩き出した。
服屋をのぞいたり、美味しいものを食べたり、家族へのお土産を選んだり――
時間はあっという間に過ぎていく。
日も落ちかけ、空が淡く染まり始めた頃。
そろそろ帰ろうと、馬車へ向かいかけた、そのときだった。
――違和感。
ほんのわずかに、しかしはっきりと。
(……あれ?)
ざわめきの中に、異質なものが混じっている。
冷たくて、重い感情。
――まるで、息が詰まるような。
リュミアは足を止め、そっと周囲を見渡した。
人通りの多い通りから、少し外れた路地。
その影の中に――ひとりの少年がいた。
壁に背を預けるようにして、俯いている。
服は少し汚れていて、黒い髪は乱れていた。
王都の子どもたちとは違う、どこか浮いた存在。
(......あの子......)
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
近づくほどにわかる。
その周りの空気が歪んでいる。
怒り、恐れ、悲しみ――
いくつもの感情が絡まり合って、重く沈んでいた。
まるで、抜け出せない何かに縛られているみたいに。
「リュミア様?」
ユーリの声が、心配そうに響く。
それでもリュミアは、目を離せなかった。
(放っておけない……)
小さく息を吸い、ゆっくりと一歩踏み出す。
「……大丈夫?」
声をかけた瞬間、少年の肩がびくりと揺れた。
――同時に。
「お待ちください、リュミア様」
低い声が背後から響いた。
振り返ると、護衛騎士のルーカスが険しい表情で立っている。
「その者には近づかれませんよう」
ただならぬ緊張が、その声に滲んでいた。
けれどリュミアは、首を横に振る。
「大丈夫。この子、悪い人じゃない」
ルーカスは一瞬言葉に詰まり、焦ったように視線を動かす。
リュミアはじっと彼を見つめた。
ルーカスは深く息を吸い、覚悟を決める。
「わかりました。」
それでも完全には引かず、警戒したまま様子をうかがっている。
リュミアは、もう一度少年へと視線を戻した。
ゆっくりと顔が上がる。
その瞳を見た瞬間、リュミアは息を呑んだ。
深い影。
まるで光を拒むような、暗い色。
少年は何も言わず、警戒するようにリュミアを見つめている。
逃げようとしているのが、わかった。
リュミアはそれ以上近づかず、そっと立ち止まった。
「怖くないよ」
静かに言葉をかける。
「私は、リュミアっていうの」
名前を告げると、少年の視線がわずかに揺れた。
少しの沈黙。
呼吸も忘れるような間のあと――
「……セオドア」
かすれた声が、静かに聞こえた。
「セオドア……いい名前だね。」
リュミアはそっと微笑んだ。
少し迷ってから、言葉を続ける。
「おうちは、どこ?」
その問いに――少年は答えなかった。
ただ、わずかに視線を伏せる。
(……ないんだ)
胸がぎゅっと痛む。
リュミアは小さく息を吸う。
「じゃあ……聖都に来る?」
その一言に、空気が凍った。
「リュミア様、それは――」
ユーリが息を呑み、ルーカスが慌てて口を開く。
けれどリュミアは、静かに言い切った。
「大丈夫」
まっすぐに、少年を見つめる。
「この子をひとりにしちゃだめな気がするの。」
その言葉に、誰もすぐには反論できなかった。
しばらくの沈黙のあと。
セオドアが、ほんのわずかに頷いた。
ルーカスは深く息を吐き、額に手を当てる。
「……すぐに聖下に連絡します…。」
諦めたようでいて、責任を引き受ける声だった。
リュミアは、ほっと息をついた。
「行こう、セオドア」
手を差し出す。
少年は一瞬だけ迷い――
そっと、リュミアの手に触れる。
その指は、氷のようにひどく冷たかった。




