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第二話 「ハルト 軟式野球チーム入部」

主人公ハルトがプロ野球選手を夢見てソフトボールから軟式~硬式野球へと取り組み、活躍してプロ野球選手となる物語。しかし、プロ野球選手として全盛期の時期に病に倒れ、プロ野球選手としては選手生命を絶たれてしまう。

 だが、いつも寄り添ってくれるナミがハルトを支え、苦悩を一緒に乗り越え、プロ野球選手ではなく、指導者として歩み続けて行き、プロ野球選手を育てるという新たな目標に向かって走りだす。

 おとんは言うまでもなくOKなのだ。

 そのチームは四月から十月まで活動して、それ以外は個々で練習するらしく、このチームの魅力は高校や大学野球の経験者が二人居てコーチとして指導し、対外試合に精通しており、レベルが高いチームと有名らしい。

 俺自身、レベルはわかっていないし、ただ無心で練習や試合をやっているだけだ。

 最初は監督・コーチや大石先生の言う通りに練習をするだけだが秋頃の試合では三番ショートのスタメンで出場する事になった。 

 俺はテンションも上がり、守備に自信が持てるようになっていた。

 打ってはヒットが良く出るようになっていて、偶然だけでは無かった。

 秋の大会を終え、監督から「中学になってもうちで頼むよ」と言われる程になった。

 心配だったのは家から遠いし、中学になっても大石先生に送り迎えしてもらうはかなり気が引けていたし、申し訳なかった。

 監督に即答はできないと話し、返事を待ってもらっていた。

 大石先生は監督から俺の事を聞いていたらしく、「ハル、中学でも野球するならAD中学校に替えてもいいかな?」と言うのだ。

 俺は「俺はいいけど、家からAD中学は遠いし、親に聞かないと」と言うと大石先生は俺の実家に来て、おとんとおかんの前で「ハルト君は野球が好きで努力し成長していて、今後の伸びしろは大いにあると私は確信している。ご両親にお願いしたいのは、ハルト君を私に預けて貰えますか」と話していた。

 まさか小学六年の俺をそこまで思っているとは驚きしかなく、おとんやおかんもかなり

驚いていて最初は声も出なかった。

 するとおかんが「ハルは先生に預ける事はどこかに下宿でもさせるのですか?」と言うと先生は「うちに下宿させます」と言い、「食費だけ月にいくらかいただければ三年間は私と妻が面倒を見ます」と話していた。

 そのAD中学は先生の家から片道三キロ程で、俺の所属しているチームのグランドは先生宅から片道一キロ程なので、俺の家から通う(十五キロ以上)より遥かに近かいのだ。

 おとんは、「野球もいいが、勉強にも力を貸して欲しい」とお願いしていた。

 また、おとんは「先の話しだが、高校はハルの力だけで進学する事。他力本願ではダメだ。学費は俺が出す」と話していた。

 俺はおとんが言う事を理解していた。

 大石先生は「野球だけでなく、勉強もきちんとさせます」とおとんに話した。

 そんな事もあり、俺は大石先生の家に三月下旬からお世話になる事になった。

 中学校までの往復は体力作りのため、先生に車で送り迎えを断り、ランニングして通学し、帰宅したら野球チームのグランドまで走って毎日練習する事を考えていた。

 大石先生の家は奥さんと二人暮らしで息子さんと娘さんは独立して家に居ない事から俺を下宿させ、ここから中学校も野球チームにも通わせるのがベストと考えたようだ。

 先生の奥さんが出してくれる飯はどれも美味くていっぱい食べてしまうのだが、先生も奥さんも喜んで俺の喰いっぷりを見ていた。

 俺の日々のスケジュールは奥さんが管理していて、きちんと野球の時間、勉強の時間と決められていた。

 また、勉強のわからない事は奥さんが元中学校の先生だった事もあり、勉強には厳しかった。特にテストがある時は奥さんの目が光り、「こりゃ、ヤバいぞ」と焦るほどだ。

 まあ、勉強の方は親もそれ程期待はしていないと思うが、おとんの言った「勉強にも力を貸して欲しい」と話した以上、先生や奥さんも責任をもって勉強を教えてくれた。

 毎日、学校から走って帰り、グランドへ走って行き、二時間程のの練習後、走って帰宅する事で足腰が鍛えられ、守備や走塁、バッティングが少しずつ安定していた。

 帰宅してからの勉強は一~二時間位する事になっていて、その後晩飯となった。

 実家に居た時とは全く違い、甘える事ができない辛さはあるが、先生は適度に厳しく、奥さんは勉強以外は凄く優しかった。

 俺は反抗的な思いも正直あったが、俺を信頼して預かってくれている先生と奥さんを思うと、とても反抗的な態度は取れないのだ。

 俺は反抗的な思いがした時は、必ず一呼吸する事を覚えて、気持ちを落ち着かせるように心掛けていた。

 おかんからは、「先生と奥さんに対し、感謝を忘れるな」と言われ、俺は素直に先生と奥さんに感謝し生活すると決めていた。


 暑い夏がやって来ると野球も盛んになってきた。週一回の対外試合が毎週のように組まれていて、必ずどこかのグランドへマイクロバスに乗り、練習試合をしていた。

 昼飯の弁当は毎回大石先生の奥さんが持たせてくれ、本当に美味い弁当で毎回弁当を食べるのが楽しみで励みになっていた。

 中学になり初めての対外試合では途中から八番でショートを守っていた。

 監督から「思い切って行け!」と言われていたので、打順が廻って来たら気合が入り、興奮していた。

 俺は全く気づかなかったが、大石先生と奥さんは試合を見に来ていたらしい。

 俺は打席に入り、甘く入って来た球を思い切り振り切ると会心の当たりで左中間を抜ける二塁打となった。監督から「ナイスバッティング」と声を掛けられた。

 試合は二点差のままチームは負けてしまったが監督から「ハル、今度の試合はスタメンで行くぞ!」と予告をされた。

 俺は興奮して初めて身体が震えた。

 帰宅後は大石先生と奥さんは「お帰り」と喜んで俺を迎い入れてくれた。

 大石先生は「バッティングはまあまあだ」と言い、守備の事は「三塁寄りの打球の捕球はもっと練習した方がいいな」と話した。

 俺は「先生、見に来てたの?」と言うと先生は苦笑いし、奥さんは大笑いして「さあ、いっぱい食べてネ」と大好きな唐揚げと山盛りのキャベツの千切り、苦手な酢の物とマンガ盛りのご飯に味噌汁が運ばれ食卓に並んだ。

 ちなみに俺の身体は身長が百七十八センチで体重が六十八キロだ。毎日走っての通学で足腰は鍛えられ、先生宅の庭にある鉄棒で毎日懸垂をして上腕も鍛えていた。

 

 翌週末、対外試合のためマイクロバスで出掛け、現地のグランドで身体を解していた。

 監督が皆を呼び寄せ、スタメンを発表したのだ。「三番ショート、ハル」と「え!三番なの?」となった。コーチが俺のそばに来て「監督が楽しみにしていたぞ」と話し掛けてきた。俺は「何かプレッシャーだな」と思いながらも気持ちを切り替え「練習試合だし、まあいいか」と思うと気持ちが軽くなった。

 試合が始まり、俺はレフト線ギリギリのタイムリーツーベースヒットを打ち、次の打席もセンター前に打ち返したりと満足のいくバッティングだった。

 監督やコーチから「ハル、ナイスバッティング」と言われ、ハイテンションになっていた。試合が終わり、マイクロバスの乗り、先生宅に帰宅した。

 今日は大石先生夫妻は用事があり、試合は見に来れなかったようだが、監督から電話で俺の事を何もかも聞いていたようだ。

 先生は一言「打撃は力んではいけない」と話していた。先生は「打撃の基本を忘れないよう。忘れたらいつか悩む時が必ずやって来る」と話した。奥さんは「さあご飯をお食べ」とマンガ盛りのご飯と美味しそうなハンバーグが大きな皿にたくさん載っていた。

 俺は飯を喰いながら先生の言葉を何度も何度も繰り返し、「調子に乗って大振りしていたかな?」と頭の中で考えていた。

 翌日、グランドでの練習で素振りをするのだが昨日先生が話していた「打撃の基本を忘れるな」を思い出しながら両脇を締め素振りをし、軽く打撃練習と守備練習をしてから帰宅した。コーチから「ハル、たまに両脇が甘くなる」と言われるのはバッティングの時、力んでしまうからだと改めて思っていた。


 十月には市内の軟式野球大会があり、一回戦から出場する事になった。土日曜日のみの開催で一日二試合行われる時もあった。

 昨年、俺達のチームはベスト八だったとコーチは話していた。

 監督から「ハル、三番ショートだ」と言われ一年生で試合に出ているのはもう一人八番でライトを守る「ケン(タロウ)」が居た。

 小学校は違うが、肩が強く将来ピッチャーで使いたいと話していた。身長も百八十五センチとデカい。

 俺達は試合前に身体を解し、守備練習をしていた。

 一回戦の試合が始まり、俺達のチームは後攻なので俺はショートの守備に着いた。

 俺達は連打で点を入れ、ピッチャーは三人の継投で一対五と快勝した。

 続く二回戦もいい所でヒットが出て点を入れ、二対四で勝ち、来週の三回戦に進んだ。

 俺はこの日二試合での打撃はまずまずだった。監督から「コンパクトないいバッティングだった」と言われ、コーチにも「その調子だぞ」と励まされた。

 帰宅して先生から特に何も言われなかったが、何も話してこないのも気になるが、奥さんは「お父さん、今日の試合こっそり見に行ってたのよ、凄く喜んで帰って来たんだから」と話していた。

 俺から見たら先生は特にいつもと変わらないが何も言わないという事はそういう事なんだと思っていた。

 俺が寝ようとすると先生が「これ使いな」新しいバッテグロを二組くれた。

 「有難うございます」と言うと先生は右手を上げリビングに去って行った。

 翌週末、三回戦は十時開始でグランドの周りはいつもより観客が多い気がした。

 監督が今日のスタメンを読み上げると二番

ショート、ハル」と言うので「え!」となった。コーチが「ハルは得点圏打率が高い」と話し、出塁率のいい一番と俺とで多く得点を入れようと考えているようだ。 

 俺は少し弱気になっているとコーチから「先週の試合のように力まず打てばそれでいい」と背中を押してくれた。

 試合は始まり、先攻だったのですぐに打順が廻って来た。

 俺は初球をライト前にヒットし、後続もヒットが続き初回から二点が入り、中盤もヒットを重ね、終盤はケンがリリーフで投げ、結果は七対〇と快勝だった。

 午後から準々決勝となり、俺はニ番ショートだ。この試合は投手戦となり、六回まで0対0となかなか点が入らない試合だった。

 しかし、両チーム共ヒットや盗塁、バント等で一点ずつ入れ始めた。

 ケンはライトを守りながら肩を作り、七回に二番手ピッチャーとして登板した。

 最終回裏二対二となり、俺は打席に入りバッテグロに書かれた「基本」の文字を見た。

 相手ピッチャーの内角攻めにツーボール、ツーストライクとなったが、五球目の少し上ずった球をライトに打ち返すとヒットになり守備がゴチャついている間に二塁に走った。

 六番がセンター前ヒットで三・一塁となりサヨナラに期待の掛かる七番がフォアボールで満塁となり、八番のケンがフォアボールで押し出しの一点が入り、ゲームセット。

 三対二で来週の準決勝に進んだ。

 どちらが勝っても負けても僅差の試合だった。帰りのバスでは皆居眠りする程疲れ切っていた。

 先生宅に帰宅し、先生に報告すると「上出来、上出来、来週は悔いの無いよう思いっきりやってこい」と言われた。

 その訳は、来週戦うチームは強豪校で昨年の準優勝チームらしく、先生は勝てないだろうと予想していたと思う。

 翌週末、準決勝が行われた。

 先生は「相撲に例えたら横綱と前頭だ」と話していたが、奥さんは「金星だってあり得るわ」と少しの望みもあると言って送り出してくれた。

 グランドに着くと相手チームは到着していて監督同士が挨拶をしていた。

 相手チームは一見普通に見えるが練習を見ると「やっぱ違うぞ」となった。

 スタメンでは俺が二番のショートで試合開始となり、先攻だった。

 俺はいきなりデットボールで出塁し、後続がライト前ヒットとセンター前ヒットで一点入るが、その後は全く打てず、相手チームは七回表で四点を入れ一対四だ。

 俺達は万事休すかと思いきや八番・九番・一番のヒットとフォアボールで満塁となり、俺は右中間ど真ん中をウェンスに向かって打球は転がり、三点タイムリー二塁打となり、四対四の同点になった。

 その後、相手ピッチャーが交替になり、俺達は四番・五番・六番がヒットとデットボールで満塁となり、七番がフォアボールを選んで押し出しサヨナラ勝ちとなった。

 「来週は決勝だ!」と監督は言い、次の二試合目の勝者が来週の決勝の相手だが、監督は皆に「試合見て行くか?」と言うが、俺達は腹が減って、疲れ切っていて、悪気は無いが誰も返事しなかった。

 コーチの一人が俺達の事を察してくれ、早々にバスに乗り帰る事ができた。

 正直、勝てる相手でもないのに偶然運良く勝ったので精神的にも肉体的にも疲れていてここまで毎週緊迫した試合をした事が無い俺達だからいくら若くてもかなりキツかった。

 バスの中で皆おにぎりを頬張り、ほとんど全員が爆睡状態だ。俺は、先生の家の近くに着いてコーチに起こされたくらいなのだ。

 「ただいま」と家に入るや否や奥さんが「凄かったんだネ」と言う。

 返す言葉がすぐに出なくて「ハイ」としか言えなかった。

 先生は「お疲れさん、キツかったろう」と労ってくれ、疲れていたが嬉しかった。

 何かホッとして、「腹減った」と口に出てしまい「ヤバッ」と思ったが先生も奥さんも大笑いして晩飯にしてくれた。

 

 ついに決勝の日がやって来た。

 体調は良く今までの疲れは無かった。

 グランドに着くと相手チームは軽いランニングをしていた。俺達のチームも軽く身体を解し、ランニングとキャッチボールをするのだ。監督が皆を集め、今日のスタメンを発表する。「二番ショート、ハル」と言われ、「打席が多く廻る打順だ」と気合を入れた。

 今日は大石先生夫妻が応援に来ると話していたし、おとんとおかんも見に来るらしい。 

 「おとんが応援したら声デケェし何かイヤだなあ」と思っていた。

 試合が始まった。俺達は後攻で守りに着き相手チームは三年生ばかりのチームだがあまり迫力は感じなかった。

 しかし、打球に力強さを感じ、ショートに来る打球は捕球するとグラブが持って行かれそうにもなった。

 俺は「負けてられねえ」といつもより気合が入っていた。

 初回表は三人で攻撃が終わり、裏の攻撃は俺の番が廻って来た。

 一番はフォアボールで、俺と三番、四番のヒットで二点を入れた。

 三回には相手ピッチャーが交替となり、俺達はヒットの連打で更に二点を入れ、五回裏が終わり0対四となった。

 六回表にはケンが登板し、重圧からか球が上ずる場面も見られたが、ケンは三者凡退に打ち取り、七回表は落ち着いた投球を見せ、二人を三振に取り、最後の打者をキャッチャーフライに仕留め、試合は0対四で俺達のチームは優勝してしまった。

 監督は皆を集め、「正直、決勝でこれだけ良い試合をするとは思わなかった。良く頑張った、お疲れさん」と話し、表彰式を終えてバスで帰宅した。

 翌日の日曜日の昼に父兄や監督・コーチ・選手達との祝賀会があり、凄いごちそうがテーブルに並んだ。俺達は好きな物をたらふく食べ腹パンで座っていると、大石先生夫妻やおとん・おかん・兄いが来てくれて、「良く頑張ったな、ハルはMVPじゃねーのか」とおとんが皆を笑かしていた。

 大石先生も「ハルは中学でここまでやれるとは正直思わなかった」と話しており、奥さんは、「やったネ、大金星よ。あとは勉強だネ」とチクリと来るのだ。これにはおかんが大笑いしていて「笑いゴチャないよ」と俺はおかんに言うと「勉強もきちんとせにゃいかんよ」とおかんにも言われた。

 先生とおとんはご機嫌でお酒を呑み、大笑いしていた。

 祝賀会もお開きとなり、それぞれ帰って行ったのだ。おとん・おかん・兄いと別れ、俺は大石先生宅に帰って行った。

子供達や子供を持つ大人にも野球を好きになって欲しくて、私なりの世界観をもって描いているものです。興味を持っていただけると幸いです。

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