訳ありヒーラーは、ポンコツ勇者を邁進させたい
「初めまして。俺が勇者ロドリックだよ。ええと……勇者って言っても、仲間も他にいないし、万年ブロンズランクの落ちこぼれだけど……」
アルカ公国の南部に位置する都市スドリカは、今日も朗らかな陽射しに包まれている。
街の中心に位置するカフェテリアのテラス席にて、目前の落ちこぼれ勇者は、恥じ入るように微笑んで、双眸を細めた。
ソフィアが相対した勇者ロドリックは、相当な美丈夫だった。
日に煌めく金糸の髪。白磁の如き肌。全体に淡い色彩を湛える中に、藍玉に似た瞳の濃い青が、優しくも鮮やかだ。背は高く、傍目にも真面目に鍛え上げているのがわかるしっかりとした体つきをしている。
加えて、こうして相対していても物腰も柔らかく、ブロンズランクにありがちな素行の悪さとも無縁の様子。
見目と人柄だけではない。勇者に選ばれてからしばらくの間は、ゴールドランクの名だたる勇者たちにも引けを取らない活躍ぶりを轟かせてさえいた。当時の勇者たちの交流試合(勇者たちにとってはスポンサー集めの場でもある)での好成績も、記憶に新しい。
当初は、『最強の勇者』に最も近い人材として注目を浴びていた期待のルーキー。
にもかかわらず、彼が万年底辺勇者から抜け出すことができずにいる、その理由はーー。
「ええと。ソフィア、だったよね? 大丈夫? もしかして、具合が悪かったりする……?」
考え込むソフィアへとかける言葉も、(やや遠慮がちすぎるきらいはあるが)気遣いに溢れている。
ソフィアは、ニコリと微笑んでみせた。
「いえ、問題ありません。本日よりよろしくお願いしますね、ロドリックさん」
いけないいけない。
信頼関係をきちんと築くためにも、良い印象を抱いてもらえるよう努力しなくては。
ソフィアには、胸に座す『計画』を滑らかに進め、成し遂げる必要があるのだから。
*****
アルカ公国は、長年、増え続ける魔物による被害に苦しめられてきた。
中でも厄介なのが、魔物が在る所に発生する瘴気だ。
それは、簡単に言ってしまえば人体に有害な毒である。魔物の数が増えれば瘴気もまた増え、人々や動物の健康、果ては植物の生育にまで重大な被害をもたらす。
神聖魔法に優れる聖女たちによる瘴気祓いも、無限に湧き続ける瘴気の前には根本的な解決には当然なり得ず。また、彼女らの力も国の隅々まではとても及ばず。アルカ公国は、瘴気による害で壊滅寸前にまで追いやられた。
そんな中、魔物の数を減らし国民に安定と安寧を取り戻すべく、先代の王が導入したのが勇者制度だ。
適性を測る厳正な試験を実施し、一定以上の力を有する人間を勇者に任命して魔物退治を任せる仕組みである。
代わりに勇者たちには、国庫から相当の報酬を支払うことが定められている。
辺りの瘴気量を左右する指定災害級魔物を討伐すれば、追加褒賞も与えられる。
国のために励む者もいれば、報酬の高さに釣られる者もいるが、人気の職業なのは間違いない。
勇者制度によって、アルカ公国は逆境から立ち上がった。
しかし今もなお、魔物と瘴気による被害が絶えたわけではない。あくまでも、状況が改善したに過ぎないのだ。
ソフィアは、勇者をサポートする癒し手としてロドリックのパーティーに志願した。
武器の扱いも、体術や攻撃魔法も、実戦で使えるレベルまでは到底足りない自覚はあるが、神聖魔法の扱いにだけは自信がある。
瘴気をほんの僅か中和する、或いは少しばかり心身の不調を癒す……といったささやかな奇跡を操る低ランクの癒し手でも、神聖魔法の需要の高さと希少性故に重宝されるのが今のアルカ公国だ。
お陰で、こうして目当てのパーティーに難なく潜り込むことができて、有り難い限りである。
「ほんとに夢みたいだよ。まさか、癒し手さんがパーティーに加入してくれるなんて」
「私も、此度のご縁をとても嬉しく思っています。……ところで、今後の活動についてですが!」
ソフィアは、事前に準備していた資料あれこれをテーブルの上にズラリと広げた。
「この辺りでは、現状、スライムや角ウサギ退治くらいしか依頼が出ていないようですね。勿論これらも大事な仕事ではありますが、後進の育成のためにもここは新人に譲り、ロドリックさんの実力に合った魔物の退治にあたるのが良いかと。個人的には、ゼブ島のドラゴン辺りがオススメです。ご存知かとは思いますが指定災害級魔物ですね。船代は必要ですが旅程が短く、ベストに近いコンディションで対象と相対することが可能かと……」
「ちょ、ちょっと待って!」
ロドリックが、慌てた様子でストップをかける。
気づけばソフィアは、熱が入ったあまりに、ぐいと身を乗り出してしまっていた。
何事もなかったかのように姿勢を正しながらも、ソフィアの心中は穏やかではない。
「……失礼しました。勿論、決定権はロドリックさんにあります。あくまで私見を述べたまでだと捉えていただけると有り難く……」
「あのね、ソフィア」
ソフィアの弁明を遮るロドリックの声が固い。
これは、早速やってしまったか? 空回りがすぎて初日でパーティーをクビになるだなんて笑えない。
ぐるぐると思考するソフィアの目を、ロドリックは真っ直ぐに見つめ、やがて、意を決したように口を開いた。
「ゼブ島には行けないんだ。というか現状、俺はこの街を出ることも叶わない」
「え……」
パーティー追放を告げられなかった安堵を、別の不穏の影が覆う。
ロドリックはいかにも辛そうに目を逸らすと、
「お金が、ないんだ」
呻くように低く小さく、そう零した。
*****
「嫌だ! 待ってソフィア! 君ったら正気じゃないよ!」
縋りつくロドリックの顔を、ソフィアはぐいと押しやった。
「正気じゃないのは貴方の方です! こんな無駄遣いばかりして、それで資金不足だなんてふざけるのもいい加減にしてください!」
「だからって、勝手に売ろうだなんて横暴じゃないか!」
カフェテリアから程近くに、ロドリックが長らく滞在している宿屋は位置していた。
与えられているのは、小さく簡素ではあるが、安全かつ清潔な、中々に良い部屋だ。
……ロドリックの荷物が、部屋中に溢れてさえいなければ、だが。
「話せばわかる! 話せばわかるったら! 例えば、ほら、コレ!」
ロドリックは、手近な本を手に取った。
分厚い、ボロボロの一冊だ。
「これは、貴重な収納魔法の魔法書だよ! 習得できれば、勇者としてあちこちを回るのにも絶対役に立つ!」
ロドリックの深い青色の瞳が、キラキラと輝いている。
ソフィアは、深く息を吐いた。
「できるんですか?」
「へっ?」
「習得できる見込みはあるのかと聞いています。適性がない場合、収納魔法習得の難易度は極めて高いはずですが」
尋ねれば、ロドリックはついと目を逸らし、
「それは……まだ読めてないからわからないけど……」
「売りましょう」
「やだあああ!!!」
ブロンズランクを抜け出せない原因はこれかと、ソフィアはため息を吐く。
いくら強くとも、旅に出るための最低限の資金すら溶かしてしまうのでは、実力を発揮するどころではないだろう。
愛想良くして信頼関係を築こうというソフィアの策は、早くも頓挫してしまった。
「今更ですが、その鎧も高級品ですよね。身の丈にあった物とは言えないのでは?」
「いや、これはドワーフの名工が手掛けたオリハルコン製の鎧に、エルフのまじないを施した貴重な逸品で……」
「なら高く売れますね」
「やだあああ!!!」
チッ。ソフィアは舌を打った。
自分の懐事情すら鑑みられないこの体たらく。最早、笑顔の仮面を貼り付けている場合ではない。
「あのですね。貴方は勇者なんですよ?」
めそめそとする落ちこぼれへと、叱咤の声を投げる。
「優先順位というものを覚えてください! 立派な鎧があったとて、人々を救えなくては本末転倒、何の意味もないでしょうが!」
ロドリックが目を見開く。
ああもう、知ったことか!
「しっかりしなさい! 貴方は身の程知らずの蒐集家ではなく、国民の希望を背負った勇者でしょう!」
しん、と沈黙が落ちる。
ロドリックの青の双眸にじいと見つめられて――本日二度目の「やってしまった」という後悔が、ソフィアの胸を今更に襲った。
「あー……。ええと、その……」
意味を成さない呟きを零した、その時。
不意に、ロドリックはソフィアの顔から眼差しを逸らすと、ロドリックは目元をぐいと拭った(この勇者、なんと本気で泣いていたのだ)。
それから、口元を引き結んで立ち上がり、
「……売りに行こう。本も、鎧も、全部」
と、キッパリと言い切った。
「ソフィア。その……手伝って、くれるかい?」
*****
「ねえ、ソフィア。本当に、これで大丈夫……?」
ロドリックが、不安げに眉を下げる。
オリハルコンの鎧は、想定を遥かに超える額で売れた。貴重な品であるあまりに、買取を終えるまでには時間を食ったが、上々の収穫だ。
魔法書の山の買取額はそれと比べてしまうと大した額ではなかったが、それでも、ゼブ島へ向かう旅費の足しには十分だ。ロドリックもソフィアも魔法の専門家ではないために買い叩かれた可能性もあるが、今できる最善は尽くした。
そうして今、身軽になったロドリックは、火吹きトカゲの鱗を加工した軽鎧を身につけている。
「問題ありません。火吹きトカゲの鱗は、ドラゴンの炎だって寄せ付けませんから。物理的な攻撃にも強く、しかも、軽くて丈夫です」
「でも、魔術の類には弱いでしょ?」
ロドリックの認識に間違いはなく、しかしソフィアは、その点を問題だとは感じていない。
「ゼブ島には魔術を操る魔物は巣食っていませんから。必要十分な品ですよ」
だけど、とロドリックの口が動きかけて、しかし彼は、その言葉をギリギリのところで飲み込んだようだった。
「……そうだね。できることから、やっていかなくちゃ」
半日ばかりの付き合いではあるが、真っ直ぐさは、ロドリックの美点だ。
勇者とは人を救うものだと高らかに語ってしまったが、ロドリックの目的が人助けとは無縁である可能性もあったのだ。金のため、生活のために勇者業に励む者も当然いる。
しかし、ロドリックはソフィアの演説を、至極素直に受け止めてくれていた。
「――さて。あとは、船の確保ですね。ゼブ島はドラゴンの住処ですが、縄張りにさえ踏み込まなければさしたる危険はない言われています。レーネ港行きの船なら、途中で下ろしてもらう交渉も可能かと……」
突然、ロドリックの足がぴたと止まった。
深い青の双眸が見留めるは、道の脇に蹲る白髪の御夫人だ。
「あの、大丈夫ですか?」
善意の塊たるロドリックが、躊躇いなしにそちらへと歩み寄る。ソフィアも自然、その後に続いた。
*****
御夫人の話によると、彼女は瘴気が齎す病に長らく蝕まれているのだという。
「治療薬はねえ、とても手が届かなくて。痛み止めも決して安くはないし……」
御夫人の悩みは、この国の多くの人間が抱えているものだ。
国中を覆う瘴気の毒。それが呼ぶ病の罹患者は数多。
薬類はただでさえ需要過多だというのに、危険な魔物共の存在が材料の確保を困難にし、薬の値段は釣り上がる一方の泥沼だ。
一見平和に見えるスドリカでさえも瘴気の害と無縁ではなく、問題解決のためには、多くの指定災害級魔物を討伐し、瘴気量を地道に減らしていくしかーー
「じゃあ、俺が薬を買ってーー」
「いやいやいや!!!」
今にも駆け出しそうなロドリックの肩を、慌てて掴む。
ソフィアは、御夫人に小さく頭を下げると、ロドリックを少し離れたところまで引っ張っていってから、小声で囁いた。
「何を考えているんですか!? 瘴気病の治療薬が、今、どれくらいするのかわかってます!?」
「鎧を売ったお金があるでしょう?」
「そりゃあ、今日の分の薬は買えますよ? ゼブ島への旅費だって余裕で残ります」
「だったら……」
「ロドリックさん。病の治療には時間がかかります。毎日の薬代を、丸々捻出するつもりですか? それに、瘴気の害に苦しむ人は、この街だけを見ても、何十、何百人といるはずです。偶々出会ったばかりのただ一人を救うために、魔物退治を諦めて、多くの人を犠牲にするのが良い方法だとは思えません」
言い切る。健全な、理に適った主張だという自信があった。
けれど、ロドリックは今度は頷かず、
「……でも、目の前で苦しんでる人を放ってはおけないよ」
と、眉を下げ、しかし、確かな響きで言い切った。
ソフィアの唇を、深いため息が揺らす。
「やはり……美点ですね。貴方の真っ直ぐさは」
自分とは違う。
そして、だからこそ彼は、ソフィアが持つ全てを賭けるに相応しい。
「ここは私に任せてください」
顔を上げたソフィアの意図を察しかねてか、ロドリックの眼差しが揺れる。そんな彼へと、ソフィアは明るく微笑みかけた。
「私とて、勇者パーティーの一員ですものね」
ソフィアは御夫人へと歩み寄ると、
「大丈夫。すぐに良くなりますからね」
膝をついて、手を組み合わせた。
そうして、祈る。
力ある癒し手の祈りは、光となって、神の元へと至ると言われる。目を瞑っていても、白き光の柱が天へと高く昇るのを、その輝きの清浄さを全身が感じ取った。
我らが神よ。
この地に祝福を齎し給え。
痛みを拭い、病を除き。
人々に、安寧を。
シンと、空気が冴える。
しばらくの後、ソフィアは手を解き、目を開いた。
「息が……苦しくない……?」
御夫人が呟く。
辺りには、清き光の粒が、まだ降り注いでいる。
「神聖魔法だけは得意なんです。これで、少なくとも数ヶ月は、スドリカの大地は安泰だと思いますよ」
「ソフィア。君は……」
呆けたような顔をするロドリックへと、ソフィアは微笑んだ。
「さあ、勇者ロドリック。これで、憂いは晴れましたね」
*****
ゼブ島へと向かう船の上。
エメラルドグリーンの水平線をぼんやりと眺めるロドリックに、
「船酔いは落ち着きましたか?」
ソフィアは、サッパリと声を投げた。
「君……じゃなくて、貴女の魔法のお陰で随分良くなったよ。ありがとう、ソフィア……さま」
「あの、それほんとやめてくれませんか」
「うーん。そうは言っても……ねえ?」
ソフィアは、『元』聖女だ。
人々を、大地を、癒す力は持ちながらも、国が抱える問題を根本からは治癒できぬ己が身のやるせなさに悩んでいた見習い時代に、ソフィアは、ロドリックに出会った。
当時の聖女たちに随行して見学した、勇者たちの交流試合。そこで、ロドリックの戦いぶりを目にしたのだ。
ロドリックの勇姿は、ソフィアに初めて、『勇者がアルカ公国を覆う瘴気を打ち払う』という鮮やかなビジョンを見せてくれた。
ロドリックの存在を希望としてソフィアは務めに励み、やがて、聖女見習いを卒業して聖女になった。
しかし、勇者ロドリックの活躍は徐々に耳に届かなくなり……焦れに焦れた末に、遂にソフィアは神殿をとび出したのだ。
「そうは言っても、じゃないですよ。私はもう、聖女ではありませんので」
聖女の肩書は捨てた。
己が希望を勇者として邁進させる、その一助となるために。
そしてその選択には、微塵の後悔もない。
「まあ……勝手に神殿を抜け出してきたので、追っ手はかかるかもしれませんが。目立つのは避けたかったのですが、スドリカでは派手にやってしまいましたし」
「ひえ……」
「捕まらなければ大丈夫ですよ。この先数ヶ月分の聖女の務めは先に終わらせてから来ていますし」
「ちなみに、その後は……?」
「その後は、瘴気祓いは必要なくなっているはずですから。これから貴方が、国中の指定災害級魔物を狩り尽くす見込みなので」
「ひええ……」
船酔いに悩んでいた時分よりも顔色を青くするロドリックを前に、ソフィアは笑った。
「まあ、できることから、やっていきましょう。一先ずは、ゼブ島のドラゴン退治ですね」
「……できるかな、俺に」
「できますとも。私が保証します。だからーー」
手を差し出す。
ソフィアの胸には、確かな覚悟と、それから希望が宿っている。
勇者ロドリックの歩みを支え、彼と共に、この国を救うのだ!
「改めて、よろしくお願いしますね、ロドリックさん」
「……うん。こちらこそ、よろしくね」
ロドリックが、ソフィアの手を握り返す。
船は、ゼブ島に向けて迷いなく、揚々と進んでいた。




