第6話 記憶の断片:由佳の証言と深まる謎
黒革のソファに深く身を沈めた由佳は、まるで深い霧の中から手探りで真実を探すように、おぼろげな記憶を紡ぎ始めた。その声は、時折途切れ、弱々しく響く。
「私は1週間前、アルバイトが終わって家に帰る途中、誘拐されました」
上司の言葉が、その断片を補完するように問いかける。
「あなたの記憶が無くなったのも、その時に?」
由佳は静かに頷き、再び言葉を選びながら続けた。
「多分、そうですね。私が誘拐された時には、たくさんの人が部屋にぎゅうぎゅう詰めにされていて、毎日一人一人、別の部屋に連れて行かれて……その後は……わかりません」
彼女の声は震え、瞳には今にも零れ落ちそうな涙が浮かんでいた。その表情は、失われた記憶の闇がどれほど彼女を苦しめているかを物語っていた。
上司は、その痛々しい表情を見て、優しく由佳の言葉を遮った。
「もう話さなくていいわ、ありがとう。それよりあなた、私の家に来なさい」
由佳は一瞬、驚きに目を見開いた。その提案は、予期せぬ温かい光のように彼女の心に差し込んだ。
「え……いいのですか?」
「えぇ。あなたを守らないといけないからね。さあ、行きましょう」
上司は由佳の肩に手を置き、促すように部屋を出ていった。その背中には、厳格なM.I.B.の幹部とは異なる、深い人間性が垣間見えた。
「おい、待てよ」
ファクタルが、勢いよく事務所を飛び出した犬飼の後を追いかける。信号機が赤になり、犬飼は立ち止まった。その背中は、深く俯いており、まるで重い十字架を背負っているかのようだった。ファクタルがそっと肩を叩くと、犬飼は身体ごと後ろに振り返る。その瞳には、かつての迷いはなく、燃えるような決意が宿っていた。
「あいつらを捕まえるぞ。あいつらを捕まえて、由佳の記憶を取り戻す。絶対に」
犬飼の拳は、固く握りしめられ、その視線は遥か遠くの、しかし明確な標的を真っ直ぐに凝視していた。
ファクタルもまた、犬飼と同じ気持ちだった。由佳の記憶がこのまま戻らないままになったら……その想像は、彼の胸を締め付け、想像するだけで辛くなった。異星人である彼にとっても、人間の「記憶」というものが、どれほど尊いものであるかを痛感させられていた。
「はぁ……また始末書、書かないと」
ファクタルの冗談めかした溜め息に、犬飼は小さく「すまない」と呟く。
「いつものことだろ」ファクタルは苦笑いを浮かべながら言った。「で?どうやって奴らを捕まえる?」
犬飼は、彼らが入ってきたばかりの事務所が入る雑居ビルを一瞥した。彼の脳裏には、先ほどの上司の言葉がこだましている。
「上司か、由佳なら、何か奴らに繋がる情報ぐらい知ってるはずだ。聞いてみよう」
「あぁ……そうだなぁ」
ファクタルも同意し、二人は来た道をUターンして、再び事務所へと歩き出した。彼らの足取りは、先ほどとは打って変わり、確固たる決意に満ちていた。それは、単なる任務の遂行ではなく、愛する家族と、人間の記憶という尊厳を守るための、新たなる戦いの始まりだった