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太ったからって、いきなり婚約破棄されるなんて、あんまりです!でも、構いません。だって、パティシエが作るお菓子が美味しすぎるんですもの。こうなったら彼と一緒にお菓子を作って、幸せを掴んでみせます!

作者: 大濠泉

◆1


 私、ロマーナ・カリタス伯爵令嬢は、グラント公爵邸に招かれ、婚約者と食事を共にした。

 その直後のことーー。


 婚約者のワーナー・グラント公爵子息から、いきなり言われてしまった。


「僕は、ぽっちゃりした子は好きじゃない。

 スリムな女性が好きなんだ。

 君は最近ぶくぶく太ってきて、僕とは釣り合わない。

 このままだったら、僕は君とは付き合えないよ。

 君を捨てることになる。

 そこをよく考えて、ダイエットしてもらえないかなぁ」


 たしかに、今、私の目の前には、幾つもお皿が重ねられてる。

 ケーキやクッキーなどのお菓子を食べまくった証拠だ。


 私は慌ててナプキンで口許を拭きながら、


「そんなに太っては……」


 と口ごもる。


 でも、ワーナー公爵子息は容赦ない。

 パチンと指を鳴らして、執事に一着のドレスを持って来させる。

 真っ白な布地に、花の刺繍があしらわれた、清楚な感じのドレスだ。


「僕はこのドレスを君にプレゼントしようとしてたんだ。

 でも、見たところ、君、このドレス、着れなくなってるでしょう?

 以前、お会いしたときを参考にして、ちょっとスリムに採寸したんだけど。

 これを着てもらった君を舞踏会にお誘いしようと思ってたのに、君がそんな身体じゃあ、僕は一緒に連れて行くのが恥ずかしいよ。

 人前で一緒に踊れないじゃないか。

 あと十キロ、一ヵ月後までに痩せないと、婚約破棄だからね」


 婚約者のワーナー・グラントは、一目見ただけで、女性のバスト・ウエスト・ヒップを計れてしまうという、(要らんお世話な)特技を持っていた。

 しかも、バルド王国の筆頭貴族グラント公爵家の人々は趣味の良さで有名で、一流品しか身につけないし、一流のご令嬢しか相手にしないといわれている。

 

 ロマーナ伯爵令嬢は、ポロポロと涙を流す。


「そんなこと、いきなり言われても……。

 私からお菓子を取ったら、何も残らないの。

 私の生きていく希望は、お菓子なの。

 お菓子がない暮らしなんか、一日だって考えられない。

 貴方のことは好きだし、これからも恋人でいたいと思うけど、私、考えちゃう……」


 婚約者が泣いても、ワーナー公爵子息は凄むばかりだった。

 ドンとテーブルを叩く。


「僕に恥を掻かせる気か。

 だったら婚約破棄だ!」


 ロマーナ伯爵令嬢は両手で顔を覆って、身を強張らせる。

 そのとき、いきなり横合いから、甲高い声が響いてきた。


「マジ!?

 マジでお嬢さん、もう来られやあせんのきゃ?

 ったく、とろくさいこと言っとりゃあすな!」


 ロマーナ嬢は顔をから手を離し、目を見開いた。

 ビックリした表情で、テーブルの傍らに立つ男性に目を向ける。

 今までケーキやクッキーなどのスイーツをお皿に載せて給仕していたパティシエだった。

 

「なに? その言葉??」


 驚くロマーナ嬢に、ワーナー公爵子息が吐き捨てる。


「コイツ、田舎育ちで、方言が抜けんのだ。

 中部地方のナーゴヤとかいった……我がグラント公爵領の辺境だ」


 主人から酷い紹介をされても、このパティシエ君は意に介さないようだ。

 そればかりか、身を乗り出してテーブルを叩き、主人に宣言した。


「この、たぁけが!

 だったら、俺、この家のお抱え、辞めやあすで!」


「はあ?」


 さすがに、主人のワーナーも呆れ顔になる。

 どうやら、「ロマーナ伯爵令嬢が婚約破棄されるのだったら、俺はグラント公爵家のお抱えパティシエの職を辞める」と言っているらしい。


 婚約者ふたりが揃って、パティシエの方に目を遣ったが、パティシエはロマーナ嬢にだけ暖かい視線を向けて、胸を張った。


「俺の名前はオーワリィ・ミノ。

 このグラント公爵家のパティシエをやっとりゃあす。

 でも、ここん()の人は、俺が作ったお菓子やデザートを残してばっかだがや。

 仕方なく食べ残しを破棄するんやが、捨てるんが、心苦しくてしゃあない。

 けど、この婚約者のお嬢様は、俺のお菓子をいつもきれいに平らげてくれるでよぉ。

 俺、もう、嬉しくて、嬉しくて。

 二十個出しても二十個も平らげてくれやあすお方は、お嬢様しかおりゃあせん」


 ロマーナ伯爵令嬢はニッコリ微笑む。


「あなたが、この家のお抱えパティシエなのね。

 そうなのよ。

 あなたの作ったお菓子、美味しすぎて、ついつい食べ過ぎて、全部食べて。

 おかげで七キロも太っちゃったのよ」


 ちょっと頬を膨らますロマーナ嬢に対して、パティシエのオーワリィは頭を掻く。


「お嬢様が、マドレーヌをめっちゃ旨そうに頬張るんで、サービスで、バターとか卵を、めっちゃ入れたで。

 クッキーもめちゃ甘いのを作って、太らせてしまったんは、たしかに俺の責任だがや」


「でもほんとに、あなたのお菓子のない人生なんて、考えられないわ!

 ワーナー様にお会いするより、あなたが作ったお菓子が食べたかった。

 そこに気がつきました!」


 このとき、ロマーナ伯爵令嬢は、お菓子が好きで、グラント公爵邸に毎日通ってたことに気がついたのであった。


 その発言に、パティシエのオーワリィは咽び泣いた。


「めっちゃ嬉しくて、かなわんがや。

 お嬢様ほど、俺のスイーツ作りを理解してくれた方はおりゃあせん。

 俺にとっちゃあ、貴重な素晴らしい宝石のような方だがや。

 お嬢様の舌が、いっちゃん確かだで!

 俺は一生、お嬢様のおそばにお仕えして、美味しいお菓子を作りてゃあでよぉ!」


 パティシエが熱い視線をぶつけてくる。

 私、ロマーナはうなずいて席を立ち、ワーナー公爵子息の方へ向き直って、宣言した。


「私は貴方より、このパティシエさんをーーお菓子を取らせていただきます!」


◆2


 グラント公爵邸の門前で、帰りの馬車を待たせている。

 私、ロマーナ伯爵令嬢が馬車に足をかけたとき、声をかけられた。


「ぼっさいカッコで、申し訳にゃあ!」


 パティシエのオーワリィ・ミノだった。

 彼は公爵家のお仕着せを脱いできて、私服で駆けつけてきたのだ。

 ボロボロの格好であることを、詫びているらしい。


 普通なら、寄親貴族の家から出奔し、よその貴族家に仕えるのは、御法度だ。

 しかし、ワーナー公爵子息にとって、オーワリィは無視して構わない人材らしい。

 オーワリィは認可を受け、無事、ロマーナ嬢のカリタス伯爵家に仕えることになった。


 ロマーナ嬢は振り向き、明るい顔をみせた。


「良いのよ、格好なんて、どうでも。

 ぜひ、私の屋敷にいらして。

 あなたのお菓子のない暮らしなんか、私はまっぴら!

 少々、太ったって、構わない。

 今まで通りに、あなたの美味しいお菓子が食べたい。

 ーーでも、今、一緒に馬車に乗ることは出来ないわ」


「身分違いってやつきゃ? これでも、貴族家の出だけど……」


 オーワリィはグラント公爵家に仕えていたが、一応は爵位のある家の息子らしい。

 地方貴族ミノ男爵家の次男だそうだ。


「身分もちょっとは関係するかもだけど、一番の理由は、未婚の貴族子女は異性同士で馬車に同乗できないのよ。

 でも、困ったわね。

 私の屋敷にまで、どうやってお連れしたら……」


「大丈夫だがや。問題にゃあでよ!」


 オーワリィはグラント公爵邸へと駆け戻る。

 しばらくして、奇妙な乗り物に乗って戻って来た。


「それは?」


「ケッタ(自転車)!」


 自転車ーー最近、外国から渡来して、王都で流通し始めた二輪車だ。

 後部座席に、荷物がいっぱい括り付けられている。

 彼の調理道具が、束ねて積まれているらしい。


 オーワリィは、自転車に(またが)る。


「さっそく、お嬢様のお屋敷に行こみゃあ!」


 彼は必死にペダルを漕いで、馬車に伴走した。



 一時間後、カリタス伯爵邸の応接間にてーー。


 オーワリィはとりあえず客人として客間に通され、今はソファで身を横たえていた。

 ハアハア、と息を切らせている。


「えらい(疲れた)でかんわ。ちと休ませやあせ」


 全力で自転車を転がして、疲れたらしい。

 休憩を要求してきた。


 ロマーナ伯爵令嬢は、パンパンと両手を叩いた。


「だったら、ウチで作らせた甘いのを口にして、感想を聞かせて。

 あなたの作ったスイーツを参考にして、ウチの料理人に作らせたの」


 執事がカスタードプリングを持ってくる。


 オーワリィは一口、食べてみる。

 すると、眉間に皺を寄せながら立ち上がった。

 パティシエとしてのこだわりが、疲労にまさったようだ。


「ちと、コワイでかんわ(ちょっと、硬くていけないな)。

 さっそく、お菓子を作りてゃあから、材料をありったけ見せてくりゃあせ」


 食材を確認したいと言うから、ロマーナ嬢は彼を食糧庫に案内した。

 カリタス伯爵家の料理人はお菓子やスイーツの類はからっきしだが、普通の料理には腕が立つし、デザート用の果物も豊富に蓄えてある。

 普段から、食材がぎゅうぎゅうに詰まっていた。

 そのさまを見て、オーワリィは驚いたようだった。


「めっちゃ凄ぇ!

 食いもんがきゅんきゅんだぎゃあ!」


 パティシエは興奮して、主人のロマーナ嬢の両手を握り締め、ブンブンと振り回した。


「食材は、めっちゃある。

 これに、俺のレシピと、お嬢様の舌が加わるでよぉ。

 今までににゃあ珍しいお菓子が、どんどんできるはずだぎゃあ。

 さっそく、作ろまい!」


 倉庫から、食材のほか、グラタンを作る際の器、小さなココットを幾つも取り出す。

 それから、厨房に押し入って、チョコを砕いて溶いたり、イチゴを煮たりして、そのドロドロした液体をココットに注ぎ込んだ。


「砂糖や隠し味の加減が、旨さを際立たせるコツなんだぎゃあ。

 ーーああ、ヤベえ。

 ちゃっと冷やさんとかんで(すぐに冷やさないといけない)!」


 どうも、調理したモノを、すぐに冷やしたいらしい。

 ロマーナ嬢は機敏に動き、肉や魚を保存する氷室(ひむろ)ーーつまりは冷凍庫に案内した。

 すると、またもやオーワリィは、大はしゃぎになった。


「なんつー立派な氷室だぁ。

 任せやあせ!

 ご家族の方々だけじゃにゃあ、お屋敷にお仕えしとりゃーすみんなにも、さっそく俺様の腕を見せてやるでよぉ!」


 新任パティシエ、オーワリィの活躍で、晩餐後のデザートとして、カリタス伯爵家にいる人々全員に、様々なスイーツが配られることとなった。


 チョコレートやイチゴのムース、ほかにもタピオカプディングやカスタードプディング、さらに特に評判になったのは、あんずとクリームのココットだった。

 甘酸っぱいあんずと、温かいカスタードクリームを小さなココットに入れ、ピーナッツをかけて焼いた、手の込んだスイーツだ。


 ロマーナ伯爵令嬢はメインディッシュそっちのけでスイーツを口にして太鼓判を押した。


「これ、ほんとうに美味しいわ!

 我が家だけで食べるなんて、勿体無い。

 絶対、売れるわよ。

 さっそくお父様にお願いして、お店で売ることにしましょう。

 今日のスイーツは日持ちしないけど、贈答品として売るために、クッキーなんかのお菓子も焼いて売れば良いのよ。

 でも、お父様のような大人の男性を納得させるには、どういったお菓子が良いかしら」


 興奮するお嬢様を前にして、パティシエは満足げな笑顔をみせつつも、


「ちょっと、かんこー(熟考)させてくりゃあせ」


 と言って、腕を組む。

 しばらく考え込んでから、大声を出した。


「やっぱ、メインはケーキだがや!」


 熟考の末、オーワリィが作ったのは、レモン風味の素朴なマディラケーキだった。

 手早く作業した後、クリームを型に入れ、窯で焼く。

 途中から、ロマーナ嬢も手伝う。


「それ、今は、ちんちこちんだで(すごく熱いから)、気をつけやあせ」


 オーワリィの指示に従い、ロマーナ嬢は自分の手で、熱いうちに型から出し、網に乗せて冷やす。

 それから、竹串を刺してみて、筋がつかなければ、焼き上がりーー。


「出来たわ!」


 ロマーナ嬢は額の汗を拭う。

 細長く切ったレモンピールを放射状に乗せて焼き上げた、マディラケーキが完成した。


 これを就寝前の、お父様とお母様に食べてもらった。

 父のカリタス伯爵は、フォークを刺して一口食べると、声を上げた。


「とんでもなく、美味しいじゃないか!」


 隣で伯爵夫人も、両手を口に当てる。


「ほんとうに。甘口のワインと、なんて良く合うんでしょう!」


 両親は、オーワリィをお抱えパティシエにするのを、即座に認めてくれた。


「お店を出したいのですが……」


 と、ロマーナ嬢がおずおずと切り出すと、カリタス伯爵は大きくうなずいた。


「良い考えだ。

 我がカリタス伯爵領には果樹園が多く、さとうきびもある。

 お菓子やスイーツを売り出せば、特産品を活かすこともできよう」


 ちなみに、ワーナー公爵子息から婚約破棄を申し渡されたことは、すでに報せてある。

 父親のカリタス伯爵は、娘、ロマーナ嬢を抱き締めて、


「おまえが気に病む必要はない。

 後の手続きは私がやっておくから」


 と言ってくれた。


 傷心の娘を慰める意味合いもあるのだろう。

 食材集めや出店のための資金を、両親は豊富に出してくれた。


 その結果、半月後に、カリタス伯爵家の領地に一号店を出店し、次いで、そのわずか一ヶ月後に、王都の平民街に二号店を出した。


 どちらの店も、行列ができるほどの有名店になった。

 しばらくして、貴族街に三号店を開こうか、と検討し始めたときーー。


「やったわよ!」


 ロマーナ嬢は、クリームを頬につけた顔で笑った。

 手にした招待状を開き、オーワリィに見せる。


「ついに、王宮から依頼が来たわ!

 王妃様が、『ぜひ噂のスイーツをいただきたいわ』ですって!」


◆3


 バルド王宮の中庭には、色鮮やかな草花に囲まれた四阿(あずまや)があった。

 その王族のプライベート空間に、王妃様の計らいで、特別にロマーナ伯爵令嬢と、伯爵家お抱えパティシエ、オーワリィが招かれていた。


 国王夫妻の前には、二つの大皿があり、大きめのケーキがそれぞれ載せられていた。

 黒くて丸いケーキと、縦長の黄色いケーキだ。


 緊張するロマーナ嬢と異なり、オーワリィが柔らかに微笑みながら、国王夫妻にケーキを紹介した。


「コイツらは、お嬢様が考案したレシピで作ったもんだがや。

 何度もワヤ(台無し)にして、ようやっと出来やあした」


 丸くて真っ黒なケーキは、ザッハ・トルテだ。

 表面をチョコレートが覆い尽くしており、どっしりとした風格があって、艶やかに輝いていた。


 オーワリィが切り分けたモノを一口入れるや、王様は満足げにうなずいた。


「これほど深い味わいのケーキを食べたことがない。

 ワインにも合う、大人の味だ」


 じっくり味わう王様と異なり、王妃様の手は早い。

 甘いモノに目がないからだ。

 彼女はすでにふたつめのケーキを頬張っており、こちらの方がお好みのようだった。


「なんて軽い風味をしたケーキなのかしら。

 口溶けが良くて、爽やかだわ。

 白いメレンゲと、卵の黄身がたっぷり入った生地を組み合わせて、この青くて甘いブルーベリーを挟んでーーあら?

 もしかして、この色合い……」


 王妃様お気に入りのケーキは、黄色い下地に、青の一本線が走るデザインをしていた。


 ここで、ようやくロマーナ伯爵令嬢が、一歩前に出る。


「お気づきですか、王妃様。

 このケーキは、我が国の旗のデザインを模しております。

 我がバルド王国の富を切り分けてお客様に振る舞うーー名付けてバルディナール・シュニッテン」


 王妃様は手にした扇子で、パシンとテーブルを叩いた。


「気に入りました!

 今日より、このふたつのケーキを、王家専用の品といたしましょう。

 よろしいですわね、王様(あなた)


 王様も隣でニコニコ微笑みながら、顎髭を撫でつけた。


「良かろう。

 この真っ黒なザッハ・トルテと、王国旗を模したケーキを、王宮のみで供せられるものとしよう。

 そうだな。外国からの賓客や、我が王家からの特別な贈答品として、指定しても良い」


 ロマーナ伯爵令嬢と、パティシエのオーワリィは、手を取り合って喜んだ。



 国王夫妻が絶賛した、というケーキの評判は、瞬く間に王国中に広まった。

 ロマーナ嬢とオーワリィの店は、まさに〈王室御用達のスイーツ店〉となった。


 おかげで、貴族街に出店した三号店も大繁盛。

 それぞれの店舗の特色を活かしたお菓子も出してみた。

 おかげで、すべての店を巡る常連客も現われたほどだった。



 それから一ヶ月後ーー。


 大勢の貴族たちから「ぜひ、評判のケーキを食べてみたい」との要望を受け、王家が主催する舞踏会において、ふたつのケーキ、ザッハ・トルテとバルディナール・シュニッテンが、お披露目されることとなった。


「あなたにもお誘いが来てるわ」


 ロマーナ伯爵令嬢が厨房に顔を出して、オーワリィに向けて送られた招待状を、ヒラヒラと揺らせて見せる。


「光栄なことだぎゃあ」


 と、オーワリィは、ボールに詰めたクリームをかき混ぜながら答える。


「あら? これはーー」


 ロマーナ嬢は、王家からの招待状以外にも、手紙が届いているのに気がついた。

 ワーナー公爵子息からの書状だった。

 開いて、読んでみる。


「なになにーー。

 来る王宮舞踏会に、婚約者として同伴するから、このドレスを着て欲しい?」


 ロマーナ嬢が後ろに振り向くと、執事が立っていた。

 彼は、以前、ワーナー公爵子息から紹介されながらも、受け取らなかった白いドレスを手にして、広げて見せていた。

 元婚約者は性懲りも無く、ドレスを送りつけてきたらしい。


「今さらよね」


 ロマーナ嬢は、元婚約者からの手紙をビリビリと破り捨てた。



 そして、王宮での舞踏会、開催当日ーー。


 ワーナー公爵子息が馬車で乗り付け、ロマーナ伯爵令嬢をエスコートしに来た。

 彼は貼り付いたような笑顔をみせながらも、ロマーナ嬢の姿を見て、苦言を呈した。


「ドレスを贈っただろ?

 どうして着ていてくれないんだ……」


 ロマーナ嬢は、執事に持って来させたドレスを、ワーナー公爵子息に突っ返す。


「私は婚約破棄されたはずですよね?」


「僕は認めていない」


「貴方から言ってきたのに?」


「ぐっ……!」


 ワーナー公爵子息はうつむき、拳を強く握り締める。


 じつは、ロマーナ伯爵令嬢に婚約破棄を宣言して以来、彼は窮地に陥っていたのだ。


◇◇◇


 一週間ほど前ーー。


 ワーナーの両親であるグラント公爵夫妻が、突然、王宮に呼ばれた。


 そして、国王夫妻とともに、中庭で、ザッハ・トルテとバルディナール・シュニッテンをおよばれした。


「美味しいでしょう?」


 誇らしげに微笑む王妃様に、公爵夫婦は相槌を打った。


「ほんとうに……」


「近頃、評判のお菓子ですな。王宮でしか、いただけないという……」


 彼らが美味しそうにケーキを頬張るのを見据えて、王妃様は扇子を広げて口添えした。


「これを作ったのは、もともとは、あなたがたグラント公爵家が抱えていたパティシエです」


「な、なんと!?」


「ほんとうですか?」


 グラント公爵夫妻は、互いに顔を見合わせる。

 自分の屋敷で、このような重厚な甘味物を味わったことがなかったからだ。

 ふたりの様子を見て、王様が嘆息する。


「これほどの人材を、飼い殺しとは……」


 続けて、王妃様が扇子で口許を隠しながらささやく。


「その天才パティシエによれば、グラント公爵家では、腕が振るえなかったそうですよ。

 方言のせいで『言葉が汚ない』と言われて近づけさせてすらもらえず、ご子息の専属にされた挙句、いくらスイーツを作っても捨てられ続けた、とか。

 グラント公爵家は代々、一流の文化人と自負してきたそうですけど、どうも、あなたがたに、この美味しさが伝わらなかったようですね。お粗末なこと」


 公爵夫婦は身を凝固させる。

 そんな彼らを前にして、王妃様は本題に入った。


「それはそうと、貴方のご子息が、一方的に、カリタス伯爵家のご令嬢ロマーナとの婚約を破棄なされたそうですね。

 カリタス伯爵がお嘆きでしたわ。『娘が不憫で仕方ない』と」


「は?」


「それは、いったい……」


 グラント公爵夫妻は、ふたりして目を丸くする。

 王妃様は改めて、扇子で口許を隠す。


「あら。ご子息から伺っておりません?

 実のご両親なのに、面白いこと。

 ご子息が、ロマーナ嬢との婚約を破棄なさった経緯は、もう、広く令嬢方の間で評判になっておりますのに。

 自慢のドレスを着させるために、『痩せろ。ダイエットしろ』と、ロマーナ嬢に強要なされたとか。

 とても王国貴族紳士の振る舞いとは思われず、耳を疑いましたわ」


 王妃様の隣に座る王様も、憮然とした表情になる。


「愛するご婦人に合わせて、ドレスは縫われるもの。

 断じて、人間の方がドレスに合わせるものではありますまい」


 公爵夫妻は恥入って顔を伏せる。

 その様子を目に止めてから、ようやく王妃様は公爵夫妻を呼びつけた理由を口にした。


「どうやら、ご存知なかったご様子ですわね。

 でも、貴方のご子息の方から言われたことですもの。

 ロマーナ嬢との婚約破棄を認めてあげてくださいましね。

 ほんとうに結婚前に、別れられて良かったですわ。

 価値観が合わないんですからーー」


 グラント公爵家の子息から婚約破棄を言い渡され、カリタス伯爵家では承知しているのに、一向に公的な手続きにグラント公爵家が出てこないので、カリタス伯爵家側が王家に仲介を頼んだのであった。

 このまま宙ぶらりんでは、ロマーナ伯爵令嬢が可哀想だとーー。


 結果、這々の体で屋敷に帰るなり、グラント公爵は息子ワーナーの頬を平手打ちした。


「どうして婚約破棄などと!

 まさか、ほんとうに噂通り、令嬢の容姿にケチをつけた結果なのか!?

 ロマーナ伯爵令嬢は至って健康で、可愛いらしいではないか!」


 赤く腫れた頬に手をやり、ワーナーは涙目で言い訳した。


「い、いえ、婚約破棄は本心ではなく、売り言葉に買い言葉、といったもので、ついーー」


 グラント公爵は床をドンと踏み締め、怒声を張り上げた。


「言い訳は聞かぬ。

 とんだ恥を掻いたぞ。

 妻は今も涙に暮れて、自室から出ようとせぬ。

『母として教育を誤った』と悔やんでおる。私もだ。

 此度の舞踏会で、ロマーナ伯爵令嬢をエスコート出来なければ、勘当だ!」


◆4


 ワーナー公爵子息は窮地に陥っていた。

 なんとしても、今夜開かれる王宮舞踏会でロマーナ伯爵令嬢をエスコートして、婚約破棄を無かったことにしなければ、貴族社会で生きていけないーーそう思い詰めていた。


 一方で、ロマーナ伯爵令嬢は呑気なものであった。

 あれほど高圧的だったワーナー公爵子息が、自分と対峙して緊張しているのが見て取れたので、(あお)るゆとりすらあった。


「どちらにせよ、貴方のドレスは着られないわ。

 私、こんなに太っているんですもの。

 それでもいいの?」


 実際、ロマーナ伯爵令嬢は、婚約破棄を喰らったときよりも、ちょっと太っていた。

 たくさんの試作品のスイーツを口にしていたのだから、当然だ。


 それでも、ワーナー公爵子息は笑顔を貼り付けたまま、片膝立ちになって、右手を差し出した。


「ダイエットしろと言ったのは、君の美しさを愛すればこそ、奮起を促しただけなんだ。

 今度は、君のサイズに合わせてドレスを作るよ。

 お願いだ。僕の手を取ってくれ。

 僕たちは、まだ婚約者同士だよね?」


 ワーナー公爵子息が必死に懇願する。

 にもかかわらず、ロマーナ嬢は首を横に振った。


「いいえ。

 もう、私は貴方の手を取ろうとは思いません。

 あなたの理想のスリムな女性と舞踏会で踊ってください。私には無理よ」


 ワーナー公爵子息は、顔を真っ赤にして立ち上がった。

 自分からの誘いを、他人から断られたのは、初めてだった。

 思わず、癇癪持ちの本性が露わとなった。


「意地を張るな!

 君にも、お相手がいないだろ。

 恥を掻くだけだ!」


「相手はいるわ」


 ロマーナが仁王立ちして、胸を張る。

 そのとき、玄関の外から、チリリンとベルを鳴らす音がする。

 パティシエのオーワリィが、豪華な正装姿で自転車に(またが)っていた。

 

「すまん、慣れん服を着なきゃで、遅れやあした」


「もう、遅いじゃないの!」


 ロマーナ嬢は玄関へと駆け出し、ワーナー公爵子息の傍らをすり抜けていく。

 振り向きざまに、ワーナーは叫んだ。


「こんな田舎者が、お相手だと!?」


 ロマーナ嬢は、自転車の後ろに、横向きに座りながら答えた。


「そうなのよ。

 オーワリィは今まで地方にいたものだから、王宮にお呼ばれしたことはないって。

 だから、舞踏会には、私がエスコートすることになるわね」


「男として、それで良いのか!?」


 (あざけ)るワーナー公爵子息に、サドルに(またが)ったままのパティシエは、チラッと後ろに座るロマーナ嬢に目をやってから、言い放った。


「そりゃあ、俺ぁ、お嬢様を、めっちゃ愛しとるでよ。

 これほどのお嬢様にダメ出しするたぁ、おみゃあさんこそ、どえりゃあ、おたんちんだわ(とんでもないマヌケだな)!」


 元主人たるワーナー公爵子息は、オーワリィをギロッと睨みつけたまま、身を震わす。

 元お抱えパティシエは、慌てて顔を背けて、ハンドルを握った。


「こいつは、おそぎゃあでかんわ(怖くていけない)。

 こんなの無視(シカト)して、お城に行こみゃあ!

 ケッタ盛り漕ぎ しやあすで、気をつけやあせ!」


 オーワリィは、自転車のペダルを一生懸命漕ぎ始めた。

 ロマーナ伯爵令嬢は嬉しそうに笑いながら、彼の背中に密着させる。


 ふたりは二人乗りして、自転車で王宮へと向かったのであった。


 珍妙なふたりの様子を、ワーナー公爵子息は、呆然と見送るだけだった。


◇◇◇


 その後、ロマーナ伯爵令嬢とパティシエのオーワリィ男爵子息は、舞踏会において、王妃様の仲介で婚約を果たした。

 今後、バルド王国の特産品としてお菓子製作に力を入れることになり、オーワリィは王宮お抱えのパティシエとなった。


 それから二年後、オーワリィはロマーナ伯爵令嬢と結婚して、カリタス伯爵家に婿入りし、夫婦揃って連日、お菓子作りと開発研究に余念がないという。

 ちなみに、バルド王国特製菓子のパッケージには、ロマーナ嬢の笑顔と、夫オーワリィの真面目顔とをモデルにした絵柄が、トレードマークとして印刷されることになった。

 結果として、ロマーナとオーワリィの顔が、世界中に知れ渡ることになったのである。



 一方、ワーナー・グラント公爵子息は悲惨な運命を辿ることになった。

 彼がロマーナ伯爵令嬢との婚約を破棄した理由が、尾鰭が付いた噂とともに広まり、なかなか新たな婚約者が見つからなくなってしまったのだ。


「あの人の家に嫁ぐと、ケーキが食べられないそうよ」


「ドレスも押し付けられるって」


「バストやウエストを一目で見抜くなんて、キモくありません?」


 こうした噂のおかげで、エスコートする相手ができず、舞踏会にも行けなくなった。

 ワーナー公爵子息は不貞腐れ、酒に溺れるようになってしまう。


 数年後には、悪酔いした挙句、彼は、王宮での舞踏会に酔ったまま乱入してしまった。

 そして、ロマーナと、その夫のオーワリィを見つけ出すと、


「このデブと田舎者のペアがぁ!

 お菓子オタクめ!

 それで貴族になったつもりか!」


 と叫んで襲いかかった。


 ところが、千鳥足であったため、ワーナーはすっ転んで、国王夫妻のために用意されていたザッハ・トルテとシュニッテンを踏みつけにしてしまった。

 しかも、最初は偶然、テーブルから落としてしまっただけだったのだが、


(こいつは、あの、憎っくき二人が作ったケーキ……!)


 と思ってムカついて、ワーナーは何度も踏みつけにした。

 だが、これがマズかった。

 バルド王国旗を模したケーキを足蹴にしたのを知り、国王夫妻が激怒したのだ。


「王家を踏みつけにしたも一緒だ!」と。


 結果、ワーナー公爵子息は、半年の牢屋暮らしを経て、廃嫡となり、後継を弟に奪われてしまったという。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 気に入っていただけましたなら、ブクマや、いいね!、☆☆☆☆☆の評価をお願いいたします。

 今後の創作活動の励みになります。


●なお、以下の作品を、ざまぁ系のホラー作品として連載投稿しておりますので、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!


【文芸 ホラー 連載版】

『滅国の悪役令嬢チチェローネーー突然、王太子から婚約破棄を宣言され、断罪イベントを喰らいましたけど、納得できません。こうなったら大悪魔を召喚して、すべてをひっくり返し、国ごと滅ぼしてやります!』

https://ncode.syosetu.com/n8638js/


●また、すでに以下の短編作品(主にざまぁ系)も、それぞれのジャンルで投稿しております。

 楽しんでいただけたら幸いです。


【文芸 ヒューマンドラマ】


『私の婚約者フレッド伯爵子息は、明るくて仲間思いなんですけど、私にセクハラする騎士団長に文句の一つも言えません。だったら、ダサいですけど、私を守ってくれる男性に乗り換えます!私にとっての王子様に!』

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『同じ境遇で育ったのに、あの女は貴族に引き取られ、私はまさかの下女堕ち!?しかも、老人介護を押し付けられた挙句、恋人まで奪われ、私を裸に剥いて乱交パーティーに放り込むなんて許せない!地獄に堕ちろ!』

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『生まれつき口が利けず、下女にされたお姫様、じつは世界を浄化するために龍神様が遣わしたハープの名手でした!ーーなのに、演奏の成果を妹に横取りされ、実母の女王に指を切断されました。許せない!天罰を!』

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【文芸 ホラー】


『伯爵令嬢シルビアは、英雄の兄と毒親に復讐します!ーー戦傷者の兄の介護要員とされた私は、若い騎士から求婚されると、家族によって奴隷にまで堕されました! 許せません。名誉も財産もすべて奪ってやる!』

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『公爵令嬢フラワーは弟嫁を許さないーー弟嫁の陰謀によって、私は虐待を受け、濡れ衣を着せられて王子様との結婚を乗っ取られ、ついには弟嫁の実家の養女にまで身分堕ち! 酷すぎます。家族諸共、許せません!』

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『死んだと思った? 残念ですね。私、公爵令嬢ミリアは、婚約者だった王太子と裏切り者の侍女の結婚式に参列いたします。ーー私を馬車から突き落とし、宝石欲しさに指ごと奪い、森に置き去りにした者どもに復讐を!』

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『元伯爵夫人タリアの激烈なる復讐ーー優しい領主様に請われて結婚したのに、義母の陰謀によって暴漢に襲われ、娼館にまで売られてしまうだなんて、あんまりです! お義母様もろとも、伯爵家など滅び去るが良いわ!』

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『美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!』

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『イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件』

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『噂の《勇者を生み出した魔道具店》が潰れそうなんだってよ。そしたら勇者がやって来て……』

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