6 きっと、もう二度と会えない
それから俺と辻堂は、不思議な水晶の果汁の美味しさに、恥ずかしながら無我夢中になった。二人ともクラッカーに伸ばす手が止まることは無く、我先にと果汁をたっぷり乗せて頬張った。ただ、俺たちの間にもちろん会話は無い。広いキッチンには、ぼりぼりとクラッカーをかみ砕く音だけが響いていた。そして俺たち二人が無言で異世界の食材に夢中になり、すっかりクラッカーの箱の中身が空っぽになるころには、ようやく腹も膨れて、俺ははっとした。この後どうすればいいんだろう。
「……なあ、そんなに気に入ったなら、余った分やるけど」
「……」
「いろいろ助けてもらったし、今日の迷惑料、みたいな?」
傍から見てもはっきり分かるほど、辻堂は相当お気に召していた。だから俺は部屋に入れてくれたお礼に、食べきれなかったリージュアの残りをあげよう。せめてもの償いとしての提案だった。けど、当の本人辻堂はうんともすんとも言わない。無言の辻堂は水晶に詰まった残りの果汁をスプーンで擦り取り、さっさとタッパーに詰め、ぱちっと蓋を閉めると押し付ける様に、何も言わずに俺に手渡してきた。
(あ、そうか)
その行動で理解した。辻堂は、俺に余計な借りのひとつも作りたくないのだ、と。俺を思い出すようなものは、なにひとつとして、この部屋に残したくないんだ。辻堂の態度と、むすっとした不機嫌な顔ではっきりと分かる。むしろこれで分からなかったら鈍感がすぎる。俺はおずおずと、胸元に突きつけられたプラスチックのタッパーを受け取った。
「下にタクシー呼んでおいた。さっきお前が埋まっていた植え込みの先のエントランスに、もうすぐ到着する」
「いつの間に……」
「タクシー代はこっちで引き落とすようにしてあるから」
こっちが気づかない間に、辻堂はスマートに俺を追い払う手筈を整えていた。まるで厄介払いみたいな扱いだけど、今の俺はまさしく厄介者だから仕方がない。むしろタクシーを呼んでくれただけ有難い。俺が文句をいう権利は無い。足元でリアーピがくぅん、と鼻を鳴らして見上げている。本当のところを言えば、リアーピがここに連れてきてくれたようにテレポートさせてくれるのであれば、今の俺にはタクシーなんて不要だ。こんなつっけんどんで突き放すような扱いを受けなくても済む。けど、今の俺には大人しくタクシーに乗るしか選択肢がない。
辻堂に連れられ玄関へと向かう。靴も履いていない俺のため、辻堂は玄関の近くのシューズクローゼットから、スニーカーを取り出してくれた。一見すると至れり尽くせりだ。だけどそんなもんじゃないことくらい俺は分かってる。無言で淡々と処理するような辻堂の態度が、自業自得とはいえ胸に突き刺さる。
「……タクシー代とこの靴、返すのはどうすればいいわけ?」
靴のサイズはつま先が少し余るほどの大きさだった。それでも履けないほどじゃない。俺は大理石の塵一つない綺麗な玄関の床を見つめながら、声が震えないよう必死だった。
「その靴は捨てるやつだったから、適当に処分してくれて構わない。金も気にするな」
タッパーを両手に、恐る恐る尋ねた質問は、ぴしゃりと跳ね返されてしまった。そりゃそうだ。――俺だって万が一を期待してたわけじゃない。期待していたわけじゃないけれど、あわよくば返却のために連絡先を聞ければと、ほんのわずか願ってしまった自分を恨んだ。できるわけがない。むしろあの状態で植え込みに突っ込んでいた俺は、無視されて放置されても当然のはずだった。それをなんの気まぐれか、拾い上げてくれてタクシー代と靴をくれただけでも奇跡なんだから。高校卒業後、一切連絡を取るはずがないと思っていた、いまや国民の多くが認知しているアイドルと朝食が取れた。それだけで十分じゃないか。この奇跡にきちんと感謝しなくちゃいけない。弁えなきゃいけない。
「おう……じゃ、じゃあ」
軽く手を挙げて、気合入れてなんとか口角を上げて後ろを向く。結局、玄関で顔を上げることはできなかった。あいつがどんだけ渋い顔をして俺を見送るのかなんて見たくなかった。最悪、一切興味のない瞳の色で見送られたら、ずたずたに心が切り刻まれてしまったかもしれない。小刻みに震える手で必死にドアノブを開いて、ぶかぶかのスニーカーで必死にマンションから抜け出した。
辻堂の言っていたことに嘘は無かった。先ほど辻堂に連れられてきた道を逆に辿れば、リアーピが突っ込ませてくれた植え込みがある。俺のせいで、少しばかり葉や枝を欠けさせてしまったのが申し訳ないと思いながら足早で通り過ぎ、辻堂の言う通りに止まっていたタクシーに乗り込んだ。自宅の住所を告げて、俺はこつん、と窓ガラスに頭を預けた。
朝だというのにやけにきらきらした、都会の街並みがタクシーの窓ガラスを通して流れていく。高層ビルの立ち並ぶ見慣れない街、高級そうなスーツを身にまとって闊歩するビジネスマン、優雅に散歩する毛並みの整った犬。はっきり分かる、この街は俺の居場所じゃない、あいつにふさわしい街だ。窓ガラス越しに現実をまざまざと見せつけられた。
こんな都会なんてすっ飛ばして、早く近所の景色に変わってくれないかな。そうやってダサいことを考えながら、俺は黙って膝の上に居るリアーピを、そっと撫で続けていた。
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