5 リージュア
「……それはそうと、お前が持っている、その赤いのはなんだ」
いつ口に出してくるかと構えていたが、とうとうリアーピの持ってきてくれた謎の食材に目を付けられてしまった。ゆっくりと手に持っていた紅水晶を机の上に置きながら、ごくりと唾をのんで、俺は思考を巡らし必死に言い訳を考える。ただでさえ怪しまれているのに、それこそ「これは異世界の食べ物なんだよね」なんて説明をしたら、首根っこ掴まれて部屋から追い出されるかもしれない。
「なんか、外国の食材? らしい。飲み仲間からもらった」
「食べ物? それが?」
「そう聞いたけど、そのまま食べたら歯ボロボロじゃん。食べ方わかんねえなって」
机の上の紅水晶を、辻堂は俺に遠慮することなく手に取った。改めてまじまじと眺めてみると、真っ赤な水晶はまるで血液が廻っているようにも見える。どう見たって食べ物じゃない。食欲をそそられないのは、食材とは程遠い見た目をしているからかもしれないし、あまりに美しすぎて装飾品として見てしまうからかもしれない。
俺が初見でやったように、こつこつ、と辻堂が水晶を叩くといい音がした。やっぱり歯どころか、気を付けなければ骨が折れそうなこんなもの、食べ物じゃない。全く食欲の湧きあがってこない俺とは反対に、辻堂は意外にも興味津々のようだ。
「煮たり焼いたりしたら、食べれるんじゃないか」
「うへえ……やめようぜ。俺持って帰るからさあ」
「いや、お前を拾った煩わしさを忘れるために、これくらい刺激的なことがしたい」
「は?」
あまりにも一言余計すぎる。だが今の俺は従順なしもべだ。
「……試しに調理してみるか」
辻堂は即断即決と言わんばかりに、水晶を片手に立ちあがった、俺は呆気にとられたが、慌てて辻堂の背中を追いかける。そういえばコイツはこんな奴だった。ここ数年、メディア向けのきらきらしたアイドル姿ばっかり見つめてたもんだから、すっかり忘れていたけど、こいつは謎の行動力があった。そんでもって俺は学生時代、よくこいつの突発的な行動に振り回されたりしてたんだっけ。
「――我が天使、我が天使。思い出しましたよ」
一人暮らしでは持て余しそうな広々としたキッチンに立った辻堂は、モスグリーンのエプロンを腰に巻いた。あまりにも自然な仕草とシチュエーションに、ドルヲタ心を擽られた俺だが、そこはぐっと平常心を保つ。今の俺は辻堂のファンではなく、ただの元同級生だ。素知らぬ顔をしながらも内心そわそわと眺めていた俺だが、そんな俺の正気を取り戻させたのは、すっかり大人しくしていたふわもこリアーピだ。立ち尽くす俺の足元でくるくると駆け回り、アピールしてきた。辻堂の手前、声を出して会話することはできないため、俺は下を向いてリアーピと目線を合わせて、話の続きを促した。
「確かヒト族は、それを半分に切って、なにか平べったいものに乗っけて食べていました。刃物でするっと真っ二つにしていたような気がします」
本当か? 打撃には強くても、鋭い刃なら簡単に差し込める、なんてことあるのだろうか。俺の知識が乏しいだけで、地球上にもそんな物体は存在するのかもしれないけれど、上手く想像できない。たいして情報量の無いリアーピの話だが、正直今はその微かな情報だって有難い。まな板の上に乗せた紅水晶を難しい顔で眺めていた辻堂に、俺は声を掛けた。
「なあ、試しに包丁入れてみようぜ」
「刃こぼれしたら、お前が弁償してくれるのか?」
手詰まりの状態で捻りだしたせっかくの提案を、ぐうの音も出ないほど叩き折るな。今すぐにでも掴みかかってしまいたい衝動を堪えて、ぐっと拳を握りしめる。だが、辻堂がカウンターキッチンの引き出しから取り出した、ホームセンターで購入した安物の俺の家の包丁とは、明らかに格の違う包丁の輝きを見せつけられて、きらりと光る切っ先に後ずさりする。
あれだけ俺に向かって強い皮肉を言ってきたくせに、辻堂は一拍も置くことなく、水晶に包丁を躊躇なく差し込んだ。するとリアーピの言う通り、あれほど硬い塊だった水晶は、まるでまな板の上でハムの塊になってしまったかのように、すんなりと刃が入り、真っ二つに割れた。
「うわっ……」
こてん、と転がった半身の水晶の塊。割れた断面からどろっと液体があふれ出した。その液体はまな板の上にとろとろと流れ出していく。この液体が、さらさらとした水状だったとしたら、まさしく血のようだ、と表現したかもしれない。が、実際のところ液体にはとろみとある程度の粘度がある、ゼリー状。そんな液体がとろとろとまな板の上に広がっている。液体の色は真っ赤ではあるものの、見れば見るほど連想するのは血液じゃない。どちらかといえば鮮やかすぎるイチゴのような色だった。さらに言うと、この流れ出た液体を見て、思わず血なまぐささを感じなかったのは、それだけが理由じゃない。
「すっげー、甘い香り……」
果実のような、爽やかな甘さが鼻に残る香りだ。色はイチゴなのに、匂いは桃に近い気がする。みずみずしく甘酢っぱい匂いが辺りに広がった。もしかして、この水晶は果物に分類するのだろうか。
辻堂はまな板に零れた液体を眺め、人差し指で徐に掬い取った。こちらが制止する間もなく、そのまま躊躇なく、ぱくっと口に含む。
「ジャムっぽい……かもしれないな」
リアーピはさっき、「平べったいものに乗せて食べていた」と言っていた。とすると、あちらの世界の住人は、この果実に刃を入れて、出てくる甘いジェル状の果汁を、ジャム代りに食しているのかもしれない。みずみずしいジャムは、朝食にぴったりのように思えた。
ふむ、と顎に手を当てて何かを考え込んだ辻堂は、キッチン上部にある棚をごそごそと漁りだし、奥の方からスーパーでよく見かけるクラッカーの箱を取り出した。側に置いてあったティースプーンで、ゼリー状の果汁を掬って、クラッカーの上にたっぷり乗せる。みるからに美味しそう。俺はごくりと生唾を飲み込んだ。
すると俺など居ないものと扱っていた辻堂は、そのクラッカーを俺に渡してきた。
「ほら」
「え、食っていいの」
「物欲しげな目をしていて今更、何を遠慮してんだ」
そこまで食い意地張ってねえよ、と唇尖らせて、だが突っぱねるのも馬鹿馬鹿しくて大人しく受け取る。クラッカーの上でぷるぷると揺れる果汁が零れないように左手で皿を作りながら、一気に一枚口に放り込んだ。
さくっとクラッカーが口の中で砕かれる。塩っけのあるクラッカーと、匂いから連想していた通りの甘酸っぱい果汁のうま味が合わさり、じゅわあと口いっぱいにうま味が広がった。味は見た目ほどジャムに寄りすぎておらず、本当に果汁と呼ぶにふさわしい。ジャムのように砂糖で煮詰めたわけじゃないから、ジャム独特の甘ったるさは無く、果実の爽やかさがガツンとくる。
もぎたての果実をぎゅっと圧縮したような味の濃さだ。それでいて、くどくない。みずみずしさと十分な水分量が、口の中に爽やかささえ感じさせてくれる。見た目とのギャップが激しい食べ物だ。
俺と同じようにクラッカーに果汁を乗せた辻堂も、その美味しさに舌鼓を打っているようだった。目を見開いて、想像以上の美味しさに皮肉の一つも吐き出さない。美味いな、とぼそりと呟いて、ごりごりと音を立てながらクラッカーをかみ砕いている。
――奇妙で、むずがゆいな。
顔を合わせることすらもう二度と、叶わないと思っていた相手。そんな相手とキッチンに立って、隣に立って、美味しい朝食を食べている。辻堂のきれいな形の唇が、がつがつクラッカーを食らっているさまが、なんだか懐かしくなった。そう、昔は横に並んで飯を食うことなんて、あたりまえだったはずなのに。バカみたいに笑い合って、おかずを取り合ったことだってあったのに。それが今となっては、もう二度と叶わない夢みたいな立ち位置になってしまった。ぎゅう、と胸のあたりがひどく痛んだ。
「……なんだ?」
「いやあ、なんでもないっす」
……けど、辻堂はきっと、俺みたいに感慨深くなってるわけないんだよな。ぼりぼりと二枚目を真顔で食らっている辻堂は、あくまで珍しい食材に興味を惹かれただけだ。俺が心の底でなにを考えていたって、興味は無いんだろう。
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