3 悪夢の再会
「私の天使! 獲ってきましたよ、朝ごはんです」
興奮しきった甲高い声が響いている、それはリアーピの帰還を意味していた。ぐいぐい、と恐らく布団の端を口で引っ張られている。俺が渋々目を開けると、仮の姿のリアーピが居た。るんるんと楽しそうにふんわりと尻尾を振り回している。リアーピが視線を向けた先、ベッドの近くに置かれた机の上には、得体のしれない”何か”が乗っかっている。
「……これ、なに?」
布団から這い出てのそのそと起き上がって、”異質な物体”をまじまじと眺める。「朝ごはん」ってリアーピはさっき言ってなかっただろうか。”それ”は、見るからに食べ物じゃない。天使だとかなんとか言って、仰々しく俺のことを呼びながら、極悪非道なやつだ。こんなもの俺に食べさせるつもりなのか。
机の上にごろんと横たわっているのは、どこからどうみても、拳大の赤い宝石に見える。宝石というより、どちらかと言えば水晶と呼ぶにふさわしくて、ただこんなにでかくて、ビックリするほど真っ赤な水晶、俺は一度も見たことはなかった。
「なにって、”リージュア”ですよ。朝ごはんの定番です」
「聞いたことねえんだけど……」
恐る恐るその”リーシュア”とやらを、俺は手に取ってみた。もしかしたら硬そうなのは見た目だけで、案外柔らかいのかもしれない。だが俺の期待は大きく外れた。ずっしりとした重みが手のひらに伸し掛かる。こんこん、と手の甲で水晶をノックしてみると、硬度の高い音が部屋に響いた。明らかにこれを口の中に入れたら、ずたずたに切り刻まれるだろうなと予測が付く。この水晶と同じくらい、口の中が真っ赤で血まみれになる未来が見えて、ぞわぞわと鳥肌が立った。
「あー……リアーピ? これ……お前の世界の食べ物? お前のその鋭い牙でがぶっと行ったら美味しいのかもしんないけど、俺は人間。こんなの食べたらもう二度とほかの食べ物食べらねえのよ」
だが、リアーピは俺の言葉にきょとん、と目を丸くして、耳をぴくぴく震わせた。
「おや、可笑しいですね。私の世界のヒト族はよくこれを口にしていますよ」
ちっとも悪びれていない。至って正気らしい。純粋無垢な親切心のみで、リアーピは、俺の元にこの水晶を朝食として届けてくれたみたいだ。
「ええ……マジ? そっちの世界の人間、口の中どうなってんの……」
思いもよらない異世界の人間知識を身に着けてしまった。が、そんなのはどうでもいい。リアーピから視線をそらして、なんとかしてこの恐ろしい食材を口にすることを拒否する言い訳を考える。
「あー……やっぱ俺、腹減ってないかも」
「そんな! あんなに恥ずかしいほど腹の虫が鳴っていたではありませんか!」
「なんで恩人の恥を掘り返すかね、お前は」
こりゃあ一口でも食べないと、リアーピは納得してくれないかもしれない。だがそもそも、リアーピにとっては恩人であるはずの立場の俺が、リアーピに翻弄されて気を使ってるこの現状ってなんなんだ?
(リアーピが助かったのは嬉しいから、昨晩の行動は後悔してねーけど……)
俺が両腕を組んでこの状況をどう切り抜けるべきか、うんうん唸っていると、ふと、リアーピが俺の部屋の、日の当たらない角を見つめた。その場所だけ、シンプルな内装のこの部屋と打って変わってにぎやかなスペースになっているから、きっと気になったんだろう。
「……私の天使、あれはなんですか?」
「え、あー……」
リアーピの視線の先には、壁に貼られた数種類のポスターと、フォトフレームに飾られた写真たち。あるポスターはきらびやかなスポットライトを浴びて、満面の笑みを浮かべた男性が前面に映し出されている。ある写真は夕暮れの海辺で白いシャツをはだけさせて、憂いの眼差しの男性が額縁に収まっている。更には、きらっきらの装飾で飾られた衣装を身にまとい、思い切り飛び跳ねている男性の写真なんかもある。
リアーピには分からないかもしれないが、写真やポスターのみならず、その周囲の棚には男性の出演している映像作品の媒体がずらりと並んでいるのだ。
「まー……うん」
リアーピの質問にどう答えるべきか、歯切れ悪くなる俺をよそに、リアーピは目を輝かせた。
「もしや、あのお方は天使の伴侶ですか?」
「は、伴侶!?」
その場で飛び上がりそうになりながら、俺は必死になって首を横に振った。
「ち、ちげーから。あれは……”アイドル”って言って、俺たちが簡単に触れられるような場所に居ないような人なの」
「同じヒト族なのにそのようなことがあるのですか?」
「あるの! リアーピの世界は知らねえけど……その、遠くて、遠くから眺めて、いいなあって思うような存在、みたいな?」
アイドルという概念を恐らく知らないであろう神獣に、アイドルの文化を説明するのは、なかなか難しい。リアーピが元居た世界がどんな世界なのか、そもそも異世界がなんたるかが俺にはよく分からないからこそ、こちらの一般常識が通じるかが分からない。それよりも俺とリアーピは人と獣なわけで、種族間で常識がすり合っているかも怪しいもんだ。
「それでは天使。天使はなぜあのようにその”アイドル”の絵画を飾っていらっしゃるのですか? 彼のものは天使にとっての信仰の対象でしょうか」
リアーピの口から飛び出した信仰、の言葉に言いえて妙なのかもと俺は唸った。
「えー……まあ、ある意味信仰に近いのかもしんねえなあ」
「そうなのですか」
「ああやって飾ってんのはさ、落ち込んで部屋に帰ってきても、この人も頑張ってんだから、俺も元気に頑張ろう! って気分にさせてくれるから、かな。こっちが一方的に眺めてるだけでもいいもんなのよ。飯食べてる時とか」
「…………」
すると、それまで興味津々に話に食いついていたリアーピが、すんと黙り込んだ。
嫌な予感がした。たらり、と額に冷や汗が流れた。
「私めも、主たる神に祈りを捧げるのが日課です。神の使いですから」
「ええ、はい」
「残念ながら、その御身に直接お会いする機会は数少ないです。それは寂しいことです」
「うん……」
「きっと貴方は寂しい夜も、あの飾られた絵画を眺め、お食事を取られているのでしょう」
「まあ、四六時中目に入る場所に置いてるから、そうっちゃそうかな……」
「でしたらきっと、その方に直接お会いしたら、美味しく朝食も頂けると思います」
――そのたった一言で、俺は昨晩飯を抜かしたことなどどうでもよくなってしまった。
「ち、違う、ダメだからリアーピ、それは違う!」
「なにを遠慮なさるのです、私の天使。毎日その肖像画と食を共にしているのでしょう。このリアーピにお任せください」
「それだけは本当にやめてくれ! ……頼むから!」
けれど、無慈悲な現実が俺を叩きつける。
次の瞬間リアーピの毛並みが、ゆらりと焔のように揺らめいた。俺の体を包み込むように、リアーピのもふもふの毛が瞬く間に伸びて、俺の全身に纏わりついた。ぶるり、と大きくリアーピが身震いする。抜け出そうと藻掻いても、リアーピの真っ白な毛は俺を包み込んだまま。そしてくるり、と回転が始まった。
ぱちり、と目の前で星がはじけた。ぐるぐると視界が回る、助けてと言葉も吐き出せないで、俺の体がぐるぐる回り続ける。
そして俺は空中に放り出された。
「えっ!」
気が付いたときには体が地上から二メートルほど浮いていた。なにがなんだと叫ぶ暇もなく、どちゃ、という間抜けな音とともに、俺はよく分からない植え込みに、真っ逆さまに頭から突っ込んだ。
「り、りあぴ……」
一体何がどうしてこうなった。朝っぱらから非現実的なことだらけで、もはや自分がワープしたことに対しても、さほど俺は驚いていない。というより痛さと戸惑いが上回った。
うめき声のような俺の呼びかけに、さっきまできゃんきゃん俺に纏わりついていたリアーピは、ちっとも返答しなかった。まさか、これでお願いは叶えましたよと言わんばかりに去ってしまったのか? ていうかここはどこなんだよ。俺はどうして植え込みに突き刺さられたんだ。
体制を立て直して植え込みから顔をだす。頭やら顔やらについた無数の葉。髪の毛に砂埃も付いている気がする。まさか、着の身着のまま植え込みに投げ込まれたのか? 下を見ると俺が着ているのはグレーのよろけたスウェットだ。予想通り、俺はさっきまでの寝間着姿だった。あまりの乱暴さにくらっと倒れ込みそうだ。いくら可愛らしいリアーピだとしても傍若無人にもほどがある。それに、それに……。
「――汐入?」
だから、嫌だと言ったのに。
ぎぎぎ、と油を刺し忘れたロボットのように、俺は声が聞こえたほうへ体を向ける。
目の前には、哀れでぼろぼろな寝起き姿の俺とは異なり、早朝にも関わらず爽やかなお姿でいらっしゃる、部屋の壁に飾られていたアイドルさまがご本人が佇んでいた。
ふわっふわのパーマがあてられた、柔らかそうな猫の毛を連想させる、明るい栗色の髪の毛。真っ白で染みも皺もひとつも見当たらない肌に、形の良い細い眉毛と、ぱっちりとした零れ落ちそうなほど大きな瞳が動く。濃い二重は幼さを強調させそうなのに、どこかアンニュイで、気だるげな色気を纏わせる。高くシャープな鼻と、形のよい唇。まるで芸術品のような容姿。とろみ感のあるオーバーサイズのベージュシャツと、シンプルな黒スキニー。
その男はひどく驚いたようにこちらを凝視していた。そりゃそうだ。ずたぼろになった男が、植え込みから現れたらさぞびっくりするんだろうな。
……もちろん、驚いてるのはそれだけじゃねえよな。
「よ、よお、辻堂……」
リアーピ、実はさ。言ってなかったことがあるんだけど。
や、伝える前にお前が興奮しちゃったもんだから、伝えられなかったんだよ。今となっては遅いけどな。
壁に貼ってるポスターは、確かに俺にとっての”憧れのアイドル”だけど、それだけじゃねえの。
実はさ、そいつは高校の時の元同級生で、”学生時代は”一番の大親友だった男なんだよな。
――更に言うと、高校の卒業式の日に、大喧嘩の末音信不通になったくらい、気まずい仲なんだよ。リアーピ。
よろしければ評価、ブックマーク等よろしくお願いします。