夢で見た場所
『500m先、左折です』
カーナビの案内に従い、ウィンカーを出してハンドルを切る。免許を取ってから半年経つが運転も慣れたものだ。閑散とした住宅街を抜け、やがて広々とした河川敷が見えてくる。
『目的地周辺です』
近くにコインパーキングがあることは目的地の条件に含まれている。車を駐めて徒歩で河川敷に向かう。冬の寒気がまだ残っているが穏やかな陽光が降り注ぎ、出歩くのは苦に感じない。
河川敷には道に沿って木々が並び立つ。その木々は満開の桜で彩られていた。開花する時期としてはまだ早い。
近くのベンチに腰掛け、深呼吸して新鮮な空気を身体に取り入れる。柔らかな風が頬を撫で、花の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
途中コンビニに寄って買った缶コーヒーを取り出す。本当はビールを飲みたいところだが、そこは良識あるドライバーとして我慢する。ぐいとコーヒーを飲むとほど良い苦味が浸透する。
これだけの桜が咲いていれば花見の客でごった返しそうだが、まわりに人の気配は一切ない。早咲きの桜のスポットとしてここはまだ知れ渡っていない場所なのだろう。満開の桜を自分一人で独占できる優越感に思う存分浸る。
満開の桜が見れて、喧騒とは程遠く、座れるベンチがあって、駐車場が近くにある。贅沢と言える要望を全て兼ね備えた場所に来ることができた。それを叶えてくれたのは最新の技術を結集したカーナビゲーションシステムだった。
少年の頃の俺は冒険が好きだった。
新しくデパートができたと聞いて、隣町まで歩いて行ったことがある。開店はまだ先だったので、結局遠巻きに見るだけで帰ったが、苦労して辿り着いた達成感はかなりのものだった。ツチノコが出たという噂を聞いて、裏山を一日中彷徨ったこともある。傷だらけで家に帰った時は危ない事をするなと親にこっぴどく叱られたものだ。
大学に進学してアルバイトを始めると、学費や生活費を除く稼ぎは全て旅行に費やした。休日には日帰りで行けるスポットを調べて向かったし、夏休みや春休みには数日かけて遠方を巡って思いのままに旅を楽しんだ。
会社に就職してからは車を購入した。自家用車を持てば気の赴くままに旅行ができる。そんな思いで購入したが、中でも車に搭載されたカーナビの機能に目を見張った。
従来のカーナビは目的地の名称を直接入力する必要があり、あらかじめインプットされた地図情報と照合して、そこまでの道順をナビゲーションするだけであった。しかし俺が購入したカーナビはネットワークと連携して、膨大な地図情報にアクセスすることができる。店や観光地はもちろん、名前のない空き地まであらゆる場所のデータが揃っており、そこへナビゲートしてくれる。
さらにAI技術を利用した検索機能を持ち、目的地の名称を入力せずともキーワードを入力するだけでその意味を汲み取り、該当する場所をリストアップしてくれる。例えば【水辺】と入力すれば、全国の海や湖、川などの水辺の情報が提示される。そこに【橋】とワードを追加すれば橋がかかった場所に、【飲食店】と入力すれば近場の飲食店に絞り込まれる。キーワードの数や増やせばそれだけ探したい場所に近づくわけだ。
膨大な地図データとAI技術。この2つを合わせ持つカーナビはどんな場所であろうと運転者をナビゲートしてくれる。
日本の主要な観光地は学生時代におおよそ回ってしまった。旅先の候補に悩んでいたが、突発的に自分がこんな場所に行ってみたいと思えば、条件を指定するだけでたとえ無名の地であろうとも、その場所に連れて行ってくれる。
このカーナビのおかげで陰鬱な社会人生活唯一の癒しが生まれたのだ。
「それでリフレッシュはできたの?高木」
社内の飲食スペースでパンをかじっていると同僚の阿形が声をかけてきた。
「ああ、ようやくプロジェクトが片付いたからな。溜まっていた疲労を全て吐き出してきたよ」
「そりゃいいね。でもあそこに桜が見れるスポットがあるなんて知らなかったな」
「俺もあの街は車で通ることはあるが、住宅街までは入らなかったな」
「最近のカーナビはすごいんだね」
そう言って、阿形はコンビニ袋から冷やし中華とおにぎり2個、さらにフライドチキンを取り出す。健康診断で肥満と診断されたそうだが一向に改善する気はないらしい。
「販売員から説明を受けたんだが、場所に特化した専用のデータベースシステムを使用しているらしい。情報も常にアップデートして正確性も維持しているそうだ」
「へぇ〜、カーナビも進化してるんだね」
「お前もどうだ?車があると何かと便利だぞ」
「いや、僕は遠慮するよ。車って色々とお金かかるでしょ?僕は花より団子だからさ」
そう笑って阿形は麺を啜る。
阿形とはソフトウェア開発会社に入社してすぐの新人研修で知り合った。何名かの新入社員でチームを作り、テーマに沿ったソフトウェアを協力して開発するという内容だった。当初は初対面ということもあってチームは協調性に乏しく思うように進まなかった。そんな中でも阿形は臆せず会話を回し、時には仕事と関係の無い雑談も振ってチームの緊張をほぐした。その甲斐あって、研修は円滑に進行した。元より阿形には柔和な雰囲気があったので話しやすいというのもあったかもしれない。俺とは部署は違うし趣味嗜好も合わないが、今でもこうして気安く話す間柄を続けている。
「そうだ。次は僕のリフレッシュに付き合ってくれない?今度の週末久しぶりに一緒に飲もうよ」
「お、いいな。店はいつもの居酒屋でいいよな」
「やった!やっぱりご飯は誰かと一緒に食べる方が美味しさも倍増するからさ〜」
無邪気に笑う阿形。会社員になってから仕事に悩殺されて嫌になることが何度もある。ドライブに行く趣味も現実逃避が目的かもしれない。だが、そんな俺が今でも会社にしがみついていられるのはこいつがいるからなのだろう。
ある晩俺は夢を見た。夢なんて毎日見るが、それは強烈な印象を残した。
夢の中の俺は噴水のある円形の広場にいた。辺りを見回すと、色とりどりの花壇が広場を囲うように設置されている。
広場を出て石畳の道を歩く。周囲に人の姿は無い。空は淡い夕焼け。暑くも寒くもない清々しい空気。
少し歩いた先に水色塗装のメリーゴーランドを見つけた。それを見た瞬間、ここが遊園地なのだと直感的に理解した。
スタッフの姿はない。白い木馬に跨ってみると、軽快なメロディが流れて回転を始めた。周囲の景色がぐるぐると回る。大の大人がメリーゴーランドに乗るなど恥ずかしいが、自分以外に誰もいないし、夢の中だからか不思議とそんな感情にはならなかった。
メリーゴーランドを降りて、またしばらく歩くとジェットコースターの乗り場があった。車両に乗り込んで安全バーを降ろすとすぐに動き出した。空に向かって車両がゆっくりと上昇していく。カタカタと振動しながらレールの最高点まで到達した。それを過ぎた途端、地面に向かって一気に急降下する。勢いに乗って右に左にカーブし、山なりに何度も上下する。車両は遊園地中をすさまじい速度で駆け巡り、視界がめまぐるしく変化する。やがて勢いが少しずつ減衰し、元の乗り場に戻って来た。ジェットコースターなど久しぶりに乗ったからか少しフラついてしまった。
それからも、俺は遊園地の様々なアトラクションを回った。カラフルなコーヒーカップ。植え込みで形作られた巨大迷路。洋館風のお化け屋敷。
観覧車に乗って一番高いところからこの遊園地の全貌を見下ろした。そこは山を切り拓いた場所にあり、周囲に街は見当たらない。どこまでも茜色に染まった山並みが広がっている。
客はおろかスタッフさえ誰もいない山奥の無人の遊園地。状況としては不気味であるが、不思議とそんな感慨は起きず、むしろ居心地の良さを感じる。遊園地の華やかさを演出する数々のアトラクション。瞳に映る景色全てに親しみがあった。幼い頃の思い出の場所に帰って来たような感情が胸に宿る。
遊園地の奥に目をやると巨大な城が見えた。観覧車を降りてそこへ向かうことにした。
城の前まで来ると作り物とは思えない圧巻の迫力に息を呑んだ。西洋風の優美で荘厳なレンガ調。天を衝く尖塔は腰をそらないと見上げられない。装飾が施された窓の内側は厚手のカーテンで閉ざされている。正面の扉は自分の身長を優に超えるほど大きく重厚だ。両手を押し当てて開けようと試みる。だが扉は開かない。手に伝わる感触から内側から鍵がかかっているようだ。なんとか城の中に入る方法はないか思案する。
突然、視界が白みだす。周囲の光景が溶けて色を失い、感覚が薄れていく。夢から醒め始めているのだ。
この場所を離れたくない。せめて城の中だけでも…。そう強く願う気持ちとは裏腹に夢の世界は儚くも崩れていった。
後に残ったのは何も映さない瞼の闇だった。
眠い目をこすり時計を確認すると少し早い時間に起きたようだ。布団から這い出て洗面台に向かう。冷たい水で顔を洗うと薄ぼんやりとした脳が少しずつ覚醒する。
だが、頭の中でこびりつくものがある。さっき見た夢だ。顔を洗う水とともに記憶も溶け落ちて細部は思い出せないが、あの遊園地で感じた奇妙な思いが残ったままだ。
あの遊園地は何だったのだろう。
人が夢を見るのは脳が記憶を整理しているためだと聞く。その過程で記憶の断片が荒唐無稽に合わさって見るのが夢だと。だが、あの遊園地は全く見覚えがなかった。子どもの時に実際に訪れた遊園地とも一致する光景はない。
全く身に覚えのない場所。だがあそこはとても居心地がよかった。どんな悩みやストレスとも無縁で優しく迎え入れてくれる。ずっといたいと思えるほどの何かがあそこにはあったのだ。
出社していつものようにスケジュールを確認する。午後から次のプロジェクトの顔合わせがあった。事前に資料を確認しておこうかと思ったところで、課長に呼び出された。
「何でしょう」
課長はデスクで指を組み、俺ではなくモニターを見据えている。
「高木くん。前回君が担当してくれたプロジェクトだけど、先方から連絡があってね」
「何かバグでも見つかりましたか」
「いや、製品そのものに問題はない。ただ、仕様の変更をしたいと申し出があったんだ」
「また変更・・・ですか」
開発中もあれこれと仕様変更を要求された。製品を納品した後もまだ言ってくるか。
「具体的にどこを変更したいと?」
課長はモニターの画面を俺に見せる。先方が作ったと思われる資料に要望リストが並んでいた。
「・・・多いですね」
「そうだね。しかもこれを1ヶ月で対応してほしいと言っている」
「1ヶ月!?」
思わず上擦った声が出てしまう。まわりから目を向けられるが、気にしている場合ではない。もう一度資料を確認する。
「1ヶ月は無理です。変更箇所が多い上に別の不具合が発生する可能性が十分あるものばかりです」
「うん、まあそうなんだけど。そこをなんとか」
「それに人員だって割けないでしょう。すでにこのプロジェクトは終了して、他の担当者も別のところに回されましたよね」
「そこは私が他と掛け合って、こっちも手伝ってもらうようにするよ」
課長の物言いは不安しかない。少し語気を強める。
「お言葉ですが課長。そもそも無茶な要望を出したのはあちらの方なのです。きちんと対応が難しい旨を伝えて、納期を延ばしてもらうかそもそも断った方がいいのでは」
俺の言葉に課長は再び指を組み始める。
「いや、実を言うと会社としては多少無理をしてでも、先方に恩を売りたいと思っているんだよ」
「恩・・・ですか?」
「最近は案件を取るのが難しくなってきてね。先方とはこれっきりの関係では終わらせたくない。次の案件に活かすために、少しでも良い印象を持ってほしいんだ。これは私だけでなく会社としての意向だ。もちろん、この要望通りに進めるのが難しいことは分かっている。だからできるだけ向こうの意に沿うよう見積もりを作ってくれないか」
課長が手を合わせて頼み込む。申し訳なさそうな顔をしているが、これ以上言葉を尽くしたところで、この話が覆ることはないだろう。社員は上司の、ひいては会社の命令に従うものだ。
「・・・分かりました」
かろうじてその言葉だけは絞り出した。
モニターの画面を睨みつけ、幾重も思考を巡らせる。画面には先ほどの要望リスト。システムの根幹を弄るリスキーなものが多く、見ているだけでキリキリと腹が痛む。
通常なら1ヶ月で全て対応するのは不可能だ。なので、代案を提示する必要がある。それも手間がかからず、不具合が起きにくいような。
リストを1件1件精査し、先方が一体何を実現したいのかを考える。そして、それに応えられるよう当初の要望から無駄なものを削ぎ落とした代案を作る。そうして定時前に何とか資料をまとめ直し、課長に確認してもらった。眉間に皺を寄せるが、「まあ、最大限できるのはここまでだろう」と納得した。
後は先方が判断するだけだ。これで駄目ならそれこそこの案件は断るべきだ。一先ず俺の仕事は終わった。
そう思っていた。
翌日の朝、早速返答をもらったらしい。課長に呼び出される。
「それで、先方はなんと?」
「ああ・・・言いにくいんだが、もう一度見積もりし直してほしいと返答があった」
「もう一度?課長も分かっているでしょう。あれがもう最大限です」
「そうなんだが、要望に変更があるそうだ。それを基にもう一度練り直してほしい」
そう言って課長はモニターの画面を見せる。そこには先方の作った要望のリスト。
「・・・昨日とほとんど変わっていません?」
「ああ、そうだな」
内容が大きく変わっていたり、昨日と真逆のことを言っているものもある。あれだけ頭を悩ませて代案を考えたのに、それら全てが無駄になっている。
「先方に何か心変わりがあったのかもしれない。悪いがもう一度練り直してくれるか」
「・・・」
しばらくの間、返事に窮した。
その後もこのやり取りは数日間続いた。
先方から送られてくる要望は額面通りに到底対応できるものではなく、そのたびに俺がコアな要望を汲み取り、コストがかからない代案を考えて返す。それを基に案件を進めるべきか否かを判断すればよいのに、次々に全く異なる要望を新たに出してくる。時間も人員も足りないと伝えているはずなのに、なかなか分かってもらえない。
深夜。時刻は0時を過ぎ、会社に残っているのは俺一人。
頭の奥がじんと痛む。ブルーライトの光に晒され続けて目が霞む。眠気と空腹感はコーヒーで紛らわせた。精神が疲弊しているのがよく分かる。
ようやく出来上がった資料を見返す。だが、これもきっと突き返されるだろう。いったい何を目指しているのか方針が見えない。
先方が何を求めるのか、もはや理解することなど当に諦めた。そもそも当初から一貫性がなかったのだ。行き当たりばったりに注文をつけて、後で簡単にひっくり返す。明確な完成形を定めず、これが必要かもしれない、あれがあった方がいいと上辺だけの議論を繰り返してこちらを振り回す。身勝手なものだ。
身勝手と言えばこの会社もそうだ。多少無理をしてでも恩を売りたいと言っていたが、めんどうな役回りを俺一人に押し付けている。案件を断ったり、会社として意見を出すこともせず、俺が取引先を納得させられる資料を作成することだけを期待している。
社内で空調の音だけが響く。節電のために俺のデスク以外は闇に閉ざされている。
かつては世界を自由に冒険するのが好きな少年だった。だが、会社員となってからはしがらみに囚われ続けている。今では身勝手な取引先と会社の命令に縛られている。会社に属している以上、解放されることはない。いっそのこと辞めてしまおうか。全てから解放されて自由を手にしてみようか。
・・・やはり俺は疲れている。一晩寝れば正常に戻れるだろうか。
会社を出てコインパーキングに向かう。会社から認められていないが、満員電車に揺られるのに嫌気がさしてこっそり車で通勤している。終電を逃しても帰れるのが利点だと初めて気づいた。
そういえば明日は金曜日。阿形と飲みに行く約束をしていた。あいつには悪いが愚痴に付き合ってもらおう。そもそも定時通りに仕事が終われるかが心配だが。
そして、明日が過ぎればいよいよ休日だ。この疲れを癒すためにまた出かけよう。最近はこの車が家と会社を行き来する檻に思えてきた。本来は自由に旅行に行きたいと思って買ったのに。
どんなところへ行こうか。この前は桜を見に河川敷に行った。山へ行こうか、海へ行こうか。だがいまいちピンとこない。
ふと、夢の中の遊園地が思い浮かんだ。同時に今でもあの夢を思い出すことに驚いた。確かにあの遊園地は全てのしがらみから解放されるような安らかな空間だった。もし存在するのであれば、そこが最適なのに。
カーナビが目に留まる。そうだ、このカーナビはキーワードを入力するとそれに応じた場所を表示する。
朧げな記憶を掘り起こし、夢で見た遊園地の情景を入力していく。
【噴水と花壇のある広場】【石畳の道】【水色のメリーゴーランド】【巨大な西洋の城】
その他思い出せる限り入力する。
単なる思いつきだった。疲れているからほんの少し遊んだだけだった。なので、検索結果に1件のヒットが表示されたのを見て目を見張った。
馬鹿な。まさか夢で見たあの遊園地が実在したのか?ヒットした場所には名称や風景画像は無い。位置情報のみだった。ある地方の山の中。離れているが、車で日帰りできる距離だ。
自然と笑みが溢れる。この場所に本当に夢で見た遊園地が存在するかは分からない。もしかしたら何らかの不具合で全く関係のない場所が表示された可能性もある。それを知るには自分自身でそこに出向くしかない。童心が蘇ってくる。
ここ数日続いた憂鬱が晴れた気がした。
土曜日。サービスエリアの車内で昼食のおにぎりを頬張りながら、カーナビを確認する。自宅を出てから2時間と少し。途中休憩を挟みつつもここまで順調に来た。目的地まではまだかかるが、この調子なら昼過ぎには着くだろう。
車を出してサービスエリアを後にする。走る車はまばらだ。お気に入りのアーティストの曲をかけながら、高速道路を軽快に走る。今の心境を映し出すように今日は晴天に恵まれた。
車を走らせて日帰りの旅行に行くことは何度もあった。学生の時も電車やバスで観光地を巡ってきた。だが、目的地が存在するか明らかでない旅は今までにない。小さい時、新しくできたデパートがどのようなものか知るために隣町まで歩いた。ツチノコを探すために山の中を駆け回った。そんな未知の冒険に心が躍ることを久しく忘れていた。会社員になってまたこの感動を味わえるとは思いもよらなかった。
例え遊園地が実在していなかったとしても構わない。結果がどうであれ、ここ数日続いていた憂鬱な気持ちに区切りがつける気がした。
『まもなく出口です』
カーナビの指示に従って高速道路を降りるといかにもな田舎街に出た。まわりは山に囲まれ、古い民家が立ち並ぶ。土地勘はないのでカーナビの指示が頼りになる。
『500m先右折です』
『300m先左折です』
いくつもの民家を通り過ぎ、広々とした田園地帯を通り抜け、やがて山道に入った。舗装された二車線の道を走る。谷に沿ったカーブを曲がり、いくつものトンネルを抜ける。途中で大型トラックとすれ違った。
山の景色に見惚れて、ふとカーナビに目を戻すとおや?と声が出た。地図によるとこの山道は県と県を繋いでいるが、1つだけ分かれ道があり、目的地はその先にある。その分かれ道をすでに通り過ぎてしまっているのだ。このまま進むと隣の県に出てしまう。
分かれ道を見逃したのだろうか。今はUターンで戻ることはできない。しばらく車を走らせると、ドライブインが見えた。休憩もかねてそこに立ち寄ることにした。
店内にはエプロンを身につけた老店主とトラックドライバーらしき男が数名いた。店主にホットコーヒーを注文し、ついでに尋ねてみた。
「すみません、この山道に分かれ道はありますか?」
もしかしたら、実際の道は何らかの理由で封鎖されているのかもしれない。現地の人間であればそういう情報を教えてくれるかもしれない。
「分かれ道?いえ、ここは一本道ですが」
「昔は一本道ではなく、過去に道が別れていたことはありませんか?」
「いえ、昔から一本道だったはずですよ。何年もこの道を通っていますから間違いありません。はい、コーヒー」
注文の品を渡されるが、俺は気が気でなかった。昔から一本道?だがカーナビの地図には分かれ道があった。最新のデータベースシステムを使用しているカーナビとこの老店主の記憶。どちらを信用するべきか。
コーヒーを口につけ頭を冷静にさせる。まあいい。来た道を戻って今度こそ分かれ道を探してみればわかる事だ。
時計を見ると、時刻はすでに昼を過ぎていた。日帰りのつもりで来ているが、泊まりも覚悟しておいた方がいいだろう。市街地に行けばネットカフェはあるだろうし、車中泊にも慣れている。
コーヒーを飲み干し、ドライブインを後にする。車に乗り込んで、来た道の反対車線を走った。反対からの視点であれば見逃していた道も見つかるかもしれない。
しばらく車を走らせているとカーナビから音声が流れた。
『400m先、左折です』
まもなくカーナビの指示通り分かれ道を見つけた。やはり見逃していたようだ。そこへハンドルをきる。道は山の斜面を蛇行するように延びている。木々に囲まれていて見通しが悪い。車一台しか通れないほど細い道だが、対向車に遭遇することもなく進んでいく。
夢で見た遊園地が果たしてこの山奥に存在するのか。その答えはもう目前まできている。
木々に囲まれた上り坂を抜けると開けた場所に出た。そこは駐車場だった。何十台も収容できる広さだが、車は一台もない。一角に車を停めて降りると、森の澄んだ匂いが鼻についた。
駐車場の先に階段があった。階段を上る自分の姿が影となって細く伸びる。空はすでに茜色に染まっていた。
階段の先で巨大なゲートが出迎えた。緑色に塗装され、ゲートを照らすいくつものライトが陽気な雰囲気を演出している。
胸が高鳴る。興奮で身が震えるのを感じながらゲートの先に足を踏み入れる。
石畳の道が一直線に続き、その先には噴水のある広場が見える。なおも歩みを進めると目に映る光景が次々に霞みがかった記憶と繋がる。水色塗装のメリーゴーランド。カラフルなコーヒーカップ。植え込みで形作られた巨大迷路。洋館風のお化け屋敷。パステルカラーの観覧車。
ここは初めて訪れた場所ではない。間違いなく夢の中で来たあの遊園地だ。架空だったはずの遊園地に現実に訪れているのだ。覚えのあるアトラクションを目にするたび高揚が増していく。
同時にそれとは別の感情も湧き上ががっている。車を何時間も走らせ、見知らぬ遠い地方の山奥まで来た。園内には誰一人おらず、奇妙な静けさに支配されている。本来ならアウェイに感じる状況のはずが、今は安心感に包まれてしまっている。まるで長く離れていた故郷に帰って来たような感覚があった。
日が暮れてきているというのに帰る意思を失っている。会社に通い続ける憂鬱な日々に戻りたくない。暖かく迎え入れてくれるこの遊園地にずっといたい。そんな思いばかりが募る。
気がつくと最奥部の巨大な城の前まで来ていた。その圧巻のスケールと精巧な造りには改めて見ても驚かされる。園内のアトラクションの中でもこの城は一線を画す雰囲気がある。
城に近づき扉の前に立つ。夢の中ではこの扉の先を見ることは叶わなかった。両手をついて膝に力を込めて押してみる。扉は見た目通り重厚で動かないが、夢の時と違って何かがつかえているわけではない。微かに手応えがある。
膝に力を入れ直して押す力を強める。ギギギと少しずつつ重い扉が前に動く。デスクワークばかりだったので身体が鈍ってしまっているが、溢れ出る好奇心が身体に力を与える。
扉が最後まで開き切り、勢いのままに城内へ倒れ込む。荒い呼吸を整えてゆっくりと立ち上がる。城の中を初めて目にして俺は悟った。
そうか、俺をこの場所へ導いたのは・・・。
「それでは阿形さん。最後に高木さんに会ったのはいつですか?」
「最後にあいつと会ったのは会社に来なくなる直前の金曜日です。仕事が終わった後、駅前の居酒屋で飲んでいました。」
会社の第1応接室。初めて入ったがなるほど。壁紙はシックな木目調、目の前に鎮座された光沢のあるローテーブル。今座っているソファも僕の巨体をしっかり包み込んでくれている。来客を迎えるために調度品にはこだわっているらしい。
だがまさか、この部屋で僕が初めて応対する相手が刑事とは予想だにしなかったが。
「高木さんはその時、休日の予定について何か話していましたか?」
刑事は一瞬で広げた手帳にメモをとり、鋭い目つきをこちらに向けて質問を続ける。僕と同じくスーツに身を包んでいるが、雰囲気は大きく違う。
「ドライブに行くと言っていました」
「行き先については?」
あの晩のことを思い出す。ビールを飲みながらあいつは最近仕事が忙しくなって憂鬱だと愚痴をこぼしていた。会社でも顔を合わすたびに疲れがたまっているように見えた。だからか妙なことを言っていたな。
「次のドライブは夢で見た場所に行くって言っていました」
「夢?」
刑事のメモをとる手が止まり、一瞬怪訝そうな顔を浮かべる。
「はい。変な話ですが、数日前に遊園地に行く夢を見たそうで、それがすごく強烈だったと言っていました。憂鬱で辛い日々の中でそこがいつも頭に思い浮かぶんだとか。それで試しにカーナビで遊園地の特徴を検索したところ実際にある場所らしく、今度の休みはそこへ行くと言っていました」
刑事が身を乗り出す。
「どこの遊園地か分かりますか?」
「いえ、詳しいことは何も。ただ遊園地としか」
その後も刑事は色々と質問をしたが、他に有力な手がかりになりそうな事は話せなかった。
逆に行方不明の高木に関する話も聞けた。僕と飲みに行った翌日の土曜日。高木の車が高速道路でとある地方まで行った事は確認できたらしい。山道のドライブインに訪れたところまで追えているが、その後の消息が掴めていないそうだ。
「ご協力感謝します」
話が終わり、刑事が応接室を後にする。
僕もオフィスに戻るとちょうど昼休みになった。昼食はコンビニで買ったパン1個とコーヒー。旺盛だった食欲は最近なりを潜めている。いつだったか高木に量を控えるよう忠告を受けたことがあるが、当の本人が行方不明になってから数週間が経つ。
あいつは今どこにいるのだろうか。
あの晩、居酒屋で高木が異様に目を輝かせ興奮気味だったのを覚えている。前日まで資料作りでとても忙しそうにしていて、一緒に呑みに行けるか心配だったが、高木は「どうせまた返されるから適当に書いた」と笑っていた。それほど呑んでいたわけでもないし、この変わりようはなんだと訝しかったが話す内容も輪をかけておかしかった。
「次のドライブの行き先を決めたんだが、夢で見た場所にするつもりなんだ」
「夢?なんだい、今回はずいぶん風変わりな目的地だね」
「この前遊園地にいる夢を見たんだが、そこがずっと忘れられなくてな。ほとんど朧げなんだが、ちょっとした思いつきでカーナビで遊園地の特徴を検索してみたらそこが実在することが分かったんだ」
「実在する?夢の中で見た遊園地なのに?」
「そうなんだ。だがカーナビには位置情報が出るだけでそれ以外に情報は出てこなかった。だから確かめに行くことにしたのさ。空想のはずの遊園地が実在するのかを。何だかワクワクしてくるだろう?」
前から高木にはロマンチストな面があると思っていた。夢で見た場所が実在するか確かめるというのもおかしな話だがあえて口にはしなかった。それで気が晴れるのなら良いと思った。だから、
「そうか。じゃあ来週結果を教えてくれよ。その遊園地が実在したのかさ」
と返した。
結局高木はその日以降姿を見せなくなった。連絡しても繋がらない。何日経っても自宅に帰ってこず、親族にも行方が知れないので捜索願が出された。今日まで警察が捜索を続けるも見つからない状況が続いている。刑事によると高木の足取りは遠い地方の山道で途絶えている。事故に遭った可能性もあるが…。
昼食のパンを頬張りパソコンを開く。仕事に戻るのではない。検索エンジンに高木が向かった地方を入力する。その後ろに【遊園地】を添えて。だがその地方に遊園地があったという情報は出てこない。
高木はカーナビで遊園地が実在することを知った。正確には位置情報を見つけた。
カーナビは場所の情報に特化したデータベースシステムを使用しているらしい。メーカーのサイトを見たが、ユーザーがキーワードを入力する事で情報を抽出するのをウリとしている。キーワードを増やせばそれだけユーザーが求める情報に近づく。
高木はどのようなキーワードで遊園地に辿り着いたのだろう。存在しない場所。高木が見た夢の情景は高木本人しか知るすべがない。
昼休みが終わる。
高木は戻ってくるだろうか。それとも戻る気がないのだろうか。