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2章 何度でもぶっかけます 4

 その日の午後から夕方にかけて、千畝は自分の部屋でずっと借りたDVDを見ていた。


 他の保護官のデータはそう多いとは言えなかったけれど、それでも他の人の訓練風景を見ることは勉強になったし、ここのところぺしゃんこになっていた千畝の自尊心を少しでも回復させるためにもなった。


 借りたDVDには、いやだ無理ですできませんと半切れ状態で叫ぶ人や、地面に大の字になってへばったまま起き上がろうとしない人の姿がいくつもうつっていたからだ。


 よかった、あたしだけじゃないんだ。と思うことはひそかに千畝をほっとさせる。


(だけど……問題なのは、カノだ)


 千畝がDVDを見る顔つきはけわしい。知らず知らず、眉間にはしわが寄っている。


 この訓練のさなか、自信を失ったりみっともないところを見せるのが自分だけじゃないと知ることは確かに慰めになる。だが、そこでやさしく慰められているだけではだめなのだと、カノの記録は千畝に冷や水を浴びせた。


(カノって……体力に限界はないわけ? 信じられない……)


 どの動画を見ても、カノだけが別次元の動きをしている。


 同じ高さから跳躍する時も、カノがやるとひどく簡単そうに見える。だが千畝も同じ場所で跳躍訓練をさせられたからわかっている。この高さは、相当怖い。


 訓練中のカノは、当然ながら変異をしていない。華奢な若い女性、それだけだ。なのに。


(怖いとか……躊躇するとか、そういう神経は、ないのかなこの人)


 ともすると、記録カメラがカノをとらえそこなうほどの軽快な動きだった。

 躊躇がないから一か所にとどまっていない。恐怖心がないせいか、その動きはのびやかで自然で、見るものに安心感を与える。自分にも簡単にできそうに思ってしまう。


 だけど、そうではないことを今の千畝は知っている。


(くやしい……っ)


 何度も繰り返しDVDを見ていると、気付けば暗くなっていた。

 あかりもつけずにノートパソコンを見ている千畝の横顔が、室内の窓ガラスに反射してうつっている。そこへ。


 コンコン、と遠慮がちのノックが響いた。


 千畝は集中していて気がつかない。

 ややして、そっとドアがあけられて、変異した少年の顔が覗いた。


「千畝」


 少年はまず部屋が暗いのにぎょっとして、それから千畝がベッドの上でノートパソコンを凝視しているのを見つけて更にぎょっとした。


「千畝ってば」

「あ、はい、ヨナ、なあに」


 ようやく顔を上げた千畝に、少年は顔をしかめた。


「飯……いかないの」


 あれ、もうそんな時間? と時計をあおごうとして、千畝はようやく暗くなっていることに気づく。その様子を見た少年は心配そうに口にした。


「なんかあったの」

「ううん、なにも」

「それって、千畝の実家から?」


 変異した黒爪でパソコンの静止画像をゆびさされる。


「えっ?」


 少年の指先と、そのさしているものを千畝は見比べる。なにを言っているのかとっさにわからなかった。


「ううん、違うけど……」


 ここへ来てすぐ、母に送ったメールの返事がずっと来ていないことについて、忘れていたわけではなかった。本当だ。

 だけど、ここへ来てからもう四カ月がたつ。返事が来ないことに毎日慣れて、いつも心のどこかがひりついていることにも慣れて、それが当たり前になっていた。


「お母さんからの返事は、ずっとないよ」

「そっか……ごめんな」

「あやまることない」

「いや、それでもごめん」

「ううん」


 千畝は言いながら、パソコンの静止画面を目の端で盗み見た。

 今、いいところだったのだ。カノの体の動かし方がほんの少しわかったような、つかめたような、錯覚かもしれないがそんな気がした。早く画像を動かしたかった。


「だって、ずっと待ってんだろ」

「うん」

「やっぱ俺ごめん。ヤなこと聞いた。思い出させた」

「うん」

「……千畝?」

「ううん」


 明らかに心ここにあらずで生返事を返す千畝に、ヨナは再び眉をしかめる。


「千畝さあ」

「はい」

「俺のこと」


 ヨナの声が少し大きくなったので、千畝は意識を引き戻された。


「子供扱いだから適当なの? それともなんか別の理由で適当なの?」


(あっ……)


 一気に千畝は恥ずかしくなった。


 ヨナは心配して様子を見に来てくれたのだとその時気づく。なぜ今まで気づかなかったのだろう。

 年下の、変異のすすんだ少年に気遣われて、気遣われていることにも気づかなかった自分が恥ずかしくてたまらない。


 千畝は肩を落とし、小さくなって、


「ごめんなさい……」


 そういうと、少年は、まだ顔だけはむっとした表情のままでため息をひとつついた。


「俺、心配したのに」

「はい」

「大人のくせに、なんなの」

「はい、ごめんなさい……」

「あーあ」


 やってらんねえ、という気持ちを露骨に吐きだしてヨナはもうひとつ、今度は大きなため息をついた。それから言う。


「忙しいのかもしれないし、送ってくれてるのかもしれないよ」

「……手紙や、メールを」


 そう、と少年はうなずく。


「俺さっきそれに気がついて。千畝は気がついてるのかなって思ったから。だってここって検閲あるじゃん。いつでも帰っておいでとか、つらいことがあったら言いなさい迎えに行くからとか、そういうこと書いて止められてるのかもしれないでしょ」

「そうだね」


 母の性格だとそれはないだろうなと思ったが、彼の気持ちを無にしたくなくて、千畝はそう言った。


「なんかそんな、千畝が里心つくようなこと書いて、受理されてない可能性はあるよね」

「里心……」


 思いもかけない言葉に、千畝の目がぱちくりする。


「ヨナって、都会育ちなのによくそんな言葉知ってる」


 言い終わるか終わらないかで、じろりとにらまれた。


「俺の話は真面目に聞く気あるの? ないの?」

「あるっ、ありますごめん。それとありがとう」


 あのね今はね、これ見てたの。と千畝は自分からパソコンの画面をヨナのほうへ向けて見せた。


「なにそれ」

「他の人の訓練中の映像。いろいろ参考になるなって」


 ふうん、と少年は興味があるんだかないんだかわからない相槌を打った。だが首を伸ばして画面を覗き込んでいるので、千畝は動画を再生させた。


「美神さんから借りてきたの。一緒に見る?」


 うん、と素直な返事が返ってくる。

 でもその前にカーテンしめて。あかりつけて。目悪くするでしょ。とてきぱき動く少年は世話焼きの弟のようだった。


「なにこれ、カノ?」

「そう」

「信じらんねえあいつ怖いもん知らねえ。こっちは?」

「他の人の」

「あ、なんだ、みんなけっこうヘロヘロじゃん。これなら千畝のほうが動けてるよ」

「いやいやそんなことは」

「マジだって。千畝なんだかんだ一度も泣かないし」


 子どもにそんなことを言われて喜んでいいのかどうか千畝には微妙である。


「最初の頃一回吐いたけどね」

「……そういう恥ずかしいことは忘れてほしいんだけどな」


 そこからしばらく、ヨナは画面に見入っていた。

 黙って見ているので千畝も一緒になって映像に入りこんでいると、


「ねえさあ」

「ん?」


 千畝は画面から目を離さないままで答える。

 ちょっとした雑談、みたいな雰囲気の切り出し方だったからだ。だが違った。


「千畝はいつ一人前になるの」

「えっ」


 いくらなんでもその質問は早い。

 まだ訓練についていけてもいないのに、それをヨナもいつも見てわかっているはずなのに。


 からかわれているのかと、千畝は思わずヨナの顔を見た。

 だが少年の白濁した瞳は真剣だった。


「ねえいつ?」


(えーっと……)


 千畝は答えあぐねる。


「早くしてよ、千畝」

「えっと」

「早く」


 ヨナは執拗に、早く早くと言い続けた。まるで駄々をこねる子どもみたいに。


「ヨナ……」

「早く一人前になって。急いでよ」


 その様子はどこか追い詰められた獲物のようで、千畝は仕方なく、わかったと答えるしかなかった。


「頑張るから。急いで一人前になれるように頑張る」

「絶対だよ。ほんとにだよ」

「約束ね」


 そうとしか言えなかった。

 自信など、これっぽっちもなかったけれど。

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