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3章 ミドリイロ 2

 初めて現場に出るときは、きっとものすごく緊張するだろうと思っていた。


 足も震えて、ドキドキして、前の日の夜なんてろくに眠れないんだろうな、とか。

 だが違った。


「カノって、ほんと仕事が速い……」


 車の助手席で千畝はつぶやいた。

 ためぐちになっていたことに気づいて付け加える。


「です、よね」

「ほんとにそうだな」


 横では岩間が静かに同意してくれた。


 千畝が愚痴りたくなるのも無理はなくて、あれから話はあれよあれよという間に進み、その日の夕方には千畝の制服が部屋に届けられたのだ。


 えっもう? と驚く千畝に、現場での心得があらためてレクチャーされた。

 一般人との距離の取り方。初期変異体の見分け方。変異体を発見したらどうしたらいいか。


 レクチャーしてくれたのは、小柄でおっとりした感じの事務女性だった。これまでも何度か事務所で見かけてはいたが、話す機会はなかった相手だ。

 甘い感じのやさしい声で丁寧に説明されて、千畝はなんだか落ち着かない気分だった。自分がどうしてそんな気持ちなのかもわからない。


「じゃ、これ」


 差し出されたのは黒い首輪だ。


「付け替えますので、ちょっと持っていてもらえますか?」

「は、はい」


 千畝が両手でそれを受け取ると、彼女は慣れた手つきで千畝のターコイズ色の首輪を外し、黒いのと付け替えた。

 カチッという音が耳のそばで響く。


「きつくありませんか?」

「大丈夫です」

「制服は?」

「……ぴったりです」


 よかったと彼女は笑顔を見せたけれど、千畝は、自分が嬉しいのか嬉しくないのかはっきりしない。

 なんとなく、自分が初めて現場に出るときはカノと一緒のような気がしていたのだ。

 特に根拠はないけれど、そうでない未来を想像していなかった。


 千畝はそっと新しい首輪にふれてみる。材質は同じのはずなのに、やけにひんやりしていた。


「夕方、四時に正面ゲートの前で待っていてください。そこに岩間さんが合流するので」

「あ、はい」

「なにかわからないことはありますか?」

「……あの」

「はい?」


 にこっと微笑まれる。その目線は千畝より幾分低い。


「……いえ、ありません」


 本当は聞きたいことがいくつもあった。

 えっ、今日いきなりですか、とか。ちょっと強引じゃないですか、あたしまだ見習いなのに、とか。


 相手がカノなら言えた。

 だが、初対面に近い穏やかな物腰の女性には言いにくい。彼女が決めたことでないのはわかり切っているし、彼女に言ったところで仕方がないこともわかるし。


 千畝が沈黙していると、


「今日デビューなんですよね」


 気遣うように彼女は言った。


「あ、はい、そうです」

「いってらっしゃい。気をつけて帰ってきてくださいね」


 そんなことを言われたら、余計になにも言えなくなる。

 彼女は深々と頭を下げた。


「デビューおめでとうございます」

「ありがとう、ございます……」


 千畝はそう言うしかなかったのだった。


「──大丈夫だ」


 不意に低い声が響いて、千畝ははっと現実に引き戻される。


「今日はパトロールであって、変異体の保護が目的じゃない。久しぶりに夜の散歩だと思っていけばいい」

「はい」

「怖いことはなにも」


 そこまで言って、岩間は言い直す。


「俺は見た通りごついし、一緒にいれば変な奴らに絡まれることもまずないだろう。だから、怖いことはなにもない」

「もしかして……言葉足らずだと思って、言い直したんですか」


 今度沈黙するのは岩間のほうだった。

 なんだかおかしくなって千畝はくすくす笑う。言い当てられて照れているのだとはっきりわかり、こんなに体の大きな大人の男性でもこんなふうに照れたりするのかと思うと、なんだかおかしい。


「いや……笑ってくれるならいいんだが……笑ってくれて緊張が解けるならいいんだが」

「あ、また」

「もうすぐ着くから、降りる用意をして」

「今もしかして、話をそらそうと」

「してない」


 むきになって言う様子が余計におかしくて千畝は笑い転げる。


「なーにもう、うるせえー」


 むにゃむにゃいう声が後ろから聞こえて、千畝が勢いよく後部座席を振り返ると、大きな毛布の下からもそもそとヨナが身を起こすところだった。


「ヨナ、なんでここにっ」

「おはよう。で? 着いたの?」


 もうちょっとかな、と岩間がのんきに言うのを遮って千畝は大声を出す。


「どうしてここにいるのっ」


 へっへっへ、とヨナは肩をすくめて笑う。


「笑いごとじゃない。だいたい首輪の意味がないよね、こんなにあっさり抜け出せるんなら。どういうことなの?」

「まーまー。まーまー」


 ヨナは黒くて長い爪を上下にゆらゆらさせながら言う。


「岩間がいるからセーフってことでここは」

「だから、それがどうしてって」


 がくん、と車が揺れて千畝の言葉は途中で切れた。

 岩間がコインパーキングに車を入れたのだった。


◇◇◇


 腹減った、腹減った、とヨナが騒ぐので、千畝は仕方なく最寄りのファストフードに入ることにした。


 いいですか? と聞くと、岩間は黙って財布を取り出して千畝に差し出す。彼の大きな手の中にあると長財布がやけに小さく見えた。


「好きなものを」


 注意していないとすぐそうなってしまうらしい、言葉足らずな言い方で彼が言う。

 ヨナは自分が見ているからこれで買っておいでということらしい。だが、レジに向かおうとした千畝にヨナが言う。


「外で食べるのやだー。中で食べたい」

「わがまま言わないの! 自分がどういう見た目かわかってるでしょ!」

「だからでかいパーカー着てるじゃん」


 それでいいのか。本当それでいいのか。

 千畝は思ったが、「俺が見てるから」と岩間が言うので、しぶしぶイートインに変更する。

 さすがに会計は千畝が済ませてから二階のすみの席に座り、なるべく人目につかないようヨナを一番奥に座らせる。


 わーい久しぶりのマック! と喜ぶヨナのフードを千畝は手を伸ばしてぐっと深くかぶせ直した。


「俺ポテト食う! 熱いうちに食う!」

「その真っ黒お手手を引っ込めて!」

「それじゃ食えないだろー」

「だって真っ黒で尖ってるじゃないの!」

「それ俺のせいじゃないもん!」

「わかってるけど!」


 姉弟げんかじみてきたやり取りを適当なところで岩間が止めに入ってくれて、結局千畝がポテトを一本一本口に運んで食べさせた。

 餌付けじゃないんだよ、あと子供扱いほんといや。と本人は不満そうだったが千畝はあえて無視する。


「さて」


 ひとしきり食べ終えたところで、ヨナの口についた照り焼きソースをナプキンで拭ってやってから千畝は切り出した。


「どうしてヨナがここにいるのか説明して」

「要するにさ」


 ヨナはどこか得意そうな口調で言う。


「千畝の担当は岩間じゃん? 俺の首輪を岩間とひもづけてもらったの」


(ひもづけ……)


 そんな言葉を少年に教えたのは誰だろう。

 そしてそんなことができるのは一体誰だろうと考えて、千畝は気がついた。

 岩間のさらに上級職員というと、あの施設には今のところ、一人しかいないことに。


「そ、南雲」

「どうして、そんなことを……」

「知らねえ。あいつがなに考えてるかなんて」


 ヨナはあっけらかんとしている。


「でもさ、俺あのあと南雲に話をしにいったの。俺が千畝についていく方法なんかある? って」


 直截すぎる聞き方に加えて、明らかに施設のルールに反していたが、南雲は静かに言ったらしい。ありますよと。


「で、ひもづけてもらったってわけ」


 新しく覚えた言葉を使ってヨナは満足そうだったが、千畝はむしろ違うところが気になっていた。


 南雲がなぜそんなことを許可したのか? ということだ。

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