3章 ミドリイロ 1
「妙じゃないか」
カノが言ったのは食堂の一角でだった。
集まっているのはカノ、千畝、ヨナ、岩間、そして当然のこと、南雲。
カノはトレイの上のグリーンスムージーを飲みながら切り出したので、千畝は納得のいかない気持ちで目を細めた。
これまでは、あたしの胃袋に限界なんてない、消化機能にも限界なんてないと豪語して、まるでブラックホールのように大量の食事を飲み込んでいたのに、今日のランチはたった一杯のスムージー。
(なんか、ずるい……)
アボカドとパセリを使ったグリーンスムージーは、キッチンのジューサーを借りて作ったらしい。色はものすごいが、よく同様のものを飲んでいるいのりは、バナナとヨーグルトを入れれば味はそれほどすごくならないと言っている。
(だって、カノがスムージーなんて)
なんだかティラノサウルスがバンビに変わったような違和感があった。
千畝は思わず見比べる。今はたんぱく質を重点的に取らないとならないため、山盛りのチキングリルだのゆで卵だのが乗っている自分のトレイと。
(だいたい栄養素なら、プロテインとか、サプリメントでいいと思う……)
絶対にそっちのほうが効率がいいと思うのに。うらやましい。取り換えたい。あたしもお洒落なランチがいい。
千畝がそう思っているのをよそに、カノは変わらぬ調子で続ける。
「南雲と岩間はこの件知ってるな」
ふたりはうなずいた。
カノは千畝をちらっと見て、概略を説明するように続ける。
「先日、ヒトクイによる殺人が起きた」
ヒトクイ? と千畝は思う。
ここでその俗称を聞くのは久しぶりだ。
「幸町の件だよな」
「そうだ」
岩間が言い、カノはうなずく。
千畝は三枚目の目玉焼きをもそもそと口にしながら聞いていた。
(――さいわいちょう?)
なにか意見を言った方がいいのかもしれなかったが、なにを言っていいかわからない。
「被害者は佐々木ジョージ」
「そいつハーフ?」
今度はヨナが口をはさむ。
「うんにゃ、日本人」
「でもジョージ」
「そう、カタカナでジョージ」
その男が全身の骨をくまなく折られて死亡したのだという。しかも、相手は変異体だと。
「警察の話だと、かなり長いこと生きてたそうだが、あごの骨も粉砕骨折していたせいで、詳しいことはなにも聞けずじまいで死んだらしい。死因は出血性ショック死」
ああ、と岩間が眉をひそめた。
ラグビーの選手だった彼はその様子をリアルに想像したようだ。
「苦しい死に方したな」
「そのようだ」
「ほかにけが人は?」
「ゼロだ。幸いなことに」
事件が起きたのは繁華街の路上で、終電前の時刻だったため、目撃者が大勢いたとカノは説明した。
(目撃者……)
千畝の頭の中でなにかが引っ掛かった。
だがそれは、確かな輪郭をつくる前に消える。
「その後、警察が包囲網をしき、うちの人間が駆けつけてその一角をしらみつぶしにあたったが、変異体は見つからなかった。警察は引き続き警戒を続けている模様」
「いつも思うんだが」
眉をひそめたままの表情で、岩間が言う。
「なんで、そんなに警察内部の事情にくわしいんだ」
これに対するカノの答えは、いひひひひ、だった。
(その、笑い方……)
見た目は愛らしいのに、その笑い方だけで台無しだった。
公にはできないようななんらかの交流もしくは情報漏えいがあることだけは察せられて、岩間もそれ以上追及はしなかった。どちらにせよ、こうして現場の情報があるのはありがたい。
「待って、繁華街って言ったよね」
ヨナがにゅっと爪の伸びた手を小さく挙手する。
「繁華街なのに、その後目撃情報もなしなの? 変異体が長時間隠れていられるような場所……大きな公園とかがあるの?」
「ない」
「なら変じゃん」
自分もかつて自然公園に身をひそめていたヨナの指摘は素早かった。
「変異が進んで、目の白濁が濃くなればなるほど、明るい光がつらく感じられるんだよ。変異体の体ってのは。だから繁華街なんて本能で避けるはずだ。もしそれでも繁華街にいるんだとしたら、光のささないような安全な場所を提供されてるってことで……でも、変異体をかくまう人間なんていない」
「お前は賢いな」
珍しく、カノがまっすぐに褒めた。だがヨナはむしろ顔をしかめてつづける。
「そのうえ、人目を避けるような広い公園もないんだとしたら、おかしいだろ。人を襲って殺すような……暴力衝動が抑えられないレベルの変異体ってことは、俺よりも変異が進んでるってことだ。そしたら、知性だってない」
「そうだ。そこで」
ちらり。そこでカノが千畝の方へ視線を向けたので、意味もなく千畝はぎくっとする。
ななな、なんだろう。
「千畝、お前行って見てこい」
「ええっ」
思わず反射的に声をあげてしまう。
「だ、だってあたしまだ研修期間で」
言いながら右を見て左を見る。
岩間は千畝と同じくらい驚いた顔をしており、南雲は……いつもと変わりない。目が合うと、彼はにこっと微笑を返してくる。
いや、そういうものが欲しいんじゃなくてと思わず千畝は内心で突っ込んだ。
「うちは出動要請があった時だけ単発で現場に向かうシステムだ。警察と違い、継続して捜索は続けられない」
「知ってますよ」
「だから、いってこい」
「なんでそこがだからでつながるのかさっぱりわかりません!」
「パトロールだよ」
大きな声になった千畝に、カノは頬杖をついたまま静かに言った。
「お前のデビューもなにか考えなきゃいけなかったし、ちょうどいい」
そんな、上流階級の社交みたいな。
そこだけ聞くとなんかいいことみたいに思えますけど、それ、カノ、自分が動けないから代わりに私に見に行かせたいだけですよね。
千畝が頭の中で言葉を選んでいるうちに、カノはさっさと続ける。
「そういうことで申請してやるから、いってこい」