4 自分にできること
いつものようにサチがカイトと話していると、彼が突然言った。
「今度、手術を受けることに決まったよ」
「手術?」
「うん、二か月後の予定なんだ。その前後は、ちょっとサチと喋れなくなるかも」
カイトは穏やかに微笑んだ。
「いきなり通じなくなるとビックリさせちゃうと思うから、サチには話しておこうと思って」
「そっか。ありがとう、カイト」
カイトはちょっと目を伏せた。
「もしかしたら、うまくいかないかもしれないんだ。今回の手術は」
「……うん」
「だから、もしかしたらサチと話せるのは残りわずかかもしれない」
カイトは自嘲するように笑った。
「健康的な体に生まれたかったな」
「うん」
「僕は、サチがうらやましい。健康で、毎日星を拾う仕事をしているサチが」
サチは何も言えなかった。だから、ただ、カイトの言葉を待った。
「正直、怖い。生きたい、僕も」
「うん」
「色んなところに行って、色んな景色を見たかった。友達とバカみたいに遊んで、グチを言いながら仕事して、好きな人に好きって言いたかった」
カイトはかすかに潤んだ眼で、サチを見る。
「ねえ、サチ」
「何?」
「手術が成功したら、その時は」
カイトは言いかけて、口をつぐんだ。
「……やっぱり、いいや」
「え?」
「サチ、またヨルの世界のこと教えてね。これからも」
カイトはそう言って、そっと鏡に触れた。
サチは仕事の後、帰ろうとしている先輩を呼び止めた。
「先輩。ちょっとお時間いただけませんか」
「めずらしいな。どうした?」
「相談したいことがあって。突然、すみません」
「……じゃあ、ちょっと涼しいところに行こうか」
サチの真剣な表情に、先輩はちょっと考えて言った。
先輩がサチを連れて行ったのは、路地を入ったところの甘味処だった。先輩の行きつけらしく、一番奥の席に通してもらう。
「ここのかき氷は美味いんだ」
先輩はさらりと言って、サチにメニューを差し出す。
「とりあえず何か食べながらにしよう。そのほうが気がラクだろ」
「ありがとうございます」
サチは小さく頭を下げた。
「良いんだよ。俺だってかき氷食べたかったんだし」
先輩は優しく微笑んだ。
サチが話を切り出したのは、かき氷を食べ終わった後だった。
「先輩、聞いてくれますか」
「うん、もちろん」
「……私、最近、ヒルの世界の人と喋ってるんです」
先輩が飲んでいたお茶を噴き出した。
「先輩?」
「……悪い、ちょっと待って。びっくりした。すみません、拭くものもらえませんか?」
店員におしぼりをもらう。先輩はちょっと気まずそうに受け取った。素早くこぼれたお茶をぬぐう。
「悪かった、サチ」
「すみません、私も突然過ぎました」
「いや、俺の覚悟が足らなかった」
先輩がじっとサチを見た。
「聞き違いでも、比喩でもないんだよな? ヒルの世界の人と喋ってるっていうのは」
「はい、ヒルの世界の人と話してます」
サチは少し声のトーンを落とした。
「本に書いてあったんですよ。通信方法が」
「どんな怪しい方法なんだ、そりゃ」
「鏡にむかって呪文を唱えるだけですよ。それで、知り合いが出来たんです」
「……それで、悩みっていうのは?」
「その人のことなんです」
サチはカイトの笑顔を思い浮かべた。
「私には、何ができるのかなと思って」
「うん?」
「私はヒルの世界の人には、何もできないなと思ったんです」
話し始めると、言葉が止まらなくなった。
「その人は体が弱くて、病院にずっといます。もうすぐ手術なんです。だけど、もしかしたら失敗するかもしれないって言っていて」
「うん」
「私は彼がどんな病気なのかは知りません。病気を治すことはできないどころか、そばにいって彼がつらい時に話を聞いたりすることもできない」
――だって、私はヨルの世界の人だから。
知らず知らずのうちに、サチの目から涙がこぼれた。
「物理的に無理なんです。私はただ祈ることしかできなくて」
「なあ、サチ」
先輩は宥めるように言った。
「たしかにサチができることは、あんまりないかもしれないな」
「そうでしょう」
「だけど、だからといって何もできないわけじゃないんだ」
先輩は真っ直ぐな目をしていた。
「もしサチが医者なら彼の病気を治すことができるかもしれない。もしサチがヒルの世界の人なら彼のそばにずっといることもできたかもしれない。だけど、サチはヨルの世界の人だ」
「はい」
「だから、サチにしかできないこともあったはずさ」
サチは目をぱちくりとさせた。先輩は少し微笑んだ。
「彼が興味のあったヨルの世界の話を、実際にヨルの世界の住人として話すことができた。体が弱くて友達が少なかった彼とたくさん話すことができた。そして、彼のことでこんなにも悩んでいる」
先輩はサチの目を見て、刻みつけるように言った。
「サチには、サチができることがあるんだよ。サチは無力なんかじゃない」
「……ありがとうございます」
「問題の解決にはならないだろうけどな。ちょっとだけ、気休めだ」
先輩は目の前のメニューを広げた。
「さて、サチ。もう一杯、かき氷食べるか?」
「お腹壊すので、お汁粉にして良いですか?」
「こんな暑いのにお汁粉かよ」
先輩は呆れたようにほっとしたように笑って、お汁粉を二杯頼んだ。
私は先輩のキャラクターが好きです。
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