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「――いつまで寝ているつもりだ。外が騒がしいが、相手をしてやらなくて良いのか?」
私の意識の中……頭の中にある精神空間に真紅の眼が浮かび上がる。その地の底から響いてくるかのような声によって、眠りの中にあった私の意識は引き戻されてしまった。
「――クク、そのまま堕ちてゆくのも良し。自由こそ我が望み、我が宿願……しがらみなど捨て、決意など忘れ、欲望のまま堕落してゆくが良い」
などと宣いやがるのは、闇に溶け込むかのような真っ黒な竜である。
眼も翼も六つ存在し、翼にはコウモリのような翼膜があって、吊り上げた口角から毒々しい濃緑のガスを漏らしている、その姿……何となく不潔に感じられるしブサイクである。こんなものが自分の意識と同化しているのかと思うと、ちょっと、いやかなり気持ち悪い。
「その不気味な姿のせいで、すっかり目が覚めちゃったよ。私に欲望のまま生きて欲しいって言うなら、その気取ったしゃべり方も含めて方向性を見直すべきだね」
んん、と喉を鳴らして目を開けると、まだ意識の中にいるかのように真っ暗だった。
内なる黒助ドラゴンが何かやりやがったのかと思ったけど、あれは私の意識の中に宿る存在だ。実体はないのでそれはありえない。
となると、いつもの彼女たちか。
そう考えながら目元に触れ、ちょうちょ結びにされていた自身の黒髪を解いた。
視界が開け、『東京都立立花高校』の教室が目の前に広がる。黒板横の『時計』という古代遺物は十二時を示しており、窓の外は青空が広がっていた。
その陽気の心地良さに反し、背後にいた三人の女子の笑顔は不愉快なニヤけ面である。
「……リリンはともかく、ルカとライアがいたずらだなんて珍しいですね」
ジト目を向けると、「ご、ごめんなさい!」と小柄なツインテールの子が慌てて謝った。
「ミコナ先輩の驚いた顔が見たいって、リリン先輩が言うからぁ……」
「ちょっとライア、あたしだけのせいにしないでよ! あんたも乗り気だったじゃない!」
「あっ、やだぁ! 頭さわらないでぇ!」
すらっと背が高く大人びた顔立ちの女子――リリンは、ライアのツインテール頭を上から押さえつけるとぐしゃぐしゃと?き乱した。その乱し方といったら容赦がない。
「まあまあ、それぐらいで。お二方ともいたずらに参加したんですし、どっちもどっちというものでしょう」
そのように言って仲裁に入ろうとするのは、メガネによって知的な雰囲気を醸すルカだ。しかし彼女もイタズラに参加した同罪である。無関係を装った罰が下ったのか、「ぶへぇ!」リリンの肘が思い切り顔面に当たってしまった。
「あっ、ワタシのメガネ――どぅえああっ! 窓の外にぃ!?」
「いけないんだぁ、リリン先輩のせいですよぉ?」
「いや別にどうだっていいでしょ。ただのデータなんだし、装備し直せばいいじゃない」
「はぁ……それはリリンさんの言う通りですけど、エルボーの詫びはないんですかねぇ? 痛覚感度値はデフォルトのままなんで、そこそこ痛かったんですが?」
「ふぇーん、あたし知らなーい。わざとじゃないもーん。そこにいた人が悪いんだもーん」
「うっわ、頭悪そっ! そういうの今時流行らないし、そもそも可愛くないですからね!」
あんだと!? なにおう!? と喚いている彼女たちにうんざりし、私は溜息を吐いた。
『アナザーアース』の世界で三人と出会って、もう半年。『二十一世紀』という過去の時代や古代の文明、技術力を学ぶ上で便利な『高校』に同時期に所属したことで、何となしに一緒にいることが多かった。
しかし、あくまでも何となしだ。一緒にいたくて傍にいるわけではないし、むしろ向こうから近寄って来るから一緒にいるだけなので、未だに仲間意識というものはない。
そういうわけで私は無関係を装い、眠りの世界へと逃避しようとするのだが、
「そうそう、ミコナ。あんた、どう思う? あたしの姿を見て何か思うことない?」
と、リリンが傍に寄ってきて強引に頭を持ち上げてきた。
「むぅ、何ですか? 思うところって?」
「ほぉら、今日のあたし、いつもとちょっと違わない?」
「? えっと……いつも通り『大人の色気ムンムンで素敵な女性』って感じですが?」
「とってつけた言い方が少し気になるけど……まあ、いいわ。その通り! 大人の色気がすごいでしょう、そうでしょう! なぜなら……ほら! 見てよ、この胸! Dよ、D! 『胸部パーツB』から二段階も大きくしたのよ!?」
「そうなんですか? 私、あんまり胸の大きさとか興味ないので気づきませんでした」
かぁ! と声を上げたリリンは、「同じ女でしょうに、クールなこと!」と天を仰いだ。
「この『胸部パーツD』を購入するのに五万円もかかったのよ? お世辞でも『すごい素敵! お姉さまの美しさで世界が滅びそう!』ぐらい言ってくれたっていいじゃない!」
「いや世辞にもほどがあるでしょう……それにしても、五万円もどこで稼いで来たんですか? 確かこの前、新宿エリアのすごく美味しいお菓子屋さんで散財してましたよね。……はっ! まさか、すごく稼げる『アルバイト』を発見したとか?」
「残念、現実で稼いで来たのよ。ガブリエル領で『エンヴォスの深き谷』探索クエストに参加してきたの。なんと参加報酬でギフトカードが配られたのよ!」
「参加だけで五万円のギフトカードを手に入れたと!? な、何て羨ましい……!」
私が驚愕するのと同時に、「ええっ! いいなぁ、ライアも行きたかったなぁ!」「ワタシも呼んでくれたら良かったのに……って、ワタシたち現実では一度も会ったことですけど」と他の二人も興奮気味に言った。
「ライアは新しい髪型パーツが欲しいんですよねぇ。『ヘアスタイル:貴族のたしなみβ』っていうのなんですけど、金色の髪がくるくるカールされてて可愛いんですよぉ」
「ワタシはもっとおしゃれなメガネが欲しいですかね。現実のメガネ職人って武器屋と兼業がほとんどだから、どれもこれも無骨でしょう? だからせめて、こっちの世界では思い切りおしゃれしたいんです」
各々願望を口にすると、視線は私に向けられる。「あんたはどうなの?」「気になりますねぇ、ミコナ先輩はアバターのどこ改造したいんですか?」「思えばミコナさんって出会った頃から見た目変わらないですよねぇ。そろそろ飽きてきた頃じゃないですか?」と、代わる代わる訊ねてくる。
「そう、ですね……私は――」
少しだけ思考を巡らせ、アバターパーツのラインナップを思い浮かべる。
だけど、すぐに考えるのを止めた。私が欲しい物……そんなの、一つしかない。
「『子宮』……私は、『子宮』が欲しい」
人体の一部とはいえ、普段口にする言葉ではない。それだけに戸惑いの沈黙が流れる。
けど、三人はすぐに「またか」とでも言うかのように呆れ顔をし、小さく息を吐いた。
「もうミコナ先輩ってば、いっつもそれなんですから」
「ミコナさん……ワタシたちが言ってるのはそういうことじゃなくてですねぇ、見た目のどこを変えたいかってことなんですよ」
「まったく、ミコナの悪いところよ、それ。一つのことに夢中になるってのは素敵なことだけど、どうして『子宮』なんてものにそこまで執心するのよ」
リリンは言いながら、空中に右手を走らせる。するとメニューウィンドウが空中に浮かび上がり、『ポーチ』、『連絡帳』、『アバター』、『マイハウス』等のタブの中から『ショップ』をタッチした。
別ウィンドウでショップメニューが宙に展開され、その中の『アバターパーツ』の項目を選び、一番下にこっそりと存在する『子宮』をタップ。
すると、ウィンドウ全体に人の顔がずらりと表示された。
全員、動物の耳や翼のない、かつて地球の支配者だったという古代人たちである。
「『子宮』を買ったって、子どものアバターを目の前に生成するだけって書いてあるわよ? しかも人格はこの一覧から選択した古代人のものになるらしいじゃない。子育てがしたいなら現実でしなさいよ」
「リリン先輩、きっとそこですよ。ミコナ先輩は子育てじゃなくて、誰かをこの世界に生き返らせたいんだと思います。ね? そうですよね? ミコナ先輩」
「いやいやライアさん、ミコナさんは古代人の誰かじゃなく、自分を復活させたいんですよ。『アナザーアース』にインするために使ってる『箱舟』という古代遺物は、ワタシたちの人格などを読み取り記録としてこの世界に保存しているので、やろうと思えば『子宮』を買って自分を蘇らすこともできるはずなんです。そういうことですよね、ミコナさん?」
「いや全然違いますけど……現実で死んだら、例え『子宮』を買っておいても復活の操作ができないでしょ」
呆れ交じりに応えると、「じゃあ何のために買うのよ。こんなクッソ高いもの」とリリンはウィンドウに表示されている『子宮』の金額を見て眉をひそめる。
一億円。それが『子宮』の値段である。この古代を模した世界『アナザーアース』内でもありえないほど高額なので、古代人にとってもぶっ飛んだ金額のはず。それに、臓器の売買を禁じる規則が存在しているのにパーツとして『子宮』が存在しており、しかも死者を蘇らせるような機能があるのも奇妙な話だ。そんなものに興味があるなんて、とリリンたちがしかめ面するのも理解できる。
「…………!? あわわ、何でしょう、急に体のバランスが……!」
不意にライアが倒れ込みそうになった。
ルカが咄嗟に支えに入るが、そのルカもぐらりと揺れる。
「どうしたのよ、二人とも……って、あらん? あたしも強い揺れを感じるわね」
「私も右に同じく。みんな揃って感じるというのなら、現実の方で何かあったんじゃ――」
と言いかけたところで、私の耳に穏やかで柔らかい声が届いた。
「…………、ミコナ? ちょっといいかしら。現実世界に戻って来てくれる?」
はっとした私は「ごめん、ママ……こほん、母が呼んでるから」と一言残し、メニュー画面を表示してログアウトの操作を行う。
こちらを窺っていた三人の顔が暗闇に消えた後、私は『ヘッドギア』と呼ばれる金属の帽子を外し、カプセル型古代遺物『箱舟』の蓋を開いて起き上がった。
『箱舟』の横には、エメラルドの瞳に金色の長い髪が美しく、耳が細く尖っているのが特徴的な大人の女性が立っていた。私のママ、カエラママだ。
「どうしたの、ママ。何か用事?」
「ごめんなさいね、向こうの世界を楽しんでいたのに。今役場から伝書飛竜が送られてきたんだけど、『トビトの森』に大型の魔物が現れたらしいの。『調査官』のサーチ魔法で能力値を算出したところ、危険度A3(エースリー)だそうよ」
「あらら、Aランクだなんて久々だね。三年前の『山食いドラゴン』以来かな?」
「すでにたくさんの人が戦っているところなんだけど、ミコナも加勢して欲しいの。あなたの身に宿る妖精さんの力を借りて戦ってくれたら、あっという間に倒せるでしょう?」
「妖精さん? ああ、今は腐れドラゴンの姿してるんだけど……でも知っての通り、力を借りるのはタダじゃないんだよ。制約、というか消費がキツ過ぎて……」
領内全域に通達してるなら、狩人や傭兵、冒険者たちが集まってるはず。ならみんなに任せて、『アナザーアース』内のアルバイトで『円』を稼いでいたいところだ。
なんて考えていると、「あ、そうそう、報酬はギフトカードだそうよ」とママが言った。
「えっ!? ほ、ほんと!? いくらのが何枚!?」
「一万円が百枚ですって。大型魔物が掘り起こした遺跡から発見されたんだとか」
私はママから離れると部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。
リビングを通過して外に出ようとするが、一旦ストップ。以前魔物の討伐報酬で貰った古代遺物『鏡』の前に立つ。
つるっつるのその板に映るのは、真っ白な毛をしたネコ科獣人族の少女。やはりヘッドギアをつけていたせいで髪が跳ねており、寝転んでいたことでフワフワ尻尾は掃除道具のようにボサボサである。
身長は百五十センチもなく、顔立ちもまだまだ子どもで、鏡の中の私は酷く幼く映る。とはいえ中身は十六歳だ。身だしなみに気を使わなければ、ママに恥をかかせてしまう。
髪や耳毛を丁寧に撫でつけ、尻尾はペロペロペロペロペロペロペロペロペロ、ぶちっ、ペロペロペロペロ……よし、これでいいかな。
「今日も可愛らしいわよ。怪我をしないで帰っておいでね」
白いローブの裾を揺らして階段を下りて来たママは、私の傍に寄ってくると優しく頭を撫でてくれた。心が嬉しさでむずむずした私は思わずママに抱きつき、胸に顔を埋める。
「ねえ、ママ。私ね、『アナザーアース』でね、五千万円まで貯めたんだよ」
「あらあら本当に? 頑張ったのね」
「ようやく折り返し地点……もうすぐ一億……それが貯まったら、『子宮』を買って――」
顔を上げ、ママの目を見つめると、私はそれを口にした。
「ママの、本当の子を生き返らせるからね」
どうだ、今日の反応は? と様子を窺うのだが……ママは不思議そうな顔でこう言った。
「私の本当の子? 変なことを言うのね、子どもはあなたしかいないのに」
柔和な笑みを浮かべるママの瞳の中に、紫色の鎖模様が浮かび上がる。今日もまた、『紫紺の呪縛』を解除できなかった……。
赤の他人を我が子と信じて疑わず、自身にかけられた呪いに気づかないママの姿に、胸がきゅっと苦しくなる。だが、悩んでいる暇があったらさっさと『円』を稼ぎ、本当の子と会わせてあげるべきだろう。思い出せないように封じられていても、封じているその人物が目の前に現れれば、さすがにその呪縛は解けるはずだ。
「それじゃあ行ってきます。夕飯までには倒して帰って来るから」
いってらっしゃい、と手を振るママを背に、私は玄関に向かった。
家として使っている古代樹の洞から飛び出し、木肌に爪を立てて駆け上る。太い枝を渡り、頂上へと身を乗り出した。
「スキル【風魔の大翼LvⅢ】、発動」
唱えるのは、神秘を引き起こすキーワード。魔法を発現させるための呪文。
体表に薄緑色の回路模様が現れ、背中に風で形成された翼が現れた。
空へと舞い上がると、雄大な大地が眼下に広がる。右手に神殿を中心にした大きな冒険者街『エノクの街』があり、その周辺に村が点在しているが、ラファエル領内はほとんどが森に覆われ、古代遺跡を内包した山岳が地面より突き出している。
『アナザーアース』というファンタジーと比較すると、現実は危険の多い世界だ。
毎年新種の動物が発見され、突然変異を起こした動物が魔の力を宿し、魔物となってたくさんの人を殺す。
……『アナザーアース』なら安全だ。あそこで生き返らせたのなら、『彼女』はもう二度と未知の呪いに侵され死ぬこともない。ママも『彼女』も、幸せな人生を送れるのだ。
私は翼を羽ばたかせて『トビトの森』目前まで飛んで行くと、森から突き出ているイノシシめいた巨大な魔物に接近する。
発達した顎で地面を掘り返し、剣や槍などを振るう冒険者たちを蹴散らしていたそいつは、私に気づくと口から溶岩の塊を撃ち出してきた。
高速旋回で楽々と躱し、次弾を発射しようと力を溜めている巨大魔物を見据える。
「黒助、出番だよ。今回は報酬が大きいから、風以外の力を解放しようと思う」
自分の内に語りかけると、クックと不気味な笑い声が聞こえ、首をもたげる気配がした。
「――よかろう、貴様の指示に応じミカエルの力を与えてやる。存分に振るうが良い!」
そのように聞こえてから数秒後、体表に浮かぶ薄緑色とは別の、赤い回路模様が交差するように現れた。
炎の力が体に満ちたのを感じ、私は魔物を倒すために呪文を唱える。
「スキル【風魔の大槍LvⅤ】+【炎鬼の癇癪LvⅢ】、同時発動!」
手に縦長の竜巻を生み出し、圧縮――質量でもあるかのような風の槍の末端に強烈な衝撃を与え、撃ち出す。
風の槍は魔物が吐き出した溶岩を貫き、そのまま口内へ――衝撃波によって魔物の体は木っ端微塵に吹き飛び、体内に蓄えていた溶岩が噴水のように吹き上がった。「にょわっ!?」と私は身を捩り、間一髪のところで避ける。
「あっぶな! ほんとまったく……あの『機械の文明』から、何がどうなってこんな危険な世界になったんだろう……」
ぼやいていると、「お前もその危険の一部だからな!?」「加減を覚えやがれ、ミコナァ!」と、まとめて巻き上げてしまった冒険者たちが一斉に怒鳴り声を上げた。
今後何作か完結作品を投稿予定。奈坂秋吾ツイッター(@nasaka_syugo2)
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