危険な後輩
俺の後輩の木 健はとにかく危険だ。さっきも取引先の人のことをハゲチャビンと言いそうになっていた。俺たちは彼のことを裏でハゲチャビンと呼んでいるのだが、あいつが当たり前のように本人の前で言おうとするのだ。必死で止めたよ。
「せんぱーい! もう戻ってたんですかー!」
さっきまで木と昼飯を食べていたのだが、食べ終わったら彼がタバコを吸うと言ったので、火をつけるのを確認してから俺はひと足先に戻ってきていたのだ。なぜわざわざこいつのタバコに火がつくのを確認してから離れるかというと、先日こいつがタバコをくわえて唇をライターで炙っていたからだ。タバコのこちら側か向こう側、どちらに火を付ければいいかど忘れした結果そうなったらしい。危なっかしくて見ていられない。とよく言うが、俺からすると危なすぎて見ていないといけない、だよ。
「あー眠い、休憩終わるまでここで寝ますね」
木はそのまま会社内の通路に横たわろうとした。しかし、木が寝転ぼうとした先には犬のフンがあった。
「木! そこうんこ落ちてるぞ!」
本当に危なっかしい。こいつはなんでこうも周りを見ていないんだろうか。まさか会社内に犬のフンがあるなんて思わないから今回は仕方ないが。
「あ、これ僕のうんこなんで大丈夫ですよ」
そう言うと木はうんこの上に寝転がった。そうか、俺は偏見を持っていたんだな。そのへんに落ちてるうんこは全部犬のフンだと思ってしまう。人間のフンだという可能性を最初から考えすらせずに、無意識に否定していた。まったく思い込みとは恐ろしいものだ。
ちょっと待って。会社の廊下ってうんこして良かったっけ? うんこの上にスーツで寝転がるのって大丈夫だっけ? おかしいよね? こいつがあまりにも堂々としてるから自分が間違ってるんじゃないかと思い始めてるんだが。
「安井さん、今日も木くんのお世話ですか。大変ですね」
そう、俺の名は安井という。こいつはいつも目からチーズが垂れている中村 チーズフォンデュ。マジのフルネームらしい。チーズ垂らし、略してチータラと皆呼んでいる。期せずして別の食べ物になってしまったので本人は悲しんでいるが、そもそも目からチーズが垂れているのがキモイのでどうでもいい。
「なんか臭くないですか? そのへんにうんち落ちてたりして〜、なんちゃって」
チータラがふざけたような顔で言っている。ふざけてるつもりかもしれないが、本当に落ちてるんだよなぁ。
そろそろ休憩が終わる。木はまだ起きない。やはり俺が起こしてやらんとダメか。俺は木の肩を叩いた。
「おい、もう37時になるぞ。そろそろ起きようぜ」
叩いても起きないので体をゆすってみたが、全く起きる気配がない。俺たちは1日71時間労働で、36時から1時間休憩をもらえる。それ以外に休憩はないので、疲れが溜まって深い眠りについているのだろう。
「おいマジで起きろ! あと2分で戻らないと俺もお前も拷問だぞ!」
この会社は時間にルーズな人をとにかく許さない。昨日古株の吉岡さんがお腹を下してトイレにこもり、6秒オーバーしてしまったことで、火あぶりの刑に処されて亡くなってしまった。拷問とは名ばかりで、実質死刑確定なのである。
「ふぁあ〜、おはようございます先輩」
やっと起きてくれた。早く戻らねば!
「あと1分で戻らないと死ぬからな! 走れ!」
全力で走った結果、俺たちは何とか間に合った。やばい、俺と同期の全身タマタマ発光男がまだ席にいない。あと5秒しかないのに。5、4、3、2、1、0⋯⋯現れた! 2秒遅刻だ!
「そんなぁ、そんなぁ⋯⋯!」
全身タマタマ発光男は涙を流し、口を大きく開け、遠くの方を見ている。自分がどうなるか分かっているのだろう。昨日はお世話になったセンパイを失い、今日は同期を失う俺の身にもなってくれ。全身タマタマ発光男⋯⋯いつも地味な色の服を着ていて暗いやつだったけど、良い奴だったなぁ。せめて苦しまないように逝けるといいな。
「ただいまー」
いつも影の薄い祀太鼓 一造さんが帰ってきた。彼は影が薄いので遅れても気付かれないのだ。
『祀太鼓さん、釜茹でです』
アナウンスが流れた。声を出したせいで目立ってしまったようだ。この人はいてもいなくても変わらないのでどうでもいい。
「やっと、やっと⋯⋯死ねるのか⋯⋯」
そうか、祀太鼓さんは死にたかったのか。まあその気持ちも分からなくもない。いつも彼はこの会社の愚痴を言っていた。採用担当に騙されたと。確かにそうだ。資料には72時間拘束の71時間労働、週1休みと書いてあったのに、蓋を開けてみれば水曜日が休みなだけで、実質72時間が2連続だ。144時間拘束の休憩2時間だ。それを水曜日だけ休みで繰り返す。なので我々は水曜日以外は基本働いている。
では水曜日は何をやっているのか。実は毎週バーベキューをしている。毎週開催なんて良い会社だろう。社員たちは自腹で高級な肉や魚介を買って、それを持ち寄って焼くのだ。これは社長が全部食べるので、我々は別におにぎりか何かを持っていかなければならない。網は使わせて貰えないので、キャンプ場の隅っこのほうで皆で固まって食べる。
「先輩、釜茹でってなんですか」
木が聞いてきた。知らないのか。教えた方がいいのだろうか⋯⋯
「でかい釜でお湯や油で人を煮るんだ」
「じゃあ、死んじゃうじゃないですか、祀太鼓さん」
「仕方ないだろ、遅れたんだから⋯⋯」
「何言ってるんですか、仕方ないわけないでしょ! ここは2022年の日本ですよ! そんなことがあってはダメでしょ! 」
何言ってるんだこいつは。社長からアナウンスが入ったんだからしょうがないだろ。日本の法律より社長の方が強いんだよ。新人だから知らないんだな、こいつは。教えてやらないと。
「社長の言葉は絶対なんだよ。それ社長に聞かれたらやばいからな? そういうこと言うならもっと小さい声で言えよな」
本当に危なっかしいよ。社長にバレたら殺されるんだぞ。そもそもこの思想が危ない。危険だ。危険は排除せねば。
「いや、ダメです。僕、今から社長に会ってきます。先輩は警察呼んでおいてください」
警察ってなんだ? こいつマジで訳の分からないことばかり言うなぁ。本当危ない。社長に会ったら殺されるだけだぞ。
「警察ってなに? 俺仕事のことしか分からないから、他のことわかんないよ」
これは本当だ。仕事で覚えることが多すぎて、仕事以外のことは全て忘れた。人の名前も会社の人間以外忘れてしまった。家族の名前すらも。
「こりゃ重症だ。分かりました、僕が電話します。先輩は僕と一緒に社長室に行きましょう」
そう言うと木はどこかへ電話を掛け、俺と社長室へ向かった。一緒に歩いている時木の顔を見たが、かなり怒っている様子だった。
「失礼します! 社長、あなたのやり方はおかしい!」
木は社長に掴みかかる勢いで社長に怒りをぶつけている。社長が危ない。守らなければ。
「安井くん、教育が足りてないんじゃないか?」
社長に叱られてしまった。早く木の洗脳を済ませないと⋯⋯
「どんな手を使って隠蔽しているかは知らないが、私刑なんてしていいはずがない! じきに警察が来ます。観念してください」
「ふん、小僧がいっちょ前に。お前みたいなやつは過去に何人もいたよ⋯⋯でも今も変わっていない。これがどういうことが分かるか」
そう言うと社長はパチン、と指を鳴らした。すると部屋の外に待機していたゴリマッチョが3人部屋に入ってきた。
「連れて行け」
社長がそう言うと、裸のゴリマッチョが3人がかりで木を捕え、持ち上げた。
「離せ! このやろ、離せぇ!」
暴れる木。ゴリゴリマッチョの木でもさすがにゴリマッチョ3人には敵わないようで、そのままどこかへ連れて行かれた。ゴリゴリゴリマッチョだったらまだ希望はあったものの。
「安井くん、ちゃんと頼むね」
「はい、失礼致します」
しばらくして、職場に警察とやらが来た。
「ブラック企業だと通報を受けたのですが、本来これは労働基準監督署に言って欲しいですね。でも聞き込みさせてもらいますね、どうですか、この会社は」
「とても良い会社です!よくみんなでバーベキューに行くほど仲良しです!」
部長は大きな声で言った。
『その通りです』
続いて部屋にいた全社員も声を揃えて言った。
「そうですか、わかりました」
警察とやらは帰って行った。
「さぁみんな、バリバリ頑張ろう!」
部長が元気よく言った。
『おーっ!』
みんなも元気よく答えた。皆息ぴったりだ。本当に良い会社だなぁ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。これがブラック企業です。ブラック企業を許してはいけません。長く働いているとだんだんと感覚が麻痺していくことでしょう。どんなに険しい道だろうと前に進まなければならない、そんな状況ではないですか? あなたが思っているより世界は広いんです。あなたはどこへでも行けるんです。
適当なこと言うなって? ごめんね。でも適当でいいじゃない。