オリバー・ロッド
婚約2周年パーティ当日となった。
大人の都合により招待された上位貴族が多数を占め、シャーロットの知り合いと呼べる者はほとんどいなかった。というのも、同年代の女子からは嫌われ学園の友人もいなかったからだ。侯爵家の一人娘であるシャーロットを率先していじめるようなことはないが、仲良くなろうと近づいてくる人もいなかった。
参加者に一通り挨拶をした現在、シャーロットは立食コーナーでガトーショコラを頬張っていた。先月買って帰ったケーキが美味しかったため、今日のパーティで出すことにしたのだ。
それにしてもあの男、自分も主役の一人であるのに何時にくるつもりなのかしら?
こめかみがピクリと動くのを感じながら時計を見るとパーティ開始から1時間半が経っていた。
もちろん、一緒に来るはずのフォード侯爵夫妻も到着していない。
親子揃って私、いえ、ブラックウェル侯爵家を舐めているとしか思えないわね。
父の方を見ると、招待客と談笑しながらも出入口の方を気にしているのがわかった。私と目が合うと、玄関の方へ行けというようなジェスチャーをされた。
シャーロットは鏡でガトーショコラのチョコが残っていないことを確認し、婚約者を迎えるべく玄関へと向かった。
暖かくなってきたとはいえ、夜の5月は冷える。ケープを羽織って出るべきだったわね、と考えているとちょうどフォード侯爵家の紋章が入った馬車が停まるのが見えた。
「あら、レディ・シャーロット。ごめんなさいね、遅くなってしまって。ほら、あなたも挨拶なさい」
上品な緑色のドレスを纏って降りてきたのはフォード夫人だ。その後に続くようにクリスが降りてきた。
婚約者であるクリスは青いシャツに白いスーツ、胸元に青いハンカチを挿しているため、シャーロットのドレスとペアだとわかるようになっている。
良かった。ちゃんと聞いていたのね。リリィ・アップルも一緒だったらどうしようかと思ったけれど、釘を刺したのが効いたみたい。
「フォード侯爵様、フォード侯爵夫人、遅れるのは上位貴族の特権ですのでお気になさらず。どうぞパーティをお楽しみくださいませ」
「こんばんは。レディ・ブラックウェル」
「こんばんは。フォード卿」
侯爵夫人に促され、眉間を寄せながら婚約者のクリスが挨拶をしてきた。
会場に入ると招待客が一斉に振り向いた。
「本日の主役である、レディ・シャーロット・ブラックウェルとクリス・フォード卿のご入場です」
「皆さま、ごきげんよう。本日は私たちの婚約2周年記念パーティにお集まりいただき、ありがとうございます。簡潔ではありますが、挨拶はこの程度にしておこうと思います。どうぞ引き続きパーティをお楽しみください」
クリスが何も言わないためシャーロットが挨拶をし、オーケストラが音楽を再開した。
私たちは踊る予定がないし、あと3時間いるだけで無事にパーティは終わるわ。クリスは知り合いが多くいるみたいだけれど、どうするのかしら?
先ほどまで隣に立っていたクリスがいないことを確認し、一体どこにいったのかと会場を探すと立食コーナーでこれでもかと料理をお皿に盛る姿を発見した。お皿に乗った料理を全て食べるつもりなのかとシャーロットが目を見張っていると、侍従に持って帰るように指示したようだった。
あんなにたくさん食べるのかと思ったけれど、持って帰るのね。家族で分けるのかしら?ブラックウェルで金銭援助をしているから、そこまでひもじくないはずなのだけれど…?
婚約者の奇行を発見した以外は特にサプライズもなくパーティは終了した。
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「おはようございます、お嬢さま」
アンがカーテンを開けた光で目が覚めた。外から剣のぶつかり合うような音が聞こえる。
「今日は何かあるの?騒がしいわね」
「本日は年に1度の入団試験がございます。我が侯爵家は好待遇と評判ですので、たくさんの入団希望者が列をなしておりますよ。お嬢さまもご見学なされてはいかがです?」
朝から見学だなんて、と思い二度寝をしようとしたが剣戟がうるさくて寝られなかった。
「はぁ、仕方ないわね。やることもないし見に行くわ」
試験会場に近づくにつれ、剣の響く音も大きくなってきた。
シャーロットは試験会場を囲うように建っている壁の2階部分から見学していた。
今まで気にしたこともなかったけれど、屋根がないから雨の日は濡れてしまうわね。今日は晴れていてよかったわ。
「…ねえ、あの騎士の名前は何?」
「?あの茶髪の方ですか?申し訳ありません、午前は平民の入団試験ですので把握しておりませんわ。ただいま確認に行かせます」
一目見てわかった。先月、私を起こしてくれた人だわ。
シャーロットが指したのは、17歳くらいの中肉中背の男だった。ありふれた濃い茶髪をしており、一度会っても覚えるのが難しいくらい平凡な容姿をしていた。
「お嬢さま、彼の名前はオリバー・ロッドというようです。ただいまの試合が3回戦で、あと2勝すれば決勝進出だそうですわ」
「…そう。決勝に行くようであれば私の専属騎士にするわ」
「かしこまりました」
3回戦は少し苦戦して勝ち進んだようだ。
冷静な分析をするのね。息も切れていないし、体力はありそうだわ。優勝は難しそうだけれど、準優勝にはなりそうね。
そう思いシャーロットはそれ以上の見学をやめて部屋に引き上げた。
寝る前のチョコレートを食べていると、アンが報告があると言ってきた。
「本日おっしゃっていた専属騎士の件ですが、オリバー・ロッドは決勝に進出し準優勝したようです。明後日から侯爵家で働くようになるそうですが、いつから専属騎士に就かせますか?」
「ここでの仕事に慣れる必要があるだろうから、来週からでいいわ。それまでに少し会話もしたいわね」
「かしこまりました。不自然にならないようにスケジュールを合わせておきますね。それでは、おやすみなさいませ」
シャーロットはベッドに横になり、あの日のことを思い出していた。私を起こしてくれた時の少し固めの手は剣を握るために出来たタコだったのだろう。低く落ち着いた声は甘めで、シャーロットを見つめた目は平凡な黄緑色だった。にもかかわらず、シャーロットは吸い込まれるような不思議なきらめきを感じた。
私ったら何を考えているのかしら。なぜこんなにも気になるの?
オリバーが決勝に進出したと聞いた時の安堵と胸の奥に灯った小さな暖かさにシャーロットは気づかないふりをして眠った。
「お嬢さまにご挨拶申し上げます。先日からブラックウェル侯爵家の騎士となりました、オリバー・ロッドと申します」
学園から帰ると、応接室でオリバーが待機していた。アンが手配してくれたようだ。
「こんにちは、ロッド卿。この前は転んだ私を起こしてくださり、ありがとう」
シャーロットも挨拶をしたが、ピンときていないようだった。
私を見て思い出さないなんて。普通、貴族を助けたら恩を売るために覚えておくものではないの?あの日の私はお忍びではなかったから、服装で貴族とわかったはずよ。
「もったいないお言葉でございます。騎士を志す者として当然のことをしたまでです」
定番の応答文を読んでいるかのようだったが、シャーロットは満足だった。
欲がないのね。面白くない返答だけれど、お金に目が眩んでないから他の貴族のスパイになる可能性は低そう。口が堅そうで控えめなところが気に入ったわ。
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「くそっ。逃げられたか」
裏路地に逃げ込んだ強盗犯を追いかけたが、寸でのところで逃げられてしまった。
転んだ女性を助けなければ捕まえられただろうか?いや、それは騎士を目指す自分にとってありえない選択肢だ。強盗犯を捕まえ実績を積むことで騎士になる確率を上げようと考えたが、実力で入団試験に合格するしかなさそうだ。
それにしても、キレイな女性だったな。
長いまつげと意志の強そうな紫の瞳、日に焼けたことのない真っ白な肌は貴族の女性を思わせた。オリバーが今まで見た女性の中で最も美しい女性だった。
また会えるだろうか。
オリバーはそっと呟き家へと帰った。
そして現在、ブラックウェル侯爵家の騎士として入団し、シャーロット・ブラックウェルの専属騎士に就くよう言い渡された。
先日再会した時は驚いたが、まさか自分が侯爵令嬢の専属騎士として選ばれるとは。会った時に心情が顔に出ていなかったか心配だ。騎士たるもの、如何なる時も冷静に表情を変えないことが求められるからな。選ばれたということはお眼鏡にかなったのだろう。これからも精進していかねば。
オリバーは決意を新たにし、シャーロット・ブラックウェルの専属騎士になった。