魔女アリア
血に関する表現があるのでご注意ください。
「いらっしゃいませ、マドモアゼル・ブラックウェル」
店内に入ると、微かな薬草の匂いと薔薇の香水の香りを感じた。
魔女の店はもっと散らかっていてほこりっぽいイメージだけれど、そんなことはないわね。
すっきりと片付けられた店内と壁面に収納されているワインを見てシャーロットは思った。
店を入って正面にカウンターがあり、そこに座って肘をついている女性が話しかけてきた。
女性はまっすぐ伸ばした灰色の髪と緑色の瞳を持ち、修道女のような恰好をしている。
「魔女に会いに来たのだけれど」
「昼にこの店を訪れる客は大概が魔女に会いにきますよ。まあ、おかけなさいな。今紅茶をお持ちします」
女性は見た目とは裏腹にシャーロットが想像していた魔女のような話し方をした。
もしかして彼女が噂の魔女なのかしら。見た目は魔女よりも教会で見た聖母像のようだわ。
「さあどうぞ。貴族のお嬢さまのお口には合わないかもしれませんが、どうぞお飲みになってください。気分がすっきりしますよ」
「…いただくわ」
女性が出してきた紅茶は爽やかな薬草の香りがした。
飲んでも大丈夫よね?外にいる護衛に気づいているはずだもの。変なものは入れていないと信じるしかないわ。
シャーロットはためらいつつも向かい側に腰かけた魔女に見つめられていたため、紅茶に口をつけた。
飲んだ瞬間、爽快感と苦味と甘味が鼻腔をくすぐった。
まずぅい。
涙目になりつつ二口目を飲むと、不思議と苦味が消え美味しいと感じるようになった。さらにシャーロットを悩ませていた不快感と頭の重みがなくなり、視界がクリアになった。
「うふふ。では、ご依頼をお聞きしましょうか。恋愛相談というように聞いていたのだけれど、あなたを見ていると違うようね?あなたの運命について聞きに来たのかしら」
魔女は私の反応を予想していたようだった。それに、私が来た目的もわかっているようね。それともただ当たり障りなく言っているだけかしら?バーナム効果だったはずよね。
「魔女様には私の運命がどうなるかわかるのですか?」
とりあえず魔女が本物か見極める必要がありそうね。こちらからは情報を与えずに、どの程度当てられるかしら。
シャーロットが目を細めて魔女に問うと、魔女の緑色の瞳が一瞬濃くなった気がした。
「そうねぇ。あなたには2人の男が大きく関わるようになるわ。ただし、お嬢さんの求めている答えに関してはわからない、としか答えられないわね」
「私が何を求めているのかご存知なのですか?」
シャーロットの質問に魔女の目が妖しく光った。
「異世界への行き方を求めているのでしょう?」
心臓のどくどくという音が耳元で聞こえるかのようだった。不安と期待が胸中を占めるのを感じる。
どうやらこの魔女は本物のようね。私からはほとんど何も言っていないのに異世界という言葉が出るとは思えないわ。そうなると2人の男が誰なのか気になるけれど、今大事なのはそちらじゃないわね。
「…魔女様は異世界からいらしたという噂を聞きました」
「アリアでいいわ。私もその噂を聞いたけれど、残念ながら違うわね。異世界から来たお嬢さんのご希望に沿えず申し訳ないわ」
私が異世界から来たということもわかるのね。異世界から来たわけでないのに色々と見通せる力があるのはなぜかしら?むしろ異世界から来たから力が使えると考える方が間違っていたのかもしれないわ。その理論だと私も使えるはずだもの。
「では、どのようにして私が異世界から来たと考えたのですか?」
「お若いお嬢さん。この世は不思議なことで満ち溢れているのですよ。教会が奇跡の力を使っているのを見たことはありませんか?そして私は人々から魔女と呼ばれています。魔女とはすなわち、魔法を使える者を意味するのです」
「魔法はおとぎ話の中だけだと思っていましたが、本当にあるのですか?」
私が疑っているのを感じたのか、魔女は大げさな身振りで説明を始めた。
「一般的に魔女とは薬剤を調合する人を指しますが、ごく稀に私のような本物の魔女が存在します。家系に依存する場合が多く、予知や呪いを得意とする姿は人々の目から魔法を使っているように見えるのでしょうね。対照的に教会は身体の治癒や魂の色を見て心のケアをすることが得意だと聞いていますわ。私は呪いを使えませんが、その分強力な予知能力を持っています」
「だから異世界への行き方はわからないとおっしゃったのですね」
本物の魔女だと確信した分、元の世界への帰り方がわからないという言葉にシャーロットは心が沈むのを感じた。
上手くいけば今日帰れる方法がわかると思ったのに。むしろ世界中探しても見つからないと言われたようなものだわ。
私が落胆したのを見て魔女は励ますように言った。
「お嬢さんはまだ14歳よね?時間はたっぷりあるのだから、そう気落ちする必要はないわ。こちらに来れたということは他の世界へ行くことだって不可能じゃないと思うのよ。ただ行って帰ってきた人がいないだけだわ。私も他の魔女に聞いてみるから、ね」
魔女というのは思ったよりも親切なのね。
「わかったわ。また来ます」
そう言って席を立ち出口に向かうと後ろから「まいどあり」と声が聞こえた。料金はアンが支払っているはずであり、その声を聞くと商売なのか本物の魔女だったのかわからなくなるが、シャーロットの心は先ほどよりも軽くなっていた。
「レストランに行くわよ」
「はっ」
シャーロットが扉を開けるよりも早く護衛の騎士が扉を開け待っていた。
店の中での会話は聞かれてないわよね?
「お土産も買うから護衛をもう一人連れて行くわ」
「かしこまりました。こちらで少々お待ちください」
表通りに出る角のところで護衛に声をかけると待っているように言われた。護衛対象から目を離すなど普通はしないが、治安の良さと人通りの良さから安全だと判断したのだろう。シャーロットは少しの間一人になった。
「きゃーっ!強盗よ!誰か捕まえて!!」
レストランとは逆の方から叫び声が聞こえ、誰かがこちらへ走ってくるのが見えた。前を歩いていた人たちが急に左右に離れたと思った瞬間、裏道に入ろうとした犯人とぶつかりシャーロットは尻もちをついた。
「いたたた」
「大丈夫ですか?」
近くにいた人がシャーロットに手を差し伸べ起こしてくれた。
「お、俺は何もしらないぞ!なにもしていないからな。は、はは、運が悪かったと思え!」
「待て!」
震える声でそう呟き、手に持っていた何かを捨てた後犯人はそのまま消えていった。シャーロットを起こしてくれた男はシャーロットが一人で立てるのを確認し、犯人を追いかけて行ってしまった。
「もう、なんなのよ。痛いじゃない」
シャーロットは犯人が捨てたものを確認しようとのぞくと、顔から血が引いた。
犯人が落としたものは血が付いたナイフだった。そして血の濡れ具合からして直前にぶつかったシャーロットを刺したものと思われる。
慌ててぶつかった箇所を確認するとぬめっとした感触があったが不思議と転んだ以上の痛みはなかった。
どういうこと?怪我をしていないの?それとも私の感覚が鈍いだけ?
幸い濃いめの紫色のドレスだったため血の跡は目立ちにくいが、怪我を確認するために触った白いレースの手袋は赤く染まっているのが明らかだった。
背後の喧騒が大きくなったのを感じ、シャーロットはナイフを人目に付きにくい場所に隠した。
「お嬢さま!ご無事でしたか?」
「遅いわ!何をしていたのよ!!今日は気分じゃなくなったから、ケーキだけ買って帰るわ」
護衛に指示をし、シャーロットは馬車の中で待つことにした。
「ただいま手配いたします」
なじるような言い方になってしまったが、混乱していたシャーロットは気付かなかった。実際、護衛対象から目を離し怪我を負わせていたなら一緒にいた護衛騎士たちは全員クビになっていただろう。騎士たちは言い訳することなく素直に指示に従った。
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「おかえりなさいませ、お嬢さま。久々の外出はいかがでしたか?」
アンが待っていたかのように帽子を受け取ると尋ねてきた。
シャーロットはため息を吐いた。今日の外出がどうだったか、と言われると良くなかったと言えるだろう。魔女の店での収穫もなく、レストランにも寄れなかったのだから。
「…まあまあだったわ。レストランには寄らずにケーキだけ買ってきたからあとで出して頂戴」
「かしこまりました。…お嬢さま、何か隠していらっしゃいますね?その手に持っているものは何です?」
さすがアンね。予備の手袋が馬車にあったから変えたのだけれど、そのままにしておくのはまずいと思って持ってきたのよね。刺された側とは反対の左側に立っているからバレないと思ったのだけれど。
隠し通すことは無理だと判断し、シャーロットはおずおずと手袋を差し出した。
「まあ、何です?この血は。よく見るとドレスにもついているではありませんか!」
シャーロットから手袋を受け取ったアンは悲鳴のような声を上げた後、いぶかし気にシャーロットを見た。
「…お嬢さま。誰か刺したんですか?」
「刺してないわよ!お前に話すことはないわ。さっさと行って頂戴」
元気そうなシャーロットを見て、他人の血だと考えたのだろう。アンは不安気にシャーロットを眺めた。
自室に戻り傷口を確認したが、何事もなかったかのように傷がなかった。
ドレスに付着した血液と破れ目が現実に起こったことだと証明しているわね。これがなかったら白夢中を見ていたと錯覚したかも。
そういえば、起こしてくれた人にお礼を言っていなかったわね。
これがシャーロット・ブラックウェルとオリバー・ロッドの出会いとなった。