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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Extra Stage-α:ボヌールの醜聞
98/362

勝ち逃げ/事件が真に解決するのは、何時?

 連想ゲームのような話になってしまうが、この推理には自信がある。

 姉さんや凛音さんの言動の中に、いくつものヒントがあった。


 例えば、分かりやすいところを挙げれば、姉さんが「ライジングタイム」にグラジオラスが出演決定したことを夕食中に伝えてきた時。

 彼女は、はっきりとこう言っていた。


「ああ、その辺りは交渉の成果だな。()()()()()()()()()()()()()も、色々と使ったが。それの感謝も含めて、グラジオラスを連れて挨拶回りに行ったんだ」


 この個人的なコネというのがどんなものなのか、俺はこの時聞いていない。

 ならば、これが凛音さん本人と仲が良い、という風に解釈することも出来るだろう。

 あれはつまり姉さんの方から、昔からの知己である凛音さんに「ライジングタイム」へのグラジオラス推薦を頼んだ、という話だったのだ。


 また、そもそも事件の初期の頃、脅迫状にまつわる話を姉さんが捜査していたこと自体、考えてみればおかしかった。

 だって彼女は本来、グラジオラスプロジェクトのプロデューサー補なのである。

 同じ事務所とは言え、他所の部署に届いた脅迫状の捜査までする義理は無い。


 だというのに、姉さんは氷川さんを呼び寄せてまで捜査活動を行っていた。

 話によれば、上司にあたる鳳プロデューサーまで巻き込んでいる。

 そんなだから、「木馬」のようなコードネームを鳳プロデューサーが付けていたのだし。


 この行動の理由は多分、その時点では純粋に被害者だと思われていた凛音さんと親しかったからだろう。

 友人の危機だと察して、自分から対策会議の類に参加していたのだ。


 二人の出会いも、簡単に想像出来る。

 氷川さんの話では、姉さんは高校時代、近隣の中学校や高校から人を集め、その人たちとよく行動を共にしていたらしい。

 二人が知り合ったのは、そこだろう。


 多分、ネットの情報通り、凛音さんは等星高校出身であり────そしてそこは、姉さんや氷川さんが通っていた煌陵高校の程近くだ。

 知り合うチャンスはあった、ということになる。


 そして恐らく、この時はまだアイドルだからどうこうというより、普通に友達として知り合ったはずだ。

 というのも、姉さんの年齢は俺の十個上なので、高校に通っていた期間は、十年前から八年前にかけての三年間。

 一方、凛音さんのデビューは九年前、しかも最初の一年間は大して売れていない。


 つまり、姉さんが高校一年生から二年生であった時期──部活動をガンガン行っていた時期──は、凛音さんは完全なる一般人だったか、或いは大して売れてもいないアイドルでしかなかった訳だ。

 だからこそ、彼女を家に呼んで俺と顔を合わせるようなことが起きた時にも、わざわざアイドルの友達だ、なんて紹介はされなかった。

 あくまで普通の友達だったから。


 また、他校の友達ということで、氷川さんは凛音さんのことをよく知らなかった可能性が高い。

 もし知り合いなら、流石にどこかで言及しているだろうし。


 そうしなかったというのは、氷川さんと凛音さんの関係は「友達の友達」どまりであり、親しくは無かった、ということになる。

 仮に話したことがあったとしても、ほんの一時期だったのではないだろうか。


 対して、姉さんと凛音さんの繋がりはかなり長い。

 当然だろう。

 姉さんの大学時代はまあともかく、彼女はその後、ボヌールに入社したのだから。


 もしかすると大学時代は疎遠だったかもしれないが、再び顔を合わす機会も出来て、また親しくなった、という流れか。

 勤め始めた頃、社員に友達は居ないとか何とか言っていたが、所属アイドルに友達は居たのだ。


 ……ここまで推理出来たからこそ、俺は彼女を呼び出すことが出来た。

 例の、ミステリー研究会の同窓会の手紙を使って。


 俺は昨日、あの手紙に書かれてあった幹事への連絡先を利用して、凛音さんへの連絡先──正確には実家への連絡先だが──を調べたのである。

 と言っても、カラオケボックスに来るように伝えて欲しいと、メッセージを残しただけだが。

 それでも、その伝言が彼女に伝わってここに来た時点で、彼女たちの繋がりは証明されていた。


 親しい割には、入社後に二人はその関係性をあまり喧伝していなかったが────これは、天沢の言っていたような、コネを勘繰られることを嫌がった、というのが大きな理由だろう。

 多分、姉さんは普通に入社試験に受かってボヌールに入ったのだと思うのだが、トップアイドルの凛音さんと高校時代から友人です、などと社内で言ってしまうと、「もしや凛音の口利きでコネ入社したのでは……」と思われる危険性がある。


 故に、表立っては関係性を秘匿した、ということか。

 俺にも言っていなかったことからすると、基本的にボヌールに伝わり得る存在には、家族相手でも言及しないようにしていたのだろう。

 まあ、それはそれとして「ライジングタイム」の一件ではバリバリにコネを使っているので、自分の入社はともかく、自分の担当アイドルのためには普通にその関係性を利用していたようだが。


 この辺りのちゃっかりした感じ──それはそれ、これはこれ、みたいな──は、如何にも姉さんらしい。

 何せ、警察の囮計画にタダ乗りする人である。

 尤も、彼女も別にコネ目的で友達付き合いしていた訳ではなく、普通に友達として好きだったとは思うのだが。


 この、友人として好きだったというのは、凛音さんの方も同様である。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()という一点だけでも、その関係性が推しはかれる。


 恐らく、凛音さんは分かっていたのだ。

 自分が引退したいと思い、姉さんに相談したところで、姉さんを困らせるだけだ、と。

 ボヌールの幹部という訳では無く、別のアイドルのプロデュースに忙しい彼女に協力を仰いでも、いくら何でも何も出来ない、と。


 そして、引退のために自作自演の事件を仕掛ける、と決めたことで、猶更相談は出来なくなった。

 一度でも相談すれば、万一企みが発覚した際に、姉さんまで共犯者扱いされる可能性がある。


 だから、「ライジングタイム」の推薦を頼まれた時にすら──グラジオラスに迷惑を掛ける可能性が高いと知りながら──凛音さんは引退計画を言い出さなかったし、断らなかった。

 彼女にとって、積野大二のようなファンは使い捨ての駒だったし、ボヌールと言う事務所も貶めるべき敵でしかなかったが────姉さんとその関係者だけは、そうでは無かったのだ。


 故に、これらの事件は姉さんを巻き込まない形で行われていた。

 ボヌールは盛大に揺れるだろうが、少なくとも姉さんの責任にはならない、という感じで。

 勤め先の経営が傾くという点では姉さんに迷惑がかかっているが、そこは仕方の無い犠牲として割り切ったのだろうか。


 ……まあその秘密主義のせいで、姉さんは脅迫状を受け取った後、友人を救うべく普通に捜査し始めてしまったのだが。

 結果、「ライジングタイム」の撮影に、見知った顔が同行したのだから、凛音さんは面食らっただろう。

 あれ、あの子はまさか、と。


「まだ小さかった俺はともかく、貴女は俺のことを覚えていた……だからこそ、バスの中で声をかけてきたのでしょう?何をしにきたのか、探るために」


 少し間をおいて、俺は凛音さんに問いかける。

 すると、彼女は少し懐かしそうな顔をした。


 思い出しているのだろうか────自分が、俺が天沢と話しているところを観察していた時のことを。

 結果から言えば、あの時は俺が恐縮したこともあって、大して話せなかったが。


「しかしあの時、貴女は目を回したでしょうね……十年振りに顔を合わせる友人の弟が、撮影に同行したばかりか、火災の犯人として疑われたんですから」


 もっと言うと、寄りにもよって「木馬」候補になってしまったのである。

 真の「木馬」として、彼女は口をあんぐりと開けるしかなかったのではないだろうか。


 厳密に言うと、あれは茶木刑事なりの囮作戦だったのだが、警察関係者でも無い凛音さんはそれを知らない。

 いくら事件の黒幕でも、全てを知っていた訳でも無いのだ。

 彼女の視点では、普通に俺が掴まりそうになっているように見えたことだろう。


 しかもこの後、積野大二が余計なことをする。

 例の、火災は自分がやった、というメールだ。


 あれは、凛音さんとしては本当に余計な振る舞いだった。

 積野大二は、凛音さんがボヌール内で唯一迷惑をかけまいとした人間の身内の立場を、悪くしてしまったのだ。


 そう言う意味では、俺が冤罪を吹っかけられそうになったことは、俺にとって不幸だったのは勿論、凛音さんにとっても想定外の不幸だったと言える。

 これで俺が冤罪を掛けられたまま捕まるようなことがあれば、折角姉さんを直接は巻き込まないように配慮していたのが、全て無に帰してしまう。


「だから、貴女は庇ったんです。俺のことを、全力で。火災の真相について、自ら推理までして」


 やや、語調を強くする。

 依然として凛音さんは悠然と構えていたが、その指が、微かに震えたのを俺は見逃さなかった。


 この辺りは、一連の計画の中でも杜撰というか、彼女が珍しく致命的な隙を晒した場面である。

 全てが想定外なので、仕方が無いと言えばそうなのだが、真犯人としては思うところがあるらしい。

 逆に言えば、俺としては推理しやすい流れだったが。


「……しかし、その時の貴女は忙しい立場でした。取り調べが当然ある上、中止にならなかった握手会もあった。他にも、細かい仕事は予定通りに進んでいたでしょうから」


 彼女にとっても謎だった火災の原因については、情報収集も碌に出来なかった、ということになる。

 未だにアイドルの仕事をしていたせいで、結果的に情報から隔離されていたのだ。


 これでは俺を庇いたくても、事情が分からなさ過ぎて庇えない。

 だから、彼女はマネージャーに我が儘を言ってまで、俺を呼び出す羽目になった。


「……握手会で貴女が語ったことには、概ね嘘が無いでしょう。貴女は本当に、火災の真相を知りたかった。まあ、それは好奇心では無く、自分たちがしていないと確信していたから、というのが大きいでしょうが」


 人払いまでさせて俺の話を聞いたのは、その辺りの事情が関連しているのだろう。

 あれは、純粋に俺のためだったということだ。

 加えて、彼女にとっては幸いなことに、俺は事件について調べていたので──つまり、彼女が飢えていた捜査上の最新情報に詳しかったので──推理の材料はすぐに手に入った。


 そして彼女からすれば、この火災の真相は簡単に分かる。

 外部犯じゃないと分かっている以上、全く関係ない事故の可能性が必然的に高くなるからだ。


 俺の話だけで彼女が火災の真相に至ったのは、そのせいかもしれない。

 もしかすると、普通に猫避けのペットボトルを撮影中に見ていたのかもしれないが。


「貴女としては、安心したでしょうね。火災が誰のせいでもないと分かって……その真相を伝えれば、俺の疑いは薄くなりますから。しかし、ここでもう一つの想定外が起きました」

「それはもしかして、刑事さん?」

「そうです。突然現れた巌刑事による、俺の連行。あのことで、貴女の計算はさらに狂ってしまいました」


 何せ、目の前で俺が連行されたのである。

 警察の真の目的を知らない彼女としては、いよいよ俺が逮捕されるのではないか、と心配になったとしてもおかしくない。

 そうなれば、俺はまあともかく、姉さんに申し訳が立たない、とも思ったのだろう。


 だからこそ最初、巌刑事相手に食って掛かった。

 任意同行だとか、やり口が強引だとか言って。


 物販を手伝ってもらう予定だった、というのは完全にその場で考えたでっちあげだろう。

 その場で火災の真相を語ることも出来たはずだが────それをしなかったのは、流石に刑事相手ということで、行動を選んでいたのか。


 火災の真相をその場で明かせば、巌刑事を納得させることは出来るかもしれない。

 だが、「何故そんなに素早く、脅迫犯が火災に無関係であると分かったんですか」と問いかけられてしまうと、彼女の場合「自分が真犯人だから」という理由でしか無いので、真相が露見しかねない。

 故に、せいぜいヒントを出す程度しか出来なかった。


 しかし当然、ヒントのカードを渡したことで何かが解決するという確証は無い。

 一応、姉さん越しに氷川さんに連絡し、助けを寄越すようには手配したが──あの連絡もスタッフなどでは無く、彼女の行動だろう──逮捕状を請求されればそれまでだ。

 俺が逮捕間近だと考えていた彼女は、もっと即物的なやり方で、俺を庇う必要に駆られた。


 だから────。


「貴女は、凄い手段を選びました……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という選択をしたんです」

「それはまた……凄い判断」


 他人事のように、彼女が苦笑する。

 いや、自嘲か。


「幸いというか何というか、俺は連行された後、刑事と行動を共にしていることが確定しています。逆に言えば、これ以上のアリバイの証明も無い。だからこそ、俺が刑事と一緒に居る間に、積野大二に行動を起こさせた」

「ふーん……でも、どうやって指示を出すの?連絡手段、無いんでしょう?」

「全く無くなった、とは言っていませんよ……想像ですが、握手会のチケットを先んじて入手し、積野大二に渡していたんでしょう?」


 恐らく、直接連絡を取れない時期の保険として、予め渡していたのだ。

 それこそ、グラジオラスにスイーツカフェのチケットを渡したようなノリで、自分用に何枚か確保したチケットがあったのだろう。

 そして、あの日の握手会に確実に来ておくよう、前任マネージャーのタブレット端末を手放す前に、命令を出していたのだ。


 時刻を考えると、恐らく積野大二は握手会の列のかなり最初の方に並び、彼女と会うのを待っていたのだろう。

 俺が去った直後に開催された握手会で、積野大二はまた彼女と出会った。


 そしてその場で、彼は捕まってこい、という指示を受けることになる。

 分かりやすく、手紙でも投げ入れてこい、と。

 既に彼女に心酔していた彼は、疑問も無くその命令に従った。


 かくして例の不審な逮捕に繋がる訳だが、彼女の場合、まだやっておくことがある。

 それが例の、引退宣言だ。


 長い計画故、元々の目的が薄れているが、これは本来「ボヌールはもう信用できない、身の危険を守るにはこれしかない」という世間の同情を誘う理由で引退するのが目的である。

 積野大二をわざと逮捕させる以上、引退も急ぐ必要があった。


 これは当然の話で、仮に彼が逮捕された後で引退宣言をしてしまうと、「一番危険な人間は捕まったのに、何故引退を?」という疑問を抱かれてしまうからだ。

 今ですら、一番の元凶は逮捕されたんだから復帰して、というファンの嘆願がSNSを埋め尽くしているくらいである。

 被害者の振りをする都合上、積野大二の逮捕と、彼女の引退決定の順番は、逆にしてはいけなかったのだ。


「……貴女にとって、引退発表の場となった動画の生配信は、都合が良かったのでしょう。というより、あの動画のことを知っていたからこそ、このタイミングで引退宣言をしたんでしょうけど」


 推測だが、あの動画が配信された段階では、事務所には引退の許可は貰っていないはずだ。

 生配信だったことを利用して、アドリブで宣言したのだろう。

 全ては、既成事実を作るために。


 引退の速報が出た後、ネットのファンはしばらくガセかどうかを調べていたが──つまり、ボヌールからの公的な意思表明が最初は無かった──それはこの辺りの混乱が原因だろう。

 彼女が正式に引退を認めさせたのは、握手会が終わった後だ。


 元々起きていた混乱と、突然の引退発表でまた揺れていたボヌール上層部に詰め寄り、無理矢理引退を認めさせた、というところか。

 氷川さんの車の中で姉さんと電話した時、向こうがドタバタしていたのは、そのせいだろう。

 結局、一度引退宣言をしてしまった以上、突然撤回するのは寧ろボヌールの印象を悪くするという判断があったのか、正式に引退を認めたようだが。


「かくして、貴女は全ての目的を達成出来た、という訳です。ネット上の反応を見る限り、ある程度はファンの同情を誘う形で引退出来ましたし……悪いのはあくまで積野大二、ということになった。積野大二も上手い具合に、貴女のことを警察にはバラしませんでしたしね」

「……」

「加えて、クラッキングという過激ファンの暴走を印象付けてから引退したので、ネット上では、少し貴女を批判しにくい雰囲気になりました。あまりにも貴女の引退を批判すると、それは自分が()()だってことになっちゃいますから……これも、狙っていたんですか?」


 実際、積野大二の逮捕前から、SNS内ではそう言った批判が出ていた。

 ここで炎上に加担するファンは、積野大二と同じ、犯罪に走るような過激なファンじゃないか、という意見である。


 俺がチラっと検索しただけでも二、三個そんな意見が出てきたのだから、詳しく調べればもっと頻出しているのだろう。

 いくら凛音さんの引退が悲しくても、それを批判する奴は犯人の同類だ、という風な、自粛を求める意見が。


 こういう意見が出てくると、それに噛みつく人が当然出てくるので、批判の矛先が凛音さんからずれやすい。

 言ってみれば、凛音さんを擁護するファンには錦の御旗が、批判するファンには積野大二の同類というレッテルが用意されることで、ファン同士で論争になり、結果的に凛音さんはそこまで批判されない形になるのである。

 世間の反応という点でも、今回の手段を採用したことで、凛音さんは得をしたのだ。


「こういう経緯で、貴女は目的通り引退しました。世間は大きく混乱しましたが、貴女にとっては後はどうでも良かったでしょうしね……俺が言うのもアレですが、凄い話だ」

「そうだね……本当に、凄い話」


 だけど、と言って凛音さんは軽く指を立てる。

 そして、こんなことを言った。


「でも、証拠はあるの、玲君?」

「証拠……ですか」

「うん。何かこう、聞いていると、状況証拠しかないみたいだから……それだったら、私が事件のことなんて碌に知らなくて、普通に犯人が怖くて引退したって考えた方が、自然かなあって思って」


 彼女が棒読みで述べるのは、現在の世間の理解と同じ流れ。

 それを覆すような、確かな証拠は無いのか、と。

 明らかにそう問いかけるようにして、彼女は俺を見つめる。


 何となくだが、これが最後のテストかな、と俺は直感した。

 彼女が悪あがきをするのは、これが最後な気がする。

 後はせいぜい、動機のことくらいだろうか。


 何にせよ、これが最後の推理となる。

 どの手札を出そうか、と俺は一瞬迷った。


 同窓会の手紙から連絡が取れたことを、証拠としても良いのだが。

 もう少し、言い逃れが出来ないことを突き付けてみたかった。


 結局、少し考えてから、俺は「これにしようかな」ということを思いつく。

 物証と言えるかは微妙だが、少なくとも彼女がこの事件に深く関係していることは証明出来る証拠だ。

 なまじ長々と話した分、それは言い逃れの出来ない事実と化していた。


「……唐突ですが、凛音さん。俺、ここに来て最初の方に、『木馬』は貴女ですって言いましたよね?」


 話の締めを意識して、藪から棒に俺は問いかけをする。

 凛音さんの表情も見ずに、続きも述べた。


「その言葉を起点にして、普通に事件に貴女と話しましたけど……これ、よく考えると変ですよね」

「どうして?」

「だってそうでしょう?何故、凛音さんは『木馬』が今回の事件の犯人のことだと……そ()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 どう考えても、ここが変だ。

 俺は、この推理が始まって以来、いやそれどころか彼女と話して以降、「木馬」が内通者のコードネームだと教えてはいない。


 当然だ、あれはグラジオラスと姉さんくらいしか使わないあだ名。

 意味が伝わらないであろう彼女や警察相手には、使っていない。


 だから、本当に凛音さんが被害者で、何も知らなかったというのなら、彼女は最初に聞かなくてはならなかったのだ。

 木馬とは何なのか、と。


 それを聞かなかったということは、つまり。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということ。

 グラジオラスメンバーや碓水さんと凛音さんが接触した形跡はないから、彼女にはそのくらいしか言葉の意味を把握出来る機会が無い。


 だからこそ、俺の推理も違和感なく聞いていた。

 あの態度こそ、彼女が事件と無関係で無いことの、そして何も事情を知らずに怖くて引退した、ということが嘘であることの、証明である。

 恐らくは、俺を呼び出す前に姉さんから事情を聴こうと電話でもして、しかし向こうが忙しかったので多少言葉の意味を尋ねるだけに終わった、という経緯だろうが、何にせよ────。


「貴女は、俺の推理が始まった瞬間から、自然と認めていたんですよ。自分が事件と無関係じゃないって……アイドルを辞めて、緊張が緩みましたね」


 軽く、煽る。

 その上で、提案した。


「いい加減、認めてくれませんか。凛音さん……ここはもう、誰も見ていませんから」


 推理を終わらせるつもりでそう告げると、彼女はコテン、と首を傾げた。

 その上で、しょうがないな、とでも言いたげな顔をして。

 最後には、「あーあ」と言った。


「そうだね。じゃあ、言っちゃおうか、玲君に()

「……認めるんですね」

「うん、そうだよ?……私が、『木馬』。玲君を巻き込んじゃった、真犯人」


 そう言いながら、不意打ち気味に、彼女は笑みを浮かべる。

 綺麗でも、可愛いでもない、複雑な笑顔。

 妖艶な、微笑を。


「……以後、お見知りおきを?」


 軽やかな言葉のついでになされるのは、たおやかな、そして実に流麗なお辞儀。

 その時の彼女は、本当に────歌うようにして、自分の犯行を認めた。






「でも、玲君に見破られるなんてなー。今回の計画で、それが一番予想外だったかも。夏美先輩相手なら、まあ仕方ないで流すんだけど」


 参ったなあ、と悪びれる様子も無く凛音さんは頬杖をつく。

 その口調からして、姉さんの友人であることも、認めているようだ。

 いや……というか。


「先輩呼びってことは……貴女は姉さんよりも年下なんですね?その辺り、同窓会の幹事にも聞けて無かったんですけど」

「そうだよ?私、今年で二十四だし」


 そう言われて、ネット上で論議になっていた年齢の話題を思い出す。

 前歴が非公表だったことで、二十代半ばとしか分かっていなかったが、どうやら二十四歳派が正解だったようだ。


 つまり彼女は、姉さんよりも二つ年下。

 まだ中学生の頃に煌陵高校ミステリー研究会のメンバーと知り合い、その後アイドルデビューしたことになる。


「でも、玲君に覚えられていないのは悲しいなあ。こっちは、一目見て分かったのにい」

「……俺はまだ、小さかったですから」

「それはそうだけど……私、夏美先輩に頼まれて、君を保育園まで迎えに行ったことまであるんだよ?足元に引っ付いてきて、可愛かったの。……よく覚えてる」


 十年前のことだけどね、と凛音さんは懐かしそうな顔をする。

 その表情は柔らかく、俺に向けた余裕の笑みとは質が違う。

 本気で、その時期に戻りたがっているような、そんな顔だった。


 一瞬だが、俺はその表情に見惚れてしまう。

 彼女が今回の一件の黒幕であり、犯罪教唆をしながら捕まっていない犯罪者だと分かっていながら。

 それでも、視線が引き寄せられるのを止められなかった。


 ……しかし、すぐに俺は何とか自分を取り戻す。

 まだ、聞けていないことがあったから。


「……思い出話をする前に、一つ、聞かせてくれませんか?凛音さん」

「ん、何?」

「このようなことをしでかした、動機です……それを聞きたかった」


 そう問いかけると、不思議そうな顔が返ってくる。

 さらに、逆に聞き返された。


「それ、もう言ったでしょ?違約金やファンの批判をかわしつつ、引退したかったからって……それ以外に何かあるの?」

「その、()退()()()()()()()()()()()を知りたいんです……トップアイドルまで昇りつめていながら、どうして、自分の立場を捨てようと思ったんですか?」


 純粋に疑問を抱いて、俺は質問する。

 ここだけは、どう推理しても分からなかったのだ。


 なまじ、グラジオラスのような、これからアイドルとして頑張っていく存在と親しくなったからだろう。

 俺の中には何となく、トップアイドルという概念に対して、天上人というか、雲の上の存在のようなイメージがあった。

 様々な人達がそこに挑み、しかしどれほど努力しても辿り着けないこともある、選ばれた人間のための立ち位置なのだ、と。


 凛音さんは、間違いなくそのトップアイドルの一人だ。

 それも、クリスマスローズのようにグループ単位で人気を獲得したアイドルでは無く、ソロの活動で百万単位のファンを獲得した、化け物である。

 彼女が引退した際の混乱を見て分かる通り、最早彼女は単なる芸能人の枠を超えて、時代という名の大きな流れの一翼を担ってさえいた。


 その彼女が、前々から引退したがっていた、という事実。

 しかも、犯罪まで利用してそれを成し遂げた。

 その奥底に眠る真意は、何なのか。


 ただ嫌になった、とも思えない。

 彼女も大人なのだし、それだけでも無いだろう。

 ここでそれを理由にする人なら、もっと早い段階で引退したはずだ。


 では、何らかの理由で十周年記念イベントをしたくなかったのか。

 それも、しっくりこない。

 他の仕事は順調にこなしていたのに、何故それだけ、ということになってしまう。


 或いは、積野大二のような、過激なファンが嫌だった?

 いや、だとしたら何故このタイミングで積野大二だけを、という気もする。

 姉さんの言葉通りなら、過激なファンなど掃いて捨てる程いるだろうに。


「だからこそ、聞きたいんです。何故、そこまでして引退したかったのか……トップアイドルという場所が、そんなに嫌だったのか」


 それを聞くために、彼女をここに呼び出した。

 意地とかそういう物を除けば、これが一番大きな理由だと思う。

 彼女の口から、直に聞きたかったのだ。


 無論、はぐらかされたり、嘘を言われたりする可能性はある。

 しかし、何となくだが、彼女はこういうところでは嘘はつかないんじゃないかな、という気がしていた。

 これはまあ、葉兄ちゃんを真似た、ただの勘だが。


 ……そして、俺の勘も捨てたものじゃない。

 予測通り、彼女は実に真っすぐにその問いに答えてくれた。


「そうだね……えーと、何て言ったらいいか、正直分からないんだけど……」


 まず、普通に言い淀んで。

 それから、こう答えてくれる。


「何というか……ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と思って。それで、うんざりしちゃったから、引退したくなったんだと思う」

「……『日常』?」

「うん、『日常』……ねえ、玲君。夏美先輩とかから、私宛の脅迫状が来るのが珍しくないって話、聞いた?」


 覚えがあったので、頷いておく。

 聞いたことのある話だ。


「……確か、凛音さん宛ての脅迫状だけで、倉庫が埋まるんでしたっけ」

「そうそう、それ。それを聞いているなら……私はもう、脅迫状を送られる程度では警察も動かないし、引退の理由にも使えないって話も、聞いてるよね?」

「はあ、まあ」


 それこそ、俺の推理の中で触れたことである。

 彼女にとっては、脅迫状などはもう「日常」であるが故に。

 最早、その程度の犯罪被害は、「よくあることだ」の一言で、軽く流されてしまう。


「分かりやすい嫌な点を言うなら、そういうところだったと思う。だって……脅迫状が送られるって、普通、怖いことでしょ?」

「まあ……そうですね。本来なら」


 トップアイドルとしての、常識ではなく。

 一般人としての常識を使って、彼女はそんな確認をする。

 その視点を、自分がまだ失っていないとアピールするように。


「普通は、脅迫状なんて一枚送られるだけで怖くなる。気になって気になって、夜も眠れないのが普通でしょ?……なのに、そんな犯罪すらも、『日常』で、当たり前で、普通になっている。それが……うん、嫌だったんだ、私」


 話しながら、自分の気持ちを確認するように、凛音さんはうんうん、と強く頷く。

 その言葉は、決して、俺に向けた言葉ではないかのように聞こえた。


 まるで、俺という相手を飛び越えて。

 この世界そのものに、訴えかけるように。

 彼女は、()()()と、その中身を吐き出していく。


「脅迫状だけじゃない。イチゴアレルギーなのに、イチゴスイーツの宣伝をやらされたり、怖いファンが大勢いるのに、握手会をやらされたり……何か、こう、そういう怖いことが怖いことと見なされなくなっちゃったのが……ううん、『アイドルだから』という理由だけで、それを我慢し続けるのが、どこまで続くんだろうって。そう、思っちゃったから」

「……それが、嫌だった?」

「嫌というか……いつまで続くんだろうなって」


 カラリ、と。

 乾いた、或いは澄み切ったような表情を彼女は浮かべる。


「元々私、アイドルというよりも、役者志望だったしね。ボヌールとの契約のせいで、役者一本とはいかなかったけど……うん、そう思えば、最初から引退願望はあったのかも」

「契約、ですか」

「そうそう。芸能事務所には、よくある契約。一度事務所を辞めたアイドルは、一定期間別の事務所と再契約が出来ないっていうの。ボヌールは特に、その再契約禁止期間が長いから」


 それを聞いて、ああ、と思った。

 帯刀さんに聞いた、最初は役者希望だったという凛音さんの話。

 その方向性の違いから、最初の一年は揉めていたのかもしれない、という推理もしたのだったか。


 あの話を聞いた時、そんなに揉めたのならどうして事務所を辞めなかったのだろう、とも思ったのだが────舞台裏は、このような感じだったらしい。

 そこで辞めてしまうと、一定期間芸能活動が碌に出来ないので、ボヌールで働き続けざるを得なかったのか。


 ──つまり……元々、そんな契約を結ばせたボヌールにも、ボヌールがやらせたがっているアイドルにも、良い印象が無かったのか?……その上で、トップアイドルになった、と。


 そうだとしたら、ある意味では、贅沢な話で。

 同時に、悲惨な話でもあった。


 世の中、嫌々やる仕事程面倒くさいこともそうは無い。

 しかも、それが「アイドル」という仮面を被り続ける物だったというのなら。

 それは果たして、幸せと言えるような日々だっただろうか。


 無論、全く楽しめていない訳でもなかっただろうし、この日々をこなせなかった訳でも無いはずだ。

 そうでなければ、トップアイドルにはなれない。

 良くも悪くも、彼女には才能があった。


 しかし当然、成功している以上は、トップアイドルとしての日々が続くことになる。


 私生活は散々探られ。

 仕事の内容も当然色々言われて。

 普通の仕事なら、辞表を出すだけで済む離職という手段を取っただけで、大規模な騒動になる。


 そんな日々を、九年間。

 ずっと、ずっと。

 毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、続けていた。


 本心では、あまりやりたくない、とすら思っていながら、ずっと。

 それは、確かに────。


「……ねえ、玲君」


 そこで、静かに凛音さんが問いかける。

 ぞくり、と俺の肌が泡立った。

 動けない。


「私ね、この九年間……売れ出してからだけでも、八年間、それが『日常』だったの」


 危害を加えてくるファンもいる集団に、応援してくれてありがとうって言って。

 いやらしい目をしてくるお偉いさんを、必死に躱して。

 脅迫状が何枚来ても、笑顔でライブをやって。


「……それを皆、『トップアイドルなんだからそれくらい当然』って言ってきたの」

「当然……ですか」

「凛音さんはやっぱりこうでなくっちゃ、て言われた。有名人なんだから、それくらいやってくれないとって。何度も、何度も……何度も」


 ──そんなの有名税でしょ。


 この一週間、ネットを漁っていた際に見つけた反応を思い出す。

 積野大二が逮捕される前、表向きは火災を受けて身の安全を守るために引退した、ということになっていた彼女に向けられたコメント。

 責任を持たないまま、ネットを埋め尽くした言葉。


 あれを、受け止めることすら。

 当然で、当たり前で、「日常」だったのか。


「だから……ああ、無理だって思ったの。これが『日常』なら、私は、私の『日常』を終わらせないとって」


 くしゃり、と。

 彼女が前髪をかき上げる。


「曲がりなりにも九年やってきたから、分かった。これ以上はこなせないな。私、これ以上やっていたら、記念イベントの最中にでも、爆発する。多分、心か体か、壊れちゃうって」

「だから……十周年を迎える前に、引退した。手段を選ばず」

「そういうこと。良い、玲君?私はね、どこかおかしくなって辞めたんじゃないの。その逆で、()()()()()()()()辞めたの……だって」


 ゆらり、と。

 彼女は両手を下ろし、それから囁く。


「自分の身を自分で守るって、当然のことじゃない?」


 その言葉は、かつて聞いたのと全く同じ文章で。

 しかし、意味合いはやや変わっていた。


 彼女は、「何から」身を守らなければならなかったのか、明言しなかったが。

 それはある意味では不透明で、しかし同時にあまりにも明瞭で。

 だからこそ────俺は、何も言えなかった。




 ────後から思えば、だが。

 彼女が言い連ねた、この理屈。

 これらに反論することは、簡単に出来たと思う。


 例えば、どれだけ言い繕っても、彼女がしたことは犯罪教唆なのだから正当化は出来ない、と諭す。

 もしくは、過激なファンと言えど、積野大二という人間が社会的に犠牲になったことも仕方ないと言えるのか、と問いかける。


 それと、そもそもそんな理由で辞める人間は、アイドルとして相応しくない、と断じる。

 さらには、姉さんや俺を巻き込まないとか言っていたが、ボヌールを攻撃対象にした時点で巻き込んでいて、本末転倒じゃないか、と矛盾を突く。


 そういう、それっぽい正論は、一応俺の頭に浮かんできていたし。

 これらの理屈に、一応の理があることは分かっていた。


 だが、俺はそれを口にしなかった。

 出来なかった。


 何というか、こう。

 ……軽すぎて。


 そうだ、軽い。

 浅すぎる。

 場所をわきまえない正論程、胸を打たない。


 何故、軽いんだろうと考えて。

 それは多分、俺が芸能界に対して何も詳しくないからだろう、と思い当たる。


 俺はそもそもにして、トップアイドルという存在について、何も知らない。

 何がきつくて、何が不愉快だったのか、

 どういうことを我慢していて、どんな自由が奪われていたのか。


 そんな、彼女が一番の動機としたであろう部分を、俺は理解出来ていない。

 言葉としては知っていても、実感としての把握が追い付いていないのだ。


 故に、軽い。

 自分で自分の言葉を信じられない。

 というか、無責任な立場から相手の事情を考えずに正しそうなことを言っているだけという点では、SNSを荒らしていた輩とこの場の俺は、大して違いが無いんじゃないか、とすら思ってしまう。


 そういう意味では、寧ろ。

 凛音さんの言葉の方が、重かった。


 どれほど無茶苦茶で、詭弁で、屁理屈で、開き直りでしかなかったとしても。

 それでも、凛音さんの「自分の『日常』がこれなのが嫌だった」という言葉に、俺は重みを感じてしまう。

 実際に九年間やってきての感想がそれなら、もう仕方が無いと思ってしまう。


 何なら、相対的に、自分の方が間違っているのではないか、とすら考えていた。

 本当にまともなのは、彼女自身の言う通り、凛音さんの方で。

 おかしいのは、アイドルに対して、アイドルというだけで様々なことを課し、我慢させる、この世界の方なんじゃないのだろうか、と。


 ……これは、俺にとって初めての体験だった。

 謎を解いたのに、真相が分かったのに。

 これで間違いない、彼女は犯罪に手を貸していた、と言えるところにまで到達したのに。


 それでも、相手が間違っている、と断言出来ない。

 自分が正しいと、言えない。


 それが、俺の心の一部が、彼女の「日常」に同情していたからなのか。

 或いは、曲がりなりにも昔からの知り合いで、庇ってもらったという事実が足枷になっているのか。

 その辺りは、よく分からなかったが。


 ……俺の唇が、随分と凍り付いてしまっているのを察したのか。

 凛音さんはそこで、仕方ないな、という風な顔をする。

 そして、唐突に立ち上がった。


 そのまま、コッコッコッ、と。

 彼女は凍り付いたままの俺に近づいて。


 そして────不意に、彼女は俺の額にキスを落とした。


「……っ!?」


 流石に反応せざるを得ず、俺はバッと振り返る。

 すると視線の先では、凛音さんが悪戯成功、という感じの笑みを浮かべていた。


「あっ、起きた?」

「いや、え……え?……何で?」

「うーん……最後の挨拶、かなあ」


 自分でもキスをした理由が分かっていないように、凛音さんは人差し指を口に添える。

 そのまま、また妖艶に笑みを浮かべた。


「まあ、玲君にも迷惑かけちゃったからね、グラジオラスと夏美先輩には、その内お詫びの品が渡されるけど、玲君には無かったから……キスで帳消しに出来るかなあ、と」

「いやいやいやいや……何ですか、その理屈」

「あれ、足りなかった?口でしとく?」


 そう言って所謂キス顔をする凛音さん相手に、俺はブンブンと腕を振る。

 自然と、硬直は解けていた。

 個室内の、凍り付いた雰囲気も霧散する。


 それを見て、凛音さんは安心したように、また笑った。

 ふわり、と良い香りがする。


「それだけ元気なら、大丈夫かな……私、そろそろ帰るね?」

「え、あ、はい?」

「推理も全部終わったし……もう、『日常』に帰る時間でしょう、お互いに?」


 凛音さんはそう告げたまま、言い含めるように俺の頭を撫でると。

 そのまま、振り返りもせずに去って行く。


 ただ、最後に。

 扉を出る直前、こんな言葉を残した。


「バイバイ、玲君。個人的には、嫌なことが多いアイドル生活だったけど……最後の最後で、玲君と遊べて楽しかった!」


 一切の邪気を感じられない、本当に十年前に戻ったかのような口調で。

 彼女は溌剌と、俺の前から去って行った。










 積野大二が病死した、というニュースが俺の耳に入ってきたのは、三日後の話である。

 容疑者死亡により、検察は公判維持が不可能であると判断し、彼の起訴を断念。

 自然、警察も捜査を終了させ────今度こそ、全ては終わることとなった。


 ……解決したかどうかは、また別の話だが。

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