そして「木馬」と邂逅する時
ここからしばらく、一話一話が長いです。
お暇な時間を見つけてからお読みください。
「相変わらず察しが良いね、葉兄ちゃん」
『……いや、そもそも、この時期にお前から電話って、ボヌールへの脅迫事件以外に無いだろう?ニュースを見る限り凄い騒ぎになっているみたいだから、もしかすると何か言ってくるかもな、とは思っていたよ』
「ああ、そっか。そうなるのか」
考えてみれば、当然の流れだった。
ボヌールへの脅迫事件の犯人が捕まったことも、火災にまつわるドタバタも、大概のことは既に報道されている。
葉兄ちゃんがそれを既に見ていても、何もおかしくはない。
『流石に、夏美さんは忙しそうだったし、お前のバイトのことも聞いていたから、こちらからは電話しなかったが……何か巻き込まれていそうだな、とは思っていた』
「心配だった、と?」
『それはまあ、そっちに行った二人からも色々聞いていたからな』
──霧生光さんと、早見唯さんか。まあ当然、グラジオラスのことも話しているよな。
ほほお、と思う。
どうも、俺が思っている以上に、葉兄ちゃんは俺たちのことを気にしていてくれたし、アイドルについても知っていたらしい。
これなら、グラジオラスに頼る前に普通に葉兄ちゃんに頼っても良かったかも、などという考えが頭に浮かんだ。
流石に、グラジオラスメンバーに失礼なので、口にはしないが。
「まあ何にせよ、ある程度見てくれているのなら、丁度良いや。実は、一連の事件の報道されていない部分について、色々疑問があって……葉兄ちゃんの勘、借りたいんだ」
『……その前に、何故お前が、その報道されていない部分とやらに関わっているのか知りたいんだが』
「そこはまあ……おいおい?」
そう前置きしてから、俺は今度こそ説明に入った。
ただ、葉兄ちゃんは公表されている部分は知っているので、事件そのものの説明はしない。
もっと別の、俺が見聞きした部分を重点的に話す。
そうやって話選びをしたのが良かったのか、かなり早く、俺の話は終わった。
凛音さんとのやり取りやらを全て話した割には、迅速に話せた方だろう。
……まあ、隣に居た天沢は流石に暇になったのか、再び踊りだしていたが。
『なるほど……それで、モヤモヤ、か』
「ああ。何となく、姉さんや氷川さんの説明に納得出来ない自分が居て……葉兄ちゃん、何故俺がこんな風になっているか、勘で分かる?」
リズムよくタン、タン、と音を奏でるレッスン室の床をBGMに、俺は中々凄い質問をする。
普通ならこんな、自分がどう思っているか、なんて問いはされた方も困る質問だろう。
だが、葉兄ちゃんに限っては、答えてくれると信じて。
俺はその問いを、無造作に投げた。
────果たして、その予想は当たる。
葉兄ちゃんはそこで、一切の迷いすらなく、ポン、と正解をぶつけてきた。
『それはアレじゃないか……事件の終盤が、余りにもお前にとって都合が良すぎるのが、気になっているんじゃないか?』
「……都合が?」
『だってそうだろう?今回の事件、まるで犯人が、お前の疑いを晴らすために行動したんじゃないかってくらい、物事がお前のために進んでいる気がする……勘だけど』
……いつもの事と言えば、いつもの事ではあったのだが。
葉兄ちゃんのその言葉は、余りにも物事をクリティカルに射抜いていて、だからこそ分かりにくかった。
例えるなら、フルコースの料理を頼んだのに、最初にデザートが出てきたような。
その感覚にある種の懐かしさも感じながらも、俺は聞き直しておく。
「どゆこと?」
『ええっと……順を追うか』
「うん、そうして欲しい。いつもみたいにさ」
これも、俺としては懐かしいやり取りだった。
勘を取り得とする葉兄ちゃんの推理には、しばしば「順を追う」とか、「時系列に沿って話す」という段階がすっぽ抜ける。
あったとしても、それは二次的な目標となる。
常人が頭を捻るところを無意識の領域に任せ、過程をすっ飛ばして結果だけ意識に昇ってくるものだから、彼の話はそうならざるを得ないのだ。
だからなのか、葉兄ちゃんは改めて話をまとめ直すように、その言葉を放つこととなった。
『さて────』
『まず……そうだな。分かりやすいところで行くと、終盤の積野大二の逮捕だな。正確には、その切っ掛けとなった行動の方だが』
「切っ掛けって……最後に、手紙を投げ入れた奴?」
正確には未遂に終わったのだが、逮捕の切っ掛けと言えば、これしか無いだろう。
警察がボヌールを警備をしている中、そんなことをしでかしたせいで、積野大二は現行犯逮捕されたのだ。
もっと厳密に言うと、逮捕自体は公務執行妨害がメインだが。
『そう、それだ。……玲はこの話を聞いて、何か不思議に思わなかったか?』
「そりゃあ、思いはしたよ。何で今更、メールじゃなくて手紙のスタイルに戻したんだろうって、何度も考えた」
葉兄ちゃんに言われるまでも無く、不思議に思っていたことである。
どうして、捕まるリスクを考えて、犯行手段を脅迫メールに切り替えていた彼が、また手紙の投げ入れという原始的なやり方に戻ったのか。
姉さんの話では、クラッキングが難しくなったからとのことだったが、それにしたって迂闊すぎる。
「積野大二はそれまで、意図したかどうかは知らないけど、かなり狡猾に立ち回っている。足取りを警察に追わせなかったし、証拠も碌に残していなかった……なのに最後の行動だけ、異様に無警戒だ。葉兄ちゃんが聞きたいのは、それ?」
まず間違いないだろう、と思いながら再確認。
そこで葉兄ちゃんは否定を返した。
『違うな。俺が疑問に思っているのは、そこじゃない』
「えっ、違うの?」
『ああ。俺が気になるのは、何故その時間にやったのかって点だ。その点が、一番不思議なことに思える……勘だけどな』
「時間?」
『そうだ。つまり……どうして積野大二は、お前が警察に連行された直後にわざわざ目立つような事件を起こしたのかってことだ』
──俺が警察に連行された、直後に……。
少し、ほんの少しだけ。
俺は葉兄ちゃんに対して、何言っているんだこの人、と思った。
いや勿論、言いたいことは分かるのだ。
あの時、積野大二が事件を起こしたことを、俺は氷川さんと一緒に居る時に知った。
話によれば、積野大二は逮捕直前からボヌール前をうろつき始めていたらしいから、確かに葉兄ちゃんの言う通り、彼の行動した時間と、俺が警察に話を聞かれていた時間はほぼ同時刻の出来事になる。
しかし、それは単に────。
「偶然じゃないの?そんなまさか、俺が連行されたことを知った上で行動した訳じゃないだろうし……」
『まあ、そうかもしれないな。というか、それが普通だ』
常識的かつ面白みのない反応を俺がすると、葉兄ちゃんは意外とあっさりと引き下がった。
向こうも、その解答の方が現実的であることは分かっているらしい。
『だが、彼の行動の結果、お前が手に入れた物を考えてみると、ちょっと面白いことになる』
「俺が手に入れた物?」
『ああ。警察の裏の意図を聞いた今では、逆に想像しにくくなってしまったかもしれないが……元々お前は、積野大二の協力者じゃないか、という疑いがあったんだろう?囮目的もあったとはいえ、警察だって全ての可能性を考慮せざるを得ない以上、一度は疑っていたはずだ』
「それはまあ、そうだっただろうけど」
氷川さんが車内で言っていたことである。
流石に幼少期からの俺を知っている彼女は、俺が犯人の一味では無いと思っていた。
しかし、同僚たちは俺の動機の無さを知りながらも、一応は「松原玲犯人説」を考察していた、という。
その結果、俺が白だろうが黒だろうが面白い反応が見られるということで、俺がおおっぴらに疑われたのである。
警察が一応、ポーズだけではない、本物の俺への疑心を持っていたのは間違いないだろう。
全ての可能性を、潰していかなければならないのだから。
『だが、積野大二があの時間帯に事件を起こし、逮捕されたことで、風向きが変わった。それは分かるな?』
「……積野大二が現行犯逮捕され、証言でも協力者など居ない、と分かった。当然、俺への疑いなんてものは消えた」
『その通りだ。つまり見方を変えれば、お前が警察官と行動を共にしているあの時間に、積野大二が事件を起こしてくれたことで、お前は得をしたんだよ。最強のアリバイを、向こうからくれたんだからな』
一瞬、俺は葉兄ちゃんの言葉を咀嚼する。
実際には、俺は事件など起こしていないので、中々理解しがたい話ではあった。
それでも、何とか頭の中に受け入れていって────次第に、そうか、となる。
葉兄ちゃんの言う通りだ。
あの日、俺は火災にまつわる真相を解いた。
ただの自然発火だったと告げて、現場を最後に訪れた俺の存在は重要ではない、ということも述べた。
その推理は、俺を色々と評価してくれたらしい茶木刑事、巌刑事の二人と、元々の知り合いだった氷川さんには信じられたが────よくよく考えれば、だからと言って俺の「木馬」疑惑が完全に消えた訳ではない。
火災は起こしていないが、それはそれとして脅迫犯に協力はしていた、という可能性もあるからである。
火災と脅迫犯が無関係である以上、そういう可能性は消えはしない。
火災で無実を晴らしても、「木馬」疑惑までは消えないのだ。
もしかすると映玖署の中には、そういう考えをした他の刑事だって居たかもしれない。
しかし、あの時間帯に──俺が茶木刑事や氷川さんと行動を共にしていた時間帯に──積野大二が事件を起こしたことで、その疑いは自動的に消滅した。
俺が彼に指示を出すようなことはしていないということも、直接的に犯人の手助けをする様子を見せていないことも、刑事たちが証言してくれる。
あの時間帯に俺がどこで何をしていたかは、天下の警察が保証してくれた訳だ。
なるほど確かに、これは最強のアリバイ、絶対の無罪証明だ。
もしこれで、積野大二が事件を起こした時刻がもっと早かったり、もっと遅かったりしたら、他の刑事の俺への「木馬」疑惑は完全には消えなかったことだろう。
警察が見ていない隙に指示を飛ばしたり、情報を漏らしたりしていたのではないか、と疑えるからだ。
その前の日や、その次の日に事件を起こした場合でも、俺への疑いが完全消去とはいかなかった。
この場合、その日に俺が何をしていたか、証言する人が乏しいからだ。
同行している人にもよるが、警察官程は信頼されないだろう。
そう言う意味では、積野大二は実に俺にとって都合の良いタイミングで事件を起こしてくれた訳で────。
「確かに、得をしているな、俺。まるで、積野大二が俺の事情を考慮して事件を起こしてくれたみたいだ……」
『だろう?手紙を直に投げ入れようとするという派手なやり方を選んだことも、まるで、わざと捕まろうとしているように思えるくらいだ。寧ろ、そのくらいの意図があったと思わないと、説明がつかないと言っても良い』
要するにな、と葉兄ちゃんが話をまとめる。
『嫌な言い方をするが……お前が自由の身になったのは、積野大二が偶々お前のアリバイが確保されている時間に、偶々人の手助けが要らないやり方で、偶々警察が見張っていて捕まりやすい場所に、偶々一人で行動を起こし、その上で協力者なんて居ないと証言してくれたが故の物だ。全ての物事がお前にとって都合の良いように……お前の疑いを晴らすように進んでいる』
「……そうなるね」
どうしてだろう。
それを告げられた瞬間、俺の周囲の空気が、唐突にねっとりとした流体に変わってしまったかのような感覚がした。
肌がねばついて────息も苦しい。
ドタバタこそしたが、落ち着いた時間。
警察に疑われることも無い平和な「日常」。
そんな、当たり前の時間がようやく帰ってきたと思っていたのに。
葉兄ちゃんは、その「日常」が、積野大二の意識的な行動によって作られた物であることを指摘している。
この平穏は、仕組まれた物なのだ、と。
何でかは分からないが、犯人サイドが俺に配慮しているのだ、と。
「でも、何でそんなことが……?俺、何か積野大二に対して、恩を売るようなことをしたっけ?」
『……そこの動機について考える前に、もうちょっと振り返っておきたい。タブレット端末の件を思い出せ。クラッキングの起点になった奴』
「俺の持っていた端末が、クラッキングの被害を受けた第一号だったっていう、アレ?」
火災の真相に気が付く直前、茶木刑事から聞かされていた話だ。
あの時は、俺への疑いが濃くなると思って肝を冷やしたものだが。
アレが、どうかしたというのだろうか。
『そのことも、ちょっと変な話だと思わないか?普通なら、お前の端末からクラッキングが始まったとなれば、もっと警察に疑われてもいい場面だ、なのに、すぐにその疑いが減っただろう?』
「……それは茶木刑事が、クラッキングの開始した時期がよく分からないから、俺の責任だとは断定できないって言い出して」
『まあ、そうだ。これに関しても、偶然の可能性は高い』
これまた、すぐに自説を引っ込める葉兄ちゃん。
しかし、補足も忘れていなかった。
『だが、こじつければ、こういう言い方も出来る。……お前への疑いが濃くなった瞬間、それを打ち消す証拠が都合よくも見つかったんだ、と』
「……積野大二が目立つ形で逮捕されたのと同様、端末についても、犯人サイドが俺に配慮しているってこと?」
『そうだ。俺も、クラッキングには詳しくないが……もし積野大二が、お前が犯人であるかのように、端末内の履歴や書き込みを偽装していたら、どうなっていた?お前にとっては、致命傷になっていたんじゃないか?』
確かにそうかもしれない、と考える。
というかそもそも、端末の遠隔操作というのは、そういう冤罪を吹っかける目的を含めての行動だと聞いたことがあった。
敢えて他者の端末を乗っ取り、そこから犯罪行為を行うことで、乗っ取られた端末の所有者を貶める。
仮に問題が発覚しても、責任を追及されるのは端末の持ち主だけで、真犯人は裏で高笑い。
遠隔操作とはそう言う物だし、その行動の結果として、無実の人間が誤認逮捕された例だってあったはずだ。
そう言う意味では、積野大二が俺に行った遠隔操作には、手心があったと言える。
彼は俺の端末を乗っ取っていたが、俺に罪を着せるような偽装は働いていなかった。
ちょっとばかり履歴を改造されていれば──例えば、俺が端末を受け取った日からクラッキングが行われていたように見せかけるとか──それだけで俺は窮地に立たされたかもしれないのに。
「そう考えると、アレだな……警察が俺を疑いそうになる度に、犯人側が絶対にフォローを入れているんだな。クラッキングしかり、最後の逮捕しかり、俺に疑いを向けないやり方ばかり選んでいる、というか」
『だろう?だから、都合が良い、と言ったんだ。今回の事件のお前は、まるで何かに守られているみたいだ』
聞きようによっては、結構酷いことを葉兄ちゃんは言ってくる。
しかし、こうも並べられると、頷かざるを得ない理屈だった。
何より、俺自身、葉兄ちゃんの推理に納得してしまっている。
今まで感じていたモヤモヤの正体はこれだ、と確信してしまった。
そうだ、その通りだ。
俺は決して、事件の終盤がドタバタしていたことに不満を抱いた訳でも、その流れに噛めなかったことに納得出来なかった訳でも無くて。
ただ純粋に、自分にとって都合の良いことが立て続けに起きたのが、気持ち悪かったのだ。
「でも……それが事実だとしたら、この事件はどうなるんだ?何故、積野大二が俺の事情を考えてくれているんだ?」
そこまで理解したうえで、俺は問いを重ねる。
再三言うように、俺には彼との接点は無い。
どうして、短い余命を犯罪行為に費やしていた彼が、こうも俺を庇ってくれるのか。
『一応、積野大二が意外と周囲を巻き込みたくない性格だったとか、無関係の人間に冤罪を被せたくは無かった、という可能性もあるにはある、が……』
「そう考える人は、最初から迷惑行為はしないんじゃない?」
『だろうな。だからこれはもう、積野大二以外の意志が働いていた、と考えた方が良いと思う。勘だけど』
すっと、そこで葉兄ちゃんは息を吸う。
そして、結論を述べるように、こう言った。
『玲、恐らくお前の疑念は正しい。積野大二は単独犯じゃない。間違いなく、ボヌール内に共犯者がいたはずだ。そう考えると、これらの都合の良さにも説明がつく』
「『木馬』……やっぱり居たのか」
『ああ。だがその役割は、今まで想定されていた物とは違うと思う。多分だが……積野大二に情報を漏らしたというよりも、頼んだんじゃないか?』
「松原玲に疑いを向かないようにしてくれ、と?……今回の事件中、『木馬』は、俺の動向を知るたびに積野大二相手にフォローを頼んでいた、ということか?」
突飛と言えば、突飛な結論だった。
証拠は無く、確証は無く、自白も無く。
高校生のたわごとと切って捨てれば、それまでの推理。
しかし、恐ろしい程鮮やかに、その推理は俺の頭の中に染み渡った。
一度聞いてしまえば、もうそれ以外の妥当な結論は無いかのように思えてくる。
事実、俺が追い詰められているという情報も、ボヌール社員が「木馬」なら────。
「……俺が握手会の前に警察に連行されたことは、凛音さんがボヌールに連絡を入れたから、すぐに事務所内で知れ渡っていたはずだ。そしてその前の、俺を疑う姿勢を警察が示していたことも、ボヌール内では有名だったと思う。碓水さんだって、事情聴取で聞かれたんだから」
『つまり、警察の裏の狙いを知らないボヌール社員は、松原玲というバイトは警察にとても追い詰められているらしい、という認識だった。なおかつ、その情報はちょっと周囲に話を聞けば分かる物だった。そうだろう?』
「だと思う。姉さんも、そうやって俺が疑われているらしいって聞いたんだし。だから、もしその話を聞いた中に『木馬』が居たなら……そして、何らかの意図があって、俺を庇いたいと思っていたなら」
積野大二が、タイミング良く俺のために行動し続ける、というこの奇妙な状況も有り得る。
俺は積野大二と接点が無いが────その「木馬」は、俺と接点があったかもしれないのだから。
同じく、ボヌールに出入りする人間として。
「でも、一体なんで『木馬』は俺を……?俺、そこまで良いことしたか?犯罪者に庇ってもらうくらいの。というかそもそも、積野大二は何でその人物に従っているんだ?単独犯だったなんて嘘まで言って……」
『そこは、正直俺も分からないが……』
困ったように、葉兄ちゃんは言葉を濁す。
ここは、彼でも分からないらしい。
いくら葉兄ちゃんの勘と言えど、万能ではないのだから、仕方が無いが。
しかし、それでも流石は葉兄ちゃん。
最後に彼は、こんな大ヒントを述べた。
『確実に言えることは……何というか、今回のその犯人の行動には、強い善意を感じるってことだけだ。犯人は多分、お前をただ庇っているだけじゃない。お前に対する、善意というか……過保護さ、みたいな姿勢が見える』
「善意……」
『ああ、事件を起こしておきながら、矛盾しているが……今回の事件がいかに酷いことになったとしても、お前だけは守り切ろう、被害が出ないようにしようという善意が、これらの奇妙さを生み出している感じがする』
だから、玲。
これだけは肝に銘じろ、と言葉が続く。
『お前が木馬を探すなら、悪意ある犯人像なんてのは考えるな。お前の周囲で、お前に好意的な行動をした人間を疑った方が良い。その人物こそが、きっと……』
「『木馬』……今回の事件の、黒幕か」
『ああ、同時に、積野大二を警察に捕まえさせておきながらも、自分だけは罪から逃げおおせている真犯人だ』
まあ、ただの勘だけどな。
最後に、葉兄ちゃんはそう締めくくって。
俺に言えることは以上だ、と言って電話を切った。
「善意……過保護さ、か」
葉兄ちゃんに言われた────いや、託された言葉を、俺は口の中で幾度か転がす。
今までの事件捜査の中では、考えていなかった視点。
葉兄ちゃんの勘が導き出した、解のような物。
その単語は、どちらも非常に新鮮な物だった。
それは、間違いない。
思えば、脅迫状のことを聞かされた瞬間から、俺はこの事件の犯人について考える時、悪意を持つ犯罪者の姿を思い浮かべていたかもしれない。
理由は知らないが、他者を傷つけて楽しむような輩なのだろう。
そんなある種の偏見を抱きながら、捜査をしてはいなかったか。
その想いは、俺が警察に疑われたことで、より一層加速した感じがある。
犯人たちめ、偶然とは言え、俺を嵌めやがって────。
そんな思いは、この事件の捜査をする中で常に存在していたと思う。
自分で自分を擁護するが、これは当然の感情ではあるだろう。
他人の罪を擦り付けられそうになって、その他人を憎まない人などそうそう居ない。
いつしか、俺は「BFF」や「木馬」の正体を考察する時、「悪意ある黒幕」というイメージを抱いていたのだ。
しかし、葉兄ちゃんのこの言葉は、その発想を変えろ、と言っていた。
悪意ある黒幕では無く、俺に対して善意を向ける人物こそが犯人なのだ、と。
それを、言われてみれば────。
──思い当たる節が、無いではない……。
ぷくり、ぷくりと。
沸騰直前の水面のように。
今にも蒸発しそうな水のように、仮説が浮かんでくる。
一つ蒸発すれば、もう一つ。
それが終われば、また一つ。
煮立ってきた頭が、無意識の内に棚上げしていた物事を、意識の領域にまで上げてくる。
それらはやがて、一つの大きな模様を描いて。
俺の頭の中で、確かな実体を得た。
「……だったら」
数分経過して、「それ」が完全に実体化した瞬間、俺は床を見つめながら立ち上がる。
そして、天沢に挨拶もせずに歩きだした。
居ても経っても、居られなくなって。
「……あれ、松原君?もう良いの?」
しかし、スタスタと無言で歩き去っていく俺の姿は、余程奇妙に見えたらしい。
近くでダンスレッスンに戻っていた天沢が、その足を不意に止めて、不思議そうにこちらを見つめてきた。
ここに来た時の様子からわかる通り、一度ダンスを始めてしまえば、彼女は周囲のことなど目に入らない。
その彼女に踊りを止めさせたのだから、多分、その時の俺の様子は「よっぽど」だったのだろう。
実際、俺はあまり感情の無い声で、彼女には分からないであろうことを返事としてしまった。
「ん、ああ。もう、良いんだ。もう、解けたから」
「……解けたって?モヤモヤ、スッキリしたの?」
「ああ。これ以上ない程に……後は、答え合わせをしに行くだけだ」
それだけ言って、また俺は歩き出す。
急ぐ必要があった。
天沢には悪いが、時間的な余裕を考えれば、相手を出来ない。
俺の推理が正しければ────「木馬」に会えるチャンスは、今この瞬間も、刻一刻と失われてしまっている。
それこそ、明日にでも向こうに日本を脱出される可能性すらあった。
普通ならちょっと難しい行為だが、「彼女」なら十分に可能だろう。
それでは、駄目だ。
この真相だけは、最後に「彼女」の前で語りたい。
俺の胸の内に秘めておいていい話では無い。
俺にそう思わせている物の正体は、多分、正義感とか義憤とかの類では無く。
頼んでもいないのに事件に巻き込まれ、頼んでもいないのに庇われたことへの意地かもしれない。
だが、それでも、止まる訳には、行かなかった。
だって、そうだろう。
仮にも事件の真相を自分で見つけるとのたまった探偵役が────真犯人に庇われたまま終わりとか。
いくら何でも、それは駄目だ。
それだけを考えて、俺はレッスン室を立ち去った。
────幸いというか、何というか。
一番の懸念事項だった「彼女」への連絡は、意外とあっさりと行われた。
相手の立場を考えれば、かなり簡単に、俺は「彼女」を呼び出すことに成功した。
いや、この言い方では、不正確か。
俺の推理が正しければ、この「彼女」への連絡は、簡単に行かなければおかしい。
仮にここで「彼女」を呼び出せないようであれば、それは俺の推理が間違っていた、ということになるのだから。
そう言う意味では、俺が「彼女」に対して、「明日の午後に、『姫のアジト』というカラオケボックスに来て下さい」という要求を通したことは、ある種の必然で。
また、その予定通りに「彼女」が俺の待つ個室に来てくれたことは、逆説的に俺の推理の正しさを証明していた。
何にせよ、重要なことは一つ。
一切の偶然も賭けの要素も無い、当然の流れとして。
俺は、約一週間ぶりのカラオケボックスで、「彼女」と出会ったのだ。
「……好きなところに、座ってください」
先に個室に入っていた俺は、入り口の扉を開けたままキョロキョロと周囲を見渡す「彼女」を前に、そう呼び掛ける。
タメ口でもいいんじゃないかと思ったが、何となく敬語になってしまった。
俺の方が「彼女」を呼び出したというのに、まるでこちらから頭を下げるようにして座ってもらう形になってしまう。
だから、という訳でも無いのだろうが。
俺に誘導されるままに「彼女」が座ったのは、所謂お誕生日席だった。
中央に置かれている長机の、端っこに座られた形となる。
──まあ、一応ゲストと言えばゲストなんだから、間違ってはいないかもしれないが。
それでも、犯罪者をゲスト枠としてカラオケに招くという自分の行為の異常さに、俺は軽く呆れを感じる。
入り口から見て一番遠い席に座ってくれたのは、「彼女」の余裕さなのか、或いは逃げないう意思表示なのか。
どうにも、読めなかった。
席に座った「彼女」は、最初に店員が置いていった水を手に取り、軽く口に含む。
夏だというのに、被ったままのフードを外そうとはしなかった。
顔を隠すことに、慣れている人の立ち振る舞いである。
「見て分かったと思いますが、このカラオケボックスはほぼほぼ無人です。グラジオラスのお墨付きですよ……この個室には、俺と貴女しか居ません」
一応、そんなことを言って置く。
相手を安心させるというよりも、単に現状確認として。
向こうも、それが分かっていたのだろう。
コクリ、と小さく頷きを返すことで返事に代えて────それでも、フードを取ろうとはしなかった。
まあ、当然か。
今の「彼女」の立場を考えれば、この対応も仕方ない。
だから、俺はそれ以上声をかけることは無く、自分も座ることにする。
椅子の位置は迷ったが、「彼女」に触発されるようにして、机のもう一端に向いて座ることにした。
長い机を挟んだ、「彼女」の正面、もう一つのお誕生日席である。
相手が入り口から一番遠い席に座ったので、こちら側の席は、必然的に入り口に一番近い席となる。
ここなら、万が一相手が暴れるようなことがあっても、何とかなるだろう。
少し、警戒しすぎだろうか。
だが、この席順はそっくりそのまま、探偵と犯人の位置取りだ。
遠いに越したことは無い。
そう考えながら俺はその席に座り、そのまま両肘を机に置いて、手は口元に持ってくる。
行儀が悪いとは分かっていたが、俺としては楽な姿勢だった。
何より、相対した「彼女」の様子を観察できるのが素晴らしい。
────こうして、場は整った。
最後の舞台が、崖の上でも、拘置所の面会室でも無く、ボロいカラオケボックスというのがアレだが、こういう場所でも無いと会えないのだから仕方が無い。
互いに面倒くさい立場になっちゃったな、などと考えながら、俺はいつもの符牒を口にすることにした。
「さて────」
符牒を切っ掛けとして、最初に俺がまくしたてことは、何も新しいことの無い、現状の確認である。
概ね、前日に天沢相手に話したことの繰り返しだった。
一々、「BFF」や「木馬」という単語の説明もせずに、語り続ける。
あまりにも突然過ぎた積野大二の逮捕。
俺が何故か犯人たちに庇われている、という推測。
そして、逆説的に証明される、未だに逮捕されていない「木馬」の存在。
厳密には、これらのことを「彼女」に語る必要は無い。
だって、「彼女」は真犯人なのだから。
俺が語るまでも無く、事件の全貌を向こうは把握しているのだろう。
だが、語った。
その理由は、自分でもよく分からない。
俺の抱えた苦労を、少しでもお裾分けしたかったのか。
何にせよ、すぐに俺の話は葉兄ちゃんの推理の内容にまで辿り着く、
彼が告げたことを全て述べて────それから、俺は率直にこう語りかけた。
「……実を言うと、彼に大ヒントを教えてもらうまで、俺は貴女のことを全く疑っていませんでした」
クスリ、とフードの奥から笑う音がする。
当然だ、とでも言いたげな声だった。
そのことに軽くイラつきながらも、俺は話を続ける。
「これでも、積野大二の逮捕直後から、色々考えたんですよ。例えば、碓水さんが怪しいな、とか、篠原さんだって有り得なくはないぞ、とか……彼女たちには申し訳ないですけど、疑おうと思えば疑えたので」
別解潰しのような形ではあるが、彼女たちのことも一度は疑ったのだ。
可能性だけで言えば無くはない、と思って。
例えば、碓水さんは積野大二が火災について知る切っ掛けとなった、メールの一斉送信に関わっている。
嫌な言い方になるが、あれを起点として、積野大二は放火犯を騙り始めたのだ。
だから、「実は一斉送信メールを利用して、積野大二に情報を与えていたのでは?」という推理が出来なくはない。
また、篠原さんは遠隔操作の起点となった、あのタブレット端末を俺に渡した張本人である。
あれが、意識して俺を嵌めた、ということだったなら、「木馬」候補は彼女も入るのだ。
悪意ある人物が黒幕と考えるなら、有り得なくはない候補である。
「だけど、善意を持って俺に接した人物こそ真犯人、と聞かされた時から、この想定はひっくり返りました。真逆に考えないといけない訳ですからね……そして、そう考えると、面白いことに気が付きました」
軽く、俺は指を絡ませた両掌に自分の額を当てる。
同時に、軽く目を閉じた。
「俺が最も犯人に庇われた場面……すなわち、積野大二の最後の行動にあたる部分を思い出してください。何度も言っていますが、この彼の行動は奇妙すぎます。明らかに、わざと逮捕されに行っているとしか思えない」
逆に言えば、この行動は「木馬」による指示による物だったと見て間違いない。
積野大二は、あの日突然に「木馬」によって、「わざと目立つように手紙を投げ入れろ」という指示を受け、それを実行したのだ。
恐らく、積野大二本人も、それが俺を庇うことになるとは知らなかっただろうが。
「……そして、善意に従ってこの指示が出せた人間というのは、実のところかなり限られています。当たり前ですが、俺がその時刻に警察と一緒に居ると知らない限り、この指示は出せませんから。つまり、『木馬』の正体は、俺が巌刑事と共に握手会の会場を出て行ったことを知る人間、ということになります」
もっと言うなら、その知った時間帯というのは、かなり早い段階に絞られる。
そうでなければ、積野大二があの時刻にボヌール周辺をウロつけないからだ。
例えば姉さんや氷川さんのような、ちょっと時間が経ってから俺が警察に連行されたことを知った人間は、「木馬」候補から外れる。
彼女たちが「木馬」だった場合、いくら何でも積野大二への指示が間に合わない。
積野大二も手紙の準備などがあるから、時系列を考えれば、俺が警察に連行された直後くらいに指示を出さないといけないのだ。
「それと、犯人像にはもう一つ条件があります……積野大二に崇拝される対象である、という条件もまた、満たされなくてはならない」
警察が見張る中手紙を投げ入れてこいという指示は、要するに捕まれ、ということ。
そんな指示すらも承諾してしまうくらい、積野大二は『木馬』の言うことなら何でも従っていたのだ。
その感情はもう、脅しでも自発的な意思でもなく、思考停止レベルの崇拝と言わざるを得ないだろう。
この点を踏まえれば、「木馬」の条件が分かってくる。
その人物は、俺が警察に連行される様を見ている──俺はこの時、姉さんにすら電話しなかったので、直に見ない限り知ることが出来ない──人物で。
同時に、積野大二が心の底から慕う人間。
その上で、俺に対して無償の善意を持ち。
この事件の中で、俺を幾度となく庇っていた人間。
そんな人はもう────唯一人しか居なかった。
「……凛音さん」
ぶるり、と。
何の曲も鳴っていない、異様に静かなカラオケボックスの空気が震える。
「『木馬』の正体は……貴女ですね?」
分かり切っていたことを、分かり切った言い方で問いかけた。
ここに「彼女」を────凛音さんを呼んだ時点で、確定していた事実を。
彼女が普通にここに来た時点で、認められていたことを。
果たして、凛音さんはまたフフッと笑って。
一切の否定をせずに、ただ、フードを外した。
まるで、ショーでも始めるかのように、悠然とした動きで。
当たり前だが、彼女がフードを外した瞬間、その美貌が俺の視界の中に飛び込んでくる。
握手会以降、彼女とは会えていなかったのだが、その容姿は引退前と何ら変わることが無かった。
──というか寧ろ、元気になっているようにすら見えるな……生き生きとしている、というか。
比喩でもなんでもなく、彼女が居る所だけ、ぼんやりと光っているかのような。
デフォルトで薄暗いカラオケの個室が、そこだけ照明で照らされているかのようだった。
それは、アイドルとしての美しさではない。
生命力に溢れている、実に快活で、命の息吹を感じる美しさ。
彼女はいつの間にか、そんな物を身にまとっていた。
このように、今までで出会った人の中で、最も美しいと断言できる彼女は。
俺の目の前で、「木馬」として座り。
そのまま、余裕の笑みを湛えたまま、こんなことを告げる。
「……まだ、言い方が固いなあ、玲君。君は正義の名探偵なんだから、もっとこう、張り切らなくっちゃ」
そう言ってまた、クスリという笑い声。
続いて、挑発。
「リラックス、リラックス……ね?」
その言葉に引きずられるように、俺は視線を彼女に合わせる。
可能な限り、余計な力は抜いて。
すると、凛音さんがはっきりと、「よく出来ました」と言ったのが分かった。
「落ち着いたところで、推理の続き、聞かせてくれる?」
「……全部を知っている貴女が、それを言うんですか?」
「ええ。だって私、玲君の口から聞いてみたいもの。この小さくて大きな事件が、その実どんな物だったのか」
その言い方は、心なしか、今まで聞いたそれよりもあどけなかった。
まるで、小学生か中学生が話しているかのような。
人によっては、その話し方から狂気を感じたかもしれない。
しかし、こんな状況で尚、その狂気にすら美を見いだせてしまうというのは、彼女がおかしいのか、それとも俺の方がおかしいのか────。
そんなどうでもいいことを感じながら、俺は彼女の挑発めいた言葉に乗っかることにする。
推理を聞きたいというのなら、望むところだ。
「……今回の事件を考えるに当たっては、どうやってやったかというよりも、何故やったか、という部分に着目すると、分かりやすくなります。詰まるところ、貴女の動機です。それが分かれば、後のことも自動的に分かってくる」
「へえ、そうなんだ?」
「そうなんですよ」
すっとぼけた彼女の言い方に、再び苛立ちに近いものを感じたが、無視する。
一々突っ込んでいたら、俺の方がもたない。
わざわざ呼び出しておいてアレだが、少なくとも推理中は、彼女のことは相手にしない方が良さそうだった。
「では、その動機とか何か?……これは、貴女が最終的に何を手に入れたか、ということに目を向ければ、すぐに解けます」
「そう?私、寧ろ色んな物を失っているように見えると思うけど?」
すっとぼけた、しかし的確な突っ込みが真正面から放たれる。
無視すると決めたばかりだが、つい反応しそうになった。
実際、その意見は妥当だ。
今回の事件を契機に彼女は芸能界を引退し、全てを失っている。
トップアイドルの位置も、芸能活動も、全て、彼女の手から離れてしまった。
だが────もし。
もし、この現状こそ、彼女の狙いだとすれば?
「貴女は今回の事件で、誰にも邪魔されずに着々とやりたいことをこなしています。多少は予定外のこともあったでしょうが、大体は予想通りに進んだはずです。その結果、こういう状況になっているんですから……つまり、貴女のこの現状こそ、貴女が求めていた物、ということになります」
「ふーん?どういうこと?」
「簡単ですよ。全てを失ったということはすなわち、失ってみたかった、ということ。分かりやすく言えば────」
すうっと、息を整える。
あまりにも非現実的で、しかし彼女ほどの成功を収めた人間であれば有り得るかもしれない話。
これを告げるには、これくらいの準備は必要だった。
そうやって、いくらかの間を置いてから。
まるで吐き出すようにして、俺はその仮説を述べる。
「凛音さん。貴女は、アイドルを引退したかったんですね?それも、自分の責任にならない形……もっと言えば、自分が可能な限り批判を受けないようにしつつ、全てを過激なファンのせいにしながら引退したかった」
ハア、と息継ぎ。
それに、確認。
「……違いますか?」
おおー、と。
本気なのかふざけているのか分からない態度で、凛音さんが拍手をする。
だが、それも一瞬の事。
彼女は相変わらずの余裕の笑みのまま、「それでそれで?」と続きを促した。