事件が解決(仮)する時
「現在、積野大二は容疑を全面的に認めているようだな。そして、単独犯だった、ということも述べているらしい」
……ボヌール脅迫事件の電撃的な解決と、その直前に発せられた凛音さんの電撃引退。
これらの二つを受けてから、一週間。
事件の渦中にいた頃よりも遥かに騒がしくなったボヌール内でも、休憩室はいつも通りの静寂を保持していた。
忙しい中、ここに来てくれた姉さんも、休憩室の空気に合わせるかのように、淡々と説明をする。
氷川さんから特別に教えてもらったという、分かっている限りの捜査情報を。
「動機はまあ、元から予想されていた感じだ。彼はクリスマスローズのイベントを出禁となり、さらに病状も悪化、帰る家すら無くなってしまったことで、どん底の状態にあった。加えて彼本人、自分がもう長くないことは分かっていた」
「だから、別のアイドルにのめりこんだ、ということか……人生の最後の、お楽しみとして」
事件の説明をするから、と言う姉さんに呼び出される形で、一週間振りに事務所を訪れた俺は、そう言って相槌の代わりとする。
向こうも、俺の反応は予想していたのか、特に返事も無く話を続けた。
「そういうことだ。だが、流石に既に騒ぎを起こしてしまったクリスマスローズ相手では警戒されているだろうということで、別の事務所のアイドルに的を絞った」
「それで、凛音さんが応援対象に……所謂、『推し』になった」
「ああ。凛音の場合は、その人気から毎日のように何かしらのイベントがあるからな。将来のイベントを待てるかどうか分からない彼の立場では、都合のいい対象だったんだろう」
なるほど、と妥当な話の流れに俺は頷く。
確かに、次のイベントがいつ開かれるか分からないレベルのマイナーなアイドルを「推し」にしてしまうと、積野大二のように将来が見えないファンは大変だ。
次のライブは半年後、などと言われてしまったら、果たしてそれまで自分の体がもつかどうかすら分からず歯がゆい思いをすることになる。
だからこそ、凛音さんのように毎日どこかしらに出演している、という人気アイドルの方が応援対象として適していたのだろう。
何なら、大量のファンがイベントに押しかける分、彼のような前科のあるファンでも簡単に紛れ込めるかもしれない、という期待があったのかもしれなかった。
「じゃあ、彼は今までも、凛音さんのイベントにも出ていたのか?」
「まだ、イベントの記録はチェック出来ていないんだが……本人の弁では、そうらしいな。なけなしの貯金やら何やらを使って、ライブや握手会に参加していたそうだ。無論、今回の事件が起きる前の話だが」
そこまで聞いて、俺はあれっ、となる。
今、姉さんの話が矛盾した。
「ちょっと待て。……確かその時点で、積野大二はブラックリストに入っていたはずだよな?元々は、クリスマスローズに対する迷惑行為で載ったんだから」
「ああ、載っていた」
「じゃあ、何でその時点で積野大二を見つけて、出禁に出来なかったんだ?ブラックリストって、元々そのための物だろう?」
確か、そういう説明を姉さんや碓水さんがしていた。
そのために、他事務所でやらかしたファンの情報も共有しているのだ、と。
だからこそ発生した疑問をぶつけると、姉さんが何とも言えない顔をする。
こう、「私もそう思うよ」とでも言いたげな顔だ。
「本来なら、そうすべきだったんだが……結果から言えば、幾つかの理由でそれは無理だったな」
「無理?」
「ああ。まず一つは、単純に、彼の名字が離婚によって変わっていたから、その存在に気が付けなかったことが原因だ。ニュースとかで見なかったか、彼の本名」
「そう言えば、馬場大二とか言っていたけど」
あれ、名字違わないか、と思って二度見した表記である。
しかし、離婚で名字が変わったということは────。
「元々、婿養子に入っていた人なのか?」
「そうらしいな。『積野』というのは、妻の実家の名字だ。『馬場』の方が元の名字となる。離婚によって、そちらの名字に戻っていたんだ」
「そして、身分証の名前もそちらに更新していた……」
「そう言うことだ。住所に関してはどうしたかは知らないが、とにかく名義が変わってしまっていたのは確からしい」
故に、ブラックリストから見つけるのが遅れた、という話らしかった。
まあ確かに、下の名前の「大二」は決して特徴的と言えるほど珍しい名前でも無いし、偶然の一致と判断してしまうことも有り得る話ではある。
「……でも、茶木刑事とか氷川さん、普通に『積野大二』って言っていたけど」
「それは普通に、お前に分かりやすいよう、説明を省いたんだろう。警察は当然、名字が変わっていることは把握していたはずだからな」
確かに、離婚の件も知っていたな、と俺は一週間前に聞いた話を思い出す。
その点について納得しながら、俺は別の質問をした。
「それでも、生年月日や顔つきを見ていけば分かっただろう?あのブラックリスト、顔写真だってあったし」
「生年月日についてはその通りだが……顔つきの方は、ちょっと気が付くのは無理だったそうだ。これが、二つ目の理由だが」
そう言いながら、姉さんは自分の頬をむに、と摘まむ。
さらに、意図的に顔を膨らませるようにして、ぐい、と引っ張った。
何をしているんだ、と俺は一瞬驚いたが、その状態のまま姉さんは説明をする。
「お前は詳しくないかもしれないが、肝臓の病気というのは、重い浮腫を伴うことがある。要は、身体全体がむくんでくる訳だな。彼の場合、心臓の具合も悪かったので、それが酷かった」
「つまり……浮腫が酷くて、人相が変わっていた、と?ブラックリストに載っている写真よりも、さらに」
「それに加えて、病院に通っていない物だから黄疸も悪化している。その辺りの事情から、イベント開始前に顔写真で判別、ということは出来なかったらしい」
尤もこれは、凛音のマネージャーの言い訳だがな、と姉さんは苦笑をする。
その様子を見て、俺は姉さんはこの言い訳に納得していないのかな、と考えた。
まるで、いくら悪条件が揃っていたとしても、自分ならこんなミスはしない、と言いそうな様子だったからだ。
──まあ実際、そんな理由で出禁になったファンの存在を見落としてしまうのなら、ブラックリストの意味が殆どなくなっちゃうしな……そう言う意味では、確かに「言い訳」か。
冷たいと思われるかもしれないが、俺もそんな感想を抱く。
同時に、凛音さんが言っていた「見落としは当然有り得るので、自分でも見ておきたかった」という話の意味を理解した。
彼女の言う通り、ボヌールのチェックは完全とは言えなかったらしい。
今回の件で、嫌な実績が出来てしまった。
ついでに思い出すなら、凛音さんのマネージャーは最近変わったばかりの新人、という話もしていた。
これらの条件も相まって、積野大二──面倒臭いので、馬場大二とは呼ばない──はボヌール側のチェックを素通りしていたのか。
そう考えると、ボヌールも不甲斐ないというか、何というか。
尤もこの場合、せっかくブラックリストを見ていた凛音さんも積野大二の来訪に気が付けていないようだから──気が付いていたなら、そこで話は終わっている──それほどまでに人相が変わっていた、という言い方も出来るか。
「じゃあ、そういう幾つかの偶然も味方して、彼は凛音さんのイベントに通い詰めるようになった、ということだな」
「簡単にまとめるなら、そうなる」
「……でも、そこからどうして脅迫に繋がったんだ?そんなことをしたら、また出禁になるのは分かり切っているだろうに。せっかく上手くチェックを潜り抜けていたのも、お釈迦になっちゃうし」
話の流れに乗りつつ、俺はそこで、前々から気になっていたことを聞く。
先程、人気のないアイドルを応援すると次のイベントに参加できないリスクがある、という節のことを言っていたが、リスク云々を考えるなら、そもそも迷惑行為や脅迫を行うこと自体が大きなリスクなのは自明の理だ。
実際にそうなったように、捕まってしまったなら、人生の最後の時間を留置所や刑務所で過ごす羽目になってしまう。
だというのに、彼は脅迫行為に及んだ。
そんなに病状が重い中、犯罪行為に走ったのは何故なのか。
そこを問うと、姉さんは再び何とも言えない顔をした。
「その辺りは、本人の言い分も二転三転しているようだが……一応、繰り返し言っている言い分、というものはある」
「どんな言い分?」
「何でも……脅迫行為を繰り返していれば、その内凛音と結ばれる、と思っていたらしい。だからこそ脅迫をやった、と証言しているそうだ」
「……は?」
全く理解出来ない理屈を前に、俺は口を大きく開けてしまう。
比喩でもなんでもなく、目が点になる、とはこのことだ。
姉さんなりの冗談なのか、とすら一瞬思ったが、彼女は訂正せず、真面目腐った顔で説明し続けた。
「彼本人の理屈としては、とりあえず推しのアイドルを引退させたかったらしいな。そうすれば、アイドルだって引退したら一般人な訳だから、自分でも付き合えるチャンスがあるかも、と思ったらしい」
「いやいやいやいや、何だそれ。仮に引退したとしても──実際引退したけど──その後脅迫犯と付き合いはしないだろ。そこのところ、どう考えていたんだ?」
「知るか、そんなこと、私が」
いよいよ匙を投げたように、姉さんが手を振り払うような動きをする。
そして、「詳しいことは本人の証言を待て、私は知らん」と言い切った。
どうも、これは姉さんとしても理解不可能な理屈であるのだが、本当にそんなことしか積野大二が証言していないので、こう説明するしかないようだった。
「何にせよ、人生の最後を推しのアイドルと一緒に居たい、という気持ちが暴走していたらしいな。それでああいう行為に走った、という流れなのは間違いない」
「はあ、それはまた……傍迷惑な人だな」
言葉少なに、俺はそんな感想を漏らす。
冷たい言い方になってしまったかもしれないが、心から最初に出てきた言葉がこれだったのだ。
重い病気であることにも、帰る場所が無いことにも、十分に同情しているつもりなのだが、やっていることがやっていることなので、どうにもしんみりとした感情が湧いてこない。
彼には悪いが、共感出来ない、というのが本音だった。
結局、俺は理解を諦め、話の続きを促すことにする。
「……そして積野大二は、元々の職歴を生かして、ボヌールの端末を乗っ取ることにした、と?」
「本人の弁では、そうだ」
やや棒読みな口調で、姉さんは説明する。
さらに、何か原稿を読み上げるような口調で、すらすらと積野大二の証言を羅列した。
曰く、彼の証言に寄れば────。
以前から積野大二は、芸能人関係のゴシップや裏情報を扱う闇サイトやダークウェブの領域に出入りしていた。
そしてその中には、何故か、ボヌール社員の物と思われる端末のメールアドレスが流出していた。
後になって分かったことだが、その流出していたアドレスこそ、俺が借り受けたあの端末の物である。
その端末に空メールを送ってクラッキングに成功した彼は、彼なりのファン活動を進めるべく、遠隔操作を続けることにした。
遠隔操作に成功してからは、防犯計画のマニュアルを見て監視カメラの位置を特定し、手紙を投げ込む隙を発見。
しかし、自分の手際が良いからと言って、ボヌール内部では裏切り者が居るんじゃないか、という話になっているとは思っていなかった。
無論、「木馬」なんて存在も知らなかった。
彼はただ単に、遠隔操作を通して内部の情報を漁って。
それから、以前、クリスマスローズに同様の手紙の投げ入れを行ったが、雨であったことも幸いして結局バレなかったことも追想して。
その上で同じことを繰り返し、ある程度警戒されてからは脅迫メールに切り替えた。
事件が起きた「ライジングタイム」の撮影情報は、その一環で知ったことに過ぎない。
普通のテレビ局などの撮影では、普段から警備が厳しいので、脅迫状の効果は薄い。
山での撮影のような、事務所や撮影スタッフとしては不測の事態が起こりやすい場所の方が脅迫の効果が大きいと考えて脅迫メールで示唆した、という流れだった。
尤も、悪戯目的に適当なことを──不幸になる、などと──書き込んでこそいたが、まさか本当に何か起こるとは思っていなかった。
しかし、火災発生を知らせるメールを見て、利用を決意。
さも自分がやったかのように、宣言する脅迫メールを追加で送った。
だが、一度それを送ってから、「火災があった以上、警察が既に乗っ取った端末などを調べているはずだ、自分の脅迫メールも詳しく調べられて、捕まってしまうのではないか」ということに気がついたらしい。
自分のやったことの危険性に、後から気が付いた訳だ。
故にそれからは脅迫メールは送らず、寧ろ手紙を投げ込む方がまだ安全なのではないか、などと画策。
結果、ダメ押しの手紙の塊を投げ込んで、敢え無く逮捕された。
その行動の直前、凛音さんが待望の引退宣言をしていたことは、全く知らなかったらしい。
これは、ある種仕方が無いことだった。
家も無い彼は、スマートフォンの契約も既に打ち切られていたのだ。
彼女が引退したことを知らせる速報が流れた頃には、彼は既に手紙の塊を抱えてボヌール付近をうろついていた。
自然、ネットカフェにも居ないため、その速報を知る術が無い
結果、彼は既に目的が叶っていたことにも気が付かず、意味も無い脅迫を再び行ったのだ────。
「……氷川の話によれば、概ねの事情はこのような感じだったらしいな。ただ、証言の中には明らかに妄想めいた物まであったそうだから、この話もどこまで本当かは不明だが。警察の方も困ってしまって、現実味のある部分を抜き出して調書にしたそうだ」
はあ、と姉さんはそこで一つため息をつく。
何というか、「あいつらは仕方ないな……」という風な感情を滲ませたため息である。
氷川さん以外にも、知り合いでも居るのだろうか。
「……今の話って、信用しにくい物なのか?何か、明らかな矛盾点があるとか?」
姉さんの表情の意味をちょっと考えながらも、俺はそこを問いかける。
すると、姉さんは「これはここだけの話だが」と言いつつ、さらに補足を入れた。
「話によれば、ボヌール前で逮捕されてから、積野大二の病状はさらに悪化しているらしい。現状、警察が手配した病院で寝たきりになり、意識状態すら不安定、という感じだそうだ。……恐らく、この証言だって、しっかりと話したのではなく、うわ言のような物だろうな」
「……そんなに悪いのか」
「ああ。死人みたいな顔をしながら、病院のベッド上でアイドルと付き合えるだとか、既に認められているだとか、ブツブツ言っているようだ」
──それはまた、凄まじいというか、可哀想というか……。
最早ここまで来ると、執着という言葉でも足りない気がする。
狂気というか、熱情というか。
何にせよ、最初から最後まで、彼が俺の理解が及ぶ範囲にいなかったのは確かだった。
──そう言えば結局、今回の事件を通して、俺は積野大二には一回も会わなかったな……。
ふと、そんなことも考える。
だが、その思考を切り裂くようにして、姉さんが目の前でガタリ、と立ち上がった。
釣られて、俺はそちらを見る。
「何にせよ、これで説明は終わりだ。今ので、私が氷川から聞いた話は全てだ」
「あ、そうか。……ええと、お疲れ様?」
何と声をかければいいか分からず、疑問形で疲労を労う。
すると、姉さんは表情筋から力を抜いたように、フッと笑った。
「事件は解決し、犯人も捕まった……公判が維持できるかどうかは分からないが、とりあえずのところ、検察も彼が犯人ということで立件に動く。裁判前に被疑者が亡くなるかもしれなくても、やらなくてはいけないからな。……何にせよ、これで今回の事件は、私たちの手を離れた」
ふう、とまたため息をつく。
そして、姉さんは気合を入れなおすように、髪をかき上げた。
「だから、私たちが事件について考えるのも、今日までの事だ。お前は当然『日常』に戻るが……私も、本業の方が忙しいしな。考える暇が無い」
「ああ……凛音さんの」
トップアイドルの突然の電撃引退と、それに伴い大炎上をしたボヌールへの批判。
身の安全を守りたいという、どう考えても今回の事件と絡んでいるであろう引退動機。
ボヌールの端末におけるネットセキュリティの問題と、それを起点として始まったサイバー犯罪に対する議論。
これだけのことが、この一週間で発生している、
何でも、サイバー犯罪がどうこう、という部分は国会の審議ですら話題に上ったらしい。
まあ要するに、凛音さんの引退をきっかけに、社会の一部がしっちゃかめっちゃかになってしまった訳だ。
芸能界どころか、社会全体を巻き込んだ混乱の様子は、バイトでしかない俺としても肌で感じ取っている。
そう考えると、確かに姉さんは、もうこの事件に関わる暇はないらしい。
正確には、積野大二が逮捕されても終わらない問題に対処しなくてはならない、と言った方が正しいか。
スケジュールの穴埋めやら、謝罪回りやら、ボヌールの人間として色々やることがあるのだろう。
グラジオラス担当の彼女としては、凛音さんの引退に伴って自動的に消滅してしまった、「ライジングタイム」の後始末もあるだろうし。
「じゃあ、これで事件は終わり、か……何か、尻すぼみというか、最後は呆気なかった気もするけど」
「そう言うな。現実の事件なんてものは、往々にしてドラマチックでは無い物だ」
何となく率直な感想を呟く俺を前に、姉さんが何故か慰めるような口調でそんなことを言う。
そして、彼女はもう一度、念押しするようにこう告げた。
「何にせよ、事件についてはこれで終わりだ……良いな?」
「ん……ああ」
どことなく、フワフワした気分のまま、俺は頷いておく。
すると、姉さんも頷き返して、スタスタと休憩室を歩き去っていった。
まるで、これ以上の説明を拒否するかのように。
そうやって、立ち去った姉さんの背中と。
何も音を立てなくなった、休憩室の扉を見つめながら。
俺は、自分の中で、小さな声が芽生え始めたのを確かに感じ取っていた。
──本当に?
本当に。
本当に、事件は終わったのだろうか。
積野大二が捕まったのは、まあ良い。
俺の無罪が自動的に証明されたことも、実に喜ばしい。
だが、「木馬」は?
本当に、「木馬」は居なかったのか?
これはただの、異様にクラッキング手段を心得た過激なファンの仕業、ということで片づけて良い事件なのだろうか?
いやいや、それ以前に。
これで終わっても、良いのか?
一人の、探偵めいたことを始めた人間として。
この状態で、俺は本当に。
事件の謎を、解いたと言えるのだろうか……?