捜査の虜になった時
「多分、今の玲君の頭の中では……何でこのタイミングで私が?とか、結局自分が疑われた理由は?とか、色々と疑問が渦巻いているとは思います」
「はあ……まあ、その通りですけど」
「当たっていましたか?……一つ一つ答えますから、安心してくださいね」
氷川さんの言葉は、そんな説明から始まった。
時系列的には、突如として「華梨」に来た氷川さんに連れられ、彼女の車に乗ってすぐの事である。
もう事情聴取は終わりだから映玖市まで送りながら説明をする、と告げた彼女は、やや疲れているようではあった。
茶木刑事に慌ただしく別れを告げた後、助手席から覗き見る顔には、汗が滲んでいる。
余程、急いで来たのか。
その様子を見てしまうと、説明を求めるのも酷な気がしてくるから不思議である。
しかしかといって、変に気を遣って、無言で映玖市まで行くのは流石に得策ではない。
結局、俺は車が走り出すと同時に、彼女の提案に乗ることにした。
「ええと、じゃあ……氷川さんが、あそこに来た理由から良いですか?そもそも、誰に聞いたんです?」
大して深い縁でも無いが、一応は昔からの知り合いであるので、俺の口調に遠慮は無い。
パッと気になった点から、まず聞いた。
「直接的なところを言えば、夏美さんに頼まれたからですね。少し前に、彼女から電話が来たんです」
「姉さんが?」
「はい。彼女が言うには、玲君が巌という刑事に事情聴取のために連れ出されてしまった。そしてもしかすると、取り調べのプレッシャーのあまり、精神的に参ってしまう可能性もある。だからこそ、様子を見に行って欲しい、と」
「へー……」
頭の半分が「そうなのか」という驚きで、もう半分が「だろうな」という納得に埋まった。
何というか、あの人の行動なら、突飛な物でも納得しやすいというか。
思い返せば、姉さんは以前、いざという時には必ず助けを寄越す、というようなことを言っていた。
具体的な助け方は特に言っていなかったが、今がその「いざという時」だったらしい。
「あれ、でも……何で姉さんは、俺が巌刑事と取り調べに向かったことを知ってたんです?」
「事務所の友達から聞いた、とか言っていましたね。玲君、確か今朝はアイドルのイベント会場に居たんですよね?私はそのイベント会場の様子を知らないので詳しくは分かりませんが、その辺りから連絡が行ったのでは?」
そう言われて、ああ、となる。
同時に、脳裏に凛音さんの姿が蘇った。
彼女の行動が起点だとすれば、筋は通る。
恐らく、俺が茶木刑事に会うために控室を去った後、彼女がマネージャーさんなり他のスタッフなりに頼んで、姉さんに連絡してもらったのだろう。
凛音さんは俺が姉さんの、というか「松原プロデューサー補」の弟であると知っていたようだし、当然の反応だ。
自分はその後握手会に行かなくてはならない中、精一杯のことをしてくれたらしい。
何故か彼女は俺を幾度となく庇っていたが、その行動の一環、ということか。
それで、姉さんが氷川さんに電話をして、俺を助けるよう促した、という流れになった訳だ。
凛音さんも、姉さんも、互いに非常に忙しい立場だろうに、無茶をする。
「……そう考えると、結構早く助け船が来た形になるんですね、これ。巌刑事の車に乗ってから、数時間で迎えに来てもらった訳ですし」
「そうかもしれませんね。ああでも、その点については、夏美さんは苛立ってましたよ。取り調べに行く直前にでも自分に直接電話してくれれば、そこで助けられたのに、と」
「ああー……」
そう言えば、姉さんに事情聴取について連絡をしていなかったな、と俺は一時間程前の自分の姿を振り返る。
巌刑事の車に乗っていたとは言え、別にスマートフォンの使用を禁じられていた訳ではなかったのだから、普通に連絡をしておけば良かった。
いくら向こうが忙しいとは言え、連絡も無いと心配するだろうし。
こんな簡単なことすら考えついていなかった辺り、あの時の俺は冷静に振舞っているようで、やはり緊張していたらしい。
無意識に、警察に連行されるような気持ちでいたのか。
「ええと因みに、『華梨』の場所は、どうやって分かったんです?その電話だけだと、『華梨』とは明言されていないでしょう?」
「まず、巌刑事は茶木刑事のバディですから、玲君が茶木刑事の元に行ったのは確定と考えて……署内で茶木刑事の予定を聞いたら、サイバーの方に話を聞きに行った、ということでしたから、後はその部署に電話したら大体分かりました。茶木刑事には電話もしたんですけど、彼は集中するとコールなんて聞こえませんから、後は直に会うしかないな、と」
実際に来てみたら、殆どお話は終わっちゃってましたけどね、車の量が多すぎて遅れてしまいました、と軽く氷川さんが愚痴る。
言われて前方に視線をやると、お昼過ぎという時間もあってか、行きの時よりもさらに車の量が増えている道路の光景があった。
どうも、早い段階で連絡を受けたにも関わらず、到着が一時間以上後になったのは、この人通りの多さも関係しているようだ。
「とりあえず、私がこうして玲君を拾いに来た経緯は分かりました?」
「はい、ありがとうございます。まあ、こっちはそもそも些事ですけど」
今までの話は、あくまで前菜。
究極的には、どうでもいい話だ。
俺が聞かなくてはならない話は、この続きにある。
「では、本題ですが……さっき茶木刑事が言っていた、警察が俺を疑う姿勢を見せた真の理由って言うのは、何なんです?あの時の言い方からすると、氷川さんも茶木刑事も、事情を知っているんですよね?」
ここからが、氷川さんの乱入によって有耶無耶になっていた部分である。
何やら茶木刑事は話したくなさそうに言っていたが、同時に氷川さんなら殴られずに話せる。とか何とか言っていた。
彼らが何を考えていたかは知らないが、その思惑の被害者として、真相を聞く権利くらいあるだろう。
実際、ハンドルを丁寧に傾けながらも、氷川さんはあっさりと頷いていた。
「そうですね……確かに、知ってます。事件が解決次第、タイミングを見て言おうと思っていたところでした」
「だったら……」
「ただその前に、玲君がどこまで知っているか聞きたいんですけど……ええと、脅迫に関する第一容疑者のことや、ボヌールからの情報提供については聞きました?」
今更と言えば今更な問いを、氷川さんは発してきた。
一瞬拍子抜けしたが、考えてみれば氷川さんの視点では全く知らないことなので、仕方ないことではある。
結局、俺は茶木刑事との会話を軽く要約して開設した。
「俺の知っていることは、大体こんな感じです……まあ、概ね聞いているんじゃないかと」
「ですね。かなり話してます……じゃあ玲君は、捜査方針の混乱もあって、積野大二の足取りが未だに掴めていないことも知っていますね?」
信号待ちのタイミングでこちらに視線を向けられ、俺は返答代わりに頷く。
積野大二の現状は、インパクトがあった分、はっきりと覚えていた。
殆どホームレス生活かつ、ネットカフェを転々とするという生活形態から、事件発生後二日というこの段階では、まだ見つかっていないのだったか。
「そのことに関する補足になるんですが……実を言うと、彼の足取りが掴みにくいだろうな、というのは早い段階で分かっていました。それこそ、ボヌールから情報提供された瞬間から」
「え、そうなんですか?」
「ええ。離婚により家族関係が絶たれ、仕事も辞めて無職ということは、社会的な関わりがほぼゼロということですから。治療を諦めたせいか、病院にも通院していませんでしたし……そういう根無し草の人が、一番足取りを追いにくいんです。宿であるネットカフェについても、ちゃんとした監視カメラすら付けていないような店ばかり通っていたようですから」
ほほう、と俺は興味深く思う。
そう言えば、茶木刑事も似たようなことを言っていた。
別に、積野大二も狙ってそんな環境に置かれた訳ではないだろうが、彼は無意識の内に、警察が一番捕まえにくい立ち位置に居たらしい。
「だから最初の頃から、署の方では仮に脅迫者が積野大二であったとしても、もう一人の犯人を狙おう、という方針が打ち立てられたんです。そこが、今回の捜査方式における、全ての始まりとなります」
「もう一人の、犯人?……ええと、『木』、じゃない、ボヌール内の内通者のことですか?」
一瞬、「木馬」と言いそうになったが、これは氷川さんが知っているはずもない単語なので修正する。
何にせよ、もう一人の犯人というからには、内通者のことで間違いないだろう。
果たして、氷川さんは力強く頷いた。
「はい、そちらは積野大二と違って、居場所は確定していますから。ボヌールに出入り出来る立場となると、少なくとも根無し草とは考えにくい」
「まあ、そうですね」
今までも散々言ってきたように、「木馬」はボヌール内の何者かである可能性が非常に高い。
当然「木馬」は、積野大二と違って職業はあるし、家もあるだろうし、社会的な地位だってあるはずだ。
警察としては、網が貼り易い相手だった、と言うことだろう。
「ですから、私たちの第一目標は、内通者の特定でした。その人物をまず捕まえて取り調べることが出来れば、後は芋蔓式に脅迫犯についても分かる可能性は高い。もし分からなかったとしても、相手との連絡手段さえ分かれば、脅迫犯を誘き出すことだって出来ますからね」
「なるほど……でも、その人を捕まえるにしても、どうやるんです?」
名前や素性だけは分かっている積野大二とは対照的に、「木馬」の情報は殆ど無い。
ボヌール内部の人間に限定しても、容疑者の数は百人は軽く超えるのではないだろうか。
いくら警察と言えど、闇雲に調べていては効果は無いだろう。
そう思っての、俺の疑問。
それを受け止めた氷川さんは、何でも無いことのように続きを語った。
「簡単です。罠を張りました」
「罠?」
「はい。多分、玲君も知っているとは思いますが……ボヌールの人間に事情聴取するたびに、絶対に言葉を付け加えようにしたんです。事件現場にいた高校生のバイトについて教えてくれ、と」
確かに、聞いた覚えのある台詞だった。
というか、今まさに俺が聞こうとしている疑問の主題である。
その言葉を境に、つまりですね、と氷川さんの話がまとまっていく。
「私たちはまず、ボヌールの社員は疑っていませんよ、警察はあくまで高校生のバイトの動きに注目していますよ、という意思表示を、内通者含めたボヌール社員に見せ付けたんです。それこそが、内通者を炙り出すための作戦でしたから……事件に関わっていなさそうな人まで含めて、殆どのボヌール社員に事情聴取を行い、さらにこの質問もぶつけました」
「それは……ええっと、内通者を油断させるために?」
「それもあります。ですが真の狙いは、そう問いかけた時に取り調べ対象がどんな反応を示すのか、確認するためでした。……だって、もしそこで注目されている『高校生のバイト』のことを悪く言うような人が居たら、その人が内通者である可能性は高いでしょう?」
……どういうことだ、と思考が混乱する。
全てを知っているらしい氷川さんはともかく、俺は話の急展開にちょっとついていけない。
そのことを表情で示すと、氷川さんは流石に詳細を教えてくれた。
「ちょっと難しいかもしれませんが……内通者の立場になって、取り調べの様子を想像してみてください。そうすると、意味が分かると思います」
「内通者の立場になって……?」
「はい。まず、ボヌール内に内通者が潜んでいます。その人物はボヌールの社員として日々働く中、脅迫犯相手に情報を漏らしてきました……そんなある日、事務所に警察が来て、ついさっき起きた火災について取り調べを始めたとしましょう……この時、内通者はどう感じると思いますか?」
「どうって……まあ、怖いんじゃ無いですか?取調べを受ける機会なんてそうそう無いでしょうし」
事実、何もしていなかった俺でさえ、刑事を前にすると勝手に緊張していたのだ。
本当にやっている犯人は、もっと緊張したことだろう。
その人物の性格にもよるが、ガチガチになってもおかしくは無い。
「恐らく、そうでしょうね。何も緊張しないほど肝の座った犯人なんて、あまりいませんから……しかし、そこで内通者は、不思議な話を聞かされます。何と警察は自分ではなく、別の高校生バイトを疑っていると言うのです」
「さっきの、絶対に付け足した話とか言うやつですね」
「そうです。刑事はその場で、その高校生に注目していることを示唆します。直接的には断言はしませんが、聞いている方としては、その高校生こそ第一容疑者だろう、と判断出来るくらいにはあからさまです」
そこで氷川さんは間を置き、「さて、玲君」と口調を改めた。
「この時、内通者は、どう感じると思いますか?」
「感じること……ですか」
真っ先に、頭に浮かんできたのは。
身も蓋もないが、「ラッキー!」という歓声だった。
姉さんに「松原玲犯人説」を聞かされた時にも考えたことだが、真犯人の立場からすれば、これほど嬉しいことはない。
嬉しい誤算、という奴だ。
何せ、犯罪に手を染めているのに、天下の警察が全く別の人物を疑っているのである。
上手くやれば、警察の目を欺けるのではないか、という希望を持つには十分過ぎる。
まあ実際には、あの火災は放火でも何でもなかったので、「木馬」としてもこの時点では何故起こったか分かっていなかっただろうが、それでもその高校生バイトが、警察の目を他所に向けるのに有効だ、ということは分かるだろう。
だから、「木馬」はまず幸運に感謝して。
次に、その勘違いが続いてほしいな、警察にはこれからもその高校生を疑ってほしいな、などと考えて。
その果てには────。
「……ああ、なるほど」
そこで、ストン、と納得した。
警察の意図が、ようやく見に染みて理解出来る。
「だからこそ、俺のことを取調べ中に悪く言うような人が居たら、その人が内通者らしいと疑えるんですね。自分が罪から逃れるべく、俺に罪を擦り付けようとしてくるはずだから」
「分かりましたか?」
「ええ、言われてみれば、当然の流れです」
……前に言ったかもしれないが、ボヌールで働いている割に、俺はボヌール内での知り合いが多くない。
つまり、撮影スタッフも、ボヌール社員も、俺のことなんてのはよく知らないのが普通だ。
せいぜい、松原プロデューサー補の弟が事務所には居るらしい、という認識だろう。
だから「木馬」以外の人は、警察にそんな質問をされても、普通は戸惑うだけなのだ。
さあ、よく知りませんけど、何か関係しているんですか、とでも聞き返すのが関の山だろう。
実際、その事情聴取を受けた人たちは、碓水さんのように、すぐに姉さんに報告に走ったらしいし。
しかし、「木馬」だけは違う。
俺のことを知っていようがなかろうが、有る事無い事吹き込んで、疑いを強くしようとするかもしれない。
知ってます、如何にもそんなことをやりそうな奴ですよ、みたいな感じで。
つまり、全ての取り調べ対象者の内、「木馬」だけが、俺の悪口を言ってくる訳だ。
無論、「木馬」が演技をして、そんな反応を示さない可能性はある。
だが、凛音さんが言っていた通り、自然な演技なんてものは実際のところ難しいらしい。
刑事の観察力をもってすれば、不自然な反応というものは見抜けるのだろう。
だからこそ、これは警察からすれば踏み絵となる。
何か俺に、更なる疑いをかぶせようとしたり、そこまで行かずとも変な反応を返した人間こそ、「木馬」の可能性が高い、と判断出来る。
そして、「木馬」を発見し次第、次なる「BFF」も芋蔓式に捕まえる。
これが、今回の警察側の計画のようだった。
その上で────この計画の「とりあえず疑ったフリをする仮の容疑者」の役に、俺はいつの間にか選ばれていた訳だ。
ボヌール内に俺を知る人が少なく、「木馬」以外からの悪評が吹き込まれるほぼ無い点で、使いやすかったから。
加えて、俺にも最後に現場を訪れているという疑わしい点があって、容疑者の一人であることは間違っていないので、「木馬」に罠だと気がつかれにくいという利点もある。
詰まるところ、警察が俺を疑う姿勢を示したのは、真犯人の挙動を探るためのポーズ。
俺の存在は、疑似餌というか、囮みたいなもの、ということになる。
手の込んでいると言えば、手の込んだ計画なのか。
──……いや、一瞬納得したけど、よく考えたら酷いな、これ!?囮が自分を囮と自覚していない囮作戦って、アリなのか、警察的に?
一瞬理性が計画の全貌を把握してから、同時に感情が突っ込みを入れる。
それと同時に、俺はようやく。
何故、茶木刑事がこの理由を説明した時のことについて、「殴られる」などと言っていたのか分かった気がした。