密室に光が差す時
「……そもそもにして放火では無い。つまり、脅迫状は火災とは無関係、ということか」
「はい。実際、よくある話でしょう?脅迫状を悪戯で送った人間が、そのまま何もしないことも……そして、偶然起きた事故に対して、後から『実はあれは俺がやったんだ』なんていう嘘をつく人間が現れることも」
どちらも、現代ではよく聞く話だ。
それこそ、適当なネットの掲示板やSNSを見て回れば、今この瞬間だって、幾つもそんな実例が見つかることだろう。
最初に姉さんが言っていた通り、手紙の束なんて言うアナログな手法を取ったことを除けば、今回の犯人である「BFF」もその一人だという可能性は否定しきれない訳で。
そう言う意味では、もっと早くからこの可能性も考えるべきだった。
そんなことを考えながら、俺は肩透かしとも言える結論を茶木刑事たちに語っていく。
「恐らく、脅迫犯は手紙の束を送った後、特に行動はしていないんだと思います。撮影の情報自体は内容的に知っていたようですが、実際に足を運ぶような愚は犯さなかった。犯人は、脅迫状や脅迫メールを送るだけ送って、後はただ高みの見物をしていたんです」
「そうなると、愉快犯的な性格が強くなるが……じゃあ、その自然発火とやらは、どうやって起こったと考えるんだい?」
段々興味が湧いたように、茶木刑事が質問を重ねてきた。
その視線は、改めて現場の状況を振り返るように、やや上を向いている。
「君が確認した通り、あの場所には火種になるような物は特になかった。人為的に火がつけられなかったというのであれば、何か、発火の原因が無いとおかしいだろう?いくら何でも、無から火が生まれた訳でも無いだろう」
実に、尤もな疑問。
あの状況で自然に火がつくというのは、どういう理屈なのか、というこの話の根幹。
当然そこを最初に聞かれるだろうと察していた俺は、この点から説明を始めた。
と言っても、これについても、凛音さんが示唆したキーワードを考慮すれば簡単な話なのだが。
「そこを解く鍵は、既に分かっています。やっぱり……現場に居た猫たちが、この謎を解くポイントです」
「また、猫か?」
「はい。正確には、猫そのものと言うよりも、野良猫の多さを気にした現場付近の人たちが、どんな対策をしたのか、という点ですけど」
そう前置きをしてから、俺は再び、帯刀さんから聞いた話を刑事たちに展開する。
先程思い出した、土産物屋の店主たちは野良猫が店の中に入らないよう、対策を練っていた、というアレだ。
そのことを、さらりと説明してから、茶木刑事たちにこう聞いた。
「店主さんたちの話では、彼らは野良猫を追い払うべく、効果があるのかどうかも分からない対策をやっていたようです。ここで質問なのですが、茶木刑事、巌刑事……この、彼らがやっていた対策というのは、どんなものだったと思います?」
「……どんなもの、ですか」
巌刑事が、真剣な顔で顔の皺を深くする。
そして、幾ばくか考えてからこんなことを述べた。
「……単純に考えれば、ネットや柵で店の周囲を囲んで、猫が入る隙間を失くすことでしょうか。あと、猫が嫌う物質で出来た忌避剤や、超音波発生装置で追い払う方法も、野良猫対策として効果的、と聞いたことがあります。大方、そんなところではないでしょうか」
──おお、博識だな。この人。
意外と詳しい回答に、俺は内心驚く。
どうやら巌刑事は、話をメモをするだけでなく、捜査においては知恵袋的な存在でもあるらしい。
尤も、悲しいことに、現場の状況的にその推測は外れなのだが。
「勿論、そういう方法があれば効果的でしょうね。しかし……」
大きく頷きながら、俺はその点を指摘しようとする。
だがその前に、巌刑事は自分で首を横に振った。
「……私も現場には行きましたが、そんな柵やネットはありませんでしたね。変な機材も無かったようですし、この方法ではないでしょう。もっと、簡単な方法でしょうか」
俺が反論する前に、自ら自説を却下してくれる。
流石に、現場でそこまでちゃんとした対策はしていなかった、ということに思い至ったようだ。
代わりに、「簡単な方法」という言葉で思いつくことがあったのか、茶木刑事の方が口を開く。
「……じゃあ、アレじゃないか?よく見かける、ペットボトルに水を入れて、道の端にでも並べておく奴。最近はあまり見ない感じがあるが、今でも結構しているところはあるぞ?」
「あっ、それです。その方法が、あの現場で行われていたんじゃないかって思うんです」
我が意を得たり、という気分で俺はまた大きく頷く。
同時に、巌刑事の方も、「ああ、アレか」というような顔をした。
そのくらい、分かりやすいというか、よく見かける物なのだろう、あの光景は。
野良猫が居そうな場所に、ペットボトルが並べられている光景。
猫は光る水を怖がるという、本当かどうか分からない情報を元に作られた、簡易的な野良猫対策。
現場付近で前々から行われていた野良猫対策は、恐らくこれだったのだろう。
流石に俺も足元の様子まで一々確認していないので、現場ではっきりとペットボトルを見た訳では無いが────それでも、この方法が現場で採用されていたと考えると、火災について説明がつくのである。
そう考えて、俺は一度自分の分の水を飲んで。
そのまま、いつものように一息に推理を語っていった。
「ここからの推理は、俺の妄想です。実際にペットボトルを見た訳では無いし、野良猫対策の方法を聞いた訳でもない。根拠のない、こうだったら筋が通るな、というだけの話だと思っても構いません」
「しかし、この野良猫対策に関する仮定を行った上推理をすると、見えてくるものがあるのも事実です。だからここからは、『あの現場には以前から、水の入ったペットボトルが道端に並べられていた』という前提で聞いてください」
「……恐らく、この方法が採用されたのはずっと前でしょう。野良猫に悩まされた土産物屋の人が、とりあえずでとった対策。安価で、すぐに出来るから、一応やってみるか、という気分で始めたじゃないでしょうか。何せ、準備が簡単ですからね、これ」
「何なら、先程巌刑事が挙げていたような、もっとちゃんとした対策を行うまでの、繋ぎとしてやっていたのかもしれません。超音波発生装置のような機材となると、通販サイトなどで購入しても、あのような山頂にまでは届くまでに時間を喰うでしょうから」
「一時的にか、或いは簡易的な野良猫対策として、あの場所にはペットボトルが並べられていたんです……ゴミ捨て場付近にも、きっと」
「普通なら、そのことには大した問題はありません」
「絵面的にはちょっと景観を損ねるかもしれませんが、そんな困ることでもないでしょうし」
「しかし────あの場所では、そうもいかなかった」
「この方法を採用した店主さんたちは気がついていなかったんでしょうけど、そんな物を道端に置いたせいで、あることのリスクが跳ね上がっていたんです」
「まあ、『あること』なんて濁す必要も無いので明かしますけど……これは、火災のリスクのことです」
「ペットボトルなんて置いたために、あの場所では、自然発火のリスクが高まっていた」
「このことは、昔の理科の実験とかを思い出していただければ、すぐに分かると思います」
「刑事さんたちも、昔やりませんでしたか?ほら、虫眼鏡の」
「晴れた日に、虫眼鏡を使って太陽の光を一点に収束させて、その下にに置いてある物を焼くっていう、簡単な科学実験」
「俺の場合は、小学校の理科の時間にしたことがありますけど……そう言うのを抜きにしても、個人的にやった人も多いかもしれません」
「まあ、簡単な理科ですよね。レンズを使うと光が屈折するから、上手くやるとそれが一点に集まって、紙の発火点くらいにはなるっていう」
「原理的には、レーザーポインターで目を狙うと、視力が低下する恐れがあって云々、という話と同じです」
「光と言う物は、一点に収束すると、そのくらいのことは起こせるだけの力がある」
「このことを思い出してもらえば、水の入ったペットボトルが外に置かれてあるというのは、中々危険であることが分かると思います」
「条件にもよりますが、この場合、ペットボトルが虫眼鏡と同じ役目を果たしてしまいかねない」
「晴れの日なんかだと、ペットボトルとその中の水が太陽の光を勝手に集めて、近くの物を燃やしてしまう危険がある訳です」
「要するにこの方法、小火を起こしかねない、極めて危険な方法なんです」
「この危険性が指摘されたからこそ、この方法は野良猫対策としては、最近採用されなくなってきている、とかいう話を聞いたことがあります」
「当然ですよね。野良猫を追い払いたいだけなのに、家を燃やしてしまってはたまらない」
「だから、本来ならこの方法はやるべきではないんですが……まあ、実際にやっちゃっているあたり、店主さんたちはこのことを知らなかったでしょう」
「結果、誰も火災が起きる危険性を指摘しないまま、あの場所には水の入ったペットボトルが並べられていた」
「高リスクな状態のまま、放置されていた」
「しかし、彼らにとっては幸いなことに、しばらくは特に問題は起きなかったんでしょう」
「そもそも、このペットボトルが虫眼鏡になって云々、というのは、幾つかの条件が揃わないと起こりませんから」
「まず、当然ですが、丁度光が収束する位置に何か燃えやすい物が無いと、火災にはならない」
「また、太陽光を集めることで発火するんですから、時刻によっては火災のリスクは大きく減る、というのもあります」
「例えば昼は、太陽の位置が非常に高いので、ペットボトルが光を集めても、近くの地面が高温になるだけです。いくら何でもアスファルトを燃やせはしないので、火災とまでは行かない」
「夕方についても、そこまでリスクはありません。あのゴミ捨て場付近から見ると、夕暮れの太陽が見える西側には、森がありますからね。木の葉や幹に光を遮られ、ペットボトルに十分な太陽光が届かない」
「勿論、夜にはそもそも太陽光がありませんので、大したリスクはない」
「不幸中の幸いというか、何というか、これらの時間では火災は起きにくかった」
「しかし……朝については、依然としてリスクが残っていました」
「そのことは、あの場所に何故撮影スタッフが向かったのか、ということを思い出していただければ、納得できると思います」
「再三言っていることですが、俺たちはあの日、狩野山の山頂に……日の出を見に行きました」
「当然、あの山頂と言う場所は、東側から朝の日光がとてもよく届きます」
「日の出が綺麗に見えるってことはつまり、山頂から見て東方向には何の遮蔽物も無い、ということ」
「朝日の光が真っすぐに東方向から差してくる瞬間、ゴミ捨て場付近に置かれたペットボトルには、真横から日光が直撃するんです」
「もし、上手い具合にそこで光が屈折すれば」
「そしてその日光が、ペットボトル内を折れ曲がりながら通り抜け、一点に集まっていけば」
「────全ての光が、ペットボトルから見て西側、奥に控えるゴミ捨て場の一点に集まるんです」
「まとめると、あの場所は日の出直後から、太陽がさらに高くなって光の入射角度が変わるまでの数時間、火災が起きやすくなっている」
「後は、焦点の位置に何か燃えやすい物があれば、それだけで発火しかねないんです」
「そして、その燃えやすい物は、偶然揃うことになりました」
「あの日、ゴミ捨て場に積みあがっていた新聞紙。あれです」
「これまた友人から聞いた話なのですが、店主さんたちは撮影よりも前の時期に、七夕にかこつけたバーベキューパーティーを開催したそうです」
「その際、新聞紙やら食材やらが色々と余ってしまったので、それらがゴミ捨て場を占拠してしまった、とも言っていました」
「もしかすると、山頂という位置の都合上、ゴミの回収自体が他の場所より遅いのかもしれませんね」
「このことで、普段なら有り得ないくらい、あの場所には新聞紙をはじめとした可燃ごみが積まれてしまった」
「ただでさえ火事が起きやすくなっていたあの場所に置いて、それが最後のトリガーとなったのでしょう」
「光を収束させるレンズ」
「実際に発火する可燃物」
「そして、真横から差し込む強い光」
「あの日、あの場所には全てが揃っていた」
「後はもう、温度とか照射時間とか言った細かい条件さえ適合すれば、それだけで発火点に達します」
「時期的には、小火程度はいつ起きてもおかしくなかった……別に、あの日じゃなければならなかった、という訳でも無かったはずです」
「しかし、何の因果か、それは丁度、撮影の日に起こってしまいました」
「テレビカメラにも捉えられていた、あの綺麗な朝日の光は、一直線に山頂を照らし」
「当然のことながら、水の入ったペットボトルに直撃」
「集まった光は新聞紙を炙り続け……やがて、紙の発火点を超えました」
「その結果、誰も近づいていないのに、ゴミが自然発火したんです」
「無論、この時点では新聞紙の表面に焦げ跡がつく程度の、ごく小規模な発火だったとは思います」
「いくら何でも、偶然集まった光だけでは、大炎上を起こすような力はない」
「その火が、何故短時間でああも広がったかは、この後述べますが……」
「……しかし、この流れを考えると、ちょっと可笑しな気もしますね」
「実は俺は、この事件に遭遇する前から、あの場所のことを『青空密室』と呼んでいたんです」
「物凄く開放的な場所なのに、犯人が出入りするための道が少なくて、密室のようだな、と」
「これはまあ、俺が頭の中で考えていただけの単語でしたが……今思えば、この『青空密室』という言い方は、中々的を射ていた気がします」
「青空ってことは、つまり、太陽光は燦燦と現場に降り注いでいるってことですからね」
「現場には、犯人は出入り出来なかった」
「だけど、太陽光は遠慮なく入ってきていた」
「そう言う意味では、『青空密室の放火』というのは、名称の時点から、太陽光という犯人を名指ししていたんです」