宣告をされる時
唐突と言えば、唐突な提案。
恐らく、本当なら理由を聞いたり、混乱したりしてもいい場面。
そのくらい、凛音さんの言葉は、突飛かつ妙な提案だった。
だが、どうしてだろうか。
いつの間にか、なすすべもなく、俺は体験したことをペラペラと喋っていた。
何故話したか、と問われたなら、説明は難しい。
決して、鼻の下を伸ばしたからとか、綺麗な異性の頼みを断れなかったからとか、そういう感じじゃなかったと思う。
ただ単に、圧に負けた、という方が的確な表現だった。
何というか、本当に、意味も無く強制力みたいなものを感じたのだ。
大きな声という訳でもないのに、聞き入れてしまう、みたいな。
或いは、この人の言う通りにした方が良い、と直感が囁くような。
もしかすると、これもまた、彼女のオーラや雰囲気が故に起きた事象だったのかもしれない。
何にせよ、話すと決めたなら後は簡単だ。
細かい隠語は覚えにくいだろうと、「BFF」や「木馬」という単語は省いて解説までする配慮を身に着けつつ、俺はすらすらと解説して。
いつの間にか随分と流暢に事態を説明できるようになった自分に呆れながら、彼女の望みを果たした。
……しかし、始まりこそそんな風に、呆気にとられた物だったとはいえ。
次第に、俺たちの話は真剣なものになって行った。
理由は単純で、話を続ける中で、凛音さんが気になることを言い出したからである。
「なるほどなるほど……それで、玲君が疑われたって経緯かー。積野大二の存在を考慮すれば、そっちの可能性は本来薄いんだけどなあ」
俺の話を聞き終わってから、凛音さんはふむふむ、と頷きながらそう呟く。
俺は一度、それに頷きを返して。
それから、あれっ、となった。
「あれ……積野大二?」
「え、うん。積野大二。犯人の第一候補の」
「……俺、彼のことを言いましたっけ」
不思議に思って、問い返す。
彼に関する話は、姉さんに口止めされた通り、社外秘の機密情報だ。
その言いつけを守って、グラジオラス相手にも、俺はあのリストのことを告げていない。
だと言うのに、何故凛音さんは、彼の名前を話の中に挙げるのか。
まさか口を滑らせたか、と俺は一瞬肝を冷やす。
しかし、すぐに凛音さんは何かを思い出したような顔をして、さらにぶんぶんと手を振った。
「違う違う。私、玲君から聞いたんじゃないから。その人のことは、普通に前から知ってたの。ブラックリストだって、見たことあるし」
「そうなんですか?……でも、社員はともかく、アイドルには秘密なんじゃ」
「本来はそうなんだけどね。ちょっと前までやっていた私のマネージャー、結構そう言うところが甘い人だったから」
頼んだら見せてくれたんだよねー、と懐かしそうに凛音さんは語る。
さらに、こう続けた。
「元々、どこの事務所でも似たようなことやっているって聞いたことがあったから、見てみたかったんだよね。それで前のマネージャーさんに頼んだら、そのまま見せてくれたの」
「へえ……それで、知ったんですか?」
「うん。彼の名前、結構トップの方にあったしね。覚えていても損はないかなって思って……まあ、実際にその人が握手会に来たことは、基本無かったと思うけど」
そう言いながら、彼女はさらに詳しく説明したいと思ったのか、自分の周囲をぐるりと見渡した。
凛音さん自身が人払いをしたのか、誰もいない控室。
しかし確かに、握手会の会場でもあるこの場所。
「今回くらい大きな握手会だと、身分証明書とかを提示しないと参加できないことが多いんだけど……全部が全部、ここまでしっかりしている訳でも無いしね。もしかすると、事務所側のチェックをすり抜けて、こういうイベントに来るブラックリスト対象者も居るかもしれない。だからこそ、余りにも危険な人の顔は、覚えておくに越したことが無いでしょ?」
「まあそうでしょうけど。すり抜けって……あるんですか、そんなこと」
「うん、頻繁にとはいかないけど、偶にあるよ。出禁になっているファンも、あの手この手でチェックを潜り抜けようとするしね」
ブラックリストを作成していても、過激な人間が絶対に握手会を訪れないとは言い切れないところがある、という話らしい。
それはまた凄い話だな、と俺は軽く呆れる。
ブラックリストまで作りながらチェックに抜けがある事務所の方にも、そこまで努力しても尚出禁になっているファンの方にも、等しく同じ感情を抱いた。
「じゃあ、凛音さんはこの事件が始まる前から、一種の自己防衛としてそういう情報は把握していた、ということですね?」
「そう言うこと。その目的を分かってくれたからこそ、マネージャーさんも見せてくれたんだけどね。まあ、その甘いマネージャーさんは寿退社で辞めちゃったから、これからはそう言うことはちょっと出来ないかもだけど」
そう答えて、凛音さんは寂しそうな顔をする。
彼女の顔を見ながら、俺は「そう言えば、今の彼女のマネージャーは新人だと碓水さんが言っていたな」と思い出していた。
話を聞く限り、その甘かったという人が辞めてから、新人のマネージャーに変わったらしい。
彼女としては悲しいだろうが、ボヌールの情報管理という点では良かったのかもしれなかった。
「ええと、それで……積野大二の存在を考慮すれば、俺が放火犯である可能性が薄まるって言うのは、何でですか?」
そこまで話してから、俺は話を本題に戻す。
どうやって彼の名前を知っているのかを気にし過ぎて、論旨がずれていた。
凛音さんも同じ気分だったのか、そう言えば、という感じの顔で答えてくれる。
「だってほら、その人が脅迫犯だとして、何とかしてボヌールの情報を手に入れようと思ったらさ……普通、玲君は内通者には選ばないでしょ?もっと、私に近しい人を選ぶんじゃない?こう言うと嫌な感じだけど、ただの掃除のバイトさんが私の情報をどれくらい持っているかなんて、外部の人からすれば分からないんだし」
「……確かに」
余りにも理路整然としていたので、俺は即座に頷いてしまう。
確かに、積野大二が「BFF」だというのなら、有り得ない行動だ。
何せ、最初の脅迫状を送られてきた段階では、俺は事務所配布のタブレット端末すら所有していなかったのである。
あれを貸し出されたのは、つい最近の話だ。
それ以前の、何も情報を持っていなかった状態の俺は、「BFF」からすれば利用価値が殆ど無いと言ってもいい。
当然、仮に「BFF」から「木馬」に犯行の提案があったというのであれば、俺は犯人のお眼鏡にかなわない、ということになる。
だからこそ、凛音さんの言うことは正しい。
本当に凛音さんの情報を手に入れて脅してみたいというのなら、それこそ、凛音さんのマネージャーなどと接触した方が良いのだ。
その方が、確実に情報を手に入れられる。
結果から言えば、俺はグラジオラス越しに凛音さんのスケジュールを把握していたが、それはあくまで偶然に過ぎない。
現実に「ライジングタイム」の撮影があったという結果論から考えるから、「松原玲犯人説」なんて物が湧いてくるのであって、それが決まる前の犯人側の事情を考えると、俺が犯人となる可能性は──というか、犯人の協力者に選ばれる可能性は──本来低い、ということになる。
「言われてみれば、そうですね……何か、あまりにも周りが疑ってくるものだから、今までそういう視点で考えられていませんでした。凄いですね、凛音さん」
極めて論理的な思考の流れに、俺はついそんな賛辞を贈る。
さらに、その勢いのまま、こんなことを聞いた。
「……もしかして凛音さん、推理小説とか元々好きなんですか?」
ちょっと話が飛んだが、俺としては自然な流れの質問だった。
というのも、俺の周囲でこういう考えをする人と言うのは、推理小説のファンが多い。
葉兄ちゃんがそうだし、姉さんだって昔はよく読んでいた──だからこそミステリー研究会なんて物に高校時代入っていたのだ──と聞いている。
だからこその、質問だった。
別に、推理物が好きだからと言って推理力が上がるわけでもないだろうが──寧ろ、葉兄ちゃんや姉さんが稀少例だろうが──もしかすると同類なのかな、と思ったのである。
「……んー、どうなんだろ?中学生の頃はそういうの結構読んだし、そういう部活にも入っていたから、普通の人よりは読んでるかもだけど……好きって言えるほどかなあ。読んでる時も、犯人に苛々していることが多かったし」
俺の質問に対して、凛音さんは不思議そうな顔をする。
そんなこと、今初めて考えた、とでも言いたげな表情だった。
彼女自身としては、あまり意識したことのない事実だったのか。
しばし、彼女はその当惑に身を任すようにして虚空を睨み。
それから、不意に自分を取り戻すようにして話題を元に戻る。
「いやでも、今はそれは重要じゃないでしょう?」
「あ、はい、そうですね。すいません」
軽く咎める感じで宥められ、俺は頭を下げる。
確かに、彼女の意外な推理力を前に、話を脱線させてしまった。
それを恥じて謝ると、特に気にした様子もなく彼女は話を続け────とんでもないことを言う。
「じゃあ、もう一回、この発火事件の方を話そうか……正直、謎を解く鍵は見えているしね。ちょっと考えたら、分かることだから」
──……え?
その言葉は、内容の重大さに反比例するようにして、余りにもあっさりと告げられていて。
だからこそ、俺は少し時間を掛けて意味を理解した。
謎を解く、鍵。
ちょっと考えたら、分かること。
何だろう、その言い方は。
そんな言い方をするというのは、まるで。
真相が、分かっているみたいいな。
もしかして、彼女は────?
「……分かったんですか?犯人が、どうやって放火したのか」
微かに語尾を震わせながら、俺は問いかける。
この瞬間、俺は眼前の人物がトップアイドルであることも、物凄い美人であることも忘れた。
純粋に一人の事件当事者として、彼女の言葉に縋りつく。
もし、本当に彼女があの火災の真相を解き明かせるというのなら、これは大逆転だ。
先述した通り、俺への疑いというのは、例の火災の真相を突き止めることによってのみ晴らすことが出来る。
ならば、ここでその真相を告げてもらえるというのは、当然俺の無罪の証明と同義であり、願ったり叶ったりと言っても良い。
自然、俺はある種の期待を込めて凛音さんを見つめた。
彼女の方も、俺の考えることなど分かっているのか、じっと見つめ返してくる。
「そうだよ?玲君の話が分かりやすかったから、私、真相分かっちゃった。脅迫状のこととか、玲君への疑いとかが絡んだせいで難しく思えるだけで、そもそも難しい話じゃないしね、これ」
それは本当に、何でも無いことのように。
子どもに算数でも教えているくらいのノリで、彼女は言葉を紡ぐ。
終いには俺のことを見つめながら、こう言ってくれた。
「……大丈夫、玲君。貴方への疑いは、すぐに晴れる」
自信と、そしてある種の慈愛。
それらを籠めた笑みを湛えて、凛音さんは断言する。
普通なら、根拠が無いと言える言葉。
信じる前に、疑ってしまいそうな言葉。
しかしそれを聞いた瞬間、俺は何故だか……泣き出しそうになった。
意味も無く、安心してしまって。
自分で自覚していた以上に、警察に疑われていたままだったことが堪えていたのか。
しかしまさか、こんなところでオイオイと泣く訳にはいかないし、そもそも、彼女の言う真相の内容とやらを聞かずには、安心出来ない。
俺は努力して表情を固く保ち、それ以上のことを聞こうとする。
「……よろしければ、聞かせていただいてもいいですか?その、真相を」
いつの間にか、握手会の開始時刻が迫ろうとしていたが、構ってはいられない。
真相さえ聞くことが出来れば、姉さんと氷川さんの関係を使うことで、確実に警察内部にその話を届けることが出来る。
元々、そういうルートがあるからこそ、俺は捜査みたいなことをしていたのだ。
だからこそ、ここで聞いておきたい。
あの火災は、何故起こったのか。
「そうだね。勿体ぶることじゃないし、もう言っちゃおうかな。玲君が辛い思いをしたままなんて、私も嫌だしね」
俺の気迫が伝わったのか、幾度か凛音さんは目を瞬かせ、それから意外とスムーズに語る体勢に入る。
相も変わらず、彼女の言っていることは、俺からすれば天使のようにありがたい内容ばかりである。
どうしてこうも、トップアイドルが事務所の一バイトに心を砕いてくれるのやら。
そのことに微かに疑問を覚えながらも、俺は姿勢を正して話を待つ。
こうして始まった彼女の推理は、随分と、可愛らしい単語から始まった。
「これは私の仮説だけど……今回の真相を解く鍵は、猫、だと思う」
「猫?」
「そう。にゃんこちゃん」
そう言いながら、彼女は右手を猫の手のような形に変え、にゃーん、とその場で物真似をする。
多分、ファンなら相当な破壊力のある一コマだったと思うのだが、生憎と俺も集中していたので、想起したのは全く別の物だった。
言うまでも無く、現場付近をぶらついていた、野良猫たちである。
「あの猫たちのことを考えれば、真相が自ずと分かるってことですか?」
「そうそう、その通り。だって玲君、自分で言ってたんだよ?その、真相に辿り着くための材料を」
凛音さんはそう言ってから、ふふっと楽しそうに笑う。
まるで、我が子の未熟さを微笑ましく迷う親のように。
「だから、じっくり考えれば分かるの……だって、そんなに人に慣れた野良猫が現場に居たなら、普通────」
続いて、落ち着いた様子で凛音さんはそう話を展開させて。
多分、その「真相」とやらを言ってくれようとしたのだと思う。
しかしその言葉は、生憎と聞くことは出来なかった。
「……すいません。松原玲君、居ますね?」
突如、俺と凛音さんしか居なかった控室に、野太い声が乱入する。
低い、岩の軋みのような声。
同時に。聞き覚えのある声でもあった。
記憶に引きずられるようにして、俺はその場でバッ、と振り返る。
声が聞こえた、部屋の入口の方向を見据えて。
今この瞬間に限っては、トップアイドルである凛音さんよりも遥かに、その声は求心力の高いものだったから。
風切り音がするくらいの速度で振り返ると、当然ながら、俺の視界は百八十度回転する。
視界の中央に映るのは、狭い入口を塞ぐようにして立っている、一人の男性の姿。
彼の姿を認めた瞬間、俺はうめくように声を発した。
「……巌刑事」
相手には失礼だったかもしれないが、どうしても苦み走った声が出る。
しかし、そんな対応をされることにも、慣れているのか。
二日ぶりに会う巌刑事は、本当にドラマのように警察手帳を提示しながら、淡々と言葉を続けた。
「……松原君。少々、お時間、よろしいでしょうか」
「時間?」
「はい。茶木の方から、お話があるようです」
申し訳ありませんが、ご同行願います。
低い声のまま、彼はそう告げた。
彼の声もまた、決して大きな声という訳も無かったが。
どうしようもなく、逆らえない圧を感じる物だった。
尤もそれは、凛音さんのそれとは、全く違う物だったが。