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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Extra Stage-α:ボヌールの醜聞
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天使は、翼以外も背負うのだと知る時

「ちょ、松原君、スマホ……!」

「鳴ってますよ、松原さん!」


 不意打ち気味に、最早怒声に近い声が俺の耳に飛び込む。

 あれ、と思って思考を現実に戻すと、いつの間にか目の前の五人組は、それぞれのジェスチャーで俺の腰の方を指さしていた。


 何だ、と思うと同時に、自分のポケットに入れておいたスマートフォンがそれなりの高音を奏でていることに気が付いた。

 誰か、電話を掛けてきているらしい。

 推理に集中しすぎて気がついていなかった。


「あっ、ごめん……ちょっと、出る」


 それだけ言って、慌てて俺はスマートフォンを取り出す。

 急いで画面に視線をやると、そこには、見慣れた名前が映し出されていた。


「姉さんから?……また、何かあったのか?」


 その名前を認識した瞬間、一人でに、つい呟いてしまう。

 考え過ぎかもしれなかったが、昨日「忙しくなるからすぐには助けてやれない」と話した上での、この電話だ。


 また何か緊急事態が起きたのでは、という推測は、最早邪推とは言えなかった。

 結果、五人に断ってから、俺はその場で通話のボタンを押す。


「はい、もしもし……」


 当然、単刀直入を具現化したような、恒例の姉さんの声が響くだろうな、と思って、俺は身構える。

 しかし、その予想は早々に裏切られた。


『あ、松原君ですか?』


 ──あれ……これ、碓水さんの声?


 スマートフォン越しに響いてきた、聞き覚えのある声。

 それを判別したことで、俺は一瞬の内に二度驚く。


 何故、碓水さんがここで電話を掛けてきているのか。

 そして、どうして姉さんのスマートフォンを使っているのか。


「どうかしたんですか?何で姉さんのスマートフォンを……」

『ああ、それは単純な事情です。私、松原君のスマートフォンの番号を知らなかったので……松原君、ボヌールからのタブレット、こちらに返してしまったでしょう?』

「あ、そっか」


 よく考えれば、当たり前の話だ。

 今まで、碓水さんのようなボヌール社員の人相手には、俺はあのタブレットを通して会話していた。


 それが、「BFF」の脅迫メールのせいで返却してしまったので、碓水さんとしては俺に対する連絡手段がなくなっていたらしい。

 結果、唯一俺の番号を知っている姉さんのスマートフォンを借りて、電話をしたということか。


『松原プロデューサー補は現在、番組サイドとの話し合いに出向かれていまして、スマホだけ借りているのですが……ええと、松原君、今大丈夫ですか?』

「ええ、それは大丈夫です。何か、あったんですか?」


 改めて、俺は意図を問う。

 説明のお陰で二つ目の驚きは解けたが、まだ一つ目の驚きは解けていない。

 何故彼女は、このタイミングで俺に連絡をしなくてはならなくなっているのか。


「何か、あったんですか?事件で急展開とか……」


 少し期待して、俺は上ずった声を上げてしまう。

 昨日の今日でそれは無いと思いつつも、それでも「警察が真犯人を捕まえました。自供もしています」という答えを期待してしまったのである。


 無論、そんな儚い希望が砕かれることなど、予想はしていた。

 実際、彼女は全く違った話をしてくる。


『急展開、という訳では無くて……ああでも、急展開かもしれません。事件解決とは関係無いですが』

「どういうことです?」

『実は、ですね……』


 そう前置きしてから、彼女は言葉を溜めた。

 生真面目な碓氷さんには珍しい、焦らすような話し方。

 たっぷり十秒近くそんな沈黙を用意してから、彼女はその「急展開」とやらを告げた。


『実は、凛音が、松原君と会いたがっています』

「…………は?」

『ですから、アイドルの凛音が、どうしても松原君に会いたいと言っているんです』

「えっ、何で?」


 一瞬、俺から敬語が外れる。

 不躾にも程がある、間の抜けた声のために声帯を消費して。

 顎が外れたかのように、口をポカンと開けることに筋肉を使う。


 何だそれは、という思いを表現したくて。

 俺はしばし、人生で最もアホっぽい顔をした。

 その顔のまま、俺は表情と同じく、馬鹿みたいな質問をする。


「ええっと……その……凛音さんというのは、あの凛音さんですよね?」

『はい。今回の撮影のメインレポーターだった、あの凛音です……ついさっき、彼女のマネージャーから、松原プロデューサー補と私に要請が来ました。会いたい、と』

「要請って……何でそんな」


 口調の上では何とか平静を維持しているつもりだったが、いつの間にか膝が変な震え方をしていた。

 理性よりも先に、身体が衝撃を受け止めている感じがある。

 言葉にならないインパクトを、別の形で表現しているのか。


『私にも、その意図は分かりません。どういう訳か彼女、昨日から松原玲君に会わせろ、の一点張りだそうで……この話を伝えに来たマネージャーも、理由を聞けていないようでした』

「理由を聞けていないって……何でそんな状態で頼みに来ているんですか、そのマネージャーさん。普通、聞くでしょう?」

『まあ、凛音はボヌールの稼ぎ頭ですから……ちょっと、言い出せなかったんじゃないかと。そのマネージャー、最近凛音担当になった新人でしたから。凛音がそんな我が儘を言うことは珍しいので、断り切れなかったとも言ってしましたね』


 同じマネージャーとして気持ちが分かるのか、碓水さんは後半、凛音さん担当のマネージャーを庇う感じの話し方をする。

 アイドルの我が儘に振り回される立場として、同情出来る点があるらしい。

 或いは、単によくある話なのか。


『寧ろ、理由は私の方が聞きたいくらいなんですが……松原君、今回の撮影中、彼女を不愉快にさせるだとか、話し合いが必要になるくらいのトラブルを起こすようなことをしましたか?』

「いや、してないと思いますけど……」


 彼女と邂逅したロケバスでの立ち振る舞いを思い出しながら、俺は首の後ろをバリボリと掻く。

 最近この癖が悪化したのか、首周りの皮膚に血が滲んでしまっているのだが、止まらない。

 止められない。


 実際、何も身に覚えのない話だった。

 ロケバスの中で俺は彼女と多少話をしたが──正確には、向こうから一方的に話しかけられたのだが──特に、変なことは無かったはずだ。

 本当にただただ、日常会話というか、天沢に乗っかった挨拶をしただけで。


 それでも、強いて理由を探すのならば────。


「凄くお綺麗な方でしたから、実はちょっと覗き見というか、バスの中で凛音さんの顔をチラチラ見てたんですけど……もしかして、それですかね?実は滅茶苦茶不愉快だったから謝罪を要求している、とか?」

『うーん……向こうもアイドルなんですから、その程度の視線は慣れていると思いますが……』


 流石に違うか、と俺は思い直す。

 そもそも、あの時は最後に向こうから手を振ってくれたくらいで、咎める空気じゃなかった。

 意味も無く、俺のキモイ行為を碓水さんに暴露しただけに終わってしまった。


「じゃあ、何か事件関連のことですかね?向こうも俺に、話を聞きたいとか?」

『どうでしょう?凛音の方は、松原君のように警察に疑われている訳でも無いのですから、そこまで事件のことは気にしないのが普通だと思いますが……』


 また、ううん、と碓水さんが唸る。

 どうもこの凛音さんの行動は、俺はともかく、社員としてボヌールのことには詳しいであろう碓水さんにとっても、意図が読めない奇行らしい。

 そのせいか、最終的に碓水さんは思考を諦めたらしく、とにかく、と話をまとめ始めた。


『明日の午前中、それなりに大きな会場で、凛音の握手会があります。それの開始前、関係者用の待合室で、松原君と会いたいそうです。直近で話す余裕がある時間が、そこだけだそうで……』

「握手会……こんな状況でも、やるんですか?」

『はい。警備がさらに厳重になっていますが、中止にはなっていません。仮にこんな直前に中止してしまえば、冗談でもなんでもなく、ファンが暴動を起こす可能性がありますから』


 ──……怖っ。


 碓水さんの口調は、一切の冗談っぽさが無かった。

 その真剣さに、俺は少しだけ凛音さんの要請の奇怪さを忘れ、握手会の事情の方に意識を向ける。


 電話なので顔は見えないが、目が笑っていないことが声だけで分かった。

 本気で、そういう事情があるらしい。

 だとすれば凄まじいというか、酷い話な気もするが。


 ──いやでも、そんなファンがいるからこそ、中止にした方が良いんじゃないのか、普通。まさにそういう、過激な人間に狙われている最中なんだし……。


 そこで、俺はそんなことも思う。

 筋が通っていないんじゃないか、と。

 だが、すぐに碓水さんが話を続けたので、俺の疑問は自然と棚上げされた。


『勿論、松原君に何か外せない用事があれば、断っていただいても結構ですが……』

「……その言い方だと、俺が断ると角が立つ感じですか?」

『角が立つというより、出来るなら衝突したくない、というのが本音ですね。凛音サイドとは、これからも関係を持続させたいところなので……こんな意味不明な頼み事でも、可能なら実現させておきたいんです。松原君には、迷惑をかけてしまいますが』


 少しだけ、碓水さんの言葉の意図が掴めず、俺は少し考える。

 だが、「ライジングタイム」の撮影のことを思い出して、ああ、となった。


 事件のせいで印象が霞んでいるが、元々この撮影は、まだまだ売れていないグラジオラスが、凛音さんの人気にあやかってテレビ撮影に参加した、という流れだったはずだ。

 嫌な言い方をすると、バーターというか、抱き合わせ商法、という奴である。


 つまり、現状グラジオラス側のスタッフは凛音さんの方に借りがあるというか、お世話になっている最中な訳だ。

 事件が解決した暁には「ライジングタイム」の撮影だって再開するかもしれないし、バイトの一人を差し出す程度、さっさと叶えて機嫌を取っておきたいのだろう。

 これまた嫌な言い方をするが、俺を派遣して借りを一つ返せるのなら、安い物ということだ。


 ──でも、そういうのを抜きにしても、これって俺にとっても悪い話じゃないかもしれないな……元々、話を聞けるなら聞きたい人だし……。


 碓水さん、というかグラジオラスサイドの事情を考察した上で。

 次に、客観的な視点で、俺はそう考えた。

 もしかしたら、この機会は利用できるかもしれない、と。


 先述したが、事件現場にいて火災を目撃した人の話からは、俺の知らない新しい情報を手に入れられる可能性がある。

 俺が「BFF」と「木馬」を追う上で、話を聞くべき相手なのだから。


 天沢はともかく、凛音さんに事情聴取の時間を取ることは不可能だろうと、最初から諦めていたが────この機会を利用すれば、それも可能となるのだろうか。

 どんな形であれ、俺は凛音さんに再び、会えるのだ。

 そう思えば、答えは決まっていた。


「……分かりました、行きます。場所と時間、また送ってください」

『ありがとうございます。正直、助かりました……本当に、すいません』

「いやいや……碓水さんが謝ることじゃないですよ」


 恐縮する碓氷さんに、そう言っておく。

 実際、彼女は悪くない。

 誰が悪いかと言えば多分、理由も告げずに俺を呼び出し、トップアイドル故の強権で周囲を振り回している凛音さんだろう。


 そういうことをするタイプだったんだろうか、とそこで俺は、ちょっと意外な感じを抱く。

 バスの中の様子から推察する限りでは、そういう風には見えなかったが。


 ──まあ、俺が考えることじゃないか。


 とりあえず、俺は浮かんだ疑問を斬り捨て、碓水さんとの通話を終わらせた。

 と言っても、悪くないと言っても尚、何度も何度も謝りながら碓水さんが電話を切るまで、話を聞いただけだが。




「あれ、終わった?……どんな感じ?」


 通話を切った瞬間、鏡が興味津々、という感じで聞いてくる。

 漏れ聞こえる声で多少は状況を把握しているのだろうが、そのせいで興味が湧いたのか。

 聞かせてくれ、と全身で表現しているような感じだった。


「んー……理由はよく分からないんだけど、凛音さんが俺を呼んでるらしい。明日、彼女の握手会の直前に会いに行くようにって言われた」


 求められるままにさらりと説明すると、一文で説明が終わってしまう。

 凛音さんの動機が不明なので理解しづらかったが、基本的には「用があって呼ばれている」というだけの話だったんだな、と自分で驚いたくらいだ。

 長々と話した割に、シンプルな要件である。


 尤も、それはあくまで話し終わった俺だから感じたことであって、グラジオラスメンバーにとってはそうではない。

 説明し次第、位置が遠くて話が聞き取れなかったらしい三名を中心に、「えー!?」という声が響いた。

 ここがカラオケボックスで良かった、と心から思う場面である。


 そこから、何とか五人分の衝撃を軟着陸させるのに二分。

 俺も事情は分かっていない、という話を納得させるのにもう二分。

 最後に一分で「明日はそっちに向かうから、捜査には参加できない」と告げて、五分で話を終わらせた。


 そうやって、何とか脱線しまくった場を収めてから。

 ふと、気になることがあって────俺は、俺よりは芸能界の事情に詳しいであろう彼女たちに、一つの問いを放った。


「そう言えば、なんだけど……」

「ん、何?」

「さっきの話を聞きながら思ったんだが、握手会って、こういう時でもやる物なのか?普通、中止になるんじゃないか、と思ったんだけど……」


 何気に、碓氷さんと話し終わっても、未だに残っていた疑問。

 そこを、改めて問うてみる。


「碓水さんは、中止するとファンが暴れ出すかも、とか言っていたんだけど……こんな、放火すらされているような状況でも、断行する物なのか、握手会って。そこが何となく、よく分かんなくて」


 事件そのものとは全く関係の無い話だが、質問で分かる話なら、すぐに聞いておいた方が良い、と感じていた。

 それに何となく、この五人は事情を知っていそうな気がする。

 今の話も、凛音さんが呼んでいる理由は気にしても、握手会そのものについては気にしていなかったし。


 事実、五人は俺の疑問にすぐ、何かを察したような顔をした。

 それから、五人を代表するようにして、酒井さんが回答してくれる。


「それは多分、違約金とか、払い戻しの問題があるから……そこを考えて、中止にしなかったんじゃないかしら?」

「違約金?」

「そう、聞いたことない?例えば……スキャンダルを起こした芸能人が、CMを降板して、そこの企業から違約金を請求された、みたいな話」


 ──……聞いたことないな。


 酒井さんには悪いが、俺はキョトン、とした顔をしてしまった。

 全く知らない。

 あるのか、そういうこと。


 ……ここへきて、元々俺がテレビなどを特に見ない性質であることが災いした。

 それが向こうも分かったのか、仕方ないな、みたいな顔をして補足を入れてくる。


「アイドルにせよ、タレントにせよ、イベントをしたりCMとかに出るたびに、そういう契約を結ぶのよ。『イメージを損なう言動や損失をもたらす行いをした場合は契約違反として何百万円を請求する』みたいな。事務所が払うことになっていたり、フリーならアイドル個人に課せられたり、色々パターンはあるけど……イベントを自己都合で欠席というのは、そういう契約違反の一つになることがあるから」

「えーっと、それは……こういう、身の危険が迫っているとかでも、請求されるのか?」

「場合によると思うけど……相手によっては、そういう契約形態もあると思うわ。こういう場合は普通、ボヌールが支払うんでしょうけど、凛音さんの場合、集まる人も多いから……」


 結果として、イベントが一回だけ中止になるだけでも、損失がとんでもない額になる、ということらしい。

 故に、警備を増やす程度で対処できるなら、続行しておきたい、というのがボヌールの判断なのだろうか。


 ──しかし、凄い話だな、それ……契約結んだ途端、アイドルは風邪一つ引けないってことになるし。まあ、それがトップアイドルの責任と言われたらそれまでだが……。


 何とはなしに、ロケバスで挨拶をした凛音さんの姿を思い出す。

 あの時、自然と会話をしてくれた彼女の姿。

 そして明日、どういう訳か会わなくてはならない彼女の姿。


 あの人の肩と背中が、一体どれだけの物を背負っているのか。

 俺としては、いまさらそんなことを実感して、ただただ驚くしかなかった。

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