偶像が踊る時
ベンチまで誘導しておいてアレだが、俺はすぐには推理を行わず、まず近くの自動販売機で飲み物を買った。
夕暮れ故に寒くなってきた上についさっき全力疾走をしていたので、喉が渇いていたからである。
これに加えて、アイドル相手に緊張しながら弁明をしていたこともある。
正直、何か飲まないと推理どころでは無かったのだ。
天沢茜を待たせてしまって悪いなと思いながらも、俺はカフェオレの缶を一つ購入する。
天沢茜の方にもそれとなく何か買わないか聞いたが、彼女は何も要らないようだった。
購入後、丁度人一人分くらいの間隔を空けてベンチに座った俺たちは、手始めに沈黙を共有する。
俺がカフェオレを飲み終わるまで、向こうが黙ったまま待ってくれたのだ。
もしかすると失礼な対応だったかもしれないが、天沢茜は不満を言わなかった。
そんなこんなで、俺たちは妙な時間を過ごす。
忘れ物を届けに来た俺と忘れ物をした彼女が、何故かベンチでゆったり過ごすというシュールな時間を。
ただし、そんな時間が許されたのはせいぜい数分。
謎解きを手早く済ませるためにも、俺はすぐにカフェオレを飲み終わり────その勢いのまま、如何にも「らしい」前口上を口にした。
「さて────」
俺がどういう風に天沢茜にまで辿り着いたかを理解してもらうには、まず、どんな流れで忘れ物に気が付いたのかを説明しなくてはならない。
だから俺は手始めに、ダイジェスト風味にその流れを語っていった。
自分の姉がボヌールで働いていること。
その姉さんの紹介でバイトを始めたこと。
バイトの仕事で掃除を行い、グラジオラスメンバーの話も偶々聞いていたこと。
タブレットを忘れたら厳しく叱られるようだという話も、姉さんから聞いていたこと。
偶然ロッカーを開けて目撃していた、長澤菜月のプリントシール付きタブレットのこと。
天沢茜たちが立ち去ってから、俺が休憩室に行くまでの流れ。
そこで見つけた、持ち主不明のタブレット端末。
発見からの時間経過と、状況証拠を集める過程。
タブレット端末自体も、色々と観察したこと。
勢いに乗ったまま、俺はこれまでの経緯を一息に話す。
一見すれば、どうでもいい話だったかもしれない。
しかし俺がタブレットの持ち主を天沢茜だと断定出来たのは、この辺りの話から得た情報が絡んでいる。
長くても、飛ばすわけにはいかなかった。
そうやって何とか説明を大体終わらせると────割と真剣な顔で天沢茜が口を挟んできた。
「そこまで聞くと、本当に難しい謎ね。私はこれを忘れた張本人だから、当然それが私の物だと分かるけど……どうやって、断定出来たの?私たちのことだって、全然知らなかったはずでしょう?」
──おお、割と興味を持ってくれてる。
予想外の反応に、少し驚いた。
タブレットの持ち主として自分がそれを忘れた経緯を知っているであろう彼女としては、つまらない話かもしれないと思っていたのだが、意外にも楽しんでくれているようだった。
純粋に俺の視点になって、話に興味を抱いてくれているらしい。
「ええと……貴女だと特定出来た切っ掛けは、幾つかあります。ですが、そうですね。一番大きかったのは、タブレットの使い道でしょうか」
例のプロジェクターにまつわる部分である。
このタブレットを忘れた人物は、どうしてわざわざこれをプロジェクターに繋いでいたのかという疑問。
そこを、俺は自分のスマートフォンを見せながら言及した。
「正直、最初は全然分かっていなかったんですけどね。考えに詰まっていた時、偶然、内向きのカメラを起動して自分の顔を見てしまったんです」
しかめっ面の自分の顔を見て、驚いた場面である。
重ね重ね、ああいうのは心臓に悪い。
ただし今回に限っては、あのミスに感謝しなくてはならないが。
「その光景を見た時、思いついたんです。もしかしてこのタブレットの持ち主は、同じことをしていたんじゃないかって」
「同じこと?」
「ええ、要するに……わざわざプロジェクターに繋いでいた理由っていうのは、『タブレットを使って、自分の姿を撮影するため』なんじゃないか、ということです」
そう言いながら、俺は彼女の目の前でカメラアプリを起動した。
方向に関しては、勿論内向きである。
そこに映るのは、見切れた俺の顔と、興味深そうに覗き込む天沢茜の姿。
彼女が動く度に前髪が揺れ────当然ながら、画面内の彼女の前髪もさらさらと揺れる。
それこそ、鏡のように。
スマートフォン前面に内蔵されたカメラの画像がそのまま映し出されているのだから、リアルタイムに連動する鏡擬きになっている。
それだけのことだ。
普通の人なら、自撮りの瞬間くらいにしか気にしない機能だが────。
「……普通の人ならともかく、貴女たちはアイドルだ。だからこそ有り得ると思ったんです」
「タブレットを、鏡代わりに使うということを?」
「はい。そしてこの思い付きが正しいとすると、何故そうしたのか、という部分は大体想像がつきました」
少し、息を吸って。
それから、結論を述べた。
「天沢茜さん。貴女は……オーバートレーニング故に練習量を抑えられていた貴女は、その少ない練習量に満足できず、休憩室で密かに踊っていたんですね?だから、タブレットをスクリーンに繋ぐ必要があった。あの部屋には鏡が無かったから……」
一度、そう言い切ってから。
俺は流れるように、細かい部分の推理を述べていった。
「時系列順に話していきましょう。かなりの部分を俺の妄想で埋めていますので、間違っているところがあったら指摘してください」
「午後五時過ぎの話です。貴女はメンバーの人と一緒にレッスンを終え、休憩室に籠りました。夕方から予定されている、ジムでの用事まで時間を潰すためです」
「たまたま同じように時間を潰したかった二人のメンバーも、一緒に休憩室にいました。話通りなら、三十分程度はそのまま三人で休んでいたはずです」
「しかし午後五時半過ぎになって、貴女以外のメンバー二人は夕食のために休憩室から立ち去ります。貴女は──新しく人が来ない限りは──あの部屋で一人、時間を潰すこととなりました」
「といっても、残る休憩時間は三十分くらいです。普通なら、そのままゴロゴロとするところでしょう」
「タブレットもあるんだし、ネットで気になる記事でも見ていたらそれで暇潰しになる」
「……しかし、貴女はそうしなかった」
「姉さんに聞いたんですが、貴女はグラジオラスメンバーの中でもとりわけダンスに熱心で、暇さえあれば踊っているそうですね?そのせいでオーバートレーニングになってしまったんですから」
「故に、貴女は耐えられなかった」
「他のメンバーの目があった先程まではともかく、誰もいないこの瞬間、何もせずに居るということが耐えがたかった」
「もし他にも人がいたら、流石にしなかったでしょう。他のメンバーは事情を知っているんですから、身体を壊さないように止められることは分かり切っています」
「しかし幸か不幸か、新しく人は来なかった」
「だから、貴女はその場で、ダンスの自主練をして時間を潰すことにした」
「スポーツジムにオーバートレーニングに関する相談をしに行こうという人が、直前にそのオーバートレーニングをしてしまうというのも、また随分と矛盾している気もしますが……まあこの辺りは、貴女の情熱のせいなんでしょう」
「ここでスパッと諦める人なら、そもそもオーバートレーニングにはならないでしょうし」
「ただし練習と言っても、そう大掛かりなものではありません。時間も短いですし、場所だって広くはない。あまり大きな音を出すと、周囲に気が付かれる恐れもあります」
「だからステップを確かめるとか、簡単にリズムを取るとか、そう言った簡易的な自主練だったのでしょう?扉も閉めて音楽も鳴らさず、こっそりとやるような」
「……しかし、ここで貴女は一つの問題にぶち当たります」
「単純かつ重大な問題……あの休憩室には鏡が無いという問題です」
「俺は今日、バイトとしてレッスン室の掃除をしてきましたが……あそこは、壁が大きな鏡で占められていますね。拭くのが大変だったので、よく覚えています」
「逆に言えばダンスレッスンには、あれくらい大きな鏡があるのが望ましいということになります。ダンスには詳しくないんですが、動きの確認や細かい動作の修正のために色々と使うでしょうから」
「しかし本来は会議室であるあの休憩室には、鏡が無い」
「勿論、鏡が無くたってレッスン自体は可能でしょう」
「あくまで簡易的な自主練なんですから、鏡なんて無いのが当たり前です」
「ですが────もしそれに、貴女が納得しなかったとしたら?」
「あの会議室でも、動きを鏡で確認しながら踊りたいと思ったら?」
「その果てに、鏡の代わりになる物を探し始めたとしたら?」
「そういう思考の元────プロジェクターを使おうと思ったのではないか、と推測しました」
「方法自体は単純ですしね、これ。タブレットで自分の姿を撮影するようにして、そのままプロジェクターに接続、画面の映像をスクリーンに映すだけです」
「あのスクリーンは会議用なだけあって結構大きいですから、実物大の貴女の姿を映し出すくらいは簡単に出来るでしょう。プロジェクターの映写角を調整すれば、鏡その物のようにも出来るはずです」
「勿論タブレットのスペックによっては、ちょっと動きが遅れて見えるとか、そういう使い辛さはあります。所詮は代用品ですから」
「しかし逆に言えば、その点にさえ目を瞑れば、鏡擬きは完成します。貴女がこれまでの休憩中に、何度かあのプロジェクターを使ったことがあるなら──休憩中に映画を見るとか──きっとスムーズに行えたでしょう」
「いや、何なら、今までもそうやって、密かに自主練していたことがあるのかもしれませんが……オーバートレーニングを指摘され、練習量を減らされたことを不満に思って、密かに練習するためにそういう方法を何度も使っていたとか」
「プロデューサーやマネージャーから直々に練習しないように言われているのなら、おおっぴらにレッスン室なんて使えませんからね。自主練なんてしていたら叱られるだけです」
「しかしそれでもアイドルである以上、事務所内で待機する時間はある……だからこそこういう手を前から思いついていた、とか」
「……まあこの辺りは完全に妄想ですし、この推理の主題とも関係が無いのでこれ以上は言いませんが」
「何にせよ貴女はこの鏡擬きを使いつつ、自主練をした訳です」
「しかしその自主練をしている内に、ジムの予約時刻が迫ってしまいました」
「これは想像ですが、貴女はかなりギリギリまで、自主練に夢中になっていたのでしょう?それこそ、タブレットを置き忘れてしまうくらいに」
「途中で時間がヤバイことに気がついて、何とかプロジェクターの電源は落としたけど、焦るあまりにそこで片づけを済ました気になり……そのままタブレットを取り外さずに退室してしまった、くらいの流れでしょうか」
「そして急ぐ余り、今の今までタブレットが荷物の中に無いことにすら気が付かないまま、こちらのジムにやって来て用事を済ませた」
「大体、こんな感じの流れだったんじゃないかと推理したんですが、合ってますか?天沢茜さん」
演説のような推理を語り終えて、俺はようやく天沢茜に向き直る。
もしかすると、これはこれで怖がられるかとも思ったのだが、幸いにしてそうはならなかったらしい。
寧ろ彼女は、俺のことを褒めるようにして声を発した。
「凄い……その通り、大体合ってる。細かいところは差があるけど……本当に、ドラマとかに出てくる探偵の謎解きみたい」
「ええと……それはどうも?」
凄いと言われるようなことでも無いので、どうにも変な反応になってしまう。
気恥ずかしいというか、普通に考えれば悪趣味でしかないことを褒められてしまったような、奇妙な感覚があった。
だからなのか、俺は反射的に話題を逸らす。
「……とにかく、そういう推理をした後は特定も簡単でした。今日、あの休憩室を使っていたと思われるメンバーは三人。タブレットの用途が今説明した物だと仮定すれば、三人の中でこんな方法を使いそうなのは貴女だけです」
「そうね。他の二人なら、自主練するにしても普通にレッスン室を使うだろうから……」
「はい。オーバートレーニングを指摘され、なおかつ俺の掃除のバイトについて知らないであろう貴女のみ、こういう方法を使い得る」
姉さんの話では、あのレッスン室はアイドルの自主練にも使われているとのことだった
加えて長澤菜月とXさんの場合は、仮に自主練の様子を見られたところで、オーバートレーニングだと叱られるようなことなど無い。
何なら、まだまだ技量的に足りない以上──長澤菜月など、体力がなくて途中で抜けたくらいなのだし──自主練は褒められるくらいなはずだ。
だから仮に自主練をするにしても、レッスン室で行うはずなのである。
しかも今日は、俺がレッスン室の掃除に入った日である。
仮に彼女たちが自主練をしたくなったのなら、「どうせならあのバイトが掃除し終わってからやろう。床も綺麗になっているだろうし」という思考になるのが自然だろう。
実際には俺の掃除は一時間強かかったので、彼女たちが夕食前までに使用するのは不可能だっただろう。
それでも、既に掃除が終わっているかどうかの確認くらいは来ても良いはずだった。
彼女たちの視点では、俺の掃除がいつ終わるかは分からないのだから。
しかし実際には、俺の掃除中にレッスン室の様子を見に来たアイドルはいなかった。
掃除中の俺が気が付いた存在と言えば、掃除が終わった頃に話しかけてきた姉さんだけである。
つまりタブレットの持ち主──ダンスの自主練をしたがっているであろうアイドル──は、何らかの理由でレッスン室に立ち寄れなかった。
もしくは、レッスン室が掃除されていて少し待てば綺麗な状態で使えることを知らなかった。
この二つの条件を満たす場合、会議室でプロジェクターを持ち出すことになるのだ。
天沢茜は、この二つの条件を両方とも満たしている。
彼女はオーバートレーニング関連の事情により、おおっぴらに自主練を出来なかった。
レッスン室を使うと、他のアイドルに見つかる可能性がある。
時間的にも休憩室の方が、まだ人が寄り付かないと踏んだのだろう。
加えてレッスン後にトイレのためにすぐに出て行ってしまったので、彼女は俺の存在にすら気が付いていない。
彼女の荷物も他のメンバーが運んでいってしまったので、天沢茜と俺は一度も顔を合わさなかった。
だからこそ、掃除のバイトのことを今の今まで知らなかったのである。
以上の推理から、やはり天沢茜が怪しいということになるのだ。
勿論、これは物的証拠も無い仮説だ。
状況的にそう考えるとスムーズになる、くらいの話でしかない。
例えばレッスン室に終了予定を聞きに来なかった理由については「掃除中に話しかけるのも悪いので遠慮した」という理由だって考えられるし、そこから上手く繋げれば、長澤菜月やXさんこそ持ち主だと結論づけることも可能だろう。
天沢茜の居るジムの方に俺が駆けだしたのは、最終的には勘に縋ったというか、ぶっちゃけた話賭けである。
しかし────幸いにも、俺は賭けに勝ったようだ。
話を聞き終わり、安心したような表情で自身のタブレットを撫でる天沢茜を見ながら、俺はそう思った。