標的を見出す時
「正式な社員でも無い者に見せるのもどうか、ということで今までお前には見せていなかったが……こうなったら、見た方が良い。ここだ」
そう言って、姉さんはトントン、とそのブラックリストの一画を指さす。
気が付いた時には、俺はそこを促されるまま読み上げていた。
「積野、大二……?この人が、『BFF』?」
俺の視線の先には、見たことも無い中年男性の運転免許証をコピーしたらしい紙が貼り付けられている。
促らされるまま、俺はその紙を熟読した。
──むさくるしいおっさんだな……。
最初に、そう思う。
人の外見を意見を述べるのもアレだが、本当にそう感じたのだ。
実際、写真を見た感じ、失礼ながら実に不健康そうな見た目をしている。
それは例えば、落ち窪んだ両瞳。
もしくは、無精ひげとボサボサな髪に包まれた顔面。
或いは、やや黄ばんだ感じ──黄疸だろうか──の皮膚。
俺の感想は、それらの特徴によって、もたらされているものだった。
どう贔屓目に見ても、生命力に溢れているようには見えない。
明記されている生年月日から計算すると、現在四十五歳の男性らしいのだが、六十代と言われても違和感がなさそうだった。
しかし、どんな印象を受ける人物にせよ、ここに載っているということは────。
「……この人が、前例なのか?ボヌールに対して、前にも脅迫状を送った?」
一見したところ、見えているページには掲載理由が載っていなかったので、俺は直接そう聞いてみる。
しかし、姉さんはそこで首を振った。
「いや、ウチに対する行動じゃない。これは、他事務所から共有された情報だ」
「他事務所?」
「ああ。『バレットエンターテイメント』って、知っているか?」
唐突に問いかけられて、今度は俺が首を横に振る。
話の流れ的に、その「他事務所」の名前なんだろうな、とは分かるのだが、生憎と聞いたことが無い。
すると、俺の知識不足を察したのか、碓水さんからフォローが入った。
「会社名は知らなくても……『クリスマスローズ』なら松原君も知っているんじゃないですか?ほら、凄く人数の多い人気グループの……」
「……ああ!そっちなら知ってます。あの、いつも選挙とか握手会とかやってる」
クリスマスローズの名前を出されて、俺はようやく膝を打つ。
プロデュースする会社の名前はともかく、グループ名を挙げられればピンとくる。
凛音さんを除いて、唯一ボヌールでバイトをする前から知っていたアイドルかもしれない。
クリスマスローズというのは、そのくらい知名度の高い女性アイドルグループなのだ。
ボヌールではない場所で活躍する、大人気のトップアイドルたち。
彼女たちの所属している事務所こそ、その「バレットエンターテイメント」らしい。
「実は、前々からそこをプロデュースしているお偉いさんの一人と、ウチの役員の間に個人的な繋がりがあってな。そのコネを使って、こういう危険人物の情報は二つの事務所で共有しているんだ。まあ、ある種の裏取引染みた交渉の産物ではあるが」
そう説明して、姉さんはこれも外では口にするなよ、と俺に忠告する。
異存は無かったので、俺は頷いておいた。
この話振りからするに、こうやって芸能事務所同士がブラックリストを作っては共有している、というのは外に漏れると不味い話らしいが────差し当たっては、俺には関係がない。
寧ろ重要なのは、その中身である。
「つまり、この人はその『バレットエンターテイメント』に関係するイベントで迷惑行為を働いた人なんだな?で、ブラックリスト入りした、と」
「そう言うことだ。中身としては……握手会での騒動、になるかな」
前置きをしてから、姉さんが次のページを開き、そこの内容を読み上げてくれる。
その話によれば、概ねこのような経緯だったそうだ。
────まず、この積野大二という人は、バレットエンターテイメントがプロデュースするクリスマスローズの熱烈なファンだった。
何度も何度も握手会やライブに通い、メンバーの方からも「ああ、この前のファンだ」と顔を覚えられるレベルで参加する人だったらしい。
クリスマスローズは、所謂握手券商法──CDなどをたくさん買うとアイドルと長く握手できる、というよく見るアレ──を熱心に行っているアイドルグループなので、そこまで通い詰めるには莫大な資金がかかったと思われるが、それでも参加し続けてるくらい、熱意が凄いファンだったそうだ。
そこまで凄いファンが居ると、どうしたって目立ってくる。
次第に、彼は応援される対象であるクリスマスローズのメンバーたちの間でも多少有名になっていった。
ただ正確には、彼の有名さというのは、その熱心さ故に有名になった、ということだけでは無い。
寧ろ、その逆の面が大きい。
彼は、もっと嫌な有名さを獲得していた。
その有名さというのは、偏に彼の握手会における態度にある。
このブラックリストによれば、彼は握手会に参加するたびに────奇妙な手紙をアイドルに渡すのだ。
詳しくは書かれていないのだが、何でもクリスマスローズの握手会では、ファンがアイドルにファンレターを渡すくらいのことはやっても良いルールになっているらしい。
プレゼントなどは何が入っているか分からないので持ち込み禁止だが、手紙くらいは危険も無いしOK、ということなのだそうだ。
と言っても、普通は便箋を一通か二通手渡すのがせいぜい。
それ以上のことをするファンはそうそう居ない────のだが。
彼は、その常識を超える行動を繰り返していた。
端的に言えば、握手会の度に、膨大な量の手紙を渡してくるのである。
百通とか、二百通とか言った、とんでもない量の手紙の塊を持参してくるのだ。
一応、量が凄まじいだけで、それぞれの手紙の内容自体は普通らしい。
この曲に感動した、とか、この番組が好きだとか、そういうよくあるファンレターだ。
それでも、量が量なので、逆に内容が普通だということが怖がられていたらしいが。
そう言う奇行を繰り返していたが故に、彼はクリスマスローズのメンバーやスタッフたちに嫌な名声を獲得した。
あまりにも凄まじい情熱を注いでくる、流石にちょっと怖いファン、という形で。
ただ────この段階では彼はまだ、ブラックリストには載っていなかった。
怖いと言えば怖いが、迷惑行為とまでは言えない、という認識だったのだ。
先述したように、握手会中に手紙を渡す行為自体は、ちゃんと許容されている。
また、渡す量は特に指定はされていない。
故に、いくら百通の手紙を持参して来ようが、それだけで迷惑行為とは言い切れない。
ただただ、手紙の量が多いだけで、他の点では迷惑はかけていなかったのだから。
結果、彼は出禁になるようなことはなかった。
流石に、それ単体では追い払えない。
しかし、バレットコーポレーションでは次第に彼のことを警戒し始めたらしい。
もしかすると、これ以降何かやらかすのではないか、という懸念によって。
悲しい話だが、元々熱心なファンだった人が、ある日を境に犯罪行為すら実行する過激派に変貌するなんてことは、珍しい話では無い。
そこまでの情熱を注いでくる人物ではある以上、ふとした切っ掛けで悪意を抱く可能性がある、と見なされたのだ。
なまじ、行動力が凄いことは分かっていたので──先述したように、握手会やライブにずっとついてきているのである──より危険だと思われていた、ということもある。
普通の業界なら、過剰と思われる対応かもしれない。
不公平、差別的、と思われてる反応かもしれない。
だが、結果から言えば。
バレットエンターテイメントの人間のその懸念は、的中した。
「……この人物の場合、道を踏み外した切っ掛けは病気だったらしいな」
「病気?」
「ああ。本人が握手会でアイドル相手に語った話によれば、元々の不規則な生活習慣がたたってか、重い肝臓の病気になったらしい。症状からすると、多分、重度の肝硬変だろう。そのせいか、彼は今までよりさらに変な行動に出るようになった、という流れのようだ」
ふんふん、と頷きながら、姉さんは改めて納得するように読み上げている。
これを持ってきた時の話の流れからして、多分姉さんは既にこれを読んでいるはずだが、もう一度見ることで新しい発見があったらしい。
そこまで面倒くさがる様子も見せず、彼女は話を続けた。
「それで、握手会なのに異様に距離を詰めて口説きだしたり、今まで以上の量の手紙を渡してきたり、規定時間を超えて居座ったり、スタッフブースに勝手に押しかけたり……まあ、完全な迷惑行為だな。病気で気が弱くなったのか、後悔が無いようにしたいと思ったのかは知らないが、今まで越えなかった一線を越えてしまったそうだ」
「それで、今度こそ出禁に?」
「らしい。ついでに、目出度く今まではギリギリ逃れていたブラックリストにも載った。……だが、彼を出禁にした次の握手会で、事件が起きた」
ペラリ、と姉さんがまたページを捲る。
「これによれば……この積野大二が出禁にされてから初の握手会では、会場に突然、五百通以上もの大量の手紙が投げ込まれたらしい」
「投げ込まれたって……え、投げたのか?そのまま?」
「そうみたいです。ビニール袋に入っていたらしいので、多分、こう……」
そう言って、同じく話を聞いていた碓水さんがハンマー投げみたいなジェスチャーをする。
動き的に、ビニール袋に手紙を入れて振り回す犯人の姿を模しているらしい。
完全な想像ではあるのだが、確かにそう言うやり方を使ったなら、手紙を投げ込むことも出来るのかもしれない、と思わせる動きだった。
「じゃあ……出禁になった積野大二が、それをやったのか?」
「詳細は分かっていないが、バレットエンターテイメントは、恐らくそうだろう、という認識だ。大量の手紙という手段もそうだし、出禁になった次の握手会で実行した、というのもあからさまだ。手紙の内容も、彼が書いた物と似ていたらしい。まあ、前々から手書きではなくパソコンで打ち出した手紙を持ってきていたから、筆跡で断定することまでは出来なかったそうだが」
そう言って、姉さんは話し疲れたように一度間を取る。
俺の方も、姉さんばかりに話させても悪いので、碓水さんの方に話しかけた。
話を聞く中で、一つ、疑問が湧いたのである。
「……その話が本当なら、この人、警察に捕まらなかったんですか?最初の迷惑行為は出禁だけで済んだにしても、手紙の塊を投げ入れるようなことをしていたら、それはもう犯罪でしょう?」
手紙という物には、当たり前だが重量がある。
一枚一枚は軽くとも、五百枚も集めるとそれなりの重さになるはずだ。
手紙の塊が投げ入れられた際、万が一にも着地地点に誰か人が居たら、最悪大怪我を負わせることにもなりかねないだろう。
仮にそれで首の骨などに怪我を負わせてしまったら、一生物の後遺症を与える可能性すらあった。
だったら、ブラックリスト入りのような地味なことで済ませず、警察に捕まえさせるのが一番だと思うのだが。
「勿論、警察にも通報したそうです。ただ、捕まえる程の証拠が無かったそうで……」
「え、そうなんですか?現場でハンマー投げみたいなことしているのに?」
「はい。丁度この日、かなり強い雨が降っていたそうで、傘を差しながらの握手会になっていたそうです。そのせいで視界も悪く、怪しい人影を見た目撃者自体が居なかったようで……手紙についても、どこにでも売っている物で、個人の特定までは出来なかったとか」
……結果、怪しいとはされていながらも、証拠不十分ということで逮捕まではされなかった。
この手紙投げ入れ事件についても、被害が出なかったこともあり、小さなニュースになったくらいで収まってしまった。
一応、それまで以上に握手会の警備は厳しくなり、積野大二の名前もブラックリストの頂点付近にまで昇格したらしいが。
「しかし、積野大二の方も流石に疑われていることは察したらしく、それ以降は握手会には来なかった。結果、彼はバレットエンターテイメントとウチのブラックリストに載ったまま、一年近く経過した訳だ」
お茶を飲んで復活した姉さんが、会話に再び参加する。
ただ、ブラックリストに載っていることは全て読み終わったらしく、ファイルは閉じてあった。
自然、俺は話を次の段階に進ませる。
「この人が過激な人なのはよく分かった……だけど、今回の事件に関わっていると断言できるのは何でだ?確かに、脅迫状を送る手口は似ているけど」
大量の手紙を投げ入れる、雨の日を狙う、という手口は、確かに似通っている。
偶然とは思えないし、関わりがある可能性は高い。
しかしまだ、偶々やり口が被った、という可能性も捨てきれない。
それこそ、今回の犯人がこの積野大二の手口を模倣している可能性だってあるのか。
だというのに、何故彼が「BFF」の候補となる前例だと言い切れるのか、姉さんに確かめたかった。
「まあ、確かにここだけならギリギリ偶然の一致と言えなくもないな。ただ……経歴が出来すぎだ。もし彼が犯人であれば、脅迫状に加えて、脅迫メールの方も説明がつく。だからこそ、疑っているんだ」
「メールが?」
「そうだ。というのも、この人物の職業は──本人が握手会で言い触らしていたことだそうだが──プログラマーらしい。それも、コンピューターウイルスや、情報端末の遠隔操作に対する対策用のツールを企業向けに売る会社で勤めて、その制作に関わっていた、とも書かれてあったな」
──コンピューターウイルス?
頭の中で、先程聞いたばかりの単語が蘇る。
ついでに、「トロイの木馬」がもう一度想起された。
脅迫状から始まったこの一件、何かとコンピューターウイルスのようなサイバー犯罪の存在が要所要所で絡んでくるところがあったのだが。
そうやらこの話は、犯人の経歴にすら絡むらしい。
「勿論、そういう仕事をしているからと言って、サイバー犯罪が出来るわけではないだろうが……少なくとも、一般人よりは遥かに詳しいことは間違いないだろう?」
「だから、その知識を生かして社長のアドレスに脅迫メールを送ってきたんじゃないか、と推理した?」
「その通り。証拠も何もない雑な仮説ではあるが、可能性はある。実際、『木馬』の協力も考えれば、彼にとっては脅迫メールの作成程度、簡単なものかもしれないしな」
そうだろう、とでも言うように姉さんはそこで俺と、碓水さんを見る。
すると碓水さんは一度頷き、その上で軽く口を開いた。
「そうですね。私としても、この人物が『BFF』という仮説には賛成です。……ただ、私はこの事件、その積野大二という人物の単独犯だと踏んでいますが」
「……前もそう言っていたな。そんな技術があるのなら、単独で内部情報を探れたとしてもおかしくない、だったか」
少しだけ苦笑するようにして、姉さんが反応する。
それを見て、俺は碓水さんの意見をおおよそ察した。
──碓水さんとしては、「木馬」なんて実際には居ない、と考えている訳か。あくまでこの積野大二が、クラッキングで内部情報を手に入れた、みたいに推理しているんだ。
言われてみれば、有り得なくはない仮説だった。
内通者である「木馬」が居る場合と比べて、情報源が無い分、遥かに高いクラッキング技術が必要となるだろうが、不可能では無い。
──ただ、この人がそう考えるのは、自分の同僚に裏切り者なんて居るはずが無いって感情的になっているだけかもしれないけど……。
同時に、そんなことも考える。
碓水さんのことをそう深く知っている訳でも無いのだが、雰囲気的にそんな感じがあった。
そう言う意味では、この「『BFF』単独犯説」はどこまで信じればいいか分からない話でもある。
──まあ何にせよ、これで謎を解くための容疑者情報は手に入れた、ということか。
そこまで考えてから、俺は一人での推理にけりを付ける。
さらに、俺は碓水さんと姉さんの会話をBGMに、一人目を瞑った。