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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Extra Stage-α:ボヌールの醜聞
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幽玄の美を見つめる時

「いいなあ、茜ちゃん。初めての撮影の時に、こんなに素敵なマネージャーが居るなんて」


 ちょっと拗ねたように言ってから、彼女は片頬を上げ、自然と笑顔を作る。

 そのまま悪戯めいた言い方で、「まあ、頼れる人が居るに越したことは無いけどね」と続けた。

 本人なりの感想だったのだろうか。


「あっ、凛音先輩……おはようございます!」


 相手が口を閉じきらない内に、慌てたように天沢が立ち上がる。

 まるで、本能に染みついたかのようにスムーズな動きで。


 しかしそこまで広くも無いバスの中で、それは少々過剰な敬意に映ったのか。

 挨拶をされた当人は、おおう、と気圧されたように背中を軽くのけ反らせた。

 まるで暴れた動物を取り押さえるようにして、どうどう、などと口にする。


「茜ちゃん、落ち着いて……そんな、私相手に肩に力を入れる必要は無いから。同じ事務所なんだし」

「は、はい」

「リラックス、リラックス、ね?」


 そう言って、また凛音は柔らかく微笑む。

 彼女の動きには慣れと余裕が滲み出ていて、その経験の深さを伺わせた。

 デビューしてから九年、売れ始めてからに限定しても八年もの期間に渡って活躍してきた実績が、そうさせているのか。


 ──って、観察している場合じゃないな、俺も挨拶しないと。


 そこで俺は、自分が挨拶をしていないことに気がつく。

 いつの間にか近くに人影があったことに気を取られて、当然すべきことを見逃していた。


「凛音……さん。おはようございます。ええっと、本日は天沢がよろしくお願いいたします」


 最初に名前のところで変に溜めたのは、今までの癖で、彼女のことを呼び捨てにしてしまいそうになったからである。

 一般人としてはよくあることなのだろうが、タレントや役者の名前を、俺はしばしば呼び捨てで口にしていた。


 そんな癖のせいで、こうして直に出会った時に変に躓いてしまう。

 思い返せば、前も同じミスをしてしまっていた。


 そんな俺の慌てた取り繕いに、凛音……改め凛音「さん」は気が付いたらしい。

 彼女は俺を見ると再び悪戯っ子めいた表情を浮かべ、それからこんなことを言う。


「別に、呼び捨てでも構わないよ?……ええと確か、玲君だったよね?呼びたいのなら、呼び捨てでも大歓迎だけど、私」

「……まさか、滅相も無い」

「そう?別に、そんなに敬語を使わなくても良いと思うけどな、私は」


 むー、と凛音さんはそこで可愛らしく口元を尖らせる。

 二十代半ばと思しき彼女の年齢を考えれば、少々幼すぎるようにも見える仕草だったが、不思議と似合っているように見えた。

 何というか、意外と絵になる。


 数秒の間、彼女はその表情のまま佇んでいた。

 もしかすると、本気で俺たちがフランクに会話をしてくるのを待っていたのかもしれない。

 しかし、俺たちが流石にそんなことは出来ないでいるのを察したのか、やがてその表情を自ら解く。


「……まあ何にせよ、今日はよろしくね、茜ちゃん、玲君」


 そんなことを言って会話を終わらせた彼女は、ニコリと音が出そうなくらいの強烈な笑顔を返し、バスの奥の方に移動する。

 彼女の動きからは、「一応、先輩として新人アイドルを励ましに来たが、これ以上緊張させたくも無い」という思いが透けて見えた。


 ……だからという訳でも無いのだが。

 俺たちは何となく、彼女が立ち去ってから、改めて彼女の背中を見つめてしまう。


 意味も無く、目が離せない感じがあったのだ。

 ある種の余韻に浸っていたのか。

 本人が立ち去ったからこそ、考えられることがあったのか。


 ──……最初に軽いからかいから入って、天沢にリラックスを促し、さらに俺のこともちょっとフォローしつつ、長引かせずに退去か。


 何となく、今の会話を振り返ってみる。

 自然とこんな感想が湧いてきた。


 ──あれが本心というか、心からの対応だったとしたら……凄いな。無敵か?


 無意識に口が開き、感嘆とも呆れともつかない声が喉から零れる。

 かなりひねくれた見方をしている自覚はあったが、疑いようもなく本心だった。


 だってこう、完璧すぎないだろうか、彼女。

 既に活躍している上に周囲にも優しいというのは、ちょっと出来すぎだろう。


 散々言ってきたように、凛音さんという人は、熱狂的なファンが生まれるくらいに才色兼備の女性なのだ。

 テレビの影響力が落ちているだの、芸能界自体が斜陽だの色々言われている現代に、トップアイドルを務めあげるその力量。

 更には天沢にフランクに話しかけ、ただのバイトである俺とも雑談をしてくれる気遣い。


 俺たちとの会話中にも、見惚れるような笑みは絶やしていない。

 ほんの数十秒の会話ではあったが、優しかったな、という言葉だけが脳内に浮かんでくる受け答えだった。


 今まで、圧倒的な人気を誇る芸能人という存在がどんなものか、俺としては全く知らなかったのだが。

 割と偉そうな人なのかな、とも勝手に思っているところもあったのだが。


 少なくとも彼女には、自分がトップであることを鼻にかけるだとか、先輩風を吹かすだとか、そんなところは一切見られない。

 ああいうのも、神対応と言うのだろうか。


「……なあ、前にグラジオラスで挨拶に行ってたとかいう時も、あの人はあんな感じだったのか?」


 何となく気になって、俺は天沢にそう問いかける。

 すると、一瞬困惑しながらも、彼女はすぐに頷いた。


「ええ、凛音先輩、いつもあんな感じだから……偉ぶらないし、優しいし」

「そうか。……そう言えば、チケットだって貰ってたんだしな」


 あの感じなら、そういうプレゼントもさらっと渡しそうな気もする。

 特に恩に着せることも無く、当たり前のことのように渡してくるのではないだろうか。


 ──そういうのも含めて、「トップアイドル」ということか……?


 時間経過に従い、俺たちはまた座席に腰を下ろす。

 その態勢のまま、俺はじいっと、バスの座席間の隙間を通して、最後尾の方に座った凛音さんの姿を見た。


 天沢のように、これから頑張っていくアイドルではなく。

 殆ど初めて遭遇する、既に成功を得ているアイドルの実例として。


 視界に映る彼女は、当たり前だが、ドラマや映画で見るそれと全く同じ顔をしていて。

 何なら、グラジオラスメンバーよりも余程見慣れた姿だった。


 それなのに、どういう訳か────目が離せなかった。




 少し、彼女の容姿の詳細を脳内で言語化してみる。

 そうすれば、こうして目が離せない理由も分かるだろうかと思って。


 まず髪は、シンプルにセミロングに伸ばした髪型と、明るい茶色に染めた髪色がセットになっていた。

 下に視線をずらせば、指の先まで計算して造形されているかのように思えるような細い手足と、優美なスタイルが目に入る。


 俗に、褒め言葉として「お人形さんみたい」という言葉があるが、彼女は本当に人形のような人だった。

 ウインドブレーカーを着込んで身体がよく見えていないというのに、シルエットだけでスタイルが良いことが分かるのだから相当だろう。


 しかし、極端なことを言えば。

 そのような美しさすら、こうして見つめる理由にはなっていないようだった。

 俺の視線は、「可愛い」とも「綺麗」ともとれる、絶妙な彼女の容姿にいつの間にか吸い寄せられていく。


 彼女の顔は年齢の割に童顔のようにも見えるが、しかし決して幼い訳ではなかった。

 大人の女性としての美を備えながらも、あどけなさすら感じるその表情。

 通常は両立しないであろう、「可愛いがための美しさ」と「綺麗であるための美しさ」が、一人の人間の中に矛盾なく両立している。


 一人の人間が内包する物としては有り得ないと思ってしまうくらい、彼女の容姿は情報量が多かった。

 下手な比喩を使えば、「気が遠くなるくらいの特徴と色彩を詰め込んだ絵画のようだ」という例えになるか。


 彼女の写真を低スペックのパソコンに読み込ませれば、それだけでクラッシュしてしまうんじゃないだろうか。

 そんな馬鹿げたことを考えてしまうくらい、情報過多の美である。


 こんな風に長文で評価すると、あまりにも飾りの多い評価に聞こえるだろうか。

 しかし、これは決して、過剰な表現では無いと思う。


 上記の評価でも、情報としては足りないくらいだ。

 俺の語彙の少なさが嘆かわしい。


 ──グラジオラスメンバーを見た時も、凄く可愛いとか凄く綺麗だと思ったものだけど……。


 彼女を見つめながらふと、俺は初めてボヌールを訪れた時のことを思い返す。

 初めて出会う芸能人たちの風格に見惚れたあの時。

 いやまあ、実際に初めて会った時、彼女たちは厳しいレッスンのせいで瀕死だったが、それでも綺麗だなと感じた。


 あの時の体験から、いつしか三ヶ月以上が経っている。

 いい加減俺としても、世の中の美女とか美少女という物には、慣れてきた感じがあった。

 テレビの中の俳優やアイドルを見ても、「あー、こういうタイプの人多いなあ。ボヌールでもたまにすれ違うし」などと、変に斜に構えた感想が出てくる程度には、目も肥えてきた。


 だが、それらの経験を踏まえても尚。

 凛音さんの存在は隔絶していた。


 彼女の場合は、もう凄いとか整っているとかいう次元では無くて。

 見つめれば、見つめる程────怖くなる。


 初めて知った。

 美というのは、行き過ぎるとホラーになるらしい。


「鳥肌が立つな……」


 色々と考えた末、俺はそんな愚にもつかないことを口に出す。

 すると、それが微かに聞こえていたのだろうか。

 不意に凛音さんが、顔を上げた。


 自然、彼女を観察していた俺と彼女は、バッチリと目が合う形になる。

 どちらともなく、見つめ合うような形になった。


 不味い、と即座に思う。

 今更だが、勝手に覗き見なんて、いくら何でも失礼過ぎる。

 すぐに視線を外さないと。


 しかし、俺がそれを実行する前に。

 凛音さんは俺を見て、ふふっと笑った。


 そのまま、明らかに俺の顔を見つめながら、軽く手を振る。

 まるで、子どもの悪戯を窘める大人みたいな顔で。


 それを見て、俺は今度こそはっきりと視線をずらした。




「……大丈夫、松原君?」


 首をすくめ、改めて背もたれに体を預けた俺を見て、隣から天沢が声をかけてきた。

 どうやら、俺が何を考えて身を隠すに至ったのか、大体把握しているらしい。

 その口調には明らかに、ちょっとした呆れみたいな感情が含まれていた。


「あ、ああ、まあ……」

「だったらいいけど」


 そう言ってから、天沢は軽く振り返る。

 そして、凛音さんに向かって頭を下げてから、俺に向かって声をかけた。


「私たちレベルならともかく……やっぱり先輩を生で見るのは、強烈でしょう?」


 今度の口調には、共感と同情に近い物があった。

 もしかすると、理解できる感覚だったのか。

 それを認識しながら、俺は口を開く。


「どこの世界でもそうなんだろうけど……凄いな、トップっていうのは」

「ええ、本当に」


 即答してから、天沢は苦笑いを浮かべる。

 柔らかくも、ちょっと強張った顔で。

 横目でその顔を見てから、俺はとりあえず謝っておいた。


「何か、ごめん。集中を途切れさせたというか……話が逸れた」

「え?……あ、そっか」


 パチパチ、と瞳を何度も瞬かせて。

 それから、天沢は今思い出した、という感じの顔をする。


「私を励ましてくれてたんだものね、松原君」

「ん……まあ、そんな感じ」


 それが、凛音さんの乱入を境にして、どうも話が逸れてしまった。

 寧ろ、俺が気遣われている感じすらある。

 一体全体、どうしてこうなったのか。


 ──でも、さっきよりはリラックスしているか?


 そこで、俺はもう一度天沢を見つめる。

 彼女の表情は、玄関前で拾った時と比べれば、遥かに普段のそれに近い物になっている。

 それでもなお残る強張りはあるが、このくらいなら十分に許容範囲だろう。


 俺がそんな観察をしていることに気が付いたのか、天沢はもう一度苦笑いを浮かべる。

 さらに、こう告げた。


「もう、大丈夫。貴方の言う通り、色んな人が居てくれるんだから……凛音先輩にしろ、松原君にしろ」


 つまり、そういうことでしょう?

 そう言って、彼女は俺を見る。


 ──んー……なんだかんだで、上手いこと行ったか?


 どうも、半分以上俺の予想外のところで行われたとは言え、天沢はもう立ち直ったらしい。

 俺をきっかけに、凛音さんの言葉もあって、多少は吹っ切れたのか。

 こうなればあとはもう、撮影に向かえばいいのだろう、多分。


「……じゃあ、碓水さんたちを待つか、このまま」

「ええ。撮影が始まるのは日の出直前。もう少し、このままで」


 明るく告げてから、ギリギリまで体力をため込むように、天沢は両の瞳を閉じる。

 寝ることはしないが、出来得る限りの元気をとっておきたいのか。


 それを見て、意味も無く、俺もそれに倣った。

 俺の場合、元気をため込む必要は、彼女に比べればあまりないのだが。

 それでもちょっと────この短時間で、目が疲れすぎた。

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