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捜査に励む時

 俺はタブレットを手に取り、一縷の望みを賭けて画面を点けてみた。

 ホームボタンに親指を添え、ポチッと押す。

 画面に映し出されたのは────『パスワードを入力してください』の一文だけだった。


「まあ……だよな」


 極めて常識的な結果に、思わずそんな呟きをする。

 完全に予想通りだった。


 置き忘れで説教されるくらい扱いに注意が払われている情報端末に、ロックがかけられていないはずが無い。

 どう転んでも、中身は見えないようになっているだろう。

 一般人ですらこういう対策をしている人が多いのだから。


 もしかすると適当に打てばロックを解除できるかもしれないが──パスワードが「00000」のように簡単な物であれば行けるかもしれない──止めておいた方が無難だろう。

 この手のロックの解除に連続で失敗すると、しばらく解除ができなくなったり、最悪データが初期化されてしまったりする。

 いくら何でも、他人の持ち物をそんな状態にしたくはない。


「完全に外見と状況だけで見抜かないといけないんだよな……このタブレット、シール以外の特徴ないけど」


 手に持ったタブレットをくるくると回転させながら、そんなことを口に出す。

 分かり切ったことではあったが、声出し確認は重要だ。

 目に映った物を、次々と言葉に変えていく。


 観察する限り、このタブレット端末はかなり大切に使われていたのか、大きな傷も無ければ汚れも無い状態だった。

 タブレットの外面だけでは、とても個人を特定出来るような情報があるようには思えない。


 ここから持ち主を特定出来る人が居たとすれば、その人物は超能力者だろう。

 もしくは指紋の鑑定士とか。


 俺に超能力は無いし、指紋の採取法なんて知らない。

 別の方向から考えていく必要があった。


「そうなると、状況から絞っていくしかないな……ええと、メモるか」


 そう呟いて、俺はタブレットをとりあえず机の上に戻しておく。

 代わりに、自分のスマートフォンを取り出した。


 いつものようにロックを解除し、呼び出すのはメモ用のアプリ。

 打ち込んだ文字が表示されるだけの、本当にメモ帳としか呼べないアプリだが、考えをまとめるくらいのことは出来るだろう。


「まず、候補者が……三人。天沢茜、長澤菜月、名前不明のXさん、と」


 言葉にしながら、三名の名前を打ち込む。

 他のメンバー二名も一応候補者ではあるのだが──あの場ではすぐに帰ると言っていたが、方針転換した可能性は残っている──とりあえずはこの部屋を使うと明言していた三人から疑うことにする。

 他二名は、余程有力な証拠が出てくれば考えれば良いだろう。


「で、三人がここを使っていた時間は……」


 レッスン室で流し聞きした会話を必死に思い返し、時系列順にメモ帳に並べていく。

 俺の記憶が正しければ、掃除のバイトを始めたのが午後五時頃。

 今の時刻が午後六時過ぎなので、一時間くらい前の出来事になる。


 俺は彼女たちと入れ替わる形で掃除を始めたので、彼女たち三人がこの休憩室を利用し始めた時刻も午後五時頃と考えて良いはずだ。

 練習の後にはシャワーくらいは浴びたかもしれないが、後に予定が詰まっている中でそこまでシャワーに時間をかけたとも思えない。

 割とすぐに、彼女たち三人は休憩室に向かったことになる。


 Xさんの話では、天沢茜の荷物を持って行ってあげるとか何とか言っていた。

 だから全体の流れとしては、長澤菜月とXさんが荷物を持ってトイレ前で待機し、天沢茜と合流して休憩室に向かったということになるだろうか。

 レッスンの疲労を取るためにも、しばらくはグダグダと休んでいたのだろう。


「だけどこの三人、休憩室の利用時間が違うんだよな。あくまで予定というか、あの時適当に言っていたことだろうけど……」


 確かXさんの発言だったと思うのだが、「まだ夕食には早いから、三十分くらい休んでからファミレスに行こう」という感じのことを言っていた。

 つまり、Xさんとその連れである長澤菜月はレッスンが終わった約三十分後────午後五時半過ぎくらいにはこの休憩室を出て、ファミレスに向かったのだ。


 一方で天沢茜は、一時間くらい休んでからジムに行く予定との話だった。

 ならば休憩室を出たのは恐らく、レッスン終わりから一時間経過した午後六時頃。

 俺がここに来た時刻が午後六時過ぎなので、タッチの差ですれ違ったことになる。


「……天沢茜が明確に休憩時間を一時間に決めていたのは、ジムの予約があったから、かな。午後六時十五分にはジムに行きます、みたいな感じで」


 メモ帳に書きながら、そんな推測を重ねる。

 証拠はないが、妥当な答えのように思えた。


 彼女がジムに向かった理由は、オーバートレーニングを防ぐためのアドバイスを貰うためだったはず。

 恐らく駅前の雛倉ジムとやらには、その手の相談を請け負うトレーナーやスポーツ医学の専門家が居て、話を聞いてくれるのだろう。


 天沢茜は、以前からそこに時刻を指定して予約を入れていたのだ。

 だからこそ、レッスン後に一時間だけは時間を潰さなくてはならないと分かっていた。

 だったらどこか別の場所に行くよりも、自由に使えるここで時間を潰した方が良いと思ったのだろう。


「……そうなると、この一時間くらいで起きたことを全部まとめると、こうなるのか」


 独り言を言いながら、俺は全てを羅列していく。

 時系列的には、下のような図となった。


『(午後五時過ぎ)天沢茜、長澤菜月、X、休憩室に入室

 →(午後五時半過ぎ?)長澤菜月、X、ファミレスに出発、休憩室退室、天沢茜のみ部屋に残る

 →(午後六時?)天沢茜、ジムに出発、休憩室退室、休憩室は無人に

 →(午後六時過ぎ)松原玲、休憩室入室、タブレット発見』


 話を列挙しただけだが、分かりやすくなった……気がする。

 実際これを見た途端、二、三個の仮説が浮かんだ。


「つまり、最後にこの部屋を出たのは天沢茜なんだな?……だったら、普通に考えれば」


 図に示した通り、長澤菜月とXさんが退室した時点では、まだ天沢茜は室内に残っている。

 目的地が違うので、そのまま居残る形になったのだ。


 だから仮に、このタブレットを置き忘れたのが長澤菜月やXさんだったのなら。

 部屋に残った天沢茜がすぐにその忘れ物に気が付いて、彼女たちを呼び止めたのではないか、という気がする。

 よっぽど不親切な人ではない限り、二人を追いかけて渡すだろう。


 一応、気が付いた時点では既に二人が遠くまで行っていて、追いかけることが出来なかったという可能性もある。

 だがこの二人の行先は事務所の目の前にあるファミレスで、そう遠い場所でも無い。

 同じ休憩室にしばらく居たのなら、互いのこれからの予定くらいは話した可能性もあるし──実際、Xさんの方は天沢茜の予定を知っていた──追いかけられないというのはちょっと考えにくいのだ。


 何らかの理由で──二人が夕食の場所を突発的に変えたとか──追いつけなかったにしても、その場合は天沢茜がこのタブレットを拾って置くだろう。

 持ち主に連絡を入れるにしても、生真面目に事務所に報告するにしても、放置するはずが無い。


 要するにこれが長澤菜月やXさんの忘れ物だった場合、俺がこれを発見するなんてことは起こり得ないのである。

 どう転んでも、天沢茜が対処するだろうから。


「だから、このタブレットは天沢茜の忘れ物で、俺が来るまで誰もその存在に気が付かなかった。そのために放置されたままだったという可能性が一番しっくりくる……けど」


 果たしてそんな風に言い切っていいのだろうか、という不安が瞬時に胸を刺した。

 確かに、この仮説は一見妥当ではあるが────可能性レベルで言えば、これが成り立たない仮説だって幾つも思い浮かぶ。


 例えばこの休憩室に居る間、疲労した天沢茜がずっと眠っていたらどうだろうか。

 彼女は約一時間眠り続け、他の二人が休憩室を立ち去ったことにも気が付かなかったとしたら?


 この場合、予約時間ギリギリになって飛び起きた天沢茜が、周囲の様子に全く気を払わずに慌てて目的地に向かう、なんて流れにもなり得る。

 長澤菜月やXさんが忘れ物をしていたとしても、慌てていた天沢茜がそれに気がつかずに立ち去ってしまったという可能性は考えられなくはない訳だ。

 仮に眠っていなかったにしても、何か別のことに集中していて、天沢茜が会議机の方に寄り付かなかったパターンも有り得るかもしれない。


 要するにまだ、このタブレットが天沢茜の物だとは断言できない。

 はっきり言って、証拠が足りない。

 もっと「絶対にこの人の物だ」と断言出来る証拠がなければ、渡しに行くことは出来ないのだ。


「でも状況証拠だけで言えば、もう推測出来るようなことはないんだよな……第一、彼女たちがここでどういう過ごし方をしたのか、全く分かっていないし」


 考えに詰まってしまい、俺はわしゃわしゃと自分の頭を掻いた。

 仕方なく、別の事も考えようとする。


「後は、このタブレットの使い方とかだけど……いや、そもそも」


 そこまで呟いてからふと、俺は視線をプロジェクターの方に戻した。

 タブレットの様子を確認するためにコードを引き抜いたので、タブレットと接続されていたプロジェクターは本来の形のまま放置されている。


 このプロジェクターに関しては、流石にこの部屋の備品で間違いないだろう。

 いくら何でも、プロジェクターが忘れ物ということは無い。


 だから、問題となるのは別の一点。

 一体、何故────。


「何でこのタブレットの持ち主は、プロジェクターなんて使っていたんだ?休憩時間が三十分か、一時間か知らないが……スクリーンに映さないといけないような、何かがあったのか?」


 今までとは、やや違った疑問。

 誰がタブレットを使っていたかというより、そもそもそのタブレットをどんな風に使っていたのか。

 思い返してみれば、その点もまだ分かっていない。


「普通はそんな、プロジェクターを使う用事なんて中々無いよな……まさか、休憩時間中にプレゼンテーションを始めた訳じゃないだろうし」


 疑問が次々と湧いてきて、俺は思わずプロジェクターを凝視してしまう。

 こう考えてみると、何故プロジェクターが使用されていたかというのはかなりの疑問だ。

 下手すると、タブレットの持ち主が誰かという疑問よりも謎かもしれない。


 ──映画でも読み込んで、スクリーンで見るとか?いやでも、一時間も無い休憩時間にすることか?そもそも、このタブレットのままでも十分……画像を見るにしても、わざわざスクリーンに映さなくてもいいだろうし……。


 もう一度、タブレットに視線を戻す。

 タブレット端末を名乗るだけあって、これは画面が大きい。


 三人で共有したい動画や写真が何かあったとしても、これに映し出せばそれで済むだろう。

 わざわざプロジェクターを使う理由が無い。

 どう考えても、プロジェクターに接続する段階が面倒くさすぎる。


「逆に言えば、このタブレットの持ち主には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということだよな?大画面で映さないと意味が無い、何かがあった……?」


 突然の閃きに、思考が二つに分かれたのを自覚した。

 一つは単純に、困惑。

 大して長くも無い休憩時間を費やす「何らかの理由」とは一体何なんだ、という感情だった。


 そしてもう一つは、直感。

 ある種の勘だが、思ったのだ。

 もしかするとその理由と言うのが、このタブレットの持ち主を断定する証拠になるのではないか、と。


「……わざわざプロジェクターを使った理由さえ分かれば、連鎖的に持ち主も分からないかな、これ。『この理由で行動するのはこの人しかいない』みたいなノリで。動機と犯人の正体が直結するって言うのは、それこそミステリあるあるだし」


 そう考えて、俺は唸った。

 何かないか何かないかと頭の中を引っ掻き回し、プロジェクターを使用した理由を考察する。


 道具を使う理由なんて人それぞれなので、もしかすると無駄な努力かもしれないが、正直これ以外に謎を解くとっかかりが無い。

 何か一つでも、「確かにこの目的のためにはプロジェクターを使うしかないな」という理由を見つければ、それだけで推理は大きく前進する……気がする。


 だから、その試みを、二、三分続けて────。


「……駄目だ、全然分からん」


 その二、三分で、俺は白旗を挙げた。

 全く想像もつかない。

 正直ここについて考えるよりも、他の証拠を探した方が有益な気がする。


 ──タイムリミットもあるし、他の証拠を探そうか。痕跡とか、もう一つ忘れ物をしていないかとか……。


 望み薄だと思いつつ、おれはそちらに方針転換した。

 素早く、ソファや机などの周囲の様子を伺う。


 何も見つからないだろうな、ということは分かっていた。

 タブレットという大きな忘れ物をしているからと言って、他の忘れ物をしている可能性は低い。

 一個だけならともかく、部屋を出るだけで二個も三個も忘れ物をするというのは、かなりの粗忽者じゃないと有り得ないだろう。


「当然……何も無いな」


 案の定、周囲を丁寧に見渡しても気になるものは特に無かった。

 分かったことと言えば、この部屋は大して使われてない割にちゃんと掃除されている──埃などが殆ど無かった。定期的に業者が掃除しているらしい──ということだけである。


「収穫なしか……そろそろ、時間がやばいな」


 メモ帳のアプリを起動したままになっている自分のスマートフォンを見つめ、そう呟く。

 そろそろ、推理を始めて十分強が経過していた。


 ジムに赴いている天沢茜はともかく、残り二人の方はそろそろ食事を終えようとしている可能性がある。

 何なら、もう全て終わって家に帰っているかもしれない。

 もしこれでタブレットの持ち主が長澤菜月やXさんだった場合、俺は彼女たちの家を知らないので、返しに行くことは出来なくなる。


「何か、何かないか……個人を特定できる証拠、謎を解く鍵は」


 そう呟きながら、俺がメモ帳の画面をスクロールしようとして。


 ────不意に、ミスった。


 何のことは無い、単純なミスだ。

 指の置き場所を間違え、画面上の変なところを触ってしまったのである。

 メモ帳を表示していた画面が一気に切り替わり、何故かカメラのアプリが起動した。


 しかもそのカメラの向きというのが、内向きになっていたのだから敵わない。

 しかめっ面をしている自分の表情がデカデカと画面上に現れ、俺は思わず「うわっ」と声を上げた。


「心臓に悪いな、おい……」


 誰も見てはいないが、何となく恥ずかしくなった俺はそう溢す。

 ただでさえ時間が無いのに、変な動作で時間を喰ってしまった。


 だから俺は、素早くカメラアプリを閉じるために指を動かそうとして。

 ……動かそうと、して。




「……え?」




 その瞬間、何の前触れもなく。

 一つの推理が俺の頭の中に降りてきた。

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