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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Extra Stage-α:ボヌールの醜聞

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夜の沈黙を仰ぐ時

 ……概ねこのような経緯で、俺は実に奇妙な状況に突然放り込まれた。

 正確には、既にそんなところに放り込まれていたことに、この時になってやっと気が付いた訳だが。

 そして、そのことに呆然としてしまい、姉さんに抗議の一つも出来なかった訳だが。


 とりあえず、その後のことを話そう。

 俺を置き去りにしてでも、この話は進んだのだから。




「……ま、つまりはそういうことだ。集合時刻と場所は今メールで送ったから、それに従ってくれ」

「え、あ、うん」

「じゃあ、後のことは……よきにはからえ」


 最後にやや芝居がかった口調でそんなことを言ってから、姉さんは俺を執務室から放り出した。

 伝えることは伝えた、後は頑張れ、ということだろう。

 毎度のことながら、この人の行動はボヌール社員らしく「爆速」である。


「……しかし、とんでもないこと引き受けちゃったな……いやまあ、実際のところ犯人が現れる可能性の方が低いだろうけど」


 結果、俺はぶつくさ言いながらボヌールの廊下を歩く。

 それから、「あ、このことについてボヌール内では言わない方が良いか」と思い出して、自ら口を閉じた。


 脅迫状を送った犯人についてはともかく、ボヌール内に居るかもしれない内通者については、姉さんや氷川さん以外とは話さない方が良い。

 どこで、内通者本人に聞かれているか分からないのだから。

 姉さんが周囲の社員を疑っているとばれたら、後が面倒になる。


 自然、俺は必要以上に口を固く閉じながら、事務室の方までテクテクと歩いて行く。

 頭を整理したかったこともあり、可能ならさっさと帰りたかったのだが、生憎と篠原さんにバイトが終わったという報告を入れていない。

 タイムカード代わりに、俺はボヌールを去る前に篠原さんに終了の報告をするのが日課だった。


 姉さんとごたごた話をしていて、この報告をまだしていなかった。

 流石に、先程の会話は時給に含める訳にもいかないので、その辺りの説明もしなくてはならない。

 そう考えて、俺は相も変わらず忙しく働いている篠原さんに話しかけ────。


「……あ、松原君。丁度良かった!」


 その先で、実に明るい口調で声をかけられることとなった。

 本当に今日は、何かと「丁度良かった」と言われる日である。

 そんなに、俺に対する予定というのは渋滞しているのだろうか。




「……どうしたんですか、篠原さん。何か用事でもありましたか?」


 ちょっと驚きつつ、一応反応を返す。

 すると、篠原さんは「そうですよ?ちょっと探してたんです」と返事をした。

 さらに、ゴソゴソと自分の机の隣に置いてある荷物を漁り始める。


 ──何だ?


 その様子を見ながら、俺は純粋に疑問に思う。

 何か、俺に渡す物でもあるのだろうか。

 普段、そんなことは無かったのだが。


 そんなことを考えながら待っていると、彼女はやがて目的の物を見つけたらしく、あったあった、と言いつつ何かを取り出す。

 それを見て、俺はつい声を出した。


「あれ、それ、タブレット……?」


 篠原さんが手にしているそれは、実に見慣れた外観をしている。

 すなわち、前々から話に聞いていた、アイドルや社員に渡しているというタブレット端末だ。

 その一つを取り出して、篠原さんは口を開く。


「はい、そうです。……因みに松原君、ウチの社員や所属アイドルがボヌールの方からこういうのを渡しているのを知っていますか?連絡用に使っている物なんですけど」

「まあ、それは知ってますけど」


 何なら、俺はこのバイトを始めてから、一番最初に知ったことかもしれない。

 最初に長澤のタブレットを、次に天沢のタブレットを見つけたところから、俺とグラジオラスメンバーの縁は始まったのだから。

 置き忘れの一件において、切っ掛けとなった小道具である。


 そのタブレットが、なぜ今の俺に関わるのか。

 そう考えて俺が篠原さんを見つめると、すぐに説明が入った。


「実を言うと、そのタブレットの所持状況というか、余っている台数が最近変わったんです。丁度、一台空いてまして……社員が一人、急に辞めたものですから」

「……はあ」


 誰だろう、と一瞬思ったが、すぐに月野羽衣関連の社員さんかな、と当たりを付ける。

 あの騒動は、傍から見ても中々の物だった。

 ただのバイトである俺としてはよく分からないが、辞表を出さざるを得なくなった人も居るのかもしれない。


「普通なら、また別の社員や所属アイドルが来るまで、こういう機材は初期化して取っておくんですけど……勿体ないでしょう?普通に使えるのに、遊ばせておくなんて」

「まあ、そうですね」


 分かる理屈だったので、一つ頷く。

 すると、篠原さんは頷き返して、続いてこんなことを告げた。


「そこで提案なんですけど……実はこのタブレット、松原君に預けようと思っているんです。松原君さえよかったら、使っていただけますか?」

「……え、貸してくれるってことですか?それ、良いんですか!?」


 かなり驚いて、俺は大きな声を出してしまう。

 瞬間、事務室中の視線が俺に集中した。


 元々何かと忙しない事務所なのだが、悪目立ちしてしまった。

 慌てて、俺は周囲に頭を下げる。

 それを自ら戒めてから、俺は改めて疑問を呈した。


「……ええと、俺が言うのもアレですけど、バイトに貸す物なんですか、それ?だってそのタブレットの通信料とか、事務所持ちになっちゃうでしょう?事務所名義の端末なんですし」

「まあそうなんですけど、元々社員には全員渡している物ですし……貸さない理由も無いかな、と。さっきも言ったように、貸さなくてもどうせ保管はしますから、定額の通信料はかかっちゃいますしね」


 それを聞いて、確かに、と思う。

 契約が持続する以上、利用者が居なくても通信料を一定額払わなければならない。

 だったら、誰かに使わせた方が得、ということだ。


 果たして、掃除のバイトにこんな端末がどのくらい必要かは甚だ疑問だが。

 まあ、死蔵よりはマシということか。


「ええとじゃあ、また何か書類を書いたり、パスワード決めたりするんですか?」

「そうですね、貸出証は書いていただきます。ただ、もう設定とかはセットアップしているので、後はご自由に使っていただいて結構です。今やっているバイトの終了報告も、これを使ってしてくれればいいですし……入れるアプリなども、好きにどうぞ?」


 そう言いながら、いつかのように篠原さんは書類を差し出す。

 断る理由も無い俺は、それを黙々と書いていくのだった。




 ……こうして、一つの無茶振りと、一つの嬉しいプレゼントをもらいながら、この日の俺のバイトは終わることになった。

 振り返ってみても、色々ありすぎた日である。

 古い知り合いに十年ぶりに再会し、さらに無料でタブレットを貸してもらい、と地味に影響のあることが多かった。


 ただ、最後に起きたことが結構嬉しいことだったので、俺の最終的な印象としては「今日は良い日だったな」という感じになっていた。

 事務所のタブレットを自由に使って良いというのは、自前のスマートフォンの通信速度制限に悩むことの多い一般高校生としては、結構朗報だったのである。

 無論、姉さんからの無茶振りのとんでもなさを打ち消せるほどでは無かったが……その日は意味も無く、タブレットを無駄遣いしてしまった。


 尤も、このタブレットが天沢の時と同様、俺に事件を運んでくるというのは、この時には知らなかったが。




 ────そんなことをやっている内に、瞬く間に時間は過ぎて。


 あっという間に、夏休みまでの時間は過ぎた。

 あっという間も何も、姉さんの電話があったので終業式の約一週間前の出来事だったので、短く感じられるのは当然の話なのだが、それにしても短かった。


 その短い期間に俺が行ったことと言えば、実に平凡な物である。

 良くも悪くもなかった定期テストの結果を受け取り、「5」と「4」と「3」が均等に並ぶ通信簿を受け取り。

 さらに、あまり多くない友達とまた夏休み明けに遊ぼう、と口約束をして家に戻って、宿題として渡されたテキストを、適当に机に並べた。


 こうして、夏休みに突入した訳である。

 恐らく、全国の高校生の夏休みの中でも、平均値となるような夏休みの入り方だろう。


 さて、では次に、夏休みに入った瞬間からは、何をしたか。

 多分、普通の高校生なら、ここでどこかに遊びに行ったり、ゴロゴロ過ごすのが普通なのだろう。

 或いは、滅茶苦茶真面目な人でも、宿題を解くとか、塾に行くとか。


 しかし、当然ながら俺は違う。

 俺の場合、ここから先は平均値から外れ値にならざるを得ない。

 何せ、夕方の六時くらいには布団を引いて、すやすやと寝始めたのだから。


 何か、こう書くと俺が物凄く睡眠が好きな人のように思えるかもしれないが、仕方が無いのだ。

 姉さんに渡されたスケジュール表では、集合時刻と場所は、「午前二時半にボヌール前」となっている。


 ロケの内容が日の出を見る、ということになっている以上、それに引きずられる形で集合時刻が異様に早いのである。

 こんな時間に未成年のアイドルや高校生バイトが働くのはダメなはずなのだが、果たしてどうやっているのやら。


 しかも、ロケ地の麓で現地集合するらしい撮影スタッフとは違い、俺の場合は移動時間も考慮しなくてはならない。

 毎度のように自転車でボヌール前に行く都合上、三十分はかかってしまう。


 必然的に俺が起床する時刻というのは、午前一時半くらいになった。

 故に、それに合わせた寝だめが必要なのだ。


 ──しかし、夏休み初日からやることが日の出の鑑賞っていうのも、前向きなんだか異常なんだか……。


 そんなことを考えながら、俺は夏故に滅茶苦茶明るい陽射しを避けて、何とか眠りについたのだった。






 そうやって苦労しつつ眠ってから、およそ八時間後。






「あー……夏なのにちょっと肌寒いってのは、何か変な感じ」


 誰もいないのを良いことに、俺は独り言を言いながら夜の街を自転車で疾走する。


 外が明るいせいか、浅い眠りに留まりながらも何とか起きたのが三十分前。

 虫よけスプレーをこれでもか、と肌に吹きかけてから外に出たのが、二十分前のことだった。

 そろそろ、ボヌールの建物が見えてくるくらいの位置まで来ている。


 ──しっかし静かだな……偶に、時間を間違えた蝉が鳴いているくらいか。


 少なくとも集合時刻には余裕で間に合いそうだ、と察した俺は、ゆっくりとペダルを漕ぎながら、何となくそんなことを考える。

 実際、この時間帯の外の様子というのは、極めて落ち着いた物だった。

 そもそも、普段なら道路を埋め尽くしている車の姿が、車道に殆ど存在していない。


 ボヌールのある駅前方面──つまり、この辺りでも建物が密集しているエリア──に向かっているので、街灯などはしっかりと設置されているが、それ以外の明かりは乏しかった。

 信号に至っては、位置によっては夜間特有の点滅状態になっている。


 ──夜に外に出ると、普段見慣れたはずの道すら別の物に見えるのは何なんだろうな……。


 進路を阻む物が一切無い道路を駆けながら、そう考える。

 これまでこんな時間に外出したことは殆ど無かったので、思わず深夜の街の様子をじっくりと観察してしまった。


 何ということは無い、東京の端にある映玖市(うつくし)の、駅に近くにある街。

 それすらも、どういう訳か不思議な魅力がある場所に見える。

 明かりが無いというのは、それだけでこうも印象を変えるのか。


 ──まあ単純に、俺が深夜の外出ってことでテンションが上がっているだけかもしれないけどさ。


 最後に、そんなつまらない現実的な推理を働かせて、俺はただ無心に自転車を走らせる。

 あんまりにも一か所に留まっていると、深夜徘徊と勘違いされて警察に肩を叩かれる恐れもあった。

 その時は姉さんの名刺を見せるように言われていたが、揉め事にならないに越したことはない。


 そうやって、ギイギイと鳴る自転車を転がして。

 ボヌールの駐輪場にまで辿り着いたのは、さらに五分後の事だった。


 その上で様子を見てみると、ボヌールの正面には社用車が置かれてある。

 既に、迎えの人が来ているらしい。


 あんまり待たせても悪いと感じた俺は、自転車を停めてすぐ、そちらに小走りで駆け寄る。

 集合時刻には少し早いが、早いところ乗った方が向こうも助かるだろう。

 そう思って、俺はすぐに、車の助手席側の窓を何度かノックした。


「あの……すいません、碓水(うすい)マネージャーですか?」


 事前に聞かされていた名前を呼びかけ、確認とする。

 姉さんから、前もって聞いていたのだ。

 この時刻にボヌールに来れば、碓水という名前のグラジオラスのマネージャーがここに待機している、と。


 果たして、俺のノックに合わせるようにして、スモークがたかれていた窓がウィーン、と音を立てて開けられる。

 そこから、運転席に座る地味目な女性の姿が見えた。

 同時に、ボソボソと響く返答も。


「……はい、そうです。そちらは、松原プロデューサー補の?」

「はい、松原玲です。今回の撮影に、同行するように言われまして」


 互いに微妙に堅苦しく言い合うと、碓水さんの方が助手席の扉の方をじっと見た。

 開けて乗れ、ということらしい。

 自然、俺は「失礼します」と断りながら、社用車の助手席に座った。


「……シートベルト、締めてください。やや早いですが、メンバーの迎えに行ってからロケ地に向かいますから」

「ええ、聞いてます。確か、天沢の家ですよね」

「……」


 無言の返事だったので一瞬不安になったが、横顔を見る限り間違ってはいないらしい。

 特に否定することもなく、無表情で彼女は前を見ている。


 肯定している、ということなのだろうか。

 正直、怖いので言葉に出して欲しいのだが、どうもこういう性格らしい。


 ──姉さんからもちょっと聞いてたけど、無口な人なんだな、この人……。グラジオラスメンバーとあんまり仲が良くない、とは言ってたけど。


 まあ、アイドル相手ならともかく、ただのバイトである俺に愛想を振りまく必要は全く無いので、そこまでおかしな対応でも無いのだが、それにしても仏頂面が過ぎる。

 何というか、鏡辺りとは性格が合わなさそうな人だった。

 この辺が、仲は良くないという理由なのだろうか。


 ──俺は大丈夫だけど……車の中で二人きり、となると変に気まずいな、これ。


 先程までの夜の街の静かさは好きだが、人間の静かさは気を遣うので好きではない。

 そんなことを考えているうちに、車がゆっくりと発進する。


 どうやら俺の夏休み初日は、この沈黙を振り払うところから始まるようだった。

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