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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Extra Stage-α:ボヌールの醜聞
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Prologue/「日常の謎」に対する一考察

 昔、俺は従兄弟に、とある質問をされたことがある。

 とても基礎的で、同時にとても本質的な。

 そんな、印象に残る質問を。


 質問の切っ掛けは、何だっただろうか。

 確か、彼の持っていた本の、帯に載っていた文言が端緒だったと思う。

 記憶が正しければ、それはこんな感じの謳い文句だったはずだ。


「待望の新作ミステリついに登場、『日常の謎』の世界へようこそ────」


 今思えば、コピーライターには悪いが、陳腐にも思えるキャッチコピー。

 俺の影響か、推理小説を好んで読むようになっていた彼が、近くの図書館から借りてきた本の謳い文句。


 それを見て、俺は聞かれたのだ。

 物凄く、純粋な瞳で。

 こんな風に。




「……ねえ、葉兄ちゃん」


「この、『日常の謎』って……何なの?」




 彼がそんな質問をしたのは、何ということは無い。

 単なる、好奇心だった。

 というか、単純に意味を知らなかったのだろう。


 この言葉の定義について、俺がどう答えるのか知りたいな、というだけの質問。

 これからその本を読むにあたって、前提くらいは知っておきたい、という生真面目なスタンス。

 ただ、それだけだった。


 要するに質問する側としては、大して大事なことだと思っていなかった、ということである。

 本当に、何の気なしに聞いただけで。


 だけど、会話というのは分からないもので。

 この質問をされた俺は、まあまあ困ってしまった。

 あれ、意外とのこの質問、簡潔に答えるのが難しいぞ、と思って。


 確か、二、三分はその場で考え込んだだろうか。

 そして、散々迷ってから、こう告げたと思う。


「ミステリのジャンルの一つで……犯罪とかじゃない、日常生活の中で生まれる謎を扱った作品って言えば、間違いではないかな。誰でも経験するような、凄く小さな、ちょっとした疑問を、名探偵が論理的に解決してくれる話だ」


 そう言ってから、少し自信が無くなってしまって、俺は勘だけど、と語尾に付け足した。

 普段、勘を言い訳にすることなんて、無かったのに。


 しかし実際、この説明が、話している俺としても自信を持てない物だったのも事実だった。

 というのも、一見してパッと目につくレベルで、この俺の言葉には幾つもの間違いが含まれてしまっている。


 例えば「犯罪とかじゃない」というのは、厳密には誤りだ。

 この手の作品は、話の内容によっては、脅迫や窃盗、過去の殺人事件なども謎解きに関わってくることがある。

 犯罪絡みであっても、「日常の謎」に含まれることは、多々ある訳だ。


 また「誰でも経験するような」というのも、ちょっと言い過ぎだろう。

 日常、と名前の付いている割に、「日常の謎」のような出来事は世の中そうそう起きない。

 小説のように謎の多い日常生活を送る人なんて、そんなに居ないのだ、普通は。


 もっと言ってしまえば「名探偵が論理的に解決してくれる」ということすら、正解とは言えない。

 というのも、作品によっては明確な探偵役が登場せず、登場人物たちがめいめい自分で真相に気がつく、みたいな話とか、登場人物は全く真相を分かっていないけど、読者にだけは真相が分かる、みたいな話もあるからだ。

 探偵が出ずとも、こういう作品は存在し得るのである。


 要するに、この時の俺の説明は、数多に存在する例外の作品たちを認めていない、瑕疵の多いものだった。

 割と、ふわっとした説明だったと言っても良い。

 それを自覚していたからこそ、俺も自信を持てなかったのである。


 ……さて、ではそんな説明を聞いてから。

 質問者である俺の従兄弟は、どうしたか?


 当たり前だが、流石にその場で俺の間違いをあげつらったりはしなかった。

 何せ、俺も従兄弟もまだ幼い。

 多分、「ふーん?」と言われて終わりだったんだろう。


 だけど、ほんの少しだけ。

 不満そうというか────()()()()()()()()()()、とでも言いたげな顔をしていたのは、よく覚えている。

 まるで、もうちょっと聞きたいことがあるけど、言葉にしにくいから聞かないでおこう、とでも言うような。


 振り返ってみれば、あの時の従兄弟は、「日常」という単語を聞いた瞬間に、その顔をしていたように思う。

 まあ、結局は口には出されなかったので、すぐに忘れてしまったようだったけれど。


 故に、これは俺と従兄弟の、ありふれた思い出にしかならなかった。

 そのちょっと後には、従兄弟はこんな会話など全て忘れて、カブトムシ取りや川遊びに向かい。

 俺の方も、似たようなことに夢中になって、この会話を掘り起こすようなことはしなかった。




 ────ただ、大分後になって。


 俺が、もう少し大きくなった頃。

 そして諸々の事情で、高校生でありながらも探偵という存在に関わることを繰り返すようになった頃。

 俺は何度か、この時の会話を思い起こすようになった。


 そして、それを思い返すたびに。

 俺は、この時の自分が、すぐに会話を打ち切ってしまった事を、後悔するようにもなっていた。

 端的に言えば、もう少しだけ、二人で話し合って置けば良かったな、と思うようになったのだ。


 その話し合いたかったことというのは、実に簡単なことである。

 あの時、従兄弟がきっと聞きたかったであろうこと。

 俺の説明を、その中の「日常」という単語を聞けば、当然思い浮かぶであろう疑問。


 そんな、ごく当たり前のことを。

 俺は、彼と話し合い忘れた。

 彼はきっと、こう聞きたかっただろうに。


「そもそも……その日常って、()()()()()()()()()()()?」


 もし、あの時。

 俺がこの疑問をぶつけられていたら。


 俺は果たして、どんな返答をしただろうか。

 俺の勘は、何を答えただろうか。






 にちじょう。


 ニチジョウ。


 そして、日常。


 毎日の「日」と、常識の「常」。

 毎日繰り返される、普段の生活を意味する日本語だ。


 こんな言葉が最初にくっついている物だから、「日常の謎」と言われると、多くの人は、常識的な生活の中で発見した謎についてのことだと解釈するのだろう。

 この辺りは、当時の俺も例外ではない。


 そして続いて、その単語を口にした人々は、きっと。

 その常識的な生活というのを、「誰でも体験することだ」と理解する。

 読んでいる自分の周囲に満ちている、ありふれた話なのだ、と。


 俺自身、そう言ってしまったように、

 この作品の中で出てくる話は、自分たちの日常の寄り添った話に違いない、と思い込むのだ。


 しかし──屁理屈を承知で言えば──その理解は誤っている。

 ある人物の「日常」なんて物は、決して普遍的な存在にはなれない。

 ほんの少し前提を変えるだけで、それはひっくり返るのだから。


 簡単な例を挙げれば、国だろうか。

 それこそ()()()な知識だと思うのだが────日本人の「日常」と外国人の「日常」は、比べるまでも無く大きく違う。


 例えば、ある国では普通に行われていることでも、他の国では禁忌のこと。

 或いは、ある国では忌み嫌われていても、他の国では崇められている物。


 そんな物、この世にはたくさんあることだろう。

 大前提となる常識や法律が違うのだから、当然だが。


 外国の例では分かりにくいというのなら、都道府県はどうだろうか。

 都道府県を一つ越えるだけでも、「日常」は変わる。

 そういうのは、日本でも理解しやすい話だと思う。


 ある県では通じる方言も、他の県で全く通じない。

 とある県では毎日のように食べている物も、別の県では名前すら知らない。


 こんな話は、豆知識としてよく聞く話だ。

 もっと言ってしまえば、県民性や、ローカルな文化と言った目に見えない物まで含めると、常識の違いはさらに存在することだろう。

 同じ日本国内ですら、各個人で「日常」に差はあるのである。


 いや、極端なことを言えば。

 同じ国の、同じ都道府県で、同じ都市内の同じ地域、そして同じ家に住んでいたとしても。

 それでも、「日常」は異なる。


 例え家族であろうが、自分と全く同じ「日常」を過ごす人物なんて、基本的に存在しない。

 当たり前のことだ。

 自分と他人は、違う物なのだから。


 必然的に、自分の「日常」は、どこまで言っても自分だけの物である。

 或いは、時と場合によって変わる物、と言ってもいいかもしれない。

 身も蓋も無いが、所詮は自分の主観の産物なのだ、これは。


 このことを考慮するならば────つまり、「日常とは主観的な概念である」という前提を理解するのであれば。

 この「日常の謎」という単語は、実に奇妙な物になる。

 だって、本当に「日常」で発生する謎であるというのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 極端な例を挙げれば、主人公を紛争地帯で激戦を繰り広げる軍人にしたならば、その人にとっての「日常の謎」は、バンバン人を撃ち殺しながら経験する謎になることだろう。

 敵軍の動きが早すぎる、何故だ、みたいな。

 多分、それを題材にした作品の場合、そこらの本格推理小説よりも死者が多くなるのではないだろうか。


 もう少しマイルドに、主人公を警視庁捜査一課に所属する刑事にしても、「日常の謎」は随分と血生臭くなる。

 何せ、彼らにとっては殺人事件の解決こそ「日常」である。

 この理屈を使えば、全ての警察小説は「日常の謎」の一つだ、と言い張ることも可能かもしれない。


 殺人事件にせよ、もっと凄いことにせよ。

 ある人にとっては「日常」でないだけで、別の人にとっては「日常」である。

 そう言う意味では、「日常の謎」が殺人事件などではない事象に()()()()限定されているのは、かなり不思議なことに思えてくる。


 現代日本では、確かに殺人事件というのは珍しい。

 まず間違いなく、一生の内一度も経験しないまま死んでいく人の方が、数的には多い。


 しかし逆に言えば、少ないだけで、そう言う事件は確かに起こっている。

 体験していない人が多いというだけで、確かに経験者は存在する。

 嫌な言い方をすれば、殺人事件というのは、この世界の「日常」における一つの構成要素であるはずなのだ。


 だから、特定の個人が、殺人事件のような珍しいことを経験したからと言って、そのことが現実的じゃない、日常的じゃないなんて、本来なら誰にも言えない。

 地球上の誰かは、そんなことだって「日常」にしているのかもしれないのだから。




 こうして、屁理屈を並べて見ると改めて分かるのだが。

 従兄弟があの時聞きたかったであろうその疑問に、俺は答えを持たない。

 彼が言っていた、「日常の謎」に対して、普遍的な定義を与えられない。


 往々にして、「日常の謎」は、主人公にとっての「日常」でしかないのだから。

 つまり、作者の加減と主観でいくらでも変化してしまう訳で────はっきりとした、これこそが「日常」です、みたいな設定は無きに等しい。


 分かりやすく言えば、ケースバイケース、ということだ。

 どんなものであろうと、強弁すれば「日常の謎」に内包させることが出来る。

 だって、「日常」とは、そういう物なのだから。


 しかし、ああ、それにしても。

 にちじょう、ニチジョウ、「日常」、か。


 この二文字には、本当に。

 如何ほどの傲慢が、潜んでいるのだろう。

 真剣に考えれば考える程、ちょっと怖くなってしまう。




 ……ぐだぐだと述べてきたが、何が言いたいのかと言えば。

 これから俺が記述していくことになるボヌールの醜聞は、極めて奇妙な出来事ではありながら、それでも確かに「日常の謎」だった、ということである。


 この一件では、警察が出てくる。

 大規模でこそないが、火事も起きる。

 先述した俺の従兄弟────松原玲に至っては、警察に犯人と疑われ、任意とは言え厳しい事情聴取までされた。


 このどれもが、現代日本では、中々体験しない話だ。

 一度経験するだけでも、トラウマになるかもしれない。

 そのくらいの衝撃がある。


 だけど、それでも。

 玲にとっては、これは「日常」だった。

 そして、彼の解いたこの謎は、「日常の謎」なのだ。


 バイトとはいえ、芸能界に関わった以上。

 彼はこれらの日々の中で生きているのだから。

 彼も、そして()()も、既にこれが「日常」とされる世界に居るのだ。


 だから、何度でも言う。

 これから語る一件は、疑いようもない「日常の謎」である。

 厳密な定義も無いその概念に、しっかりと含まれてしまっているエピソード。


 これは彼が、「日常の謎」に挑む話だ。

 そして彼女が、「日常の謎」を終わらせる話だ。


 各々の形で、彼と彼女は────他の誰とも共有できない、自身の「日常」と戦ったのだ。




 <相川葉の記録より>

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 日常が気になるなら"謎"もなんなのか、気になりますね
[良い点] 久しぶりの相川くんの前語り良いですね! 気になる煽りに、めちゃめちゃ楽しみです!
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