設定 或いは偽装
「このお店に入ってきても尚、彼女が変装を解かなかったのは、順当に考えればそう頼まれていたからだろうね」
「出来るだけ今日中は、その誰とも判別がつかないような厚着姿のままでいて欲しい、という風に」
「今の時代、芸能人っぽい人の写真というのはすぐに拡散される」
「つまり、『さっき走り去っていった出演者っぽい人が、何故かfraiseに居るぞ』という話がネット上に広まれば、会場の近くに居るファンがこちらに引き寄せられる、ということも有り得る。その辺りの効果を狙ったのかな」
「それこそ、車を降りてからこのお店に入るまでは、この近くをウロウロする、なんてこともしたのかもね。その方が、噂にされやすいし、本物の凛音を隠しやすい。だからこそ、彼女は私たちよりも先に会場から出て行ったのに、私たちの後でこのお店に来たんだ」
「まあ何にせよ、そう言ったファン相手の攪乱目的に、彼女はこのお店に来た。丁度客の数も少なく、名殆ど並ばなくて良かったのは僥倖だっただろうね」
「ああそれと、影武者の行先としてこのお店が選ばれたのは、公演会場の近くにあるお店で、特に有名なのがここだからだ」
「知名度があって、公演を見に来た人──影武者のことも目撃してそうで、拡散しそうな人──が立ち寄りそうなお店と言ったら、この辺りではこのお店が一番的確だ。実際、私たちはそうしている」
「だからこそ、ここに来たんだろう」
「……尤も、その影武者仕事に集中しすぎたのか、君たちの予定や連絡については、忘れてしまったみたいだけどね。君たちの話によれば、一度仕事に集中してしまうと、それ以外のことが目に入らなくなる側面もあるようだし」
「それに、先程言ったように影武者のことは広めたくなかったから、言いたくとも言えなかった、という線も有り得るかな」
「故に、君たちとは会話せず、彼女は厚着のせいで視線を集めながらも、ケーキを注文することになった」
そこまで一気に言い切ってから、葉さんはふう、と間を置いた。
それから、元々彼が頼んでいたジュースを軽く飲む。
流石に、喉が乾いたらしい。
「因みに、今のところまでで、何か質問ある?私は先に……彼、から真相を聞いていたから何とかついていけるけど、貴女たちは初めて聞くことばかりでしょう?」
その隙をつくようにして、唯さんが私たちに水を向けた。
さっきから思っていたけど、この人は初対面の私たちにも何かと気を遣ってくれている。
この質問も、私たちに配慮しての物であることは明らかだった。
──会話とか立ち位置とかに対して、物凄く丁寧な人だな……。
推理の内容よりも先に、私はそこに感心してしまう。
その間に、奏さんが返事をした。
「あ、ええと、私は質問とかは大丈夫です。寧ろ、今の話を聞いて、腑に落ちる点がたくさんあったくらいで……」
「あら、そうなの?」
「はい。その、凛音先輩の影武者に選ばれた理由も、ちょっと想像つきますし」
そう言って、奏さんは私の方をチラリと見る。
彼女の意図を察して、私は一度、頷いた。
自分も質問は無いし、細かな質問をする気は無い、という意味も込めて。
……未だに一般に公開している情報ではないので、葉さんたちに説明する訳にはいかない。
だけど私たちには、この影武者の話が桜さんに持ちかけられた理由は、おおよそ察することが出来る。
まず間違いなく、先日決定した、「ライジングタイム」の新コーナーが理由なのだろう。
凛音先輩との共演が決まった、あの番組。
あのコーナーのゲストに私たちが決定するまでの交渉には、制作会社やボヌール関係者、凛音先輩サイドの人も交えて、何度も話し合いが行われたと聞いている。
譲歩したり、逆に強引に行ってみたり、色々と努力があったようだ。
恐らく、そうやって引き出された譲歩案──というか、凛音先輩サイドから行われた提案──が、今回の影武者作戦なのだろう。
グラジオラスをゲストとして推薦することに同意する代わりに、これからの凛音先輩の影武者をグラジオラスにも引き受けて欲しい、みたいな。
そんな提案の末、桜さんに白羽の矢が立ったのだ。
体格的に、グラジオラスメンバーの中で凛音先輩の影武者になれそうな人は、桜さんだけだから。
凛音先輩も、桜さんもかなり背が高いので、私含めた他の四人では身長が足りない。
仮定は想像で埋めたけれど、概ねこういった取引の結果として、今日の行動があった、という訳だ。
そう考えられたからこそ、影武者説というのは私たちとしては結構受け入れやすい仮説だった。
意外と納得できる、というか。
また、桜さんが「fraise」に入店してからも変装を続けたことに関しては、私たちに言わせれば別の視点からも腑に落ちる。
というのは、先述したように桜さんは元々モデルとしてそれなりに知られていた人で、あのレベルの厚着でなければ、普段から軽い変装はしていたからだ。
どの道、桜さんが割引券を使うためにこのお店に来る時には、何らかの形で変装は必要なのである。
だからこそ、どうせなら既に変装をしているこのタイミングで、という面もあったんだろう。
既に変装している今、このお店に来れば、自前で別の変装をする必要はなくなる。
恐らく、あの個人を特定できないレベルの厚着──という名の変装衣装──はボヌールがくれた物だろうから、余り汚れとかを気にせずに着続けることもできる。
流用というか、手間を省いた訳だ。
──だから、唯さんが心配するほどには、ついていけてない訳じゃないんだよね。寧ろ、桜さんなら有り得る……。
そう考えて、私は大丈夫、という意味を示すためにも、手で推理の続きを促す。
すると、待っていたように葉さんが口を開いた。
「今までの話で、最初に挙げた三つの謎の内の二つ……彼女が妙な厚着をしていた件と、君たちに連絡もせずにこのお店にきたことについては、説明が出来たと思う。それは良いかい?」
「はい!」
「大丈夫です」
すぐに頷く私と奏さん。
葉さんも頷きを返して、こう続けた。
「では、最後の謎解きと行こう。三番目の謎についてが。……何故、彼女は一度頼んだ注文を、すぐに取り消すような真似をしたのか?」
そう呟いてから、彼女は指を一本、スッと伸ばした。
さらにその指を彼は、私たちに────正確には、奏さんが頼んだショートケーキに向けた。
途中で葉さんに話しかけられたので、まだ食べ終わっていなかった物だ。
「実を言うと、この謎に関してはすぐに片がつく。そのケーキがそっくりそのまま、答えとなっている」
「え、そうなんですか?」
意外な言葉を受けて、私たちはケーキを溶かすかの勢いで見つめた。
すると、葉さんは少しだけ溜めてから、その「答え」を告げる。
「恐らく、理由は単純。最初に頼んだロールケーキには、イチゴがふんだんに使われてしまっていたからだろう。だからこそ、ショートケーキに変更したんだ。イチゴが一つしかない物にね」
「……イチゴの量を、減らしたってことですか?」
「その通り。もっと分かりやすく言えば、イチゴを食べてはいけなかった、ということになる……影武者としてね」
これは私の想像だが、と葉さんは話をまとめた。
「もしかすると、アイドルの凛音は、果物のアレルギーだったり、もしくは大のイチゴ嫌いだったりするんじゃないかな?つまり、その凛音に扮している彼女も、イチゴをあまり食べる訳にはいかなかった、ということだ。故に、彼女はそんなに盛大にイチゴを食べる訳にはいかなった」
──イチゴアレルギー……。
瞬間、私の頭には割引券を貰った経緯のことが思い出された。
凛音先輩が、このお店を取材した時のあれこれを。
それを思い返している内に、唯さんが話の続きを引き取ってくれる。
「最初、彼女はそれを忘れて普通に注文をしてしまった……だけど、一度注文してから気が付いて、慌てて取り消した、ということね。遅きに失した感はあるし、果たして意味があったかどうかは分からないけど、キャラが崩れることは出来なかった、というところかしら」
キャラが崩れることを恐れるというのは、ちょっと分かる気がするかも。
他人事とは思えないような口調で、唯さんは末尾にそんなことを言う。
それを受けてから、葉さんは少し苦笑いをして。
最後に、こんなことを言った。
「そういうことだ。他者を演じる人というのは、本物に寄せようとするあまり、どうでもいいところまで本物に近づけようとする。今回もつまりは、そういうことだったんだよ」
そのせいで、逆におかしな点が出てしまう物なんだけどね。
そんな妙に実感の籠った言葉が、推理の締めだった────。
「……実際、葉さんの推理、当たっているんですよね。あんまり広まっている話では無かったので、二人とも知らなかったみたいですけど、凛音先輩がイチゴアレルギーなのは事実ですし。ファンはともかく、お店の人は取材の時のあれこれを知っているから、そこから気づかれるのを恐れたんでしょうね」
「確かにな。そもそも、彼女がイチゴ嫌いだったからこそ、君たちが『fraise』に行ったんだし……筋は通る」
私の話を聞いて、松原さんが納得したように頷く。
それを見て、私は何となく嬉しく思った。
何気に、私がこうやって推理の結果みたいなものを彼に伝える機会は初めてだった。
時刻としては、私たちが葉さんの推理を聞いた、次の日の昼。
私は、再び事務所でレッスンに励んだ後、昨日と同じくバッタリ休憩室で松原さんに出会い。
それから話の流れで、昨日遭遇したことについて語っていた。
松原さんから聞いた、相川葉という人物に、私たちが確かに出会ったということ。
そこで出会った「日常の謎」について、目の前で解き明かされたこと。
話の流れでそれらを説明している内に、私はいつしか謎の詳細を松原さんに語るようになっていた。
「……因みに、その後はどうなったんだ?その人から推理を聞いた、後のことは」
推理の途中から、苦笑いのような表情を浮かべ始めた松原さん──何故か途中から彼の表情はこれで固定された──が、そう問いかける。
とりあえず、私は聞かれるままにそれを説明した。
「ああ、そこはまあ、普通に別れました。二人は予約してあるホテルのチェックインがありましたし、私たちも事情が分かって、桜さんの影武者作戦を邪魔しないよう、すぐに店を出ましたから。それぞれやることがあるってことで、自然と別れたというか」
「なるほど……それと、一応確認。その影武者云々については、後で酒井さんの口からも聞いたのか?」
「はい。その日の夜になってから、改めて電話で確かめたんです。大分恥ずかしそうにしてましたけど、普通に認めてくれました」
電話をかけた時のことを思い返して、私はフフッとなる。
普段はどちらかと言えば、ストイックで生真面目なイメージの桜さんだけど、あの時はかなりテンパっていた。
そもそも、変装に集中しすぎて、私たちのことにも気が付いていなかったらしく、向こうとしては私たちからの電話はかなり唐突な物に思えたらしい。
周囲からの視線には勘付いていたし、何か集まって話をしているな、とは思っていたそうだけど、それが私たちであることまでは分かっていなかったそうだ。
当然、何故少数の人間しか知らない影武者作戦がバレたのかも、自分の注文の際の不手際について察しがついているのかも、桜さんの視点では分からない。
だからなのか、普段見たことが無いレベルで取り乱していた。
あんなに必死になって話を聞いてくる桜さんの声というのは、初めて聞いたかもしれない。
それに乗じる形で、事実を確認した形となる。
因みに、最後にはこんなことを言っていた。
「でも、決して秘密にするつもりじゃなかったのよ?ほら、秘密を守るために嘘をついたら、今度は嘘をついたことを隠すために嘘をつかなきゃならなくなるから……全部終わったら、ちゃんと話すつもりだった。隠し事とかは、出来るだけ無いようにしたいもの」
何となく、この言い方を聞いてほっとしたことを覚えている。
ああ、やっぱりこの人は酒井桜さんだな、と思って。
生真面目で、不器用で、だけど私たちのことを凄く考えてくれている、いつもの桜さんだ。
そんなことを回想しながら、私はその通話で知ったことも松原さんに解説した。
「桜さん曰く、凛音先輩のマネージャーさんが思いついた作戦だったみたいです。たくさんのファンが詰め寄せてくるであろう東京会場では、影武者でも用意しないと不味い、みたいな話が元々あったらしくて。それでどうせなら、ゲストへの推薦で貸しがあるグラジオラスに頼もう、みたいな」
「なるほどな……因みに、こうしてバレてしまったこと自体は良かったのか?今もこうして俺に話しているが、口止めとかは?」
「いや、それは大丈夫らしいですよ。そもそも、公演が無事終わったら、秘密にする意味も無いですし、元々最後は打ち明ける予定だったみたいですから」
前提として、この影武者作戦がかなり秘密裏に行われていたのは、あの時点ではまだファンが会場の周囲に大勢いたからだ。
作戦実行中、もしくは実行前の段階では、作戦の情報がファンに漏れてしまうと、影武者そのものが無意味になってしまう。
いくら何でも、囮に引っ掛からなくなるからだ。
逆に言えば、公演が終わった今となっては、これはもう秘密でもなんでもない。
仮に影武者が居たと分かったところで、それで何かまずいことが起こる、なんてこともない。
当の凛音先輩が、普通に会場を去っているのだから。
だから、ここでの口止めはする必要は無かった。
松原プロデューサー補にも、語りたければ言っても良い、という許しを貰っている。
勿論、喧伝するような話でも無いので、私はここで松原さんに言う以外では話す気は無いけど。
「……でも、本当に凄い推理力ですね、相川葉さん。松原さんの言った通りでした。勘が鋭くて、推理力も凄くて」
「……言った通り、か」
「はい。芸能人じゃないから、芸能界の事情なんかには全然詳しく無かったでしょうに、あんなに鮮やかに謎を解いてくれて……あんなに美人の彼女さんが居るのも、何となく分かる気がします」
松原さんの前で、私は今回の感想としてそんなことを述べる。
ちょっとベタ褒めしすぎかな、とも思わないでも無かったけど、紛れもなく本心だった。
私がただ「違い」に気がつくだけで止まってしまい、密会だの彼氏だのと邪推を重ねていたのを、あの人は見事に解きほぐしてくれた。
そう言う意味では、彼は恩人みたいなもので、感謝の念は尽きない。
無論、直に桜さんに話しかけたところで、最後には誤解は解けただろうけど──先述したように、作戦が終われば正直に言ってくれただろうから──それをせずとも、話を穏便に終わらせてくれたのだから。
そんなことを、私は滔々と述べてみる。
すると、不意に松原さんが、顔に浮かべている苦笑の色を強くした。
まるで、人の勘違いを観察しているかのような、そんな表情。
「……どうしたんですか、松原さん。何か、変な顔してますけど」
いい加減にその対応が気になった私は、そう問いかける。
何か、思っていた反応と違うな、と思ったのだ。
親しい親戚だという葉さんについて話しているのに、反応が薄い。
もっとこう、誇らしく同意してくれるとか、或いは親戚として謙遜するとか、そういった反応を予想していたんだけど。
意外にも、彼は「仕方ないな」とでも言いたげな顔をしている。
そのギャップが、気になった。
「いや、変な顔というか……」
問いかけられた松原さんは、そう言って困ったように首の後ろをボリボリ掻く。
そして、こう続けた。
「もしその人が本当に葉兄ちゃんだったのなら、もっと誇らしかったんだろうけど……そういう訳でもないから、どんな表情をすればいいのかな、と思っただけだ」
「……え?」
「しかし、話に聞く以上だな、『日常探偵研究会』は……本物の葉兄ちゃんも、それで入ったのかな」
──……「本当に葉兄ちゃんだったのなら」って、どういう?
独り言のように呟く松原さんの言葉を聞いて、私はキョトン、とした顔をする。
全く、意味が分からない。
本当に、とは一体どういうことなのか。
私の困惑は、目の前の松原さんに十分すぎる程伝わったのだろう。
彼は不意に、大きく息を吐いた。
先輩に仕事の後始末を押し付けられた後輩のような、疲れを感じさせる仕草。
そして彼は、軽く指を立てて。
昨日聞いたばかりの、お馴染みの言葉を述べた。
「さて────」