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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Collaboration Stage:甘味など要らないアイドル生活
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厚着 或いは疑惑

「ちょ、奏さん、奏さん……!」


 間が抜けた様子で口を開いたまま、私は反射的に目の前の奏さんに呼び掛ける。

 右手は勝手にパタパタと動き回り、彼女を呼び止めるような仕草を演じていた。


「ん?どしたの、菜月」

「いえ、あの、今入ってきた人……」

「人?」


 そう言いながら、奏さんはぐるりと首を回して、私の示す「今入ってきた人」を見つめる。

 即座に、あっ、と彼女が声を漏らしたのが分かった。


「……()()()じゃん。もうお仕事、終わったのかな?」


 パチパチと目を瞬かせながら、奏さんは驚きの感情を示す。

 そして続いて、こう呟いた。


「でも……あの格好、何?」


 ──だよね、やっぱり、まずそこが気になるよね。


 私と同じ反応を奏さんがしたことに勢いづき、私は何度も頷いてしまう。

 というのも、そういう反応をしてしまうのも仕方なく思えるくらい、その人物の姿は妙だったのだ。




 ……まず、今も入口で受付の人とやり取りをしているのが、桜さんであることは間違いない。

 声も、顔も、しっかりと彼女の物だった。

 だけど、どういう訳か、その雰囲気は普段とは全く違ってしまっていた。


 端的に言えば、着ている服がちょっと変なのだ。

 理由は分からないけど、普段ではちょっとやりそうにないくらいの厚着をしている。


 具体的には、明るい茶色のスプリングコートに黒いジーンズ、髪を覆い隠すような帽子に白いマスク、という装いだ。

 コートの下はセーターのようなゴワゴワとした服を着込み、ジーンズもかなりの厚手。


 簡単に言えば、冬服だ。

 今の季節が七月であることを考えると、ちょっと考えられない服装と言っても良い。


 どういう訳かあまり汗をかいていないようだったけど、あの服装では二、三歩進むだけで汗ばむだろう。

 先程、隣のカップルの彼氏さんの服装を暑苦しい、と評したけど、その域を軽く超えている。

 実際、私たち以外にも、他のお客さんたちが桜さんの方を奇異な目で見ていることが分かった。


 しかも、桜さんはその耳に、普段は身に着けていないようなサングラスまで掛けている。

 そのせいで目元が隠れ、印象がガラッと変わっていた。


 正直、パッと見は別人に見えるくらいだ。

 私たちは流石に同じアイドルグループのメンバーなので、一目で彼女が桜さんなのだと分かったけど。

 そうじゃなかったら、不審者か何かに見えてしまうそうな恰好になっている。


 詰まるところ、異様に怪しい恰好を、桜さんがしている。

 これが、最初に目につく奇妙な点。


 他にも、おかしな点はある。

 例えば、彼女が今の時間帯に姿を見せた、ということ自体が、ちょっとおかしい。


 というのも、私たちは今日、「桜さんは仕事に出かけている」と松原プロデューサー補から聞いていた。

 いつ終わるか分からないくらい拘束時間の長い仕事で、多分今日の間は会えないだろう、とも。


 だからこそ、レッスンを桜さん抜きの四人で行っていたのだけど。

 その彼女が、午後とは言えまだ昼間にスイーツカフェに来ているというのは、かなり予想外の光景だった。

 そんな、予定よりもかなり早くに仕事が終わったのだろうか。


 長々と述べたけど、要するにどういうことか、と言えば。

 桜さんが、普通ならいそうもない時間帯に、不審者と間違われそうな厚着で店内に入ってきた、ということだ。

 だからこそ、私たちは一瞬桜さんに声をかけられず、驚いてしまったのである。




 ──ぶっちゃけ、もう、厚着というか変装のレベルだよね、アレ。前から軽い変装は当然してたけど、あんなのじゃなかったし……何で、あんな恰好を……。


 店員さんに、席にまで案内──私たちからちょっと離れた場所に案内されていた──されている桜さんの姿を見ながら、私はそんな感想を抱く。

 頭の中を、色んな形のクエスチョンマークがぐるぐる回る感覚があった。


 何で、どうして、とある種呆然としながら考えて。

 色々と、有り得そうな可能性も頭の中で練り上げていって。


 そんな思考の果てに────何か、きな臭いな、と感じても居た。


 しかし、奏さんはそこまで考えなかったらしい。

 多少困惑しながらも、すぐに、その場から立ち上がろうとしていた。

 そして、こんなことを言う。


「よくわかんないけど、折角会ったんだし、合流しようか?何であんな暑そうな恰好をしてるかも、直に聞けば良いんだし……」


 そう言って、奏さんは席に座った桜さんに向かって手を振ろうとする。

 多分、向こうが私たちに気がついていないのを察して、呼びかけようとしたのだろう。


 だけど────私は即座に、身を乗り出してまでその手を掴んでいた。

 そして、ブンブンと首を振る。


「ま、待ってください、奏さん!その、ちょっと……話すのは、待ちません?」

「え……何で?」


 心底分からない、という風に奏さんがキョトン、とした顔をする。

 私がこんな風に強めに言葉を述べるのは珍しいので、本気で驚いていたのかもしれない。

 それでも、私はここで話すのは不味い、と思って、首を振るのを止めなかった。


 どうしてここまでハッキリとした行動に移れたのかは、私自身にもよくわからない。

 松原さんに言った通りの、私の「違いを見つける特技」が既に色んなことに気が付いていたからか。

 或いは、彼に言い換えられた通り、「勘」だったのかもしれない。


 だけどとにかく、今話しかけるべきではないと思った。

 言葉にしづらいのだけど、それは不味い、気がする。


 先程の、私の脳内に浮かんだきな臭い考えが正しかったとすれば。

 恐らくこれは、桜さんがおかしな格好をしている、というだけで終わる話ではない。

 何か、別のことを意味している気がする。


 だとしたら、安易な行動は禁忌肢だろう。

 その一心で、奏さんを引き留めがてら、私は思いついた理由の一つを口にした。


「その、どうしても、今は話さない方が良いと思います。だって、桜さんはもしかすると、これから……」

「これから?」

「……ひょっとすると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だとしたら、対応は選ばないといけない、気がします」


 敢えて、断言するような勢いで告げてみる。

 当然のことながら、その言葉ははっきりと奏さんの耳に届いて。

 目の前で、彼女が絶句したのがはっきりと分かった────。




「……それで、菜月。どうしてそう言い切れるの?」


 一度、奏さんを椅子に座らせて。

 さらに、丁度そのタイミングで注文していたスイーツも届いたので、それもチマチマとつまみつつ。

 奏さんは、万が一にも桜さんには聞こえない程度の声量で、私に質問をしてきた。


 彼女の左目は、コートも脱がないままメニュー表を見ている桜さんを。

 彼女の右目は、私のことを未だに怪訝そうに見つめている。

 とりあえず何を考えているか聞かせて欲しい、とその目が語っていた。


「その、断言できる話でもないんですけど……こう、やっぱり、あの格好はただ変な感じ、というだけじゃないかも、と思って」


 そう前置きしてから、私はさらに詳しく解説していく。

 言いながら、自分でもその異様さ、というか脳裏に浮かんでしまう可能性を再確認してしまっていた。


 だって、そうだろう。

 今の状況を並べていくと、どうしても特定の方向に思考が繋がってしまうのだ。


 本来なら仕事が終わってもいなさそうな時間に、何故かスイーツカフェに来ているアイドル。

 見たところ、周囲にスタッフやカメラマンの姿は無く、私用で来たようにしか思えない。

 しかも、その服装は個人を特定するのが難しいくらいの厚着。


 私の記憶によれば、桜さんはモデルとして活躍してきた人ではあるけど、それでも流石に日常であんなに過剰な変装はしない。

 真夏にコートを着る程の変装は、必要ないはずなのだ。


 何が言いたいか、と言えば。

 今日の桜さんは、普段よりもさらに念入りに変装をしている、ということだ。

 まるで、他人に正体を探られるのを避けるかのように。


 そして──これは私の偏見が多分に含まれるけど──アイドルという立場の人が、普段よりも過剰に変装する理由なんて、そう幾つも考えられない。

 大抵の場合、それは────何か、絶対に他人に気がつかれたくないことを実行している時、だ。


「……そう考えるとやっぱり、誰か、バレてはいけない関係の人と会うつもりなんじゃないかなって思って。割引券を貰ったから、こう、密会しているのかなって……」

「だから、彼氏と会うかもしれない、という訳ね……なるほど」


 コソコソと話しながらも、私は自分の仮説を述べていく。

 語れば語る程、目の前で奏さんが表情を難しくしていくのが分かった。

 せっかくの「fraise」のスイーツも、正直なところあまり楽しめていないように思える。


 実際、非常に真剣な顔で、奏さんは私の話を聞いて。

 聞き終わってから、こんな意見を述べる。


「突飛な話だけど、可能性だけなら、まあ有り得なくもないかな……私たちみたいな立場の子には、全員についてまわる話だし。モデルとしてこの世界に結構長く関わってきた桜さんが、今更そんなことするかな、という気はするけど」

「そうですね……だから、断言は出来ないんですが」


 そう言いながら、私は誰かさんのように、「あくまで私の妄想ですから」と語尾に付け足す。

 同時に、妄想であって欲しい、とも思っていた。


 だって、そうでなければ、色々と不味いことになる。

 それは、まだこの世界に入ってそう長くない私でも、よく分かる事情だった。


 ボヌールは、恋愛禁止を公言している事務所ではないけど──世間体とか、そう言うのを考慮して表立っては言っていないらしい──それでも暗黙の了解として、所属アイドルは活動中の恋愛禁止を言い含められている。

 どうしても誰かと付き合いたいのなら、アイドルを辞めてファンが興味を失ってからにして欲しい、というのが事務所としても本音なのだろう。


 だから、ここで桜さんの熱愛発覚というのは、ボヌールとしても私たちとしても、かなりいただけない展開だ。

 仮にこの話がどこかで報道されたなら、ファンの間で嫌な広まり方をしてしまうことだろう。

 桜さんはモデル時代からのファンも居るので、この話が致命傷になるというのも、有り得なくはない。


 その辺りのことを、奏さんも考えたのだろうか。

 彼女は敢えて表情を明るくして、こんなことを言った。


「でも流石に、夏に厚着してたから、桜さんは彼氏と会うんだろうっていうのは、考えすぎじゃない?確かにあの格好は変だけど、何か別の理由があったのかもしれないし……。仕事だって、早く終わるなんてのは珍しい話でもないでしょ?」


 そう言いながら、彼女は目の前のケーキの一部を、迅速に口元に持って行く。

 どうやら、不安と比例して食欲も上がるらしい。

 彼女の動きは、段々と早くなっていった。


 ──けど、言ってることは正しいな、奏さん。あくまで、私の妄想なんだし、証拠も無いし……。


 奏さんの手元を見つめながら、私はそんなことを考える。

 彼氏彼氏と簡単には言うけれど、私たちは別に、桜さんが誰かと密会した姿を見た訳じゃない。

 邪推と言われたら、それまでだった。


 だけど、一つだけ。

 私はこの自説を、一蹴出来ない理由がある。

 わざわざ奏さんの動きを引き留めた根拠、みたいなものが。


 それは、桜さんの姿を見た時から、気が付いていたことだった。

 こう言う時ばかりは、何かと「違い」に気がつく自分の特技が嫌になる。

 それでも気が付いた以上、私はその根拠を奏さんに言うことにした。


「でも、奏さん。もし桜さんに、特に後ろめたいことが無かったのなら……それはつまり、普通に仕事が早く終わったから、ここに食べに来た、ということになりますよね?」

「まあ、そうだろうね」

「でも、それだとちょっと、おかしい点がありません?」

「どこが?」


 軽く、奏さんが首を傾げる。

 その表情は、やや不安を押し殺そうとしている感じでもあった。

 それに心を痛めながら、私は「おかしな」点について言及する。


「単純です。何で桜さんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということですよ。……だって私たち、今日このお店に行くことを、桜さんに言ってましたよね?」


 それを告げた瞬間、奏さんがあっ、と声を零したのが分かった。

 私に言われて、思い出したらしい。


 そうだ、ここがおかしい。

 実を言えば、私たちが今日、割引券を使ってここでスイーツを食べようと考えたのは、突発的な思い付きではないのだ。

 もっと前、この割引券を貰った時から、考えていたことだった。


 何せ、凛音先輩への挨拶が終わってすぐ、奏さんがグラジオラスのメンバー全員に予定を聞いていたぐらいなのだから、間違いない。

 もし予定が合えば全員で行こう、みたいな話だったのだ、本来は。


 だけど、桜さんは仕事があると言って断り、茜さんと多織さんも別に用事があるらしかったので、また全員の予定を擦り合わせるのも面倒くさい、ということで奏さんと私の二人が向かうことになった。

 それによって、今日の私たちの行動に至っている、という流れになる。


 そして、一度は全員に呼び掛けた以上、私たちのそのやり取りは、当然桜さんも知っている。

 彼女相手に、「もし桜さんの仕事の予定が変わったら、途中で合流して一緒に行きましょう」と約束したくらいだ。

 つまり桜さんは、今日の私たちの予定を知っているはずなのだ。


 だとしたら────。


「もし本当に、桜さんが仕事が早く終わって、空いた時間にこのお店に来ようと思っただけなら、ここに来る前に私たちに連絡を入れるとは思いません?『今どこ?』とか、『もしまだお店に行っていないのなら、合流しない?』みたいな感じで」

「そっか、桜さんの視点では、私たちが現時点でどこに居るのか分からないはずだし……実際、こうして出会っているわけだしね。一人で黙々と食べるよりも、合流を選ぶかな、予定を忘れてなければ」


 私の意見に、奏さんは理解を示した。

 彼女自身の感情としては、桜さんが誰かと密会しようとしているという仮説を補強してしまうこの考えには同意したくなかったのだろうけど、それでも認めざるを得なかったようだ。


「でも、今に至るまで、私のスマートフォンには桜さんからの連絡がありません……奏さんも、そうですよね?」

「うん。というか、あったら言ってるし」


 それを確認して、私はもう一度頷く。

 やっぱり、おかしい。

 予定通りなら私たちが今ここに居ることは知っているはずなのに、連絡を全く取ってこないと言うのは。


 勿論、サプライズで現地で会う気だったとか、そもそも私たちの予定を忘れていたとか、そう言う可能性も考えられるけど。

 それを言うなら、「fraise」には来たかったけど、私たちにはそれを知られたくなかった、という可能性だって考えられる。

 桜さんは今、どういう訳か、私たちにここに居ることを気がつかれたくない、という可能性も。


「そう考えると、やっぱり……その、後ろ暗く見えちゃうというか」

「だね。桜さんを信じていない訳じゃないけど……目的が何であれ、私たちには見せたくない用事があったのかも、とは思っちゃうなー。大体にして、あの格好、怪しすぎるし」


 私がまとめた話を聞くと、奏さんはやや苛立たし気に、フォークでケーキを切り分ける。

 お皿とフォークが、ガン、と鈍い金属音を奏でたのが、嫌に良く響いた。

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