スイーツ 或いは限定メニュー
「……因みに、奏さんは何食べます?これを見る限り、二品までならそれぞれ半額になりますけど」
いつまでも割引券を撫でていても仕方が無いので、私はつい、と話題を変える。
即座に、奏さんはどうしよっかなー、と首を悩ましげに回転させた。
そして、駅に向かう足取りを一切緩めないままブツブツと呟き始める。
「定番のケーキもやっぱり食べたいんだけど……やっぱりこう、こういうお店に行くんだったら、嫌になるくらいイチゴ食べたいって気持ちあるよね。何というか、見たくなくなるくらいまでイチゴ尽くしのメニューにしてみたい、的な」
「あー、分かります。……そう考えると、普通のイチゴのショートケーキはちょっと力不足かもしれませんね」
割引券と一緒に貰った、掌サイズのメニュー冊子を見ながら、私はそうコメントした。
そのメニュー冊子の中には、当然ながらイチゴのショートケーキも載っている。
ただ、写真から確認できるその外観は、少々貧相ではあったけれど。
いや、貧相というのも言葉が悪い。
何というか、シンプルなのだ。
こういうお店のケーキにしては珍しく、変に飾り立てていないというか、本当に生クリームとスポンジ、そして定番の形で乗っかっているイチゴしか構成要素がない。
メニューの下の方には、「fraiseの原点イチゴショート」という商品名と、説明文が掲載されていた。
その説明文曰く、「イチゴが推しの当店に置いて、ショートケーキは敢えてイチゴを一つしか使っておりません。スポンジにも、クリームにもイチゴが無い分、逆に引き立つイチゴの美味しさ。存分にお楽しみください」という説明文が掲載されていた。
──要するに、定番のケーキはシンプル路線にした。だから、イチゴも敢えて一個しか使わず、ケーキ自体の美味しさで勝負してる、みたいな感じかな。
その判断が成功しているかどうかはさておき、何故かこの説明文を呼んだ瞬間、「逆張り」という単語が私の脳裏をよぎった。
パティシエというのは、極めるとこういうところに辿り着くのだろうか。
何にせよ、メニューの意図はともかくとして、奏さんの目的を考慮すればこのメニューは不合格と言えるだろう。
嫌になるまでイチゴを食べたいと言っているのに、このショートケーキだとイチゴは一つしかない。
美味しさを度外視して、量だけに拘るのなら、さっきも言ったように力不足だ。
「でもこのケーキ、凛音先輩が美味しかったって言ってたんだよねー……だからこう、悩むというか」
「あー、そうですね。そう言えば、凛音先輩もショートケーキだけは食べたんでしたっけ」
奏さんの言葉を受けて、そう言えば、と私は一つの話を思い出す。
この割引券を貰う時、凛音先輩から聞いた話だった。
先述したように、彼女はアレルギー故にイチゴが食べられず、雑誌の撮影自体も食べたという設定でこなした。
ただ、全くスイーツを食べない訳でも無かった。
この、ショートケーキだけは食べたらしいのだ。
というのも、このケーキはイチゴが上に乗っかっているだけで、他の部分にはイチゴが含まれていない。
つまり、イチゴアレルギーの凛音先輩としても、イチゴさえ誰かに食べてもらえば、ケーキ自体は食べることが出来る。
卵など、他のアレルギーがあればアウトだっただろうけど、そういう訳では無かったのが幸いした。
尤も、流石にこのショートケーキのためだけに割引券を使うのもなんだから、私たちに割引券をくれたのだけど。
「そう考えると、多少好みじゃなくても、このショートケーキは食べた方が良いかもって気になるよね。今度会った時、話のタネになるかもしれないし」
「……そう言う物ですかね?」
「んー、まあ、考えすぎかもしれないけど」
うんうん言いながら、奏さんは悩んでいる。
どうやら、「どうせならたくさんイチゴを食べたい」という思いと、「凛音先輩に唯一紹介されたメニューである以上、このショートケーキの感想を共有しておいた方が良いかもしれない」という思いが拮抗しているらしい。
いつかは「ライジングタイム」の撮影で凛音先輩と話さなければならない以上、共通の話題があった方が良い、と踏んだのか。
──こう言うところは流石だな、奏さん……こんなプライベートの場面でも、いかに共演する人と話題を盛り上げるかを考えてる。
場違いだとは自覚していたけど、つい、私はそんなことを思った。
こう言うところ、叶わないなあ、と思う。
彼女がグラジオラスの中で一番トークが上手いのは、こういう思考をしているからなのかも、とも感じた。
──まあ、流石にそこで感想を共有できないだけで、気まずくなるなんてことは流石に無いと思うけど……。
そんなことを考えながら、私は腕を組んでまで悩みだした奏さんの背中についていった。
そうやって、うんうん唸る奏さんにくっつくようにして電車に乗り、さらにテクテク歩くこと三十分。
私たちは、念願の「fraise」の店舗に辿り着いた。
勿論、有名店なので、辿り着いたからと言ってすぐにいただきます、とはいかない。
大してイベントも無い休日の昼だというのに、お客さんの姿は多かった。
必然的に、私たちはもう三十分くらい待ってから、ようやく席に着くことになる。
それで、懸案のメニューはどうしたのかと言うと。
「菜月……私、一品はショートケーキにする」
席に着いた瞬間、奏さんはかなり苦しそうな顔をしながらそう言った。
余程悩んでいたのか、その顔色は最早うっすらと青い。
変な例えになるけれど、私はその顔を見て「陣痛に苦しむ妊婦さんみたい」と思った。
そう例えられるくらいの生みの苦しみがある、というか。
「じゃあ、割引になる二品の内、一つはそれで……もう一つは、どうするんです?」
「悩んだけど……こっちにする」
そう言って、奏さんはテーブルに備え付けられていたメニュー表を広げ、その一角をビシッと指さす。
どれだろう、と思って見つめた私は、一瞬、眉を顰めた。
そのメニューの、煽り文句を見て。
「この、ええと……『たっぷりイチゴの贅沢パフェ』ってやつにする。写真で見た限り、これが一番イチゴの量が多いし、美味しそうだし」
「……あー、そうですね、量は確かに、一番多そうです」
事実だったので、私は一度頷いた。
確かに、そのパフェはとても大きいもので、イチゴもふんだんに使われていた。
具体的に言うと、器の底はカットされたイチゴが敷き詰められ、中層にはイチゴ味のフレーク、かけられているのはイチゴクリーム、のせられたアイスは勿論イチゴ味、ダメ押しにパフェの天辺には五個のイチゴ、という感じのスイーツだ。
写真を見るだけで太りそう、と言えばその凄さが伝わるだろうか。
見た限り、この店のメニューの中で、単品で言えば一番イチゴが使われているものだろう。
嫌になるまでイチゴを食べたいという奏さんが、半額になる二品の内一品をこれにしたのも頷ける。
ただ、残念なことに。
奏さんは、これを頼むことは出来ないのだけど。
それを確認して、私は自分が何とも言えない顔になっていることを自覚しながら、奏さんに返事をした。
「でも、その……奏さん?」
「ん?どした?」
「このパフェは、ええと……カップル限定メニュー、では?」
それを告げた瞬間、奏さんが冗談みたいにピシッと固まった。
そして、ステージの上でも見たことがないくらいの機敏な動きで、ガバッとメニュー表を再確認する。
勿論、数秒後には。
ホントだ、という呟きと共に、呆然と崩れ落ちたけど。
「『カップル限定。二人でイチゴを楽しんでね』って書いてある……」
「ここ、カップル限定メニューがあるんですよね。凛音先輩の、例の記事にも書いてました」
今どき珍しいというか、寧ろ批判を浴びそうというか、ちょっと時代の流れに反しているような気のする限定メニューではあるのだけど。
事実は事実だ。
このパフェは、カップルしか頼めない。
どうやら奏さんは、必死にイチゴの量を計測するあまり、その文言が目に入らなかったらしい。
分かりやすくガーン、となっていた。
大袈裟ではあるけど、当然だろう。
私たちがカップルじゃない以上、奏さんはこのメニューを頼めない。
メニュー選びは、また一から、ということになる。
「……ゴメン菜月、もう十分、いや、五分待って」
「待ちますよ。大丈夫ですから、ゆっくり選んでください」
「ありがとー!じゃ、出来るだけ早く選び直すから!」
そう言って、すぐに奏さんはメニュー表にかじりついた。
彼女の姿を見て、私はちょっと苦笑いをする。
私はもう、頼みたいものをここに来るまでの道すがら決めていた。
だから、暇と言えば暇ではあるのだけど、これを待てない程短気じゃない。
自然、私は必死にメニュー表を再確認し始める奏さんを尻目に、待機の姿勢に入ることとなった。
──あ、でも。もし今、並んで待っているお客さんが居たら、ここで長く時間を使うのはちょっと迷惑かな……様子、見ておいた方がいいかも。
しかしそこで、私はふとそんなことを思う。
そして、首を回して自分たちの入ってきた入り口の様子を観察した。
もしも未だに大行列が続いているのなら、多少は奏さんを急かした方が良いかもしれない、と思ったのだ。
ただ、それは杞憂だったらしい。
見てみると、少ししかお客さんは並んでいないみたいだった。
待っている間は気が付かなかったけど、どうやら時間がある程度遅くなったこともあって、私たちの後にはあまりお客さんが来なかったらしい。
──この分だと、別に急かさなくても良いかな……。
そう思っていると、丁度私の見ていた方向──入り口付近の待合室みたいなスペース──に、店員さんが駆け寄ったのが分かった。
そして、すぐに列の先頭に向かってこう呼びかける。
「二名様、お席が空きました。先頭の方からどうぞー」
「……私たち?」
「そうだね。行こうか」
当然と言うべきか、すぐに呼びかけられた待機客は店内に足を踏み入れた。
一組の、カップルらしき男女が。
私は何となく、惰性でそちらの光景を見つめる。
奏さんはまだメニューを決めていないみたいだし、ちょっとだけ、視線を遊ばせたのだ。
暇だし、こういうお店に来るお客さんの様子でも見てみようかな、と思って。
だけど、そんな私の意図に反して。
あくまで惰性だった気分は、一瞬で変化した。
というのも、その二人を見つめた私は、思わず目を見開き、さらに視線を一点に固定させることになったのだ。
そして、率直にこう思う。
──うわ、カップルの彼女さんの方、凄い美人……。
可愛いでも、綺麗でも、凄いでも無く。
ただただ、私は「美人だ」と思った。
何というか、そうとしか表現できないくらい、一瞬で美しいと分かる容姿をしていた。
それも、生半可な美人じゃない。
一応は芸能界に関わる人間として、今まで何人もの「美少女」とされる人たちを見てきて、私の目はある程度肥えている。
そんな私でも、一瞬絶句する容姿。
まず目に入るのは、サラサラの長い髪の毛。
同じく長いまつげに、水晶のようなパッチリとした瞳。
年齢は多分高校生くらいだと思うのだけど、容姿の完成度の高さのせいか、もっと大人びて見える。
そして何よりも、彼女が纏っている、そのオーラのような物が圧倒的だった。
雰囲気というか、「華」というか。
どうとも表現できない、人間にまとわりつく雰囲気みたいなそれが、彼女はとにかく凄かった。
ただの美人ではなく、華があるからこそ物凄い美人だという感想になる。
完全に想像だけど、あの人は通っている学校内で、誰もが知るような中心人物になっているのではないだろうか。
本人がどう言おうが、周囲が勝手にスクールカーストの頂点に祭り上げそうなくらい、目を引く姿をしていた。
ここまで褒めたたえてしまうと、大げさな言い方に聞こえるかもしれない。
だけどもし、一目でも彼女の容姿を見てもらったら、私がこんな感想を抱くのにも共感してもらえるだろう。
普通の人ならどう努力しても身に着けられないような、ある種の風格。
それを彼女は身に付けていた。
──事務所の先輩とかで、こういうオーラしてる人はいるけど……あの人も、そのタイプ……?
彼女に視線を集中させながら、私はそんなことを考える。
つい最近、そういうオーラを携えた芸能人の筆頭格である、トップアイドルの凛音先輩と会ったばかりだったので、そのことを思い出すのは容易だった。
だからこそ、私は「あの人も、芸能人なのかな」と考える。
尤も、あの人の姿を私はボヌール事務所内で見かけたことがないから、仮に芸能人だとしても、事務所が違うのだろうけど。
──あ、でも、それだと格好がおかしいかな……帽子とかマスクとか、してないみたいだし。
しかしそこで、私はそんなことに気がつく。
よく芸能人がやっている軽い変装──私たちのような新人アイドルすら行う、帽子を被ったり眼鏡をかけたりする変装──を、彼女はしていない。
今も、店員に席まで案内されながら、普通に何も隠されていない顔を晒していた。
彼女くらい目を引く容姿をしている人がもし芸能人だったなら、そういう変装は普通欠かせない物だろう。
実際、モデル時代の桜さんだって、外出時は変装をしていたと聞いたことがあるくらいだ。
それを、やっていないということは。
──物凄く無防備な人なのか、或いは純粋に、一般人なのか……。
どっちなんだろう。
彼女の顔を見ながら、私は本気で頭を悩ませた。
自然、私の思考は次第に、暇潰しの段階を超えていく。
いつしか私は、そのカップルに興味を抱き始めていた。