<Back Stage>悪魔に恋した少女の話・後編
「……場崎昭に自首の選択肢を残したかったのは、これも理由なんだ。こっちから誘っておいて、自首すら許さないのは流石に可哀想かと思って」
だからああいうやり方になったんだと説明してから、彼はため息を一つ。
そして、「これもあまり上手く行かなかったな」と悔しそうに呟いた。
「クリスマス前までに解決することには成功したが、病院には尋常ではない迷惑をかけた。俺が護衛する人を付けなかったから、凛音さんが変に心配してあんな暴走をしたところもあるんだろう……あの人のコントロールは、俺にはまだ無理だな。この辺も、俺の中途半端さの代償だ」
こういう事態になったことを悔いるのではなく。
病院への迷惑と、凛音先輩の暴走をコントロール出来なかったことを悔いるように。
そんな表情のまま、松原さんは上体を倒してゴロリと寝転がった。
彼の隣で、全てを聞いた私は少しの間沈黙する。
松原さんの行動の真意を聞いた時は、いつもこうだ。
真実はいつも、咀嚼するまでに時間がかかる。
──自分を囮にして犯人を釣り出すっていうのは、前にもあったな。木馬事件の時も、警察やプロデューサー補が似たようなことをしていたみたいだし……松原さん、それを今度は自分でやってみたんだ。
確かに、効率的ではあるだろうと思った。
自分は病床にあるのだから、犯人からアクションを起こしてもらわないと、推理が全く進まない────なら、被害者の立場を利用して相手を焚きつけよう。
いかにも「探偵」らしい、ハイリスクハイリターンな作戦だった。
──病院に迷惑をかけちゃったのはアレだけど、もう医療スタッフには謝り終わってるみたいだから……。
そもそもにして、ベースが松原さんの計画だとしても、最終的に病院内で暴れようとしたのは場崎昭本人の判断であり、凛音先輩の計画も松原さんは知らなかった。
結果だけ見て、これらの責任の全てを松原さんに求めるのは暴論だろう。
だから私は、この真相に意見を述べることはなく────ただ一つだけ、悲しく想った。
──松原さん……一回も「自分の命を最優先に」なんてことは言わなかったな。自分が危険な目に遭うことを、全く躊躇ってない。だからこうして、自分を囮に出来る……。
レーザーによる被害を受けた時から、犯人に対して怒るとか、自分の身に起きたことを嘆くような振る舞いは殆どなかった。
犯人を前にした時ですら、犯人の考えや姿勢に怒ったことはあっても、「お前のせいで自分はこんな目に遭った」というような怒り方はしなかったと聞いている。
松原さんが危険な推理をしたことよりも、その余波で色んな事件が起きたことよりも、私はその事実が悲しかった。
────これまでの事件を振り返ると、明確に分かることがある。
謎解きやその結果ばかりを優先しているせいか、松原さんはいつも、自分が傷つくことを厭わない。
私に言わせれば、それは他者を傷つけてばかりの犯罪者よりも、更に異様な生き方だった。
普通の人が何よりも大事にすることを、あっさり投げ捨てているのだから。
決して、自殺願望がある訳ではないと思う。
ただ単に、彼の中で「真実への興味」と「自分の身の安全」を天秤にかけると、いつも前者が勝ってしまうというだけのことだ。
天秤が常に傾き続けるからこそ、今回みたいに誰かに襲われるリスクがある危険な状況の中でも、松原さんはすぐに身を乗り出してしまう。
松原さんは、世間で大事にされやすい色んな概念(友達、恋人、学校生活など)に興味が無い人だけど。
その中でも彼が一番興味が無いのは、「自分の命」についてなのかもしれない。
お姉さんからの無茶振りによく文句を言う彼だけれど、きっと彼に無茶振りを強いる一番の存在は、彼自身なんじゃないだろうか。
……そしてタチが悪いのは、なまじ推理力があるために、彼がその無茶振りを解決出来てしまうことだった。
危険な状況に突っ込んだ後、失敗するのならまだ良い。
これに懲りてもうやめて欲しい、とお願い出来るから。
だけど松原さんの場合、危険な目に遭う度に謎解きに成功して、着実に誰かを助けているものだから、猶更止まらなくなっているように見えた。
普通の人が危険な状況に陥るのを避けたがるのは、それに巻き込まれた時、自力では解決出来ないと知っているからだ。
でも松原さんは、警察沙汰になるような事件でも普通に解決出来る。
今回だって、いくらか計算ミスはありつつも、結果だけ見れば犯人の確保と殺人の抑止には成功していた。
だから私たちと違って、危険な場面でも止まらない……止まる理由がない。
だって、最後には何とか出来るのだから。
彼がその推理力で、アイドルを傷つける犯罪者を捕まえてくれたことは、勿論嬉しい。
彼が私たちのようなアイドルのために活躍したんだと思うと、胸が熱くなって言葉が出なくなる。
格好いいな、凄いな、とも思う。
だけれど、こうしてとんでもない状況に自ら身を呈しているのを見ると……。
好意と同じくらい、不安にもなる。
彼は結局、一般人には理解しきれない存在なんじゃないか?
こうした行為の果てに、またどこかに去ってしまうのでは?
そんな不安に、心を乱される。
多分、この感覚は私だけのものじゃない。
彼の周囲の人は全員、この不安を共有していたんだと思う。
特に、今回の事件の間はずっと。
松原さん本人が、どれくらいそのことに気が付いていたかは知らない。
だけど多分、目が見えない状況で推理に励む少年が現れたことに不安を抱いた人は大勢居て……私たちみたいに親しい人以外は、不安を通り越して不気味がっていたんじゃないだろうか。
その証拠は、あらゆる場所に見て取れる。
例えば、この病院がそうだ。
既にかなり炎症が治まっているらしいのに、未だに眼帯を付けたまま外させてもくれないという今の対応は、私からすると過剰対応のように思える。
いくら年末年始に医師が少ないとしても、年が明けるまで外せないなんて、流石に変な気がした。
恐らく、この対応はわざとなんだろう。
はっきり言ってしまえば、この病院は今回のような騒動を起こした松原さんを、厄介な患者だと思っているのだと思う。
入院中にわざわざ事件に首を突っ込んだ危険な人だと、不気味に感じている。
だからこれ以上厄介事を起こさないように、眼帯を付けておく期間を延ばして、自由に動き回らないようにしているんじゃないかな、と推測した。
言ってみればこれは、年末年始に事件が起きないように病院が付けた枷だ。
邪推気味だけれど、そんな気がした。
彼を不気味がっていたのは、場崎昭も同じだろう。
私は場崎昭の思考回路なんて全く分からないし、共感も出来ないし、理解したくないと願うくらいだけど────それでも一つだけ、最後に襲い掛かった理由だけは分からなくもなかった。
きっと、怖かったんだろう。
目が見えないままで推理を進め、会話だけで真相を見抜いた松原さんのことが。
病床に居ながら犯人の行動をコントロールしてみせた、探偵のことが。
ただでさえ事件を起こしてビクビクしていたところで、目の前の少年が次々と真相を見抜き始めたものだから、その事実に恐怖した。
警察に追い詰められるのならともかく、一介の病人に過ぎないはずの高校生に理屈で追い詰められるのは不気味過ぎた。
だからこそ、恐怖心から襲い掛かったんだ……それを踏まえた上で、許す気は全くないけれど。
こうした周囲の反応を見る限り、今回の一件を通して、松原さんの推理力はまたレベルアップしているのかもしれない。
旅から帰ってきた直後、松原さん本人は「自分は名探偵にはならなかった」みたいなことを言っていたけれど……。
今回のアクシデントを切っ掛けに、普段以上に理性と感覚が研ぎ澄まされ、彼はかつて進もうとした領域の近くに辿り着いているような気がした。
だからこそ、自分の身の安全を全く気に掛けることが無かったし。
だからこそ、周囲からはいつも以上に不気味がられた。
何と言うかこう、松原さんが活躍すればする程に、探偵の世界と一般社会との間に存在するズレというか、摩擦というか……不協和音のような音が響き始めている気がした。
その不協和音を、私はきっと一番大きな音量で聞いている。
だからこそ、何度でも悲しくなる。
謎解きを極めれば極める程、真実を求める代わりに自分の身を顧みなくなってしまう彼を想って。
その推理で確かに人を助けながらも、周囲からは不気味がられる彼を想って。
最後に、彼のお陰でより安全にクリスマスライブを開催出来るようになったという恩恵を得ていながら、何も返すことが出来ない自分を想って。
「菜月?……泣いてないか?」
私が長く黙っていたものだから、不安がったように松原さんが口を開く。
この前の旅から、松原さんは私たち相手への言動に特に気を付けている節がある。
だからここでも、自分の言葉が私を傷つけていないか心配したようだった。
「いえ、大丈夫です……すいません。ちょっと考え事をしていて」
沈黙を誤魔化したくて、私は何となく彼の頭を撫でる。
入院中でもちゃんと洗髪はしているらしく、ちゃんと彼の髪はふわふわしていた。
くすぐったそうに身をよじる松原さんを見ながら、私はふふっと笑う。
互いに何でも言い合おうと約束した私たちだけど、ここで今の懸念を口にすることはなかった。
入院中に言うことでは無い気もするし……そもそも、正直に言うと約束したのはプラスのことだけだ。
こういうぼんやりとした不安を口にして、また彼を困らせてしまう展開は望んでいない。
それに、何より────。
──どれだけ他の人が松原さんが嫌っても、私は全く嫌いには思わないから……それで良いよね。
松原さんと知り合ってから、私は随分と泣き虫になった。
胸が苦しくなるのは日常茶飯事だし、不安に駆られることも、辛くてブルーになることも正直多い。
我ながら難しい恋をしているなあ、と思ったことも一度や二度じゃなかった。
だけど、それでも。
一度だって松原さんのことを嫌いにはならなかったし、好きにならなければ良かったとも思わなかった。
今でも信じている。
いつか私は、私の歌を松原さんに届けて、きっと振り向かせられると。
私以外の全員がこの人を不気味に思っても、それでも私は、この人のために歌を練習出来ると思う。
だから今は、これで良い。
私たちは、これで良い。
そう結論付けながら、私は話に夢中で今まで渡せていなかった、クリスマスプレゼントのことを思い出した。
「そうだ、松原さん。唐突で悪いんですが……ここって、ノートパソコンは使えますか?スマートフォンでも良いですけど」
「あー、使えるって聞いたけど。前の病室は救急科が近くてどうのって理由で、通話一つでも移動しないといけなかったんだが、今は目が良くなって別の部屋に移ったから」
「それは良かった……実は、用意してきた物があるんです」
そう言いながら、私は部屋の片隅にあったノートパソコン──後でお母さんの私物だと聞いた。暇潰しにと置いていったそうだ──を引き寄せて、スマホにメモしてきた内容を見ながら色々と打ち込んでいく。
すると数分後には、望んでいたページが出てきた。
松原さんは見えないとは知りつつ、私は一応その画面を彼に向ける。
「松原さん、直接ボヌール会館に来る予定だったから知らなかったかもしれませんけど、クリスマスライブって当日に生配信をしているんです。こっちなら会場のキャパシティーは関係ありませんから、現地に来れない方や抽選にあぶれた方がよく利用するんですけど」
「へー、君たちのクリスマスライブでもやるんだな、それ……ということは、もしかして」
「はい。実は、クリスマスライブのオンラインチケットを購入してきました。これを使えば、病室からでもライブの様子は伺えます。勿論病院だから大きな音は出せませんし、眼帯が外れないので音だけを聞く形になってしまうでしょうけど……それでも、その、私たちのライブの雰囲気を感じて欲しくて。本当は、特等席で見られたはずなんですから」
迷惑だったかな、とやや緊張しながらも提案する。
茜さんが「DD」で優勝した後、追加でオンラインチケットを買う人がぽつぽつ現れたと聞いて、急に思いついた案だった。
オンラインではギリギリまで申請を受け付けているから、松原さんでも今から参加出来ると気が付いて、慌てて申請した……目が治ってからアーカイブで見てもらうことも出来るけれど、やっぱりリアルタイムで感じて欲しかったから。
……でも、松原さんとしてはどうだろう、なんて不安を抱く。
ライブの音だけ聞いても正直ちょっと、なんて思われるかもしれない。
だから、恐る恐る松原さんの表情を伺うと────彼は普通に、「おおー」と感嘆していた。
「そっか、その手があったか。ごめん、配信のことは全然分かってなかったら、思いついてなかったよ。ありがとう、手配してくれて……ああそうだ、チケット代は」
「だ、大丈夫です。グラジオラスメンバー共同で購入したので、大した負担ではないですし……そもそも、プレゼントですから」
「そうか……なら、明日は誰かに配信の操作だけ頼んで……看護師さん、やってくれるかな」
ウキウキとしながら算段を練る松原さんを見て、私はほっとする。
無邪気に喜ぶ彼の横顔は、とても先程までに見せた探偵の顔と同じ人物のそれには見えなかった。
とにかく、喜んでくれたらしい。
それが分かると同時に、私はじわじわと嬉しくなってきた。
相手が松原さんなのもそうだけど、やっぱり自分たちのライブを楽しみにしてくれるファンの様子を見ることは、アイドルにとっては最高のカンフル剤だ。
「……私たち、午後四時くらいからの出番になっています。集中して聞いてくださいね?」
「ああ、勿論。本当にありがとう、菜月。現地に行く約束も破ったし、ライブ後の打ち上げに行く約束もこのざまだと守れそうにないけど……君の歌を聞くことは、これで何とか出来そうだ」
そう言いながら、松原さんはふわりと笑みを浮かべる。
「お陰で、良いクリスマスになりそうだ……楽しみにしてる」
「……はい!きっと、最高のクリスマスプレゼントにしてみせます!」
この時、私は自分が歌が得意で良かった、と強く思った。
例え目を焼かれた人相手であっても、歌であれば十分に届けられる。
今の松原さん相手にさえ、受け止めてもらえる。
他のファンの人には、悪いことをしている気がしたけれど。
アイドルとして、駄目な態度かもしれないけど。
それでも……明日の歌は、この人に届けよう。
誰かのために行動する割に、周囲には迷惑をかけてばかりで。
自分の興味に従って謎解きをするけれど、その自分の身の安全はいつも疎かで。
悪人や犯罪者にばかり関心を持つけれど、いざその人たちと関わると相手を否定して捕まえ続ける。
何から何まで矛盾ばかりで、他の人には不気味がられて。
恋しても恋しても、返ってくるものはきっとなくて。
それでも、どうしようもないくらいに私が好きな探偵さん。
この人のために、明日は歌おう────そう思った。