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声を聴く時(Stage3 終)

 俺は全ての推理を言い終わり、口を閉じる。

 途端に、教室内に沈黙が戻った。

 かなり弱まってきた雨の音だけが、うっすら聞こえる。


 しかし、いつまでも黙っているわけにはいかなかったのだろう。

 やがて酒井さんは俺の方に向いて、恐る恐る口を開いた。


「……一つ、聞きたいのだけど」


 語尾が少し震えている。

 説明が進むにつれて、流石に幽霊を見るようなあの視線は止めてくれたのだが、未だにその話し方は固かった。

 その状態のまま、彼女はこんなことを言う。


「松原君、本当に奏に呼ばれてからここに来たのよね……?実は撮影中もここにいて私たちの様子を観察していたとか、そういうことはしていない?」

「……いや、してませんよ」


 凄まじい疑惑をぶつけられ、俺は慌てて掌を振って否定する。

 彼女の主観では致し方ないことかもしれないが、相当怪しまれたようだ。

 自分たちの行動が見透かされると言うのは、感覚的に嫌なのだろう。


 でも、ここでこの感想が出てくるということは────。


「……逆に言えば、今の推理で合っているんですね?物証も無い、根拠が薄い推理ではあったんですが」


 答え合わせの意味も込めて、俺はそんな確認を取る。

 根拠が薄いというのは我ながら弱腰の発言だったが、客観的に考えれば事実だった。


 唯一の物証たるチョークの粉すら、今はこの雨で消えてしまったくらいである。

 俺が今語ったことは全て、「そうだったら繋がるな」程度の妄想に過ぎない。


 だから酒井さんに完全否定されてしまえば、それで終わるような話だったのだが。

 最早隠す意味合いは無いと思ったのか、彼女はすぐに首を縦に振った。


「ほぼ全て、松原君の言った通りよ。奏のことを気にして、私がすっとぼけたのも本当。ただ……」

「ただ?」

「最初から隠す気だった、というのは少し違うかもしれない」


 軽いため息をついて、そう告げる。

 何となく、俺も問い返した。


「少し違う、とは?」

「……実を言うと、私自身も奏に本当のことを言うかどうかは、まだ迷っている段階なの。撮影が終わったらちゃんと指摘するのもアリかなと思っていて……今も、決めかねてる」


 それを聞いて、ああなるほど、と思った。

 言われてみれば、妥当な話である。


 確かにその場で指摘しなかったからと言って、それは隠蔽するという意味にはならない。

 そこでは表沙汰にはしないが後で言い含める、という選択肢もあった訳だ。


 鏡は酒井さんにモデルの心得やら何やらを教えてもらっていたらしいから、当然の流れだろう。

 撮影を急いでいたので、長々とした事情説明で撮影を止める訳にはいかなかったというだけの話だ。


 鏡はもう撮影が終わったが、酒井さんの方は今の今まで撮影から離れられなかった。

 だから、その「後で」のタイミングが無かったというのが真相なのだろうか。


「……あれ、そうなると、俺は余計なことをしちゃってますね。鏡相手に違う真相を教えてしまって……しかもその推理では、貴女がやや割を食っていますし」


 だとしたら不味いな、と思った。

 酒井さんは鏡に真実を伝えることは望んでいないだろうと踏んで、鏡相手には嘘の推理を告げたのだが。

 後で鏡に真実を伝えるつもりだったというのなら、話がややこしくなる。


 酒井さんがちゃんとミスを指摘するというのなら、俺のしたことは鏡をぬか喜びさせただけだ。

 俺の嘘の推理によって、自分のミスでは無いと思わされてしまった。

 一度は自分が原因では無いと信じた分、真相を後から知らされた鏡は辛い思いをするだろう。


 そんな事を考えて、俺は自然と顔を曇らせた。

 しかしそこで、酒井さんは俺の言葉を否定する。


「その推理に関しては、別に良いのだけど……さっきも言ったでしょう?迷っているって。貴方が奏に伝えた推理に乗っかって、このまま奏に何も言わないのも良いかな、とも思っていて……」


 ミスと言っても、小さな物だしね。

 そう言って、酒井さんは少し困ったような顔を見せる。

 そして彼女は、呟くようにこんなことを言った。


「松原君なら、こんな時どうする?」

「え、俺なら、ですか?」

「そう、貴方ならこんな時にどうするのかなと思って……素直に、話を蒸し返してでもミスを指摘する?それとももう、松原君が伝えた嘘の推理を真実ということにして話を合わせる?」


 それは、唐突な問いかけだった。

 しかし同時に、即断しにくい問題を抱えた話でもある。


 だから話を聞いた瞬間、難しいと思った。

 要するに、嘘をつくのを止めるのか、貫き通すのかという問いなのだが。

 どちらの選択肢にも一理あるので、スパッと決められない。


 嘘をつくのを止める──鏡が「幽霊の手形」の原因であることを明かし、ちゃんと説教する──選択肢は、合理的には非常に正しい。

 彼女は、モデルの仕事のためにここに来たのだから。

 その場で起きてしまったミスについて、モデルの先輩である酒井さんが指導するというのは悪いことではない。


 幾つかの不運や偶然が絡んでいるとは言え、衣装が汚れた事自体には鏡自身に責任がある。

 どれほど疲れていても、自分の手の状態や衣装の状態に気を配っていれば、そもそも汚れが付着するようなことは無かった。

 それこそ──彼女自身言っていたことだが──折角のトイレ休憩なのだから、手を洗えば良かっただけの話なのだから。


 そこを見過ごしてしまった以上、酒井さんに説教されたとしても致し方のない話だろう。

 これから似たようなミスを起こさないためにも、必要な配慮だ。

 ここで指摘しておくというのも、一つの優しさと言える。


 しかし、じゃあ嘘を貫く──俺の告げた嘘の推理を真実として、鏡の責任には気が付かせない──という選択肢は完全に間違っているのかと言われたら、そういう訳でもないと思う。

 結果から考えれば、今回の鏡のミスは特に周囲に迷惑をかけている訳ではないからだ。


 強いて言えば一枚の心霊写真が生まれる結果とはなったが、それだってスタッフには本気にされず、笑い話で流されている。

 一時的に撮影は中断したかもしれないが、そのタイムロスだって一分も無いだろう。

 ミスはミスだが、酒井さんも言う通り重大なものではない。


 そのような終わった話をわざわざ蒸し返してまで鏡のことを説教するというのは、感情的にはどうかという気もする。

 酒井さんが指摘を躊躇ったのも、分かる気がした。


 先述したように、今回のミスは偶々黒板の掃除の仕方がアレだったとか、風の具合なのか木の近くに粉が留まりやすかったとか、様々な条件が絡まったせいで起きたことだ。

 言ってしまえば、全てが鏡のせいという訳でも無い。

 不運だったの一言で片付けても、文句は出ないだろう。


 何なら、初めての撮影でその程度の小さなミスしかしなかったというのは褒められるべきことかもしれない。

 実際、鏡はモデルとしては初陣であるのに、それ以外のミスは特に無いようだった。

 総合的には、初めての割に上手くやっていたという評価になる気もする。


 ならば、いっそこのミスは指摘せずに自信を付けさせてやろうという考えも一理ある。

 嘘の推理を真実と信じさせたところで、鏡には口止めもしてあるし、誰かが損をする訳でも無い。

 いくら噂好きな性格をしているにしても、あの話を周囲にベラベラと広めはしないだろう。


 どちらの選択肢も筋が通っているし、どちらを選ぼうが周囲が大迷惑を被ることは無い。

 しかし、それでも。

 それでも、一つの選択肢を選ぶというのなら。


 酒井さんの考えに乗っかっておこう、とか。

 そう言う前提を無視して、純粋に俺個人の意見で考えるのなら。


 その時、俺は────。


「俺の場合は……やっぱり、真実を言っちゃうかもしれませんね。鏡の前で、嘘の推理を告げた俺が言うのも何ですけど」


 悩んだ末、俺はそんなことを告げる。

 すると、驚いたように酒井さんが瞬きを繰り返したのが分かった。

 彼女としては、意外な答えだったのだろうか。


「……理由を聞いても?」


 静かに、空気が震える。

 最早そこに恐れやら懐疑はなく、純粋に意見が聞きたい声色だった。


 それを察したからこそ、俺は真剣に答える。

 巻き込まれるような形とは言え、関わった以上は責任がある気もした。

 不器用でも良いから、思いついたことの全てを伝えたい。


「別に、こう……嘘をつくのが悪いことって言いたい訳じゃないんですけど。それでも、その、何というか」

「何というか?」

「ええっと……鏡と酒井さんがグラジオラスのメンバーとしてやっていくのなら、やっぱり嘘は少ない方が良いんじゃないかなと思って。いや勿論、嘘も方便ですけど」


 言語化しにくい理屈だったので、必要以上にモゴモゴした話し方になってしまう。

 しかしそれでも、不満を示さずに酒井さんは話を聞いてくれた。


 そのことに、少し安心して。

 ゆっくりと、俺は言葉を紡いでいく。


「細かいミスを庇うっていうのは、多分撮影現場とかでよくあることなんでしょう。それを明かす必要だって別に無いとは思います。だけど酒井さんはこれから、鏡と同じアイドルとしてずっとやっていく訳で……その中で小さな嘘が積みあがっていくというのは、酒井さんの方が辛くなるんじゃないかと思って」

「私の方が?」

「はい。だってこれから先、このことについて鏡に問い返されるようなことがあったら……その時酒井さんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 一つ、俺は予測を述べる。

 鏡に対して真相を伏せた場合、必然的にそうなってしまうと言う予測を。


 単純な仮定なのだ。

 もしこれから、鏡が「あの心霊写真って、もしかしたら自分が原因だったんじゃないか」などと疑問に思い、酒井さんに問いかけるようなことが起きたなら。

 真相を隠した側として、酒井さんはすっとぼけ続けなければならなくなるかもしれない。


 噂やゴシップに対して妙に興味を示す鏡の性格上、有り得ない話でもなかった。

 実際彼女は、自分がユリノキの近くで転んだと言う事を記憶している。

 向こうがそこを気にし始めたなら、酒井さんは鏡に対してずっと誤魔化し続ける必要が出てくる。


 そして、それは多分。

 嘘を吐かれる鏡だけでなく、嘘を言う酒井さんにとっても辛いことになるだろう。


 「嘘をつく」という行為と、「嘘を貫き通す」という行為は全く異なる。

 前者は咄嗟に出来るが、後者には覚悟が要る。


 場合によっては鏡を誤魔化すためだけに、また新しい設定を作らなければならないかもしれない。

 それが誰かのためについた「優しい嘘」だったとしても、嘘が積み重なっていくわけだ。


 つまりは────。


「秘密を隠すために嘘をついた人は、今度は『自分が嘘をついたこと』を隠すために、また嘘をつく……だとしたら、どこまで続けるのかって話になるじゃないですか。そういうのが習慣化してしまうのは、疲れると思います。個人的には」


 悩んだ末に、そう言ってみる。

 今まさに嘘の推理をしてきた俺が言うのもアレだったが、実体験である分骨身に染みた考えでもあった。


 先程の嘘の推理にせよ、この前の天沢との一件を鏡や長澤相手に隠したことにせよ。

 何かを隠す、嘘を重ねるというのは、非常に苦労することなのである。


 俺のような、彼女たちとの付き合いも短いであろうバイトなら別にそれでもいい。

 隠し事がいくつあろうが、大して困りはしない。


 しかし酒井さんと鏡のように、これからもアイドルの仲間として活動していく間柄ならば。

 そんな苦労は、しないで済むに越した事は無いんじゃないだろうか。


「……だから、いっそ真相を語った方が良い、と?」

「ええ。さっきも言いましたが、鏡に対するアドバイスが出来るっている利点もあります。酒井さんとしても、気分的に今後楽でしょうし……まあ、あくまで一般人が思いついた、一般論なのかもしれませんけど」


 話を大袈裟にしすぎました、と俺は肩をすくめる。

 話しているうちにいつの間にか、変に規模の大きな観念的な話になってしまったことを、やや恥ずかしく思ったのだ。

 慌てて、俺は言葉をまとめていく。


「何にせよ、酒井さんがやりたいようにするならそれが正解だと思いますよ。さっきは色々言いましたが、別にこんな細かい話を誤魔化したところで、誰かが困ることはそうそう無いでしょうし」


 それだけ言って、俺は軽く微笑んだ。

 変に考え込んだ結果大袈裟な話をしてしまったが、基本的には俺の考えすぎなのかもしれない話だ。

 あまり真剣に受け止められないくらいが、丁度いいだろう。


「とにかく、これで話は全て終わりです。確認したかったことは全て確認出来ましたし……だから後はまあ、お互い上手くやりましょう」


 いくつかの意味を含ませて、俺はその場で立ち上がる。

 幸いなことに、こんな話を長々としていたせいで雨は大分止んできていた。

 今なら、自転車でも帰れるだろう。


 ここを出たら、まずやるべき事は昼食か。

 何も食べずにここに呼び出されたので、気が付けば空腹は限界に達していた。


 時刻的には一時を超えているので、ゴールデンウィークとはいえどこの店も空いているだろう。

 どこで腹を満たそうかな、と考えながら俺は酒井さんの反応も見ずに教室を後にして────。




 ────その瞬間、どこかから「ありがとう」と聞こえた気がした。




 一瞬、気を惹かれて。

 首を半分、後ろに回しかける。

 しかしそれ以上進む前に、俺は自ら首の動きを止めた。


 理由は単純。

 別に、確認しなくても良いだろうと思ったのだ。

 何というかこう、互いに色々気恥ずかしいだろうから。


 ──真剣な話をした後の顔って、変に見にくいしな……。


 もしかしたら、ここはちゃんと向き合う方が誠実な対応なのかも知れなかった。

 だが言葉のタイミング的に、向こうも顔を合わせたがっていないようでもあった。

 顔を背けたからこそ、すんなりとお礼が言えたと言うか。


 ──だから今のはもう……「幽霊の声」ってことでいいだろう、うん。


 ふと、そう思う。

 この数時間で、幽霊については随分と詳しくなった。

 手形があるんだから、声があっても良いだろう。


 生真面目で、面倒見がよくて。

 プロ意識が高くて、そして少々不器用。

 そんな、幽霊の声。


 俺が聞いた声の正体は、きっとそれだ。

 そういうことにしておこう。

Stage3の御読了、ありがとうございました。


余談ですが、今回扱った「黒板消しをパンパンやっていたら、近くにあった木が粉まみれ」と言う事例は、私の高校時代の実話です。

クリーナーの調子が悪くてそうしていたら、いつの間にか近くの木の葉っぱが真っ白に。

流石に叱られるかも、万一枯れたらどうしよう、などと思案し、思い詰めた末に「神様なんとかしてください」と呟いたら、三日後に台風が上陸して全て解決しました。

もしかすると、私にも守護霊がいたのかもしれません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今さらですが安楽椅子探偵ってロマンありますね カッコいい [一言] これからもどう話が展開していくか楽しみです
[良い点] 三章一気に読んでしまった 思いやりがあっていいですね 続き、楽しみにしてます
[一言] Stage3終了を待ってから一気に読ませていただきました。 途中、汚れは鏡か何かの反射じゃないかと疑ったんですが全く違いましたw メンバー同士の絆のようなものを感じられる素敵なお話でした。 …
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