飾り、装う時
「俺がそう分かった経緯、話をさせてもらっても良いですか?誤解があるといけないので……」
酒井さんの表情の変化を察して、俺は慌てて言葉を付け足す。
少しでも言葉を途切れさせてしまうと、その瞬間に叫ばれそう気がしたのだ。
それこそ、ホラー映画のヒロインさながらに。
「その、別にそのことで貴女に対してどうこう、みたいな話じゃないです。そもそも、別に悪いことをしている訳でも無いんですし。ただ単にこう、答え合わせがしたいだけというか、真相を確認したかったというか……」
凍り付いたように表情を固める酒井さんを前に、俺はワタワタと手を振りながら説明する。
果たして、俺の意図がちゃんと伝わったかは分からない。
向こうからすると、かなり変な人間に見えているのかもしれないとは思うが。
……その努力が功を奏してか、何とか害意は無いと伝わったらしい。
彼女はやがて僅かに表情を緩め、ストン、と手近な椅子に座った。
話を聞くという意思表示だろう。
「ええっと、その、失礼します……」
これ以上怖がらせないために、ペコペコ頭を下げながら椅子を引き俺は彼女の対面に座る。
今までも何度か謎解きをしたが、ここまで低姿勢で謎解きを行う羽目になったのは初めてだ。
何をやっているんだか。
「あ、因みに、時間的には大丈夫ですか?この後、すぐに撮影に入る必要があるとか……」
念のため、そう確認する。
すると、フルフルと酒井さんは首を左右に振った。
今まで撮影を巻いた分、多少の余裕はあるらしい。
しかし首を振る彼女の顔は未だに半分くらい凍っていたので、俺はそちらにも意識を向けてしまった。
──失敗したなあ。勝手に彼女のことを知った気でいたけど……向こうは「俺が鏡から情報を貰っている」ってことを知らないんだもんな。
俺と酒井さんの互いの認識と言うのは、基本的には顔を知っているだけというか、ほぼ一方的な知り合いである。
そんな関係の相手に掛ける言葉にしては、先程のあれは強すぎたらしい。
──そうなると、丁寧に話を進めておいた方が良いか……基本的には、彼女が既に知っていることばかりだけど。
俺は適当な机に肘をつき、両手の指を絡めつつ口元の前まで持っていった。
そして、可能な限りゆっくりと口を開く。
「まず、俺が鏡に何を頼まれて、どういう話を聞いたのか説明しておきます。貴女にとっては分かり切った話でしょうが……まあ、聞いてください」
そう言ってから、俺はつらつらと今までの話を再確認していった。
鏡が撮影中に目にした心霊写真。
ただの汚れとも、本物の心霊現象とも思えない「日常の謎」。
鏡伝いに聞いたこの高校の噂と、酒井桜に関する噂。
実際にユリノキを調べ、その上で辿り着いた結論。
心霊写真内の「幽霊の手形」も、噂で触れられていた病気も、全て黒板掃除の副産物であるという真実────。
こういったことを、流れるように語っていく。
推理を聞いた鏡が帰宅した場面まで話すと、酒井さんはポツンと呟いた。
「……貴方の話を聞いていると、もうその話は解決したように思うけど。貴方の推理は、完璧だったのでしょう?」
だというのに、何故さっきの話が出てきたのか。
それがいかにも不思議だという風に、彼女はこちらの顔を覗き見る。
──まあ、ここだけを聞くとそう思うよな。
妥当な反応だったので、俺はこの言葉を意外とは思わなかった。
鏡もきっと、そのような認識でいることだろう。
幾つか腑に落ちない点はあれど、既にこの話は終わっているのだという風に。
しかし、それは間違いだった。
「残念ながら、今の推理は丸々嘘……とまでは行きませんが、かなりの部分真実じゃないほら話ですよ。謎解きを頼んできた鏡に対して『何も分かりませんでした』と言う訳にはいきませんから、それっぽい話をしただけです」
「……そうなの?」
「ええ。そう言う意味では、真相を教えて欲しいという鏡の依頼は反故にしてしまったんですが……」
それでもあの場では、鏡に対してこの話をしない方が良いと思っていた。
酒井さんの口から行うならともかく、俺ではその役目を背負えない。
俺がそれを話してしまえば、酒井さんの思いやりが全て無駄になるのだから。
「実際、鏡相手には勢いで押し切りましたが、今の推理はところどころにおかしいところがありますよ。その場で話をでっちあげただけなので、当然ではあるんですが」
「おかしいところ……」
「ええ。そこの部分の説明から話しておきましょうか。その方が、本当の経緯が分かりやすいでしょうし」
そう前置いてから、何となく。
俺はいつも通りの前口上も追加しておくことにした。
何というかこう、一種の景気づけとして。
「さて────」
「俺が鏡に話した推理の中で、分かりやすくおかしい点を挙げると……そうですね。貴女の行動が少しおかしいでしょうか」
「行動、ね」
「ええ。少し思い返してください。俺の推理では、貴女は『ユリノキに興味本位で近寄った際に偶然転んでしまい、その結果として手が汚れた』という風になっています」
鏡に話した推理の中核となる場面だ。
その手のまま服の前面を触ったことで「幽霊の手形」は生まれた、ということになっている。
「ですが鏡の話の中で、貴女の『幽霊の手形』に対する反応はこうです……『当事者である桜さんも、まさかと言って笑っていた』」
鏡がその場で、これは心霊写真なんじゃないかと言い出した時の周りの反応。
酒井桜自身も、周りのスタッフと一緒に話を笑い飛ばしたという場面。
これがおかしいのだ。
「これは、結構変な場面です。貴女が本当に転んだというのなら、当然貴女はその『幽霊の手形』について心当たりがあるはずでしょう?まさについさっき、両手を地面について転んだんですから」
「……本当なら、私がそこで言い出すはずじゃないかということね?『すいません、それは心霊写真なんかじゃありません。私の手が汚れていたから、服を汚しちゃったんです』という風に」
「ええ。しかし、貴女はそんなことは言っていない」
これは何故だろうか。
普通に考えれば、その場では見当もつかなかったというのが妥当だが、それは少々考えにくい。
何せ酒井さんの視点だと、自分が転んで両手を地面についたすぐ後に、自分の着ていた衣装に突然手形が現れているのである。
黒板消しクリーナーにまつわる事情は当然知らなかっただろうが、それでもちょっとでも頭を回せば「自分が原因かも。さっきのアレで手が汚れていたのかな」と思う場面だろう。
鏡の話では、酒井さんは真面目で冷静な人だと言う。
あまり、勘が鈍いとは思えない紹介だ。
だから、この点を深く考えていくと────真相を知っていて、すっとぼけたという可能性の方が高い気がしてくる。
彼女は恐らく、手形の存在に気が付いた瞬間にそれの原因について大体察しがついていた。
しかし、何らかの理由で隠したのではないか。
「それともう一つ、鏡の話の中には妙な点があります。カメラマンが『幽霊の手形』について指摘した場面です」
「汚れが付いていないか、質問してきたところね?」
「そうです。この時の貴女の反応は『服を脱いで確認する』という物でした」
鏡は確かにそう言っていた。
すぐに服を脱いで確認したのだ、と。
その上で、酒井さんは汚れなんてないと主張したのだ。
「指摘されてすぐに汚れを見ようとした事自体は、別に変ではありません。しかし、その見方はちょっと妙です」
「……」
「そうでしょう、酒井さん?『幽霊の手形』は胸元にあるんですから……何故、わざわざ脱いだんです?」
前胸部の汚れというのは、普通、下を向けばそれだけで確認出来る。
顎を引いて、下を見るだけなのだから。
ちょっと息が苦しいかもしれないが、一番見やすいやり方だろう。
学ランのボタンを一々外していくよりも、その方がよっぽど簡単に正体を確認出来る。
しかし、酒井さんはそうしなかった。
鏡の話では、すぐに学ランを脱いだらしい。
迂遠というか、まどろっこしいやり方をわざわざ選んでいる訳だ。
「このことも、貴女が『幽霊の手形』の正体を既に察していたと考えれば理由が分かります。カメラマンに指摘された瞬間、これ以上見られる訳にはいかないと考えたんでしょう?」
「要するに、こう言いたいのね……私がその汚れを隠した、隠蔽したのだと」
「……悪く言うなら、そうなります」
一度、頷いてみる。
すると酒井さんはこんなことを言った。
「貴方の話を総合すると……私、結構悪いモデルになるわね。要するに、過失で生まれた服の汚れをコッソリ揉み消しているんだもの」
軽く自嘲するように、酒井さんはそこでそんな言葉を告げた。
綺麗な彼女の顔が、くしゃりと歪む。
それを見ているだけで、俺が何か物凄く悪いことをしているような気分になるのだから、美人というのは不思議なものだ。
だからなのか、俺はそこで首を振る。
わざとなのだろうが、その言い方は本質を外していたから。
「ここまで来て隠さないでください……貴女がその行動で隠したのは、もっと別のものでしょう?そうじゃなければ、動機にならない」
「動機?そんなの、今までの話から考えれば簡単でしょう?その手形を作ったのが私だと仮定すれば、すぐに思いつくと思うけど」
キョトンとした顔でら酒井さんがそう言う。
その仮定を敢えて持ち出すこと自体、鏡を庇ってのことだろう、と俺はすぐに察した。
しかしとりあえずは、彼女の言葉に乗っておく。
「……鏡にも言っていた話ですね?『モデルの世界は横の繋がりが強いから、スタッフの評判にも気を払った方が良い』でしたっけ?」
「ええ。だからこそ評判が下がることを恐れて、知らない振りをした……妥当な推理じゃない?」
酒井さんの言葉に、俺は一つ頷いておく。
確かにありそうな話だ。
別にモデルに限った話でも無いだろうが、意外と狭い世間に置いては、悪い噂はすぐに広まる。
それを熟知していたからこそ彼女が真相を言い出せなかったというのは、一定の説得力がある。
平たく言えば、軽い汚れとは言え、責任を追及されることを恐れたということになるか。
モデルの撮影において、衣装を汚すというのは非常に重大なことらしい。
例えそれがすぐに払い落ちるくらいの汚れであっても、喜ぶスタッフなどいないだろう。
この件でもしかすると悪印象を残すかもしれないと彼女が考えたとしても、被害妄想とは言い切れない訳だ。
しかし────。
「実を言うと最初は、その可能性を考えていました。でも……俺としては、腑に落ちなかったんですよね」
「どこが?」
「モデルとして結構な経験がある貴女が、今更そんなやり方を……悪く言えば姑息な手段を使うかな、という点が」
軽く答えてから、補足も述べる。
「鏡の話では、貴女は真面目で面倒見も良くて、モデルの心得なんてものを教えてくれる人だそうですね。その人がそんなセコイ嘘をつくのかなって……嘘をつくのなら、もっと大きな理由があるんじゃ無いか。そこが引っ掛かりました」
そう告げて、俺は酒井さんを見る。
すると彼女は、喜んで良いのかどうか分からないという感じの顔でこう返した。
「……いつの間にか、随分と信頼されているのね、私」
「鏡からは、貴女に対する褒め言葉しか聞いていませんからね」
そう言って、俺は少し微笑む。
しかし、変な気分だった。
一度もまともに話したことの無い人物の人間性を、伝聞だけを根拠としてここまで信じるというのは。
推理という行為は、偶にこんな現象を起こす。
相手と直接話していないのに、直接話すよりも相手に詳しくなるというか。
そのことを少し面白く思いながら、俺は推理を続けた。
「まあとりあえず、動機については後で説明しましょう。その前に、最後のおかしな点の話です」
「まだあるの?」
「はい。撮影直前、休憩時間の過ごし方に関する部分です」
そう言った瞬間、場の雰囲気が引き締まった。