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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Stage22.5:独白/毒吐く

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凛然として玲瓏な音・前編

 明杏市の一画に佇む高級マンション。

 その最上階に位置する私の家には、それなりに大きな冷蔵庫が用意されてある。

 前の家で使っていたそれではなく、ここに引っ越してから新しく購入した物だ。


 別に前の冷蔵庫も壊れていた訳ではなかったから、業者に頼めば継続して使うことは出来た。

 それでもわざわざ新規購入したのは、引っ越しが急に行われたからだ。

 以前の家にあった物は、アイドル引退に伴う東京脱出に合わせてほぼ全て処分したので、こちらで新しく買わざるを得なかったというのが正しい。


 あの時、大体の家電と家具が冷蔵庫と同じ運命を辿った。

 タンスも、クローゼットも、テレビも、本棚も。

 今まで使っていた物は東京に置いてきて──そして代理人の手で処分され──こちらでは全て新しく買い直した。


 それでも、たった一つだけ。

 前の家から持ち出した家具……というか、ツールがある。


 大したものじゃない。

 答えを言ってしまえば、それは何の変哲もないタッパーだ。

 料理とかを取り置くために使う、半透明でプラスチック製のアレ。


 東京脱出の際、私はそれを何となく持ち出した。

 だからこそ、今でも冷蔵庫の片隅に設置されている。

 中身はもう空っぽだけれど。


 少し前まで、このタッパーにはちゃんと中身が詰まっていた。

 蓋が閉じないくらいの、大量のイチゴを入れていたのだ。

 東京に住んでいた頃、このタッパーにイチゴを詰めるのは私のルーティンだったと言ってもいい。


 ただしそこまでして用意したイチゴを、私は終ぞ食べたことが無かった。

 だって、私は重篤なイチゴアレルギーだから。

 多くの人が好むこの赤い宝石は、私にとっては致命的な凶器であり────それでも私は、この凶器を冷蔵庫に用意することを習慣としていた。


 いつか、私がそれを使う時のために。






 小さい頃から、私の食生活は制限が強い物だった。

 遺伝か何かは知らないけれど、アレルギーが多かったから。

 果物の多くに対してアレルギーがあり、食べられる果物の方が少ないくらいだった。


 幼稚園で給食が出ると、いつも他の子よりもメニューが一品少ない。

 誕生日に豪華な果物のパフェを食べた子を羨ましがると、母親に「駄目だからね」と釘を刺される。

 親切な老人がお菓子をくれても、断らないといけない日が多かった。


 大人になった今では、それが配慮だったことは分かる。

 世の中にはアレルギーの概念を理解せず、子どもに無理矢理それらを食べさせるような人間もいるそうだから、そういう家庭に比べればウチは遥かにまともだった。

 私はちゃんと、両親から愛情を持って育てられた。


 しかし、子どもだった当時はそれが分からない。

 他の子が嬉しそうに食べている物を何故食べてはいけないのか、不思議で不思議で仕方が無かった。

 友達にイチゴのショートケーキを食べたと自慢された時には、泣いて羨ましがったことすらある。


 そんな羨望の果てに、私はとんでもないことをしでかす。


 小学一年生の時のことだ。

 私は両親に隠れて、スーパーでイチゴのショートケーキを購入。

 そして、こっそり口にした。


 イチゴそのものは、何だか怖くて食べられなかった。

 両親の言いつけに反抗する割に、そこまでの違反行為は出来なかったのだ。

 自分で言うのもなんだけど、小悪党気質だと思う。


 だから私がしたのは、生クリームを舐めただけ。

 イチゴはのけて、その真下に位置する赤みがかった生クリームをペロッと口にした。

 所詮はスーパーの安いケーキだから、味は大したものでも無かったと思うけれど、背徳感も相まってか極上の美味に感じたと思う。


 ……勿論、数十分後に愚行の代償は支払われることになる。

 帰宅してランドセルを片付けた辺りで、私は昏倒した。

 駆け付けた母が見たのは、全身の皮膚に蕁麻疹を浮かべながら苦しむ私の姿だったという。


 先述したように、私はイチゴ本体は口にしていない。

 あくまで、イチゴが乗っかっていた台座のような部分、そこの生クリームを舐めただけだ。

 しかしそれだけで倒れる程に、私の症状は深刻だったのだ。


 無論、すぐに救急車が呼ばれた。

 アドレナリンの注射が行われ、辛うじて一命をとりとめた。

 付き添った母も、慌てて帰宅した父も、一時は最悪の想定をしていたらしい。


 これまた当然の帰結として、意識を取り戻した私は両親からの説教を受けることになった。

 イチゴを食べたらこうなるんだ、どうして約束を破ったんだ、苦しかったと思う、もう二度とこんなことはしてはいけない……。

 極めて妥当な説教の後に、母はこんなことを言った。


「覚えてないと思うけど、救急車で運ばれた時、本当に苦しそうな顔をしていたのよ?皮膚の色も変わって、蕁麻疹も一杯で。もう、あんな酷い顔をしたくないでしょう?……折角、こんなに可愛いんだから」


 そう言いながら、母は当時の恐怖を思い出したように泣いていた。

 しかし私は、また別のことを考えていた。


 ああ、そうか。

 イチゴを食べた時の私は、そんなに悲惨な顔になっていたのか。


 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、なんて。






 親戚にお年玉を貰いに行く時。

 私は何故か、他の親戚の子たちよりもお年玉の額が多かった時があった。

 可愛いからついついあげ過ぎちゃうんだよな、と親戚たちは苦笑していた。


 服を買いに行った時。

 私と母が入店した途端、店員たちが猫撫で声で話しかけてくることがあった。

 こんなにも可愛い娘さんなんだから、良い服を買ってあげないのはもう犯罪ですよ、なんて母に言い募っていた。


 小学校で運動会があった時。

 他の保護者が、自分の子でもないのに私の姿をカメラで撮っていることがあった。

 この歳でもあんなにも違いがあるんだなあ、将来は凄いことになるぞ、と感心したような声で話し合っていた。


 お遊戯の発表会なんかがあると、私は自然と主役になるか、逆に教師の判断で裏方に回されるかのどっちかだった。

 前者の場合は、やっぱりそうだよね、なんて保護者に言われて。

 後者の場合は、後ろめたそうな顔をした教師から「他の子も目立ちたいだろうから……分かるよね?」と事前に言われることが多かった。


 当然、両親もそうだった。

 可愛い可愛いと、猫可愛がりされた。


 周囲からこんな扱いをされていれば、如何に幼児であろうと察することが出来る。

 元々、子どもというのは大人の反応をよく見ている生き物だ。

 私は自分の可愛さについて、随分と自覚していた子どもだったと思う。


 近所で評判の可愛い子とか、そういうレベルじゃない。

 学校のアイドルとか、そんな生易しい物でもない。

 通っている小学校に私目当ての盗撮犯が現れ、逮捕者が出たことがあると言えば、その異常さが察せられるだろうか。


 お年玉やお遊戯会しかり、その盗撮犯しかり。

 周囲の人間が、思わず特別扱いしてしまうくらいの美しさ。

 どういう訳か、私はそれを生まれつき持ってしまっているようだった。


 父や母が、極端に美形という訳ではない。

 幼少期からお洒落や美容に熱心だったとか、実はハーフで日本人離れした容姿をしているとか、そういう事情があった訳でもない。

 何かしら、容姿を保つための特別な努力をしたこともない。


 それでも何故か、私は可愛らしく、美しかった。

 自慢でも、嫌味でも、過大評価でもない。

 純粋に客観的事実として、私の容姿は優れていた。


 だがどんな事象であっても、「過ぎる」というのは良くない。

 それこそ、私のアレルギーが良い例だ。

 本来なら病原菌排除のために活躍する免疫細胞が、過剰に働くことでアレルギー症状を引き起こして、逆に人体を害してしまうように────私の容姿は、しばしば私を傷つけた。


 代表的な被害としては、クラスメイトからのイジメだろうか。

 小学生くらいから、私はよくイジメられるようになった。


 体操着など、何度なくなったか数えられない。

 何回かは件の盗撮犯のような本物の変態たちのせいだったが、大部分はクラスメイトからの嫌がらせだった。


 勿論、もっと陰湿なイジメは日常茶飯事だった。

 中学生くらいになって私が成長してくると、こちらのやり方がメインになったと思う。

 あの子はお高くとまっている、こっちを見下している、胸が大きいから馬鹿っぽそう……そんな噂をよくされていた。


 ただどういう訳か、暴力的なイジメは一度も無かった。

 そこまで容姿が妬ましいのであれば、いっそのこと私の顔に傷を付ければいいのに、誰もそんなことはしなかった。


 さながら、無意識に「それだけはしちゃいけない」と全員が思っているように。

 誰も、私に直接的な傷害行為は行わなかった。

 彼らが最後の一線を守っていたというより────彼らの無意識下に、私の「美」が働きかけて、その選択肢を消してしまったような様子だった。


 人間には、目の前に余りにも綺麗な物があると、それを汚すことを躊躇う性質がある。

 一面に美しい雪景色が広がっていると、そこに足跡を残してしまうのを躊躇してしまうように。

 彼らは皆、私に悪意を持っていながら、私の持つ美しさだけは汚せないようだった。


 この辺りのカラクリが分かった時。

 私は本当に、自分の容姿が怖くなった。

 いっそ一回くらい普通に殴られたら安心出来るのに、とすら思った。


 この顔は、体つきは。

 自分に対して悪意を持つ人間すら、強制的に洗脳する力があるのではないか?

 どれだけ私に悪意を抱いても尚、私を傷つけられないように導いてしまっているのではないか?


 そんな中二病めいたことを思って、鬱々としていた。

 本当に中二病なら良かったのに、と今でも思う。






 私へのイジメは、その場その場で適当に対処していた。

 慣れもあって、私は周囲からの悪意にはかなり鈍感になっていた。

 別段、何も思わなかった。


 だけれど、学校生活でただ一つ。

 教師陣の態度……正確には、私を取り巻く大人たちの態度。

 これだけは、慣れなかった。


 流石に彼らは、私をイジメはしなかった。

 寧ろ、その逆。

 私の周囲の大人は、しばしば異常に私に甘かった。


 例えば、私も幼い頃はいくらか失敗をすることもあった。

 そのことで教師に謝りに行くと、異様にあっさり許されることが多かった。

 他の子なら長々と説教される場面でも、私は別に良いよ、と釈放される。


 学校の成績でも、体育の出来具合でも。

 少なくとも表の場では、私は不自然なほどにネガティブな評価をされなかった。


「あの子、異様に綺麗だから叱りにくいんですよね……何だかこう、あの子が反省した顔をしていると、まるでこっちが悪いことをしているような気分になる。外見で差をつけてはいけないと分かっているのに、無意識に特別扱いしてしまうというか……小学生でも妙なオーラがある子って偶にいますけど、彼女は別格ですよ」


 職員室で、そんなぼやきをしている教師陣の話を聞いたことがある。

 詰まるところ、教師たちも私の扱いに困っていたようだった。


 私の容姿が、イジメの加害者たちにすら無意識に暴力を封印させてしまったのは既に述べたけれど。

 この無意識下への働きかけは、大人たちにも自然と行われていた。

 ただの説教すら、私への加害行為であると認識されてしまい、大人たちは自然とそれを自粛してしまうようだった。


 この感覚自体は、今なら少し分かる気もする。

 実際、凄くオーラのある子や高貴な雰囲気を持つ相手というのは、なかなか叱りにくい。

 相対するだけでも、何だか疲れてしまう。


 だがそれでも、教師陣のこの態度は、私にとって非常に迷惑だったのも事実だった。

 なまじそんな配慮をされるせいで、クラスメイトたちに「やっぱりあの子はズルい、先生に特別扱いされている」と思われてしまう。

 私へのイジメが間接的な手法だった割に長く続いたのは、教師陣の責任が重いと思う。


 イジメを抜きにしても、この手の特別扱いは私としては不快な物だった。

 贔屓されて嬉しい、なんて微塵も思わなくて。

 寧ろ、()()()だと感じていた。


 人間は大抵、理不尽な物を憎む。

 自然災害への対策しかり、犯罪行為の摘発しかり、戦争の停止を求める運動しかり。

 これらは全て、理不尽を許してはいけない、「理不尽な不幸」を消さなくてはならない、という思いから来ている。


 私も勿論、その一人だった。

 大人たちの誰もが特別扱いしてくる現状を────「理不尽な幸福」を許してはいけない、という思いがあった。


 叱られるべき時にちゃんと叱られないというのは、それくらいストレスが溜まることなのだ。

 それが日常的に発生するならば、尚更だ。

 罪悪感やら自責の念やらが混ざって、胸がグチャグチャになってしまう。


 こういう時に「ラッキー!叱られなかった!」と思えないくらいには、当時の私の中には善の部分があって────だからこそ、現状を許せなかった。


 理不尽な不幸を憎む人はこの世に多いけれど、理不尽な幸福をあんなにも憎んでいたのは私くらいかもしれない。

 そのくらい、正負合わせた特別扱いが「日常」となった私の毎日は、気持ち悪い物だった。


 いっそのこと、顔に傷でもつけてやろうかと考えたこともある。

 家でアイロンを見つめながら、これを頬に押し当てるだけで私の悩みは解決するのではないか、と思ったこともあった。

 結局、痛いのも熱いのも嫌だったから、実行しなかったけれど。


 それに周囲の態度がアレだからって、私が自分の身を傷つけないといけないなんて、酷く嫌な感じがした。

 悪いのは向こうなんだから、向こうが変わるのが筋だろう。

 私はとにかく、他の子が普通に叱られているように、自分も普通に叱られたかった。




 だから、この時期から。

 私は悪事に手を染めるようになった。




 最初は、教室の扉に黒板消しを挟むような悪戯。

 次に、黒板に悪戯書きをしたり、備品をこっそり盗むような行為。

 終いには落とし穴を掘るような、明確に他者に危害を加えうる悪事すらやり始めた。


 それらの目的は、ただ一つ。

 悪事をしているところを見つかることで、「ちゃんと」叱られたかったのだ。

 特別扱いされず、普通に怒られたかったのだ。


 周囲の子の陰口のように、やってもいないことで責められるのではなく。

 教師陣のように、明確に謝罪すべきことすらあっさり許されるのでもなく。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 他の子と同じようにちゃんと叱られた時、初めて私は、普通の人間になれる。

 今までの美術品みたいな扱いではなく、普通の子どもとして扱ってもらえる。

 そんな期待があった。






 私の行動は、傍目には奇妙に見えただろう。

 はっきり言って、「普通に叱られるために悪事を起こす」というこの発想自体、普通のそれではない。


 ただ、自己弁護させて貰えば、児童心理としては納得できなくはない思考の流れでもあった。


 育児関連では有名な話だが、今まで一人っ子だった子どもに弟や妹ができると、上の子は突然赤ちゃん返りすることがある。

 幼児化はせずとも、わざと悪戯をしたり、親にちょっかいをかけたりして、何かと気を引こうとする。

 親が弟や妹に構ってばかりになってしまうのが寂しくて、ちゃんと構われようと思った末に、無理矢理注意を引こうとするのだ。


 私の行動も、これと同原理だったと思う。

 勿論、私には弟も妹もいない。

 でも、周囲から「ちゃんと」見られていない、正当に扱われていないという点では、両親に放っておかれる子どもと同じだった。


 要するに、承認欲求から生み出された行動の一つだったのだろう。

 今までの環境が環境だったから、行動自体が歪んでしまったけれど。






 結論から言えば、私のこの目論見は失敗に終わる。

 自分なりに色々と悪いことをしてきたつもりだったけれど、私は叱られなかった。

 少なくとも、私が望むような対応はされなかった。


 最初の頃、私は手っ取り早く叱られるために、悪事の後は親や教師たちに即座に自首をしていた。

 これが良くなかった。

 自首をしに来たということはつまり反省しているということになり、叱る程ではないとみなされて帰されてしまうことが多かったのだ。


 だから私は、叱られるための悪事をしても名乗り出ないようになった。

 ただやるだけやって、後は周りが発見するのに任せるようにした訳だ。

 そうすれば、やがて大人たちが私が犯人であることに気がついて、私を叱りに来ると思っていた。


 ……しかし、これが事態をややこしくすることになった。


 というのも、教師や大人たちが思ったよりも鈍かったのだ。

 教室内の金魚を盗もうが、プリントに落書きを仕込もうが、それが私の犯行だと見抜く人は全くいなかった。

 私のクラスは、「何だか最近、変な悪戯が多いな」と噂されるようにはなったけれど、真犯人である私について言及する人は終ぞ現れなかった。


 一応、今となってはその理由も分かる。

 教師陣としても、忙しい中で犯人探しなんてあまりやりたくなかったのだろう。

 誰かが怪我したとか、そういうのっぴきならない事態になったのならともかく、見ない振りで誤魔化せる程度のことは無視したがっていた。


 端的に言えば、そんな「日常の謎」の真相を探りたい人なんて、殆ど居なかったのだ。


 犯人探しや説教というものは、一般人にとってはかなりの労力となる。

 ただでさえ労働環境が悪いと言われている教師陣としては、なあなあで済ませられるならそれで良かったのかもしれない。

 明確に犯人が分かるものならともかく、それ以外は放置したかったのだろう。


 私が教師から特別扱いはされても、その後のイジメに対して学校側から対策がなされなかった理由は、ここにあったのだろう。

 見て見ぬ振りで、終わっていたのだ。


 ……当然ながら、この結果は当時の私を激しく失望させた。

 叱られなかったこともそうだけど、そもそも見抜いてくれなかったというのがキツかった。

 大人ってこんなに頭が悪いのか────そんな風に感じてしまった。


 私としては、それらの悪事はそんなに凝った物では無かった。

 何なら、私なりに犯人が分かるような細工までしていた。

 だから私の想定では、事件発覚直後に教師陣が真相を察するはずだった。


 しかし、どの犯行でも私という真犯人に辿り着く者はいなかった。

 というか、そもそもちゃんと調べられることすらなかった。

 私はこの時、一般人から見た「日常の謎」なんて、こんな物であることを────白黒はっきりつけずとも良い、どうでも良い灰色の事象として扱われるのだということを、初めて認識した。






 一応言っておくと、私の通っていた学校の教師陣が全員そんな感じだった訳でもない。

 偶にやる気のある教師が居て、しっかり調べられるようなこともあった。


 しかし彼らは彼らで、私の期待に応えられる人たちではなかった。

 と言うのも彼らは大抵、大人の癖に随分と推理力が低い人たちだったのだ。

 こう言うとアレだけれど、子どもの悪戯すら十分に見抜けない程度の能力しかなかった。


 だから彼らが私の悪事を調査すると、私ではない別の子を犯人だと決めつけて、無関係の子を怒鳴って叱りつけるようなことがよくあった。

 流石に慌てた私が自首しても、「君みたいな綺麗で目立つ子がわざわざ変なことをするはずがない、俺が見極めたコイツが犯人なんだ」なんてとんでもない暴論を言い出して、他の子への説教を止めなかった。

 この程度の洞察力しか持っていない人間が、よく今まで生きてこれたな、と私が密かに驚愕したくらいだ。


 この手の輩から冤罪をふっかけられた子を救うのは、本当に大変だった。

 どんな理屈も通じないし、完全に言いくるめると逆ギレするし。

 適度に教師のプライドを傷つけない程度に話を終わらせる必要があって、とにかく疲れた。


 勿論、これは自分でやったことの後始末なのだから、私は泣き言は言えないのだけど(というか、その子が叱られている元凶は私なのだけど)。

 なまじ自分の責任であるために、放っておくことはできなかった。

 当時から、マッチポンプで苦労するタイプだったのかもしれない。






 この後もいくらか悪事は行ったけれど、結果は変わらなかった。

 私はいつまでたっても、満足しなかった。


 私の悪事たちは、自首して変な空気になり釈放されるか、他の子が叱られたのを見て慌てて庇うか、その二つの結果に終わった。

 当時の私の周囲に、偶然無能が多かったのか────それとも、程度の低い大人を騙せる程度には、子どもなりに私の能力が高かったのか。

 どちらが真相かは分からない。


 何にせよこれらの出来事を通して、周囲の人間にこれ以上期待するのは無駄だな、と当時の私は判断した。

 私がどう頑張っても、この人たちは……こいつらは私の外見と、自身の偏見で物事を判断する。

 これからどれだけ成長しても、この扱いは変わらないんじゃないか────そう思っていた時。




「君だな?今回の事件の真犯人は」




 夏美先輩が私の前に現れた。

 凛とした音を響かせて。

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