再会の時(Stage19 終)
そもそも黒島が本を持ちだしたにしても、それを窃盗や転売目的と考えるのは無理がある。
その場合、彼女は一冊二冊と言わず、もっと盗んだ方が良いからだ。
小鳥遊文庫の本はバーコードシールが貼られるなどの加工がされている──だからこそ、かつて図書館の蔵書だった五冊の古書が勘違いされたのだ──ので、残念ながら美本とは言えない状態にある。
こういう本は、古書店に持って行っても値段が安くなるのが常だ。
鞄に収まる程度の量だけ盗んだところで、そこまでの大した儲けにはならないだろう。
もっと言うと、そんな加工された本が持ち込まれた時点で、まともな店なら売り手に疑問を抱くだろう。
まさかコイツは図書館や図書室から万引きしたんじゃないだろうな、と思われる可能性すらある。
一介の高校生である黒島が、素性を問わず売買をするような店を見つけているとも思えない。
もっと言えば、彼女はそう言うことは好まない本好きな性格をしているはずなのである。
白川の話の中でも、「美佐が本好きだから、最初の読書展の提案をしてくれた」と言う内容があった。
今回の一件でも、持ち去られていた五冊の古書について妙に詳しく述べていたくらいだから、割と古い本にも真っ当な興味を抱いている人間である可能性が高い。
その上で、彼女の行動を考えてみると────。
「……推測だけど、切っ掛けは春先の図書室でやっていたイベントなんじゃないか?白川の話によればこの時期、新入生を図書室に来させるために、小鳥遊文庫の一部を図書室に展示していたはずだ。本好きな君は、そこで小鳥遊文庫に触れた」
時期的には、彼女がこの高校に入学した直後くらいのこととなる。
高校に入ってすぐに図書室に通い詰めるというのも今時珍しいかもしれないが、俺には分かる感覚だった。
俺だって中学時代、休み時間の殆どを図書室で過ごしていた記憶がある。
本好きにとっては、入学してすぐに図書室の品揃えを調べると言うのは珍しくもない行動、
殊に本来なら簡単には見られない、希少な絶版本が置いてあるとなれば────興味を持つこと自体は、自然な成り行きだろう。
「だけど残念ながら、君はその本を読み切ることは出来なかった。展示していたのはあくまで一時期だし、入学直後と言う時期は色々とバタバタしていて、読書時間が確保出来なかったんだろう。そもそも小鳥遊文庫は家に持ち帰れないから、学校で読まないといけないし……全部読む前に、引き上げられてしまった」
読書好きな黒島としては、これは生殺しだったことだろう。
貴重な読みたい本に出合えたのに、その読了を中途半端なところで止められたのである。
既に絶版になっているような本なので、新刊書店で買って読み直すようなことは不可能。
古書店を巡ればもしかしたらあったかもしれないが、希少な本である以上、売値が高くて手が出せなかったのかもしれない。
未だに著作権が切れていない本なら、ネットで無料で読むようなことも出来ないだろう。
「本来ならこういう時は、小鳥遊文庫を管理している日常探偵研究会に行って、その本を読ませてもらうように頼むしかないんだけど……今の様子を見ると、これはやり辛かったのか?まあ、君から見れば先輩しか居ない部活だしな、ここ」
同じ高校生として、この感覚も少し分かった。
新入生の立場で、よく知らない上に友達も居ない部活の部室を訪ねると言うのは、中々メンタルを削る行為である。
見た感じ黒島は内気そうな雰囲気だし、踏み出せなかったのも分かる気がする。
多分、部員と顔を合わせたことすら殆ど無いだろう。
もしそんな機会があったのなら、俺のことを葉兄ちゃんと間違わない。
扉の閉まった部室に何度も来て、ノックもせずに逃げ帰るようなことを繰り返していたのではないだろうか。
そう言う訳で、引っ込み思案な彼女は小鳥遊文庫に中々触れられず。
気になる本の続きを読めないまま、文化祭の時期まで来てしまったのだ、
「そう思うと、最初に読書展を君が提案したのも下心があったのかもしれないな。最初は高尚な本も展示しようという流れになって、本を借りに行ったそうだし……それに乗じて、春から気になっていた本を読もうとしたんじゃないか?」
しかしこの企みも、柴咲先生によって邪魔されることになる。
彼のクレームによって小鳥遊文庫は返却され、彼女はまたその本を読めなかった。
だから────。
「目の前で部室の鍵が開いたまま柴咲先生が連行された時、チャンスだと思ったんだろう?今なら本を持ちだせる、ずっと気になっていたあの本を読めるって」
魔が差した、と言って差し支えないだろう。
教師の連行によって人目が無くなったこの場所で、後先も考えずに彼女は本を持ちだしてしまったのだ。
少し前に直に返しに行った本であるために、置いてある場所はすぐに分かったのだろう。
誰にもバレずに、黒島はその本を自分の鞄に収めた。
先述したように、ここで五冊の古書をついでに回収してくれたら話は早かったのだが、そこまでは出来なかったのか。
初めての行為に気負っていたのかもしれない。
「その後は簡単だ。バレるのが不安だったから、ずっと自分の鞄を抱えて歩き回った。柴咲先生から貰ったクラスの鍵も白川に渡して、こっそり本を読もうとした……まあ、結局それどころじゃなくなるんだけど」
無論彼女は、この後起きた騒動の真相を知っていた。
部室に置かれた五冊の古書を見ているのだから。
しかしそれを言ってしまうと、芋蔓式に自分の行為もバレる恐れがあり────正直に言い出せないまま白川と行動を共にしていたのだろう。
日常探偵研究会への相談を勧めるなど、自分の行為がバレない範囲でさっさと事件を解決させようとしていた節はあるが。
「大体こんな感じだと思うが……何か、違っているところは?」
「いえ……全部正解です……噂以上ですね、相川先輩」
脱力した様子で俺の話を聞いていた黒島は、そこでにへらっと笑う。
そして、いそいそと鞄から一冊の本を取り出した。
タイトルを見てみると、古ぼけた文庫本である。
「もう知っているかもしれませんけど、これ、大昔に絶版になった文庫本で……再録とかも碌にされていないんです。だから、どうしても読みたくて」
「……とりあえず、返してもらおう」
今の俺は「相川葉」なので、小鳥遊文庫の確保を優先する。
彼女もそう求められることは分かっていたのか、抵抗は無かった。
ただ、譫言のような言葉が付いてくる。
「私、本当に読みたかっただけで……読み終わったらすぐに返そうと思ってました。だけど持ち出してすぐに、後悔して……先輩に話しかけるのが苦手だからって、無断で持ち出したら泥棒扱いされても仕方がないって気が付いて……言い訳にもならないでしょうし、信じてもらえないでしょうけど……」
「いや、信じるよ。だって君、最初から自首しようとしていただろう?」
今にも泣きそうな目をする黒島にいたたまれなくなり、俺はある種の慰めをする。
彼女はこの行為に対して、割と罪悪感を感じていたはずだと。
一番最初、彼女から相談を受けた場面。
あの時の彼女は、「小鳥遊文庫のことで話したいことがある」と言っており、それが五冊の古書の消失と考えると矛盾が生じてしまうと既に述べた。
ではあの時、彼女は何を言おうとしたのか?
「あの時、君は正直に、本を持ちだしてしまったと自白する気だったんだろう?それなら、間違いなく『小鳥遊文庫のことで相談したい』ってことになるしな……結果から言えば、途中で白川が割り込んできたから中断してしまったけど」
更に言うと俺はただの一般客に過ぎないので、自首相手も間違ってしまっている。
こう言っては何だが、間の悪い子だった。
だがそれでも、彼女が初期から自首しようとしていたのは間違いないと思う────それ以外に、彼女があんな言い方をする理由が思いつかない。
俺が最初に推理を躊躇っていたのも、ここが理由なのだ。
彼女自身が罪悪感を抱えていたことを考えると、別に俺が出しゃばらなくても、もう一度自首しに来る可能性が高い。
そう考えると、後は自然な流れに任せても良い気がしていた────いやまあ、結局は出しゃばったのだが。
──まあ何にせよ、出しゃばりついでに彼女は帰しておくか。本も戻ってきたんだし。
色々と思考をまとめながら、俺はそう決断する。
きっと「相川葉」なら、こう言うはずだと。
部室の奥をチラっと見た後、泣きそうな顔になっている黒島を見つめた。
「とにかく、本は戻された。無くなったものが戻った以上、これで一件落着だ。この件は部長とかには伝えるけど、もう大した問題にはならないと思う」
「……本当ですか?だってここの本は、部長さんが大切に管理しているって……だから私、部長さんにも謝らないといけないって思って。短時間とは言え、無断で持ち去ったんですし」
「あー、そこはまあ、俺から部長に言っておくからさ」
そもそも黒島が過剰に怯えているだけで、ここの本の管理はそこまで厳格な物ではないと思う。
実際、最初は読書展のために普通に貸し出すつもりだったのだ。
結果から言えば無傷で本は戻ってきたのだし、彼女の謝罪は、俺の口から本物の日常探偵研究会メンバーに伝えればいいだろう────そう判断しながら、一つ提案をした。
「とにかく、君はちゃんと本を返したんだ。だからもう、クラスに戻りなよ。折角の文化祭だ。謝罪がどうのとか言って気にしていたら、楽しむものも楽しめないだろ?……ちゃんとした謝罪をして、この本を正式に借りるのは文化祭が終わってからで良い。いつでも待っているから、また暇な時にこの部屋に来なよ。今度こそ勇気を出して、真正面から」
俺はどの立場から物を言っているのだろう、と思いつつもそんなことを言っておく。
偽物の「相川葉」がこんな決定をするのもアレなのだろうが、部室に半べその彼女が残られたところで俺も困る。
葉兄ちゃんたちだって、この状況なら間違いなく同じ判断をするだろう。
大体の事情さえ引き継いでおけば、後は本物の葉兄ちゃんたちが何とかするはず。
丸投げではあるがそう読んで、俺はこの騒動を終幕とする。
「後で酷く怒られるようなことがないよう、上手く言っておくからさ……元はと言えば、鍵も閉めずに連行された柴咲先生や、鍵を確認しなかった教師陣も悪いんだし。今はとりあえず、文化祭を楽しんできたら良い」
ここまで言った甲斐があってか、彼女はしばらく黙り込む。
しかしやがて、黒島は何度も何度も頭を下げてから、この部室を去るのだった。
やっと全てを解き終わって、俺はふうと息を吐く。
ここへ来てまた一時間も経っていないのに、早速変なことに巻き込まれてしまった。
ボヌールでのバイトもそうだが、どうも俺が外出すると、必ず「日常の謎」が発生している気がする。
「推理小説とかだと、探偵が出向く先で殺人事件とかが頻発するのは定番だけど……何なんだろうな、俺の場合」
そんなことを一人呟きながら、俺は部室の奥の方に首を向ける。
そして、僅かに声を張り上げた。
「どう思う?……葉兄ちゃん」
一秒、沈黙。
直後に小さな笑い声が漏れて、本棚の奥から出てくる影があった。
「何だ、気が付いていたのか」
そう呟くのは、中肉中背、これと言って特徴の無い容姿の高校二年生。
文化祭中であるために私服姿だが、これまた灰色で固めたパッとしない服だった。
俺も人のことは言えないが、実に一般人らしい人である。
しかし俺は、彼のことを一発で見分けられる。
当然だろう、従兄弟なのだから。
彼が少し前からこの部室に隠れていることも、察しがついていた。
「……ここのノートパソコン、俺が来た時には画面が開いていたんだ。黒島を探して外に出る直前も、開いていた。でも、黒島を連れて戻ってきた時には閉まっていたから」
部室の奥に鎮座するノートパソコンを、説明がてら指さす。
このパソコンの画面が、自動で閉まるようになっているとも思えない。
俺が駆けだした直後に、何者かがこの部屋に入って画面を閉じたとしか考えられなかった。
「俺が席を外したのは短時間だし、その間に新規の客がここを訪れて、ノートパソコンだけ閉めてすぐに立ち去ったなんてのは意味不明だ。寧ろ、この部屋に来てしかるべき人がやったと考える方が自然だろう。そもそもこの辺り、文化祭中なのに人気が無いし」
「だから玲は、日常探偵研究会の部員が戻ってきたんだと思ったんだな?」
「そう。その人は戻ってきた上で、俺たちの気配を察して思わず隠れたんだ。で、その後の話を出るに出られないまま聞いていた……こんなことをするのは誰か?」
部長の霧生さんや、もう一人の部員である早見さんならそんなことをする理由が無い。
でも、葉兄ちゃんなら有り得る。
何せあの時は、俺が「相川葉」の名を騙っている真っ最中だったのだから。
あのタイミングで本物の相川葉が部室の奥から出てくると、黒島の視点では何が起きているのか分からずに混乱するだろう。
要は、話が複雑化してしまう。
その辺りを察して、今まで隠れていてくれた────勘の良いこの人だからこそ、起きたことだった。
「概ねそんな推理をしたんだけど、どう?」
「……合ってるよ、玲。合鍵のことで職員室に呼び出されて、やっと部室に戻ったら、パソコン画面が光に反射して眩しかった。だから何となく閉めたんだが……それだけで、見抜くか」
ははっと、面白そうに葉兄ちゃんは笑みを零す。
変わらないな、とも呟いていた。
それを聞いた俺は、葉兄ちゃん相手なので口調を昔のそれに戻しつつ、まずは返してもらった文庫本を渡すことにする。
「……これ、返しておく。話は聞いていたでしょ?上手く取り計らって欲しい」
「ああ、OK」
「彼女、大して咎めもせずに帰したけど良かった?」
「別に良いよ。お前も言っていた通り、ちゃんと本は戻ってきたしな。ちゃんと話し合うのは、後でやればいい。彼女も今更逃げないだろう……まあ、ただの勘だが」
そう言いながら、葉兄ちゃんは受け取ったその本を流れるような動きで本棚に戻した。
さして意外そうでもない動きをする彼に、俺はつい問いかける。
「葉兄ちゃんさあ……」
「ん、何だ?」
「こういう事件が近々起きるって、勘で分かってたんじゃない?」
白川は言っていた。
以前小鳥遊文庫を戻しに来た時、部長の霧生さんから何かあれば相談するように言われていたと。
さながら、こんな事件が起きることを見透かしているようなアドバイスをされているのだ。
もしかすると、それは葉兄ちゃんの入れ知恵だったのではないか。
犯人である黒島は目当ての本のために、春頃に日常探偵研究会の部室の手前まで何度も来ている。
彼女はここに来ながらも、声をかけられずに立ち去るようなことを繰り返していたはずだ。
ならば、そうやって何度も部室に近づく女子生徒の気配に彼が気づかないとは思えない。
内気な彼女が妙なことを起こしそうだと勘で察して、霧生さんに助言をしていたからこそ、そういう提案がなされたんじゃないか?
「もしそうだとすると……俺以上に、葉兄ちゃんも変わってないよ。寧ろ、勘がますます鋭くなったんじゃない?」
「確かにな。お互い、人のことは言えないか」
そう呟きながら、葉兄ちゃんは手を掲げる。
挨拶でもするように。
「何だかタイミングがずれたが……久しぶり、玲。電話はともかく、直に会うのは春以来か?」
「うん、制服を見せた時以来だから……こっちこそ久しぶり、葉兄ちゃん」
互いに再会を祝しながら、俺たちは意味なくハイタッチみたいなことをする。
別に挨拶なんて何でもいいのだが、その場のノリだ。
変に力強くハイタッチした後、俺たちは何だかおかしくなって、意味なく笑いあった。
こうして、ようやく。
俺は、葉兄ちゃんと合流して。
偽物の「相川葉」から、正真正銘「松原玲」に戻ったのだった。




