もっともらしい話をする時
「今回の件の発端は、要するにこの掃除の仕方にあるんだ。その上でいくつかの偶然が話に絡んでいるから、ややこしくなっているけど……」
そう言いながら俺は教室内に戻り、黒板消しを棚に戻す。
そしてポカンとした顔の鏡に相対しながら、推理を述べていった。
鏡には悪いが、迅速に真相を理解してもらうためにも一気に話を進めることにしよう────。
「まず前提として、この高校には……というかこの辺りの教室には、何時からか黒板消しクリーナーが存在しなかった。それはこの光景から見ても明らかだ」
「備品の補充に時間がかかっているのか、或いは調子が悪いからどこかにしまわれてしまっているのか、どちらなのかは分からない」
「何にせよ結構な期間、ここの教室を使う人はクリーナーが無い状態でやっていたんだと思う」
「しかしそれでも、当然黒板消しは授業の度に汚れていく」
「だからここのクラスの生徒たちは、クリーナー無しで黒板消しを掃除することにした」
「それがさっき見せたやり方だ。もしかすると、クリーナーがあった時からああいうやり方をしていたのかもしれないけど。手早いし、案外綺麗になるし」
「幸いこの教室の位置からすると、粉が多少飛び散っても風で外に飛んで行ってくれる。流石に下に人が居たら迷惑がるだろうけど、それだって時間帯を選べば大した問題にならない」
「代替手段の割に問題が少ないってことだ。何なら、クリーナーと違って電気代がかからないという利点もある」
「強いて言うなら……あんまり何度もやると、チョークの粉がベランダの壁や手すりに降り積もってしまうのが一番大きな問題になるか」
「俺たちが見たあの手すりの白い粉の正体は、これだろうしな」
「まあこれも、雨でも降れば文字通り洗い流されるくらいの問題だ。風が強い日なら、雨すら必要ないかもしれない」
「そんな訳だから、これまであまり大きな問題にはならなかったんだろう」
「だからこそ、この方法での掃除は延々続いてきた。簡単だし、楽だし」
「……しかしこの方法を続けることで、やがて更なる問題が生じた」
「最初の問題は、このベランダからかなり近い位置にあのユリノキがあったが故に起きた物だ」
「今は雨のせいでかなり流されてしまっていて、直に見ることは出来ないが……恐らく位置的に、飛び散ったチョークの粉のかなりの部分はあの木の葉っぱにも降り積もってしまった」
「針葉樹ならともかく、あのユリノキの葉は結構大きい。チョークの粉を撒いたら、結構な量が貼り付くだろう」
「つまり自前で出す花粉ではなく、黒板消しから飛んだチョークの粉によってあの木は汚れていたんだ。雨が降らない、晴れが続いた日なんかは特に」
「それが、新しい問題に繋がった」
「それが花粉説の中で触れた、アレルギーの問題だ」
「元凶がチョークの粉だから、花粉症とはまた違うだろうか……チョークの粉だって過剰に吸ってしまえば、体質によっては咳が出たり、調子を崩す人もいるだろう。喘息持ちの人とかには、更に症状が出たはずだ」
「持病のない人でも、舞った粉が鼻に入ったら全員ゴホゴホ言い出すだろうし」
「故に、チョークの粉が舞い散っている場所、もしくはそれが堆積していたあのユリノキに近づいた人間の中には、体調を崩す人間が多少増えてしまった」
「それがあの噂を作ったんだ。『木に近づくと病気になる』という怪談を」
「あくまで噂になるだけで、大問題というレベルでも無いみたいだから、本当に調子を崩した人間の数は少ないみたいだが……」
そこまで流暢に告げてから、俺は鏡の方を見る。
少し性急すぎたかと思ったのだが、意外にも彼女は迅速に理解してくれたようで、フンフンと頷きながら聞いてくれていた。
実際、種さえわかれば簡単な話ではある。
まとめてしまえば、黒板の掃除は粉っぽくなるし、粉っぽい場所に居ると病気が増えるというだけの話だ。
実際に白く汚れた手すりを見ていたこともあって、理解は容易だったらしい。
「じゃあ、それが私の見た噂話の真相ってこと?あの木はチョークの粉が積もっているから、近くに居ると咳き込むよっていう……」
「そう言うことだ。多分、クリーナーにまつわる事情を知らない人が噂にしたんだろう」
高校という場所では、数多の生徒が色んな場所でたむろしている。
このことは、現役の高校生としてよく分かる話だった。
だからこそ、噂が生まれた経緯も大体想像出来る。
多分、偶には教室じゃなくて大きな木の下でお弁当でも食べよう、なんてことを考えた人たちが居たのだろう。
彼らが食事をしている間に、風が吹いて粉の積もった葉っぱが揺れたことがあった。
そして食事中にそれを吸い込んだせいで、体調を崩す人も現れた。
このようなことが連続して続けば、掃除事情を知らない人にとっては不気味な話にも思えるかもしれない。
それを元に書き込んだ話というのが、鏡の目にした噂なのだろう。
「じゃあ、噂話の方はこれで解決……?あ、でも、心霊写真についても、書き込まれてあったはずだけど……」
「それに関しては『幽霊の手』について解き明かせば、同時に解ける。だから、そっちからまず解説しよう」
「桜さんの方の解説……やっぱり繋がってるんだ。この話と」
そういうことだという意味を込めて、俺は首肯する。
一度は放棄した考えだが、これはやはり別々の二つの話などではない。
一つの出来事を二つの視点から眺めたために、見え方が異なってしまっているだけなのだ。
それを理解してもらうために、俺は一つ、鏡に質問をする。
心霊写真にまつわる一件が発生する直前の話を。
「鏡、再確認しておきたいことがある」
「ん、何?」
「君たちがあの学ラン姿になる直前の話だ。確か君たちは、その着替えの際に少し休憩時間があったという話だったな?」
「そうだけど……トイレ休憩も兼ねて、そう言う時間があったよ?」
まあ私はトイレにはいかなかったけど、と補足が入る。
それを確認しながら、俺は推理をこう続けた。
「もう一つ聞きたい。君と酒井桜さんは、その時同じ場所で着替えをしていたか?」
「ううん、別々だった。言わなかったっけ、これ?」
「いや、ちゃんと聞いた。だから聞きたいんだが……仮にそのタイミングで酒井桜さんがトイレに立っていたとしても、おかしくは無いな?」
鏡の動きが少し止まった。
さらに、首を傾げる。
「確かに、そうだとしても分からなかっただろうけど……桜さんがトイレに行ったかもしれない、というのがどう重要なの?」
「いや、トイレ云々は別にどうでもいいんだ。寧ろ重要なのは、酒井桜さんが撮影直前にどこかへ行っていたかもしれないという点になる」
「どこか?」
「ああ、これは完全に、俺の想像なんだけど……」
そう前置きしてから、俺はペラペラと舌を回す。
「彼女は多分、撮影直前にトイレ休憩に行って……そのついでに見に行ったんじゃないかと思う。君から噂として聞いていた、あのユリノキを」
「あの木を……?」
「そうだ。話自体は聞いていたんだし、有り得なくは無いだろう?」
──意識しすぎて、同じくこの高校に来る桜さんにもこの話を紹介しちゃったぐらい。
等星高校の噂話について話していた時、鏡が言及していたことである。
彼女はこの話を、酒井桜にも伝えていた。
つまり酒井桜は例の怪談について知っていたのだ。
ならば、見に行ってもおかしく無いだろう。
どんなものかな、という好奇心で。
「えー……でも桜さん、私が話した時にはあんまり興味がなさそうだったけど……」
微かに不満そうにそう言って、鏡は口を尖らせる。
それを見て、俺は不味いなと思った。
嫌なところに気が付かれようとしている。
──もう少し、それらしい理由を言った方が良いか?
そんなことまで考えた。
しかし、すぐに鏡は「まっ、いっか!」と言ってその疑問を自ら取り消した。
「実際に噂の木を目の前で見たら、桜さんだってちょっと近づくくらいはするかもしれないしね。それでそれで、どうなったの?心霊写真とどう繋がるの?」
話を急かす鏡を前に、軽く苦笑する。
何というか、この推理を聞く相手が彼女で本当に良かった。
出来る限り言葉を選びつつ、俺は返答を続ける。
「……まあ単純に、彼女は噂の元であるこの木に近寄って、軽く様子を確認したんだろう。何なら俺たちみたいに、枝の様子を確認したのかもしれない」
「ふんふん、それで?」
「それで……これまた妄想なんだが、軽く転んだんじゃないか、と思う」
そう言って、俺は鏡の膝をビシッと指さした。
彼女に反論される前に、勢いで押し切る。
「鏡も言っていただろう?心霊写真が撮影される頃には撮影も終盤になっていて、随分と疲れていた。膝なんかもガクガクになっていた、と」
「確かに言ったけど……ええとつまり、桜さんもその疲れで、木の近くで転んじゃったってこと?私みたいに?」
「そうだ。そしてその時、彼女は反射的に手を前に突き出した」
そう言いながら、俺はいつかのように両手を前に突き出すジェスチャーをする。
前回の事件の途中でも、一度話したことだ。
転んだ人間というのは普通、地面に向かって手を突き出す。
「普通ならまあ、それで終わる話だったんだろう。だが今回に限っては、木の方に問題があった。正確に言うと木の幹とか周囲の地面の方に、だが」
「あっ、そっか。あの木にはチョークの粉が積もっちゃっているから……」
「そうだ。そんな場所で転んだせいで、彼女の両手はチョークの粉で汚れてしまったんだ」
無論、立ち上がってすぐに汚れを手で払っただろう。
転んだ人間というのは、大抵そういう動きをする。
しかし粉状の物というのは、そういう大雑把なやり方だけでは完全に綺麗に出来ない場合も多い。
掌の隙間や皺の間に粉が入り込んで、中々取れないことがあるのだ。
ガッツリと手を洗わないと完全には綺麗にならないというのは、それこそ黒板掃除をしたことがある人なら分かる感覚だろう。
「そう言う経緯で、酒井桜さんの手はちょっと汚れた。多分、パッと見は分からないレベルだろうけど」
「え、じゃあ、それが『幽霊の手形』になったってこと?桜さんがその手のまま学ランを触っちゃったから、白い手形が服に残ったの?」
俺の考えをまとめるように、鏡はそう言って。
しかし、すぐに首を振る。
「でもそれなら、衣装を着る時に手形が付いちゃわない?そうだったら、撮影開始前に気が付かれるよ?」
「ああ、そうだろう。だから手形が付いたタイミングというのは、そんなに最初じゃない」
彼女の言う通り、そんなに早くに汚れが付着したなら衣装の人がすぐに汚れに気が付いている。
だから恐らく、汚れが付着したタイミングはもっと後だ。
「俺の想像になるが……多分酒井桜さんは転んで手が汚れてから、何も触っていないんじゃないかと思う。だから、撮影の瞬間まで手形が付かなかったんだ」
「……どゆこと?衣装を着るなら、普通はそこで服に触るでしょ?」
当然の疑問が、鏡の口から飛び出る。
しかしすぐに思い当たることがあったらしく、「あっ」と言った。
思い出すことがあったらしい。
「でもそっか、私たちは自分で服を持たずに、衣装さんに着せてもらったから……こう、お姫様みたいに。そのせいで、学ラン自体には触らないまま撮影まで来ちゃったってこと?」
「そうだと思う。それなら矛盾は無いだろう?」
鏡に頷きを返し、俺は推理を終盤まで導く。
「だがその後、撮影が始まってからカメラのシャッターが切れる直前までくらいに、彼女は自分の胸元辺りを触ってしまった……それが、『幽霊の手形』の原因となった」
何故そこを触ったのかまでは、流石に分からない。
応援団のコスプレなのだから、よくある「フレー、フレー」のようなポーズをしようとして、その過程で触れたのだろうか。
それまで一度も服に触っていなかった彼女が、そこで学ランに触ってしまった訳であるら、
だからと知って、学ランが大きく汚れた訳ではない。
掌についた汚れ自体が少量だっただろうし、学ランに貼り付いた分はもっと少量だっただろう。
だが貼り付いた先が学ラン────すなわち、黒い生地だったのが不運だった。
黒いベースに白い点を付けると、良く映える。
自然、貼り付いたチョークの粉は「幽霊の手形」として写真上で確認できてしまった。
ただしこれは、そこまでしつこい汚れでも無い。
彼女が学ランを脱いで確認した拍子に、パラパラと剥がれ落ちる程度の量だ。
改めて確認した時には、様々な偶然から生まれた「幽霊の手形」は文字通り粉微塵になって消えてしまった訳である。
だからこそ彼女たちは、突然現れて突然消えてしまった手形を前に、首を捻ることとなった────。
これが、今回の一件の真相である。
……鏡の前では、そういうことにしておこう。